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その瞬間、正志は相手の子の瞳に吸い込まれたような気がした。
大きく見開いた目。
きっと何度も病棟の仲間の危機を見つめてきた目。
何が大丈夫なんだ。
ふいに怒りが湧いた。
何も大丈夫じゃない。そんなことわかってんのに、どうして僕は大丈夫だなんて言ってしまったんだ。
『正志くん、婚約者のこと、そこまで大事に考えたことあったの?』
『彼女』の声が脳裏に響く。
おんなじじゃないか。
全身に氷水が降り落ちたようだった。
僕がやったことはおんなじなんだ。
「………ごめん」
確かにこの女の子は婚約者じゃない。
けれど正志は看護師で、今はその仕事をしていなくても看護師であることは間違いない。けれど、その今ここにいる子ども達の状況を一番よく知っていて、思いやっていなくてはならないはずの看護
師の正志が言ったことは、慰めにもならない安請け合いなのだ。
「………ごめんね」
「うん、わかった」
正志のことばにまるで返事するように、舞台の『彼女』が答えて、腕の中の女の子が振り返った。
『彼女』は静かに微笑んでいた。
「晶子ちゃんがしんどい時に騒いでごめんね? でも、歌を聞きたい人もいるんだよ」
「でもっ…」
「けど」
半泣きになって言い募ろうとした相手に『彼女』がにっこり笑う。
「リクエストは受けます。これから五分間、あたしは歌いません。その代わり」
『彼女』は胸の下の方で指を組んだ。細い指先が真っ白になるまできつく指を組み、
「晶子ちゃんが頑張れるように祈ります」
「っ」
びくりと大きく震えた男の子が一瞬よろめき、田中主任に抱えられるようにもたれる。
目を閉じて俯き指を組んだ『彼女』に促され導かれるように、部屋の中で次々と子ども達が指を組んで目を閉じ俯いた。大人も看護師も、正志の腕の中の女の子も指を組み、俯く。
正志も急いで指を組んで目を閉じる。
「う……ぅ……ぁっ…」
切ない泣き声が響いた。
静まり返った部屋の中を、男の子の悲鳴にも聞こえる泣き声がゆっくりと渡っていく。
五分は長かった。
とても長かった。
まるで宇宙の果てへ旅してきたようだった。
「五分」
ふいに優しい声が響いて、部屋に動きが戻った。
目を開けた正志の正面で、『彼女』はまっすぐに男の子を見つめている。
「最後はあたしから……できれば、伊藤くんに」
「え……」
ぎょっとした顔になった伊藤を田中主任がそっと包んで支える。
広がった歌声は荘厳なほど高い響きの『アベ・マリア』だった。
大きく見開いた目。
きっと何度も病棟の仲間の危機を見つめてきた目。
何が大丈夫なんだ。
ふいに怒りが湧いた。
何も大丈夫じゃない。そんなことわかってんのに、どうして僕は大丈夫だなんて言ってしまったんだ。
『正志くん、婚約者のこと、そこまで大事に考えたことあったの?』
『彼女』の声が脳裏に響く。
おんなじじゃないか。
全身に氷水が降り落ちたようだった。
僕がやったことはおんなじなんだ。
「………ごめん」
確かにこの女の子は婚約者じゃない。
けれど正志は看護師で、今はその仕事をしていなくても看護師であることは間違いない。けれど、その今ここにいる子ども達の状況を一番よく知っていて、思いやっていなくてはならないはずの看護
師の正志が言ったことは、慰めにもならない安請け合いなのだ。
「………ごめんね」
「うん、わかった」
正志のことばにまるで返事するように、舞台の『彼女』が答えて、腕の中の女の子が振り返った。
『彼女』は静かに微笑んでいた。
「晶子ちゃんがしんどい時に騒いでごめんね? でも、歌を聞きたい人もいるんだよ」
「でもっ…」
「けど」
半泣きになって言い募ろうとした相手に『彼女』がにっこり笑う。
「リクエストは受けます。これから五分間、あたしは歌いません。その代わり」
『彼女』は胸の下の方で指を組んだ。細い指先が真っ白になるまできつく指を組み、
「晶子ちゃんが頑張れるように祈ります」
「っ」
びくりと大きく震えた男の子が一瞬よろめき、田中主任に抱えられるようにもたれる。
目を閉じて俯き指を組んだ『彼女』に促され導かれるように、部屋の中で次々と子ども達が指を組んで目を閉じ俯いた。大人も看護師も、正志の腕の中の女の子も指を組み、俯く。
正志も急いで指を組んで目を閉じる。
「う……ぅ……ぁっ…」
切ない泣き声が響いた。
静まり返った部屋の中を、男の子の悲鳴にも聞こえる泣き声がゆっくりと渡っていく。
五分は長かった。
とても長かった。
まるで宇宙の果てへ旅してきたようだった。
「五分」
ふいに優しい声が響いて、部屋に動きが戻った。
目を開けた正志の正面で、『彼女』はまっすぐに男の子を見つめている。
「最後はあたしから……できれば、伊藤くんに」
「え……」
ぎょっとした顔になった伊藤を田中主任がそっと包んで支える。
広がった歌声は荘厳なほど高い響きの『アベ・マリア』だった。
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