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8.暗躍(4)
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(ユーノ)
『泥土』の灰色の大地の上、仮の寝床を作って横になり、アシャはじっと満天の星の住処を眺めている。
幸いなことに、泥獣(ガルシオン)は昼間のみ獲物を狩る。もちろん、夜も絶対に安全だとは言えなかったが、少なくとも仮の天幕(カサン)ぐらいは張ることができる。
『泥土』に入っての二日目の夜、未だアシャとシャイラがグードスを探し続けている理由もそこにあった。
グードスが何の為に『泥土』へ出掛けたのかはわからないが、準備は万全に整えていたらしい。それでなくとも、グードスはアギャン公の一子、『銅羽根』の長でもある。灰泥土に棲む生物と、『泥土』の特性については熟知していたはずだ。行方不明の十数日、耐えて耐えられない日数ではない。
それに、二日丸々『泥土』を探し回って、アシャの胸には新たな疑問も浮かび始めた。
アシャは数居る視察官(オペ)の中でも一流、実際の任務に正式についていたわけではないが、旅に関する能力は他の者に引けを取らない。旅というものは一定の形式があって、基本パターンさえわかっていれば数々のトラブルを避けられるし、移動する人間の追跡も容易になる。
アシャはその能力をグードスを探すのに十二分に生かしきったはずだった。旅をする者、人探しをする者ならば、まずはこう動くと言う足取りを、完全にとは言わぬまでも、かなり正確に追ったはずだった。ましてや、グードスは生まれた時から『泥土』を知っている人間であり、わざわざ徒労に終わり危険のみ多い路を取るわけがないから、必然選ぶルートは限られる。
なのに、『泥土』のどこにも、グードス、いや彼が居た気配さえ見つけることができなかった。
ひょっとしてグードスは『泥土』へ出たとされているだけではないのか。あるいはまた、実際に『泥土』へ来たものの、入り込む直前に何者かに拉致されたのではないか。そういう思いがアシャの心の中に広がり始めたのだ。
シャイラに従って、もう一日『泥土』を探索することにしているが、もし明日も見つからないようならば、一度『氷の双宮』に戻った方がいいかもしれない、とアシャは考えた。ギヌアの沈黙が不気味で、何か早く気づかなくてはならないことが、着々と進行しつつあるような不吉な予感がした。
なのに。
それらの想いとは裏腹に、アシャの胸にはやるせなく心をかき乱す想いもまた去来している。
(よく眠れているか…ユーノ…?)
旅の間、寝息を心のどこかで聞きながら眠っていたせいなのか、一つ屋根の下ならば気にならないことが、こうして互いに別の場所に身を横たえていると、妙に心を騒がせる。
そっと右手の甲を左の頬に当てる。熱を確かめるように少し押さえ、物足りなくてゆっくりと左右に動かす。
(それとも……まだ、泣いているのか?)
そんなはずはない。あの気丈な娘が、たとえどれほど心を揺らすことがあったとしても、二日の間泣き暮らすとは到底考えられなかった。
けれど今、アシャの胸に浮かぶユーノの姿は、歯を食いしばり、夜闇を凝視しながら恐怖と痛みに耐え続ける、もう遠い昔のように感じるセレド皇宮での姿だ。声をかければ「なに? どうしたの?」と何事もなかったように笑い返してくることがわかっている。「眠れないの? 寝酒でもやれば?」といたずらっぽく片目を閉じるだろう、自分の孤独をただの一瞬も気づかせない優しさで。
苛立たしかった。
ユーノがアシャに、その脆さを見せないことが。その哀しみをぶつけてくれないことが。
時折甘い夢を見る。いつものように笑うユーノを、不意に抱きしめる。逃げようとするユーノを頭を引き寄せ、そっと唇を重ねる。小刻みに震える躰が次第に甘く溶けていって、頬に当てたアシャの指が、いつしか溢れ始めた彼女の涙に温かく濡れていく……。
だが、現実はどうだ。
離れている距離をずきずきする感覚で悔やむ。
セールはユーノがアシャを求めている、と言った。
生死の境にアシャの名前を呼んでいる、と。
眠り続けるユーノの髪と額を唇で触れながら、ユーノが求めてくれるなら、どんな存在でも構わないと思ったはずだった。この腕を一瞬なりと必要としてくれるなら、その一瞬の為だけに、全てを賭けて悔いないと思ったはずだった。
だが………現実はどうだ。
自分の為に死んで行った者が居ること、その者を忘れない、だからその死に様を聞かせろとアシャを見上げた漆黒の瞳、潤んだその瞳の奥に燦めく炎、その凝視を受けた瞬間、アシャの心にはただひとつのことばしかなかった。
(こいつが欲しい)
濡れた黒い瞳が。きつく結んだ唇が。震えるのを必死に堪える声が。そこにあるユーノの全てが。
誰に譲れるだろう、この至上の宝石を。
誰に委ねられるだろう、この眩いほどの魂を。
(俺を求めている、それが本当なら)
アシャは二度とユーノを離すことはない。求めている、そう答えが返ってくれば、アシャの堰は切れる。想いは奔流になってユーノの心へ流れ込み、包み込み抱き込み、ユーノの全てがアシャの者になるまで、おそらくは何者も彼を止められはしない、それこそユーノがどんな悲鳴をあげようと。
「…」
アシャは眉を寄せ、目を閉じた。猛りかけた体を、頭の下に両手を組んで敷き込み、堪える。
(あいつは感謝、と言った。仲間としてなら、と)
仲間としてなら、アシャの接近を許そうと。それ以上は入ってくるなと。
(お前が愛しているのは、俺じゃない)
『泥土』の灰色の大地の上、仮の寝床を作って横になり、アシャはじっと満天の星の住処を眺めている。
幸いなことに、泥獣(ガルシオン)は昼間のみ獲物を狩る。もちろん、夜も絶対に安全だとは言えなかったが、少なくとも仮の天幕(カサン)ぐらいは張ることができる。
『泥土』に入っての二日目の夜、未だアシャとシャイラがグードスを探し続けている理由もそこにあった。
グードスが何の為に『泥土』へ出掛けたのかはわからないが、準備は万全に整えていたらしい。それでなくとも、グードスはアギャン公の一子、『銅羽根』の長でもある。灰泥土に棲む生物と、『泥土』の特性については熟知していたはずだ。行方不明の十数日、耐えて耐えられない日数ではない。
それに、二日丸々『泥土』を探し回って、アシャの胸には新たな疑問も浮かび始めた。
アシャは数居る視察官(オペ)の中でも一流、実際の任務に正式についていたわけではないが、旅に関する能力は他の者に引けを取らない。旅というものは一定の形式があって、基本パターンさえわかっていれば数々のトラブルを避けられるし、移動する人間の追跡も容易になる。
アシャはその能力をグードスを探すのに十二分に生かしきったはずだった。旅をする者、人探しをする者ならば、まずはこう動くと言う足取りを、完全にとは言わぬまでも、かなり正確に追ったはずだった。ましてや、グードスは生まれた時から『泥土』を知っている人間であり、わざわざ徒労に終わり危険のみ多い路を取るわけがないから、必然選ぶルートは限られる。
なのに、『泥土』のどこにも、グードス、いや彼が居た気配さえ見つけることができなかった。
ひょっとしてグードスは『泥土』へ出たとされているだけではないのか。あるいはまた、実際に『泥土』へ来たものの、入り込む直前に何者かに拉致されたのではないか。そういう思いがアシャの心の中に広がり始めたのだ。
シャイラに従って、もう一日『泥土』を探索することにしているが、もし明日も見つからないようならば、一度『氷の双宮』に戻った方がいいかもしれない、とアシャは考えた。ギヌアの沈黙が不気味で、何か早く気づかなくてはならないことが、着々と進行しつつあるような不吉な予感がした。
なのに。
それらの想いとは裏腹に、アシャの胸にはやるせなく心をかき乱す想いもまた去来している。
(よく眠れているか…ユーノ…?)
旅の間、寝息を心のどこかで聞きながら眠っていたせいなのか、一つ屋根の下ならば気にならないことが、こうして互いに別の場所に身を横たえていると、妙に心を騒がせる。
そっと右手の甲を左の頬に当てる。熱を確かめるように少し押さえ、物足りなくてゆっくりと左右に動かす。
(それとも……まだ、泣いているのか?)
そんなはずはない。あの気丈な娘が、たとえどれほど心を揺らすことがあったとしても、二日の間泣き暮らすとは到底考えられなかった。
けれど今、アシャの胸に浮かぶユーノの姿は、歯を食いしばり、夜闇を凝視しながら恐怖と痛みに耐え続ける、もう遠い昔のように感じるセレド皇宮での姿だ。声をかければ「なに? どうしたの?」と何事もなかったように笑い返してくることがわかっている。「眠れないの? 寝酒でもやれば?」といたずらっぽく片目を閉じるだろう、自分の孤独をただの一瞬も気づかせない優しさで。
苛立たしかった。
ユーノがアシャに、その脆さを見せないことが。その哀しみをぶつけてくれないことが。
時折甘い夢を見る。いつものように笑うユーノを、不意に抱きしめる。逃げようとするユーノを頭を引き寄せ、そっと唇を重ねる。小刻みに震える躰が次第に甘く溶けていって、頬に当てたアシャの指が、いつしか溢れ始めた彼女の涙に温かく濡れていく……。
だが、現実はどうだ。
離れている距離をずきずきする感覚で悔やむ。
セールはユーノがアシャを求めている、と言った。
生死の境にアシャの名前を呼んでいる、と。
眠り続けるユーノの髪と額を唇で触れながら、ユーノが求めてくれるなら、どんな存在でも構わないと思ったはずだった。この腕を一瞬なりと必要としてくれるなら、その一瞬の為だけに、全てを賭けて悔いないと思ったはずだった。
だが………現実はどうだ。
自分の為に死んで行った者が居ること、その者を忘れない、だからその死に様を聞かせろとアシャを見上げた漆黒の瞳、潤んだその瞳の奥に燦めく炎、その凝視を受けた瞬間、アシャの心にはただひとつのことばしかなかった。
(こいつが欲しい)
濡れた黒い瞳が。きつく結んだ唇が。震えるのを必死に堪える声が。そこにあるユーノの全てが。
誰に譲れるだろう、この至上の宝石を。
誰に委ねられるだろう、この眩いほどの魂を。
(俺を求めている、それが本当なら)
アシャは二度とユーノを離すことはない。求めている、そう答えが返ってくれば、アシャの堰は切れる。想いは奔流になってユーノの心へ流れ込み、包み込み抱き込み、ユーノの全てがアシャの者になるまで、おそらくは何者も彼を止められはしない、それこそユーノがどんな悲鳴をあげようと。
「…」
アシャは眉を寄せ、目を閉じた。猛りかけた体を、頭の下に両手を組んで敷き込み、堪える。
(あいつは感謝、と言った。仲間としてなら、と)
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