『ラズーン』第五部

segakiyui

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9.『西の姫君』(3)

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「で、これはどう言う茶番劇なんだ」
 更けていく夜にも関わらず、赤々と明かりを灯したセシ公の作戦会議室で、ジーフォ公は堪りかねたように問いかけた。
 訳も分からずセシ公方に滞在して4日になる。短気なジーフォ公としては、恐ろしく気長に待った方で、それもこれもセシ公が、アリオ・ラシェットを無傷で取り返してみせる、と豪語したからと言うからいじらしいものだ。
「おや…この酒はお気に召さない?」
 セシ公はにっこりと邪気のない風を装って笑って見せ、手にしていたグラスを差し上げた。
「いや、そう言うわけでは…」
 間を外されてジーフォ公は鼻白む。この数日ずっとこの有様だ。事情を聞こうとする度に、セシ公の絶妙なことばかけに尋ねるきっかけを失ってしまう。黙って盃の酒を含み、しばらくの後、ジーフォ公はちらりとセシ公を見遣った。
「…昔から気に入らなかったんだ」
 ぼそりと呟く。問いかけるセシ公の視線に応じて、
「お前と言う人間が」
「ほう?」
 セシ公は片眉を上げた。
「何を考えているのか、皆目分からぬ。いつも無難ににこにこして人畜無害の顔をしながら、押さえるところはしっかり押さえる遣り口がな」
 セシ公は微笑む。
 ジーフォ公の悪態も聞き慣れたものだ。幼馴染の昔から、ラズーンの四大公の地位を受け継いでからも、顔を合わせればそう言う類のことばを聞かなかったことはない。
 まあ、どう言う理由があるわけでもなかったが、昔からセシ公はジーフォ公と出くわすたびに微笑が浮かぶのを抑えられず、加えて、そう言う時に限って、相手に煮え湯を飲ませるような真似をしてきたのだから、ジーフォ公の恨み言もあながち逆恨みとも言い切れない。
「だいたい、あの『パディスの偶像』にしたところが」
 ぷっ。
「く…くくっ……」
 ついにセシ公は吹き出してしまった。喉の奥で笑い続けながら、むっとする相手を眺め、
「なんだ、未だにあなたはあれに拘っているのか」
「未だに? あれは十分に拘っていい代物だぞ!」
 ジーフォ公は太い眉を逆立てた。
『パディスの偶像』。
 それは、ラズーンの西の辺境、ジーフォ公分領地とセシ公分領地、それにガデロが接するあたりにある古い古い遺跡にある像で、大きさは大人の2倍ほどだろうか。
 像は両手で一つの水晶球を抱えており、伝えによると、ある定められた夜、定められた星と月の光を浴びて、未来を映すと言われていた。
 だが、今まで誰一人として、そのお告げを受けたものはなく、いつしか子ども達に夜毎に語られるお伽話の一つとしてしか話されなくなった。
 だが、子どもはいつも、伝説を世に蘇らせる立役者である。

 セシ公8歳、ジーフォ公10歳のある夜。
 いつものように昔語りを話していた子ども達の間で、誰が一番勇気があるのかと言うお定まりの問題が持ち上がった。
「そりゃ、カートだ!」
 一人の子どもが自信有り気に断言する。
「カートは一番強いもの!」
「へ、へへ」
 カート、幼き日のジーフォ公はにやにやしながら相手を見やった。当然、それでは納得しないものも居る。
「ラルゴだよ! 去年『双宮』に入ったこともあるって言ってた!」
「デリンガだってっ。『泥土』も見たって言ってたんだしっ」 
 口々に名前を挙げる子ども達に、カートはむっとしたように唇を曲げた。ラルゴもデリンガも商人の子、四大公の一子ともあろう自分が、そんな者たちに負けるわけにはいかない、そう言う顔だ。
 ちらりと見やった幼馴染のセシ公一子、ラルは、いつもの通りほとんど表情を変えず、強いて言えば8歳の子どもにしては大人び過ぎた微笑を浮かべて見ているだけ、カートを援護してくれそうな様子はない。視線を受けても、プラチナブロンドに近い金髪の向こうの茶色の瞳は、応とも否とも反応せず、ただじっとカートを見返すだけだ。
 ちっと忌々しく舌打ちをしたカートは、わあわあ騒ぐ子ども達に一際はっきりと言い放った。
「待てよ、そんなに言うんなら、肝試しをしてみようぜ」
「肝試し?」
「どうやってさ、カート」
「『パディスの偶像』の所に行ってな、未来を覗いてくるんだ」
「ええっ」
「『パディス』へ行くの?!」
 どよめいた周囲を、カートはにんまり笑って見渡した。がっしりした体つきのラルゴ、利発そうなデリンガの視線を捉えて、
「なんだ、怖いのか」
「でも、カート!」
 一番ちびの子が舌ったらずな口調で訴えた。
「『お告げ』は決まった時にしか見えないって!」
「だから、『それ』を確かめて来ようって言ってるんだろ」
 苛立たしく応じる。
「ひょっとしたら、今日がその日かもしれないぜ?」
「どうするの? ラルゴ」
「どうするっ、デリンガ!」
 子ども達は期待を込めて2人を交互に見た。もし、2人が応じるなら、これほど素晴らしい冒険譚はない。
「俺はやる」
 カートと同い年の浅黒いラルゴが重々しく頷く。
「そうだな。ぼくもやってもいいよ」
 考え考え、デリンがが続ける。
「ようし、これで決まった」
 立ち上がったカートは、座の中央で周囲を見回した。
「これから、すぐに出発だ!」
 わあっと歓声が上がり、子ども達が我先に立ち上がる。
 ジーフォ公の邸からパディスまでは、地図で見るほど遠くはない。
 今はもう使われていない地下道を通って全力で走っていけば、ほどなくラズーン外壁の外に出られる。そこからパディスまでは一望のもと、子どもの足でも楽に行ける。
「ここから行くんだ」
 カートは内庭の奥まった暗がりにある重厚な岩扉の前へ、子ども達を連れて行った。岩扉はようよう一人、それも小さな子どもの体だけがかろうじてすり抜けられるぐらいの口を開いている。もちろん、中は暗闇、手にした松明だけが頼りだが、幸いにもこの地下道には枝道がなく、子ども達にとっては慣れた遊び場だ。見送る子ども達も案ずる顔はしていない。
 が、夜はあらゆるものに魔性の片鱗を蘇らせる。
 カート、ラルゴ、デリンガが各々手にした松明の明かりを掲げ、地下道に入り込んでどれぐらいたっただろう。ふいに、ばたばたっと一つの足音が駆け戻って来た。何事かと見守る子ども達の前に、はあはあと息を喘がせたラルゴが現れ、青ざめた顔で待っていた者達を見回す。
「だ、だめだ、ここは!」
 声を詰まらせながら叫んだ。
「何か、変な、おかしな、妙なのがいる! 歩けないんだ!」
 ラルゴのことばを証しするようにもう一つ、足音が響き渡った。扉から顔を覗かせているラルゴを突き出すように背中から押して、デリンガも顔を出す。
「松明が消えるんだ」
 それが戻ってきた最大の理由であるかのように、デリンガは瞳をくるくると動かした。
「天井から水が滴ってきて。危ないよ」
「…カートは…?」
 一番のちびが不安そうに、デリンガの飛び出してきた闇を見た。
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