13 / 31
5.ダイン要城(3)
しおりを挟む
「ふ…」
差し込んだ陽に目を細める。
地下道の闇に慣れた目には、真昼の陽射しは炎の刃のようにきつかった。
「あれだ」
途中から先に立ち、一足先に外へ出ていたリヒャルティが、片手を伸ばして彼方を指す。
「ふ、うん」
続いて数段の石段を上がり切ったユーノは、木立の隙間から見える城に、ゆっくりと焦点を合わせた。
ダイン要城。
別名『黒の城』。
小さな山が迫った小高い丘の上に造られており、周囲を三重の城壁が取り囲んでいる。それは、とぐろを巻く巨大な魔物(パルーク)の体とも見え、天を衝くように聳え立つ中央の塔は一際高く、雄叫びを上げる怪物の頭ととれた。黒みがかった茶色の岩石を切り出して造られた城塞、背後は山、前方には掘割と城壁、まさに重厚堅牢な守りの城だ。
中央の塔の頂上には、正方形の一辺を丸く抉った旗が黒々とはためいている。黒地に真紅と金の紋章、それを見て取って、ユーノは背後のアシャを振り返った。
「アシャ」
「ああ」
アシャも厳しい顔で頷く。
紅の宝石を一本の金の捻り棒が貫き、宝石の両端に金の翼をあしらった、その紋章を誰が忘れるだろうか。それこそは、ギヌア・ラズーンが率いる『運命(リマイン)』の紋章だ。
その下に、三角形の旗が遠慮がちになびいている。緑地に大きく描かれた、白と黒のぶっちがいが鮮やかだ。
「ガデロのバール将軍の旗だ」
リヒャルティが挑むような目をして唸った。
道々聞いたところでは、ラズーンのガデロ付近を巡視警邏する任を負っている『金羽根』は、血の気の多い連中が揃っていることもあって、再三バール将軍とぶつかりながらも決着をつけるに至っていないとのことだった。セシ公からは『あなたのことをダシにして、積年の恨みにケリをつけてしまおうなんて考えてるかもしれないですね、リヒャルティは』と軽く警告もされている。
「……いい城だ」
ユーノは静かに呟いた。髪を一陣の風が吹き上げていく。どこかで小競り合いでもあったのか、きな臭い匂いの風だった。
(命がけだな)
いつものことだが、と苦笑した。
(また、あの目をする)
アシャはユーノを見守りながら、胸を疼かせる。
時々見せる、追い詰められたような目。生き残ることさえ興味がないような刹那的な色をたたえていて、アシャの心をかき乱す。
(ひょっとすると、ユーノは死に場所を探してるんじゃないか?)
だからこそ、いろんな厄介事に次々と首を突っ込んでいくんじゃないか。
そんな不安に、一瞬たりとも目を離せないとさえ思ってしまう。
(終わってるな)
今回だって、こんな無茶をしてまで駆けつけてしまう自分が、情けないようないじらしいような。無意識に左脇を押さえる。じくり、と嫌な感触があったが、痛み止めは十二分に効いている。それならもういい。
「アシャ」
「ん?」
ユーノが振り返ってきた。見つめてくる、少女にしては厳しすぎる強い光の目を受け止める。
「どう思う?」
「確かにお前の言うように、一人で入った方が無難だな」
バール将軍は間抜けでも馬鹿でもない。大人数が動いたと見れば、すぐに地下道の存在に気づくだろう。そうなっては脱出さえ困難になる。
「だが、こちらが待つのは感心しない。同時に乗り込み、別働隊でレアナを救い出す」
「…そう、だね」
ふい、とひどく淋しそうな色が一瞬ユーノの顔を掠めた。だが、すぐにそれは消え去る。顔を逸らせて再びダイン要城を見やったユーノの細い首筋が、陽の光を白く跳ねる。少年用の飾り気のないチュニックの胸元に吸い込まれた甘い線、乱れた髪が一筋二筋首に絡むのが、妙に艶かしく見える。
(俺は…知っている)
鈍い熱さが体に広がった。
(こいつがどれほど華奢か……どんなふうに腕に包み込めるのか)
体がぎりぎりになっていると生存本能が働くのか、危うい感覚ばかりが先走る。だが、アシャにから顔を背けているユーノの姿は、そのまま自分とユーノの関係でもあると気づいて暗鬱な気分になった。
(だが…俺はいつもこいつを護り切れない)
おそらくは、今回も。
「じゃあ、後を頼む」
きゅっ、と唇を結んでダイン要城へ歩き出すユーノを、アシャは竦むような思いで見つめた。
たとえば、最後の瞬間。
(その時、私はアシャに何も言わずに逝けるだろうか)
ユーノは、石ころだらけの、ダイン要城へ続く道を歩きながら、地下道で自問し続けた問いを繰り返した。
(母さまにも父さまにも……レアナ姉さまにもセアラにも言わずに………ううん、レスさえも………たぶん私は欺ける)
ただ、悲しませたくないが為に。ただ、その涙を見たくないが為に。
(だけど、アシャは?)
アシャのあの眼で覗き込まれて、「どうした、ユーノ?」と問われて、それでもなおかつ、「何でもないよ」と笑って逝けるだろうか。死ぬとわかっている道へ、物問いたげなアシャの視線を背中に受けて、平然と踏み込んで行けるだろうか。
アシャのことだ、唇のほんの微かな震えで気づかれてしまうだろう。目のほんの一瞬の翳りで悟られてしまうだろう。
そして、それを、ユーノが期待していないとは言い切れない。
(期待しても、どうしようもないのに)
そう何度も言い聞かせてきたというのに。
(幾度繰り返せば、心は納得してくれるんだろう。何度言い聞かせれば、アシャの腕を望まなくなるんだろう)
それこそ、死ぬまで? そうすれば、この想いを抱き締めて、ただ黙って逝けるだろうか?
けれど、ほんのちょっとなら? ほんの僅かな揺らぎなら、伝えても誰にも迷惑がかからないのではないか?
(だめだ)
ユーノは心の中で強く首を振る。
脳裏を過る、アシャが一瞬目を見開いた顔、やがて戸惑い、何かを探すように視線を彷徨わせ、やがてそろそろと優しい微笑みを浮かべるのが。大事な大事な人、けれどそれは、心を磨り減らすような強さで願う類のものではないと、直接伝わらないように柔らかに心配りする顔。
その瞬間、きっとユーノはアシャを失うのだ。旅の仲間として一緒に居た日々を。剣を抜き放って背中を預け合う信頼を。疲れ切った夜に何となく側に居て眠る温もりを。ようやくここまでやってきたと、笑いながら見上げる青空の下の安心を。
(悟らせちゃいけない)
息を吸う。息を吐く。
大事だ。とても大事だ、かけがえないほど。それ以上が望めないのだから、これ以上失うのは耐えられない。
(ほんの少しも気づかせちゃいけない)
呼吸を肚の底に溜め込んで、唇を結んで前方を見据える。
(今に始まったことじゃないだろう? お前は『ユーノ・セレディス』だろう? それほどヤワな人間じゃないだろう?)
「おい!」
ダイン要城の一番外壁、第一の橋を渡り始めたユーノに、城門の側に立っていた門番らしい男が声をかけてきた。
無言で進む。
「おい、お前のことだ!」
別の一人が槍を構える。
「待て!」「待てと言ってる!」
ずんずん近づくユーノは一人、獲物は腰に下げている剣一振り、華奢で脆そうな少年が何用か、という不審は、歩みを止めない彼女に警戒心へと募る。それでも門を離れてどうこうしないのは、傲然としたユーノの態度に何かを感じたのか、ついに門の前の小さな空き地に達した辺りで、ようやくずいずいと数人が歩み出た。がしゃり、と目の前で槍が交差され行く手を阻まれる。立ち止まりはしたものの、ユーノは前方を瞬きもせずまっすぐ凝視して、男達を見ない。
「何者だ?」
訝しげな問いが重なった。
「何の用でここに来た?」
背後の大門横の小さな扉が開き、また数人、兵士が顔を覗かせる。
「おい、耳がないのか、お前は!」
「何者だ!」
声が高くなる。間近に迫り、ユーノを見下ろし、がしりと肩を掴んでくる。
ようやくユーノは相手を見た。にやりと笑う。
「城主に伝えろ。ユーノ・セレデイスがやって来た、と」
「何っ」
「ユーノ・セレディス?」
門番ともども、背後の兵士がざわめき戸惑う。
「まさか…」
「こんな子どもなのか?」
「剣を扱えそうな体じゃないじゃないか」
「…ごちゃごちゃ言ってないで、連れていけっ」
低く吐いたことばに、一瞬ざわめきが止まった。肩を掴んだ男が今にもそのまま握り潰そうとでもするように力を込めてくる。ここで始末できるかどうか、そう見計らってでもいるような相手を、ユーノはゆっくりと見上げた。
(もしここで留められたら?)
もちろん、今取り囲む数人は死んでもらおう。屈強な男達を一瞬で倒し、ユーノ・セレディスと名乗る者を、多人数で屠るようなことはしないだろう。殺すつもりなら、とうの昔に仕掛けてきている。レアナを手元に取り込み、ユーノを呼び寄せたのは、『主』が生きているユーノが必要だからだ。その『主』の意向に逆らうようなことはすまい。
「レアナ姉さまは無事なんだろうな」
「無事じゃよ」
ふいに、その場にそぐわない穏やかな老人の声が響いた。
兵士達の茶色の兵服の奥から人混みをかき分けるように、腰の曲がった老爺がよぼよぼと出てくる。引きずっている黒の衣、乾燥し、ふしくれだった指に嵌めた幾つもの指輪が、陽の光に妙に禍々しい輝きを弾く。
「ドーヤル老師」
門番の人が老人を認めて、そちらを振り向いた。
「ユーノ・セレディス。セレディス皇の御子じゃな」
「……」
「ほっほっほっ…。そう、睨みつけずともよい。儂はバール将軍の側役、ドーヤル老師と人は呼んでおる。さすがは名高い姫じゃな。よい面構えをされておる」
「姫?」「女?!」
頓狂な声が続けて上がったが、ドーヤル老師の眼に射すくめられたようにおさまった。ゆっくりと振り向いてユーノを見る皺の寄った顔、輝く二つの碧の眼はいかにも優しげに細められているが、その奥にはしたたかな獣が浮かべる狡知と策謀の色がある。
「剣をお渡しなされ、ユーノ姫。まさか、敵陣を生きて出られると思ってはおられぬじゃろう」
ドーヤル老師は枯れた声で促し、かさついた唇を吊り上げた。皺が肌に刻まれるように深くなり、顔に影の隈取りを施す。
「レアナ姉様の無事はどうして確かめさせる?」
「それを確かめられて、どうする。レアナの無事を伝える者は勿論、既にそなたもここより生きては帰れぬわ」
ぎぎっ、ぎぎっ、ぎぎっ。
金属の擦れ合う固い音に振り返る。いつの間にかユーノを静かに取り囲んだガデロ兵士の後ろ、掘割に掛かっていた跳ね橋が引き上げられていく。やがて、がしっ、と重苦しい音がして、橋が屹立した。
退路を断たれ、周囲にはガデロ兵、万策尽きたはずのユーノだが、再びドーヤル老師を振り向いた唇には、静かに笑みをたたえていた。
「何を笑う?」
ドーヤル老師が見咎める。
「ここにおるのはそなた一人、万に一つの救いもありはしない」
「たいして変わった状況じゃない」
ユーノは眼を細めて嗤った。
「ただ、バール将軍の側役ともあろう者が、私一人の扱いに手こずっているのが面白い。それに、『銀の王族』をラズーンと交渉もせずに葬りたがるほど、ドーヤルは愚かなのか?」
私がどれほどラズーンにとって大切な駒か、知らぬわけではあるまい?
指先を軽く胸に当てて微笑む。ラズーン内部にまで刺客を送り込んでくるような相手なら、ユーノがただの『銀の王族』でなくなっているのも知っているかも知れない。それを餌に揺さぶりをかける。
「何っ」「この、小娘!」
「騒ぐな!」
殺気立つ兵士を、ドーヤル老師は一声で制した。じっとユーノを見据える。碧の瞳が妖しく揺らめく。
「なるほど、これはたいした姫じゃわ。不利とわかっても挑発してくる強気は好もしいのお…」
乾いた唇を予想外に赤い舌が舐めた。
「……よかろう、姉に会わせてやろう。久しぶりの対面じゃろうからな」
ドーヤル老師は老いさらばえた体を引きずるように向きを変えた。埃に塗れ、土に汚れて赤灰色に色が変わった黒衣の裾を面倒そうに払うと、振り向きもせず促す。
「来なされ、ユーノ姫。儂が直々の案内を務めましょうぞ」
差し込んだ陽に目を細める。
地下道の闇に慣れた目には、真昼の陽射しは炎の刃のようにきつかった。
「あれだ」
途中から先に立ち、一足先に外へ出ていたリヒャルティが、片手を伸ばして彼方を指す。
「ふ、うん」
続いて数段の石段を上がり切ったユーノは、木立の隙間から見える城に、ゆっくりと焦点を合わせた。
ダイン要城。
別名『黒の城』。
小さな山が迫った小高い丘の上に造られており、周囲を三重の城壁が取り囲んでいる。それは、とぐろを巻く巨大な魔物(パルーク)の体とも見え、天を衝くように聳え立つ中央の塔は一際高く、雄叫びを上げる怪物の頭ととれた。黒みがかった茶色の岩石を切り出して造られた城塞、背後は山、前方には掘割と城壁、まさに重厚堅牢な守りの城だ。
中央の塔の頂上には、正方形の一辺を丸く抉った旗が黒々とはためいている。黒地に真紅と金の紋章、それを見て取って、ユーノは背後のアシャを振り返った。
「アシャ」
「ああ」
アシャも厳しい顔で頷く。
紅の宝石を一本の金の捻り棒が貫き、宝石の両端に金の翼をあしらった、その紋章を誰が忘れるだろうか。それこそは、ギヌア・ラズーンが率いる『運命(リマイン)』の紋章だ。
その下に、三角形の旗が遠慮がちになびいている。緑地に大きく描かれた、白と黒のぶっちがいが鮮やかだ。
「ガデロのバール将軍の旗だ」
リヒャルティが挑むような目をして唸った。
道々聞いたところでは、ラズーンのガデロ付近を巡視警邏する任を負っている『金羽根』は、血の気の多い連中が揃っていることもあって、再三バール将軍とぶつかりながらも決着をつけるに至っていないとのことだった。セシ公からは『あなたのことをダシにして、積年の恨みにケリをつけてしまおうなんて考えてるかもしれないですね、リヒャルティは』と軽く警告もされている。
「……いい城だ」
ユーノは静かに呟いた。髪を一陣の風が吹き上げていく。どこかで小競り合いでもあったのか、きな臭い匂いの風だった。
(命がけだな)
いつものことだが、と苦笑した。
(また、あの目をする)
アシャはユーノを見守りながら、胸を疼かせる。
時々見せる、追い詰められたような目。生き残ることさえ興味がないような刹那的な色をたたえていて、アシャの心をかき乱す。
(ひょっとすると、ユーノは死に場所を探してるんじゃないか?)
だからこそ、いろんな厄介事に次々と首を突っ込んでいくんじゃないか。
そんな不安に、一瞬たりとも目を離せないとさえ思ってしまう。
(終わってるな)
今回だって、こんな無茶をしてまで駆けつけてしまう自分が、情けないようないじらしいような。無意識に左脇を押さえる。じくり、と嫌な感触があったが、痛み止めは十二分に効いている。それならもういい。
「アシャ」
「ん?」
ユーノが振り返ってきた。見つめてくる、少女にしては厳しすぎる強い光の目を受け止める。
「どう思う?」
「確かにお前の言うように、一人で入った方が無難だな」
バール将軍は間抜けでも馬鹿でもない。大人数が動いたと見れば、すぐに地下道の存在に気づくだろう。そうなっては脱出さえ困難になる。
「だが、こちらが待つのは感心しない。同時に乗り込み、別働隊でレアナを救い出す」
「…そう、だね」
ふい、とひどく淋しそうな色が一瞬ユーノの顔を掠めた。だが、すぐにそれは消え去る。顔を逸らせて再びダイン要城を見やったユーノの細い首筋が、陽の光を白く跳ねる。少年用の飾り気のないチュニックの胸元に吸い込まれた甘い線、乱れた髪が一筋二筋首に絡むのが、妙に艶かしく見える。
(俺は…知っている)
鈍い熱さが体に広がった。
(こいつがどれほど華奢か……どんなふうに腕に包み込めるのか)
体がぎりぎりになっていると生存本能が働くのか、危うい感覚ばかりが先走る。だが、アシャにから顔を背けているユーノの姿は、そのまま自分とユーノの関係でもあると気づいて暗鬱な気分になった。
(だが…俺はいつもこいつを護り切れない)
おそらくは、今回も。
「じゃあ、後を頼む」
きゅっ、と唇を結んでダイン要城へ歩き出すユーノを、アシャは竦むような思いで見つめた。
たとえば、最後の瞬間。
(その時、私はアシャに何も言わずに逝けるだろうか)
ユーノは、石ころだらけの、ダイン要城へ続く道を歩きながら、地下道で自問し続けた問いを繰り返した。
(母さまにも父さまにも……レアナ姉さまにもセアラにも言わずに………ううん、レスさえも………たぶん私は欺ける)
ただ、悲しませたくないが為に。ただ、その涙を見たくないが為に。
(だけど、アシャは?)
アシャのあの眼で覗き込まれて、「どうした、ユーノ?」と問われて、それでもなおかつ、「何でもないよ」と笑って逝けるだろうか。死ぬとわかっている道へ、物問いたげなアシャの視線を背中に受けて、平然と踏み込んで行けるだろうか。
アシャのことだ、唇のほんの微かな震えで気づかれてしまうだろう。目のほんの一瞬の翳りで悟られてしまうだろう。
そして、それを、ユーノが期待していないとは言い切れない。
(期待しても、どうしようもないのに)
そう何度も言い聞かせてきたというのに。
(幾度繰り返せば、心は納得してくれるんだろう。何度言い聞かせれば、アシャの腕を望まなくなるんだろう)
それこそ、死ぬまで? そうすれば、この想いを抱き締めて、ただ黙って逝けるだろうか?
けれど、ほんのちょっとなら? ほんの僅かな揺らぎなら、伝えても誰にも迷惑がかからないのではないか?
(だめだ)
ユーノは心の中で強く首を振る。
脳裏を過る、アシャが一瞬目を見開いた顔、やがて戸惑い、何かを探すように視線を彷徨わせ、やがてそろそろと優しい微笑みを浮かべるのが。大事な大事な人、けれどそれは、心を磨り減らすような強さで願う類のものではないと、直接伝わらないように柔らかに心配りする顔。
その瞬間、きっとユーノはアシャを失うのだ。旅の仲間として一緒に居た日々を。剣を抜き放って背中を預け合う信頼を。疲れ切った夜に何となく側に居て眠る温もりを。ようやくここまでやってきたと、笑いながら見上げる青空の下の安心を。
(悟らせちゃいけない)
息を吸う。息を吐く。
大事だ。とても大事だ、かけがえないほど。それ以上が望めないのだから、これ以上失うのは耐えられない。
(ほんの少しも気づかせちゃいけない)
呼吸を肚の底に溜め込んで、唇を結んで前方を見据える。
(今に始まったことじゃないだろう? お前は『ユーノ・セレディス』だろう? それほどヤワな人間じゃないだろう?)
「おい!」
ダイン要城の一番外壁、第一の橋を渡り始めたユーノに、城門の側に立っていた門番らしい男が声をかけてきた。
無言で進む。
「おい、お前のことだ!」
別の一人が槍を構える。
「待て!」「待てと言ってる!」
ずんずん近づくユーノは一人、獲物は腰に下げている剣一振り、華奢で脆そうな少年が何用か、という不審は、歩みを止めない彼女に警戒心へと募る。それでも門を離れてどうこうしないのは、傲然としたユーノの態度に何かを感じたのか、ついに門の前の小さな空き地に達した辺りで、ようやくずいずいと数人が歩み出た。がしゃり、と目の前で槍が交差され行く手を阻まれる。立ち止まりはしたものの、ユーノは前方を瞬きもせずまっすぐ凝視して、男達を見ない。
「何者だ?」
訝しげな問いが重なった。
「何の用でここに来た?」
背後の大門横の小さな扉が開き、また数人、兵士が顔を覗かせる。
「おい、耳がないのか、お前は!」
「何者だ!」
声が高くなる。間近に迫り、ユーノを見下ろし、がしりと肩を掴んでくる。
ようやくユーノは相手を見た。にやりと笑う。
「城主に伝えろ。ユーノ・セレデイスがやって来た、と」
「何っ」
「ユーノ・セレディス?」
門番ともども、背後の兵士がざわめき戸惑う。
「まさか…」
「こんな子どもなのか?」
「剣を扱えそうな体じゃないじゃないか」
「…ごちゃごちゃ言ってないで、連れていけっ」
低く吐いたことばに、一瞬ざわめきが止まった。肩を掴んだ男が今にもそのまま握り潰そうとでもするように力を込めてくる。ここで始末できるかどうか、そう見計らってでもいるような相手を、ユーノはゆっくりと見上げた。
(もしここで留められたら?)
もちろん、今取り囲む数人は死んでもらおう。屈強な男達を一瞬で倒し、ユーノ・セレディスと名乗る者を、多人数で屠るようなことはしないだろう。殺すつもりなら、とうの昔に仕掛けてきている。レアナを手元に取り込み、ユーノを呼び寄せたのは、『主』が生きているユーノが必要だからだ。その『主』の意向に逆らうようなことはすまい。
「レアナ姉さまは無事なんだろうな」
「無事じゃよ」
ふいに、その場にそぐわない穏やかな老人の声が響いた。
兵士達の茶色の兵服の奥から人混みをかき分けるように、腰の曲がった老爺がよぼよぼと出てくる。引きずっている黒の衣、乾燥し、ふしくれだった指に嵌めた幾つもの指輪が、陽の光に妙に禍々しい輝きを弾く。
「ドーヤル老師」
門番の人が老人を認めて、そちらを振り向いた。
「ユーノ・セレディス。セレディス皇の御子じゃな」
「……」
「ほっほっほっ…。そう、睨みつけずともよい。儂はバール将軍の側役、ドーヤル老師と人は呼んでおる。さすがは名高い姫じゃな。よい面構えをされておる」
「姫?」「女?!」
頓狂な声が続けて上がったが、ドーヤル老師の眼に射すくめられたようにおさまった。ゆっくりと振り向いてユーノを見る皺の寄った顔、輝く二つの碧の眼はいかにも優しげに細められているが、その奥にはしたたかな獣が浮かべる狡知と策謀の色がある。
「剣をお渡しなされ、ユーノ姫。まさか、敵陣を生きて出られると思ってはおられぬじゃろう」
ドーヤル老師は枯れた声で促し、かさついた唇を吊り上げた。皺が肌に刻まれるように深くなり、顔に影の隈取りを施す。
「レアナ姉様の無事はどうして確かめさせる?」
「それを確かめられて、どうする。レアナの無事を伝える者は勿論、既にそなたもここより生きては帰れぬわ」
ぎぎっ、ぎぎっ、ぎぎっ。
金属の擦れ合う固い音に振り返る。いつの間にかユーノを静かに取り囲んだガデロ兵士の後ろ、掘割に掛かっていた跳ね橋が引き上げられていく。やがて、がしっ、と重苦しい音がして、橋が屹立した。
退路を断たれ、周囲にはガデロ兵、万策尽きたはずのユーノだが、再びドーヤル老師を振り向いた唇には、静かに笑みをたたえていた。
「何を笑う?」
ドーヤル老師が見咎める。
「ここにおるのはそなた一人、万に一つの救いもありはしない」
「たいして変わった状況じゃない」
ユーノは眼を細めて嗤った。
「ただ、バール将軍の側役ともあろう者が、私一人の扱いに手こずっているのが面白い。それに、『銀の王族』をラズーンと交渉もせずに葬りたがるほど、ドーヤルは愚かなのか?」
私がどれほどラズーンにとって大切な駒か、知らぬわけではあるまい?
指先を軽く胸に当てて微笑む。ラズーン内部にまで刺客を送り込んでくるような相手なら、ユーノがただの『銀の王族』でなくなっているのも知っているかも知れない。それを餌に揺さぶりをかける。
「何っ」「この、小娘!」
「騒ぐな!」
殺気立つ兵士を、ドーヤル老師は一声で制した。じっとユーノを見据える。碧の瞳が妖しく揺らめく。
「なるほど、これはたいした姫じゃわ。不利とわかっても挑発してくる強気は好もしいのお…」
乾いた唇を予想外に赤い舌が舐めた。
「……よかろう、姉に会わせてやろう。久しぶりの対面じゃろうからな」
ドーヤル老師は老いさらばえた体を引きずるように向きを変えた。埃に塗れ、土に汚れて赤灰色に色が変わった黒衣の裾を面倒そうに払うと、振り向きもせず促す。
「来なされ、ユーノ姫。儂が直々の案内を務めましょうぞ」
0
あなたにおすすめの小説
【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~
ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。
王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。
15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。
国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。
これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
大ッ嫌いな英雄様達に告ぐ
鮭とば
ファンタジー
剣があって、魔法があって、けれども機械はない世界。妖魔族、俗に言う魔族と人間族の、原因は最早誰にもわからない、終わらない小競り合いに、いつからあらわれたのかは皆わからないが、一旦の終止符をねじ込んだ聖女様と、それを守る5人の英雄様。
それが約50年前。
聖女様はそれから2回代替わりをし、数年前に3回目の代替わりをしたばかりで、英雄様は数え切れないぐらい替わってる。
英雄の座は常に5つで、基本的にどこから英雄を選ぶかは決まってる。
俺は、なんとしても、聖女様のすぐ隣に居たい。
でも…英雄は5人もいらないな。
「魔物の討伐で拾われた少年――アイト・グレイモント」
(イェイソン・マヌエル・ジーン)
ファンタジー
魔物の討伐中に見つかった黄金の瞳の少年、アイト・グレイモント。
王宮で育てられながらも、本当の冒険を求める彼は7歳で旅に出る。
風の魔法を操り、師匠と幼なじみの少女リリアと共に世界を巡る中、古代の遺跡で隠された力に触れ——。
三歩先行くサンタさん ~トレジャーハンターは幼女にごまをする~
杵築しゅん
ファンタジー
戦争で父を亡くしたサンタナリア2歳は、母や兄と一緒に父の家から追い出され、母の実家であるファイト子爵家に身を寄せる。でも、そこも安住の地ではなかった。
3歳の職業選別で【過去】という奇怪な職業を授かったサンタナリアは、失われた超古代高度文明紀に生きた守護霊である魔法使いの能力を受け継ぐ。
家族には内緒で魔法の練習をし、古代遺跡でトレジャーハンターとして活躍することを夢見る。
そして、新たな家門を興し母と兄を養うと決心し奮闘する。
こっそり古代遺跡に潜っては、ピンチになったトレジャーハンターを助けるサンタさん。
身分差も授かった能力の偏見も投げ飛ばし、今日も元気に三歩先を行く。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。
ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。
真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。
引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。
偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?
青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。
最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。
普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた?
しかも弱いからと森に捨てられた。
いやちょっとまてよ?
皆さん勘違いしてません?
これはあいの不思議な日常を書いた物語である。
本編完結しました!
相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです!
1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる