『よいこのすすめ』

segakiyui

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「あ…れ?」
 近寄ってきたのは違う人間のポスターだった。何種類かあるのだろう。急いで全面眺めたが、デザイン性を重視しているのか、参加している画家の名前がすぐにわからない。
「くそっ」
 慌ててエスカレーターをもう一つ上った。みるみる近づいてくるポスターの側に寄ろうと思ったが、今度は正志から斜め前にいる夫婦連れがあれやこれやとしきりに体を動かしながら話していて、そちら側に寄ることができない。伸びをしたり、体を振ったりしてみたが、タイミングが悪くて、一瞬見えた青空はすぐに男性の薄くなった頭に隠されてしまった。
「ちょっと、何なの」
「す、すみません」
 後ろの女性がまたうっとうしそうに文句を言って、謝りながら前を透かし見る。上に来るほどぎっしりと詰まった人々全部が絵画展を目指してるわけではないだろうが、誰もエスカレーターから降りようとしない。
 何とか体を捻ってポスターの見える方に近づいたと思ったら、今度は6階の物産展のポスターで、でっかい蟹とどしりとした牛肉の写真に正志は引きつってしまった。
 もう降りようかな、そう思ったとたん、いきなりエスカレーターの人々が減って、それらの人々が6階の物産展に行く人々だったと気づく。
「一気に空いちゃったよ」
 後ろのこうるさい女性もいなくなって、今度は余裕で青空のポスターの前へ顔を突き出せた。
「えーと………sayu………morino……もりの、さゆ」
 どき、と胸が一つ大きく打った。
「森野、さゆ、かな」
 さゆ、なんて珍しい名前がそうそうあるわけはない。けれど、ひょっとしたら筆名ならばあるかもしれない。第一彼女が画家だなんて聞いてなかったし、いやそれよりも、こんな偶然あるわけないし。
 どきどきしながら7階まで上がって、特設会場は、と探した正志の視線に、そこだけくっきりと切り取ったように鮮やかに飛び込んできたのは、受付にいるさゆの姿。
 灰色の柔らかなワンピース。髪の毛は伸ばして、胸に淡いピンクの百合のコサージュを付けている。眼鏡はちょっと太めの黒縁、けれど何だかそこがぽったりしてて、小さな口元に凄く可愛い。
「……しまった」
 遠くから見て、思わず正志は服を見下ろした。
「もっとましなかっこ、してくるんだった」
 ぶらぶらするだけだと思ったから、今日は洗い晒しのジーンズシャツにちょっとくたびれた綿のチノパンだ。なのに、今しもさゆに話し掛けてるのは、きちんとスーツを着た男で、さゆが嬉しそうに笑っている。
「……一般客、お断りとか」
 周囲をきょろきょろしてみたが、別に買い物客もビニール袋を下げたまま入っているようだし、画商や業界関係だけが入れるというものではなさそうだ。
「……よし」
 ごく、と唾を呑んで、足を一歩踏み出そうとしたとたん、はっとした。
「そ、だ」
 急いで身を翻してエスカレーター前に戻って店を探す。
「地下1階にあるな……えーと」
 財布を改めて、急いでエスカレーターを駆け降りた。
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