『エターナル・ブラック・アイズ』

segakiyui

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7.運命の交差点

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 後から思えば、その瞬間、この事件に関わる人々の運命がそこにすべて集まっていたのだろう。
「とおるーっ! とおる!」
 どこにでもある建て売り住宅の玄関から、救急車に運び込まれていく軽そうな担架に、さっきの女性がすがりついて泣きじゃくっていた。
「許さない、許さないからーっ」
 担架を運ぶ消防員の顔もつらそうにゆがんでいる。しがみつく女性をなだめるように抱え込むようにして、救急車の中へ担架とともに連れ込んでいく。
「ひどいよねえ」
 瑞穂が遠巻きにしている人々の中で立ち止まると、側の中年女性が二人、ぼそぼそと話し始めたのが聞こえた。
「まだ五つだったのに」
「お母さんがいなくなっても、とおるくん、元気に幼稚園行ってたじゃない」
 うんうんと二人はうなずきあった。
「この二、三日かしらね、見なかったの」
「ううん、谷川さんの清君が奥さんに言ってたんだって、とおるくん、よくケガしてるよって」
 片方の女性が眉をひそめて、あたりをはばかるように声をなお低めた。
「それって、あれ? ほら、今よく聞く虐待? じゃあ、ずっと前からあそこのだんなさん、子どもを虐待してたの?」
「遠山さんて、いいお父さんに見えたじゃない、こっちも奥さんが出て行って大変だろうなって同情してたけどさ」
 もう片方も一層声をひそめて、相手の顔に顔を近づけてうなずく。
「幼稚園には病気だって言ってたんだって。おとなしそうな顔して怖いわよねえ」
「奥さんかわいそう」
「別れる前から、これ、できてたんでしょ」
 はじめの女性がひょいと小指を立てて、これみよがしに振って見せる。
「あたしは見たことないけどね。大学の先生だって、そりゃあ、男だから」
「何だって、とおるくん引き取ったりしたんだろ、別れたんなら、奥さんに預けちゃえばよかったのに」
 それがさあ、ともう一人が肩をすくめて苦笑いして見せた。
「あそこのお義母さんがすごかったらしいじゃない、跡取りを取られたくないって」
「ああ、あたしも一度、奥さんどなってるのを見たわ。ああいうとき、だんなさん、何も言わないのよねえ」
「女ができたのも、奥さんがいたらなかったせいだって、あたし聞かされてさあ、ほら、奥さんががんばってるの知ってたし、困ったのよね、なんていったらいいのか」
「ああ、わかるう。困るのよねえ、よくわかってない身内ほどこわいもんはないって言うしねえ」
「そうそう、今はねえ、身内の方がこわいのよ、きっと」
 近所とはいえ、しょせんは他人の家のできごととでもいうのだろうか。二人の会話は微妙に焦点をずらしていきながら流れ、とおるの話題からそれていく。
 そうしているうちに、救急車は女性を一緒に乗せて耳障りなサイレンを再開しながら、夜の街へと走りだした。
 だが、ドアが開け放たれたとおるの家の玄関には、まだ明々と火が灯ったままだ。玄関先につけられたパトカーは、もうさすがにサイレンこそ鳴らしていないが、赤いランプをくるくる回し続けているし、険しい顔をした制服警官や私服の刑事らしい男がうろうろと家を出入りしている。
 瑞穂は無意識に握り締めていたこぶしをそっと開いた。
 心の奥に意識を合わせ、『気配』を再度感じ取ろうとする。
 だが、それはもう黙りこくっていて、開かれていた泉に波紋一つも残っておらず、まるで何事もなかったような静けさだけが返ってくる。
(もう、私がここでできることは何もないってこと)
 瑞穂は霊能力者やカウンセラーではないから、おそらくは無念を残して漂っているだろうとおるの霊や失意と絶望に苦しんでいる母親に、何もしてやれない。
 また、超能力者や探偵や心理学者でもないから、あの家の中で行われただろう犯罪について、詳しい解説ができたり、そこへ至るまでの経過も究明することはできない。
 瑞穂にできるのは、あの母親が深いところで感じてはいた、けれどもまだ表面には出てこなかった予感と悲嘆を、受け止め解放してやること、たったそれだけのことだ。
 しかもそれは、時と状況によっては、新たな苦しみを生み出しかねないもの、でさえあるのだ。
 そう、今回のことのように。
(何のための力なのかと)
 瑞穂はいつもこういう場面にでくわすたびに自分が切なく情けなくなる。
 起こっている悲劇を食い止める役にはたたなくて、かといって、起こってしまった悲劇に悲しむ人の心も救えなくて、ただ『理解』するだけの力など、いったい何の役に立つのだろうか、と。
 そんな自分が居る意味は、いったいどこにあるのだろうか、と。
(そして、これはまた、『グリーン・アイズ』がぶつかっているテーマそのものでもあるわけだ)
 そうして瑞穂と『グリーン・アイズ』は、同じテーマをお互いの中に、鏡に映すように抱えている。
 でもだからこそ、瑞穂が自分のテーマをクリアすれば、『グリーン・アイズ』が生きられる未来、というのも見つかってくれるはずなのだけど。
(きびしい、なあ)
 瑞穂は吐息をついてきびすを返そうとした。と、瞬間ふと、人込みの中に、遠山家の玄関から漏れている明かりに照らされた長部の姿を見たような気がした。
 しかも、その姿は、なぜかじっと瑞穂を見つめていたような。
 瞬きして目をこらす、が、その一瞬に人影は人込みのどこかに紛れていってしまったようだ。
「気のせい、かな」
 事件の惨さのせいか、それとも今考えていたテーマの難しさのせいなのか、妙に不安な気持ちが胸に広がった。じっとりとした冷や汗で濡れている額を手の甲で拭いながら、瑞穂はもう一度辺りを見回した。
 だが、今はもう、それらしい姿は見当たらない。それ以上の進展はないふうだと見極めた人々が、それぞれ口々に何かを語りながら、三々五々去っていくゆるやかな流れがあるだけだ。
(今日はいろいろあったから、疲れたのかもしれない)
 長部を見て、『グリーン・アイズ』を見て、挙句の果てに、遠山とおるの件に勝手に首を突っ込んだ。
 一日の仕事としては十分すぎるほど十分に動いたはずだ。
(でも、まだ、何も見えてこない)
 長部のことで、また『エターナル・アイズ』のことで、瑞穂は自分の力をうまくコントロールするか、生かせる方法を見つけないと、自滅すると感じた。
 『グリーン・アイズ』にあおられて、その思いは一層強くなった。
 あの炎の夢に飲まれないために動かなくてはならないと感じ、だからこそ、この件にもリスクを侵して突っ込んだとも言えるのに、いつもならぼつぼつとでも見えてくるはずの『道』はまだわからない。
(あのバーガーショップには、しばらく行けないなあ)
 瑞穂はまたため息をついた。
 繰り返し、自分の力の限界と不安定さを思い知らされるだけだ。
(いったい、どうしたらいいんだろう)
 自分は焦り過ぎているだろうか、と瑞穂は思った。
(どちらにしても、今夜はもう疲れ過ぎてるよね)
 『気配』を読むのに疲労は最大の敵だ。
 読まなくていい合図に引っ掛かり、読まなくてはいけない大切な、けれどささやかなものを見過ごしてしまう。
 瑞穂はもう一度深いため息をついて、人混みからゆっくりと離れて歩きだした。

 足音に気がついたのは、住宅街からかなり離れて、閉店時間を過ぎて静まった商店街を歩きだしてからだった。
(気のせい、じゃない)
 ひたひた、ひたひた。
 ひたひた、ひたひた。
 その足音は静かに、けれど途切れることなく、一定の距離を置いて瑞穂の後ろをつけてくる。
 ひたひた、ひたひた。
 ひたひた、ひた。
 右へ曲がれば右へ、立ち止まれば立ち止まり、足を急がせればリズムが上がる。
 一度、小走りになった後で急に立ち止まって振り返ってみたけれど、背後にはそれらしき人間はいないし、ただぞろぞろと歩く人波があるだけだ。
(誰かがつけてきている?)
 いつから、そして、何のために?
 胸元でこぶしを握って『気配』に尋ねてみたが、反応はない。
(身の危険はないってことかな)
 とりあえず安心したけれど、それでも無意識に足を速めてしまったのが、追跡者を刺激してしまったのかもしれない。
 角の酒屋を曲がったとたん、背後の足音がばたばたと激しく響き出し、瑞穂は背中がすくむ思いで肩越しに振り返った。
 人気のなくなりつつある商店街、ちかちかとそこだけ無機質に眩い自販機、目を閉じたようなシャッターの前をみるみる瑞穂に向かって距離を詰めてくる影がある。
(まずい!)
 『気配』よりも体が反応した。
 身を翻して駆け出すが、足音はすぐに真後ろに迫ってくる。見えてはいないのに、その人物の影の中から容赦なく伸びる黒い手が瑞穂を背後の闇に引き戻していく。
 恐怖に足がすくみ、次の瞬間、瑞穂は前のめりに転がった。
「あっ…」
 自分の声とは思えないほど心細い悲鳴が口からこぼれ、鞄を投げ出すように飛ばしてしまって道に両手を突き、必死に体をひねって振り返る。
 手は瑞穂の想像どおりに、いや、想像よりはるかに猛々しい殺意を満たして闇から伸びていた。
 明らかにそれは人の手なのに、その先が街灯を外れた闇の中に飲み込まれ、禍々しい気配をまとって、はてしなく中空を伸びてくるような、くねり近寄る蛇に見える。
 もう少しでその手の持ち主が、商店街の街灯の光輪の中にさらされる、その直前、
「ちいっ!」
 夜の空気を切り裂くような鋭い舌打ちが響いた。
 街灯の光に、ふいに鮮やかでまばゆい黄金の光が走る。その光は瑞穂と追っ手との間に割り込むと、空間に金の幻を残してぐるっと旋回した。
「は、あっ!」
「げ!」
 追っ手の口から呻きがもれ、相手の体が後ろへ吹っ飛んでアスファルトの上に転がるのが見えた。
「何する気だ、貴様!」
 閃光は怒気を満たした大声で相手を威嚇した。
「やるなら、骨の一、二本は覚悟しろよ!」
 びりびりと辺りの空気が震えるほどの気迫のこもった怒声だ。
「く…」
 吹っ飛ばされた相手が街灯からわずかに外れた薄闇の中でくやしそうに唸り、勝ち目はないと思ったのだろう、意外に素早い動きで跳ね起きて逃げ出した。
(あの、動き)
 瑞穂はその動き方に目を吸いつけられて、凍りついた。
 人は考えられている以上に個人個人で違うものだ。思考感情ふるまい方、いわゆる性格と呼ばれる内面的なものだけではなく、体そのものもかなり違う。
 部品はけっこう似ていても繋がり方が違っていたり使われ方が違っていたりすることで、個人特有の動きが生まれる。そしてそれは、基本的な要素をほとんど変えることがない、よほどの訓練を積まない限り。
 そして、瑞穂の『気配』はそれを的確に読むことができる。
 たとえ相手の顔が認識できなくても、手を振る動作一つ、首を曲げる仕草一つで、瑞穂に相手の本質を知らせてくる。つまり、相手が何者であるかを教えてくれるのだ。
(あれは…忍だ)
 瑞穂は茫然とした。
「おい、大丈夫なのか」
 荒い調子で呼びかけられて、我に返る。
 走り去って行く追っ手から目を逸らして声のする方を振り仰ぐと、未だ追跡者から瑞穂をかばうように仁王立ちになったまま、誰かが背中を向けて立っている。
 夜目に白い半袖のカッターシャツに黒いスラックスは制服風、どう見ても学生にしか見えないほっそりとした華奢な骨格の後ろ姿、ただし、乱れた髪の毛は目を見張るような金髪だ。
 さっき、黄金色の閃光が走ったと見えたのは、この髪のせいだったのだ。
「大丈夫だったのか、って僕が聞いてるんだよ」
 相手は応えない瑞穂にいら立つように、なおも振り向かないまま繰り返して尋ねた。
 追っ手は既に姿を消している。そちらが改めて襲ってくるかということを警戒して見張っているというのではない。
 ただ、瑞穂の顔を見たくない、そんな感じがいからせた肩に漂っていて、見事な回し蹴りを食らわせた脚に先にまで緊張が残っている。
 そのいからせた肩、かばった仕草にも、瑞穂は覚えがあった。
 ついさっき、『エターナル・アイズ』で見たばかりだ。
(あんなに怒ってたのに、助けてに来てくれたんだ)
 瑞穂はほほ笑んだ。
 そっと、丁寧に、からかう口調にならないように返事する。
「うん、大丈夫よ。『グリーン・アイズ』」
「ちっ」
 瑞穂がかけたことばに、正体を知られたと言いたげないまいましげな舌打ちをして、相手はゆっくりと振り返った。
 黄金の髪が汗にぬれて濃い褐色になり額に幾筋もへばりついている。その下に、思った以上に深い黒目がちの瞳が瞬きもせず、瑞穂を見つめている。薄い唇はわずかに開いて荒い息を繰り返していて、今の出来事が見えているほど楽な仕事ではなかったのだと瑞穂に教えた。
「高樹、晃久だ」
「え?」
「だから」
 相手はいらだった顔で繰り返した。
「僕の名前。タカギアキヒサ」
 なぜ急に名前を説明されているのかわからずにポカンと見ている瑞穂に、相手は余計にいらだった。
「畜生、あんたって、なんてわかりが悪い奴なんだ。さっきのおばはん相手には、あれだけわかりがよかったのに、僕のことにはどうしてぴんと来ないんだ」
 晃久はいきなり罵倒し始めた。
(怒ってる?)
 瑞穂はあっけに取られた。
 晃久は地面に座り込んだまま自分を見上げている瑞穂にますますいらだったらしい。
 瑞穂が抵抗する間もなく、腕をつかみ軽々と引き起こした。そのまま、ぐいぐいと引きずるようにその場を離れようとする。
「あ、あの、待って」
「何、怪我でもしてるの? してないよね、僕にはわかってるから」
「そうじゃなくて」
「とりあえず、さっさとここから離れよう。さっきの奴がまた来ると面倒だし」
 瑞穂のことばに耳も貸そうとせずに、矢継ぎ早に続ける。
「そうじゃないの、『彼』なら来ないわ、そんな…」
 瑞穂は一瞬ことばを迷った。
「そんな?」
 なおも瑞穂を引っ立てながら、晃久は振り返って不愉快一色の声で促した。
「そんな、覇気はない…あなたにあれほど派手にやられたんだもの、プライドがとても高い人だから、勝てないとわかってるのに戻ってこないわ」
 晃久は一瞬体の動きを止めた。追っ手の逃げた闇と瑞穂を交互に見た後、眉を厳しく寄せて瑞穂をにらむ。が、すぐに、
「いいから、ここから離れるの。今夜はもう十分だろ、わかってんの、ひどい目にあったんだぞ」
 小さなわけのわかっていない子どもに言い聞かせるように吐き捨てた。
「あの、でも」
「でも、なにさ」
「鞄が」
 ぴた、と晃久は立ち止まった。冷ややかに瑞穂を振り返る。そのままじっと珍しい動物でも見るようにねめつけて、瑞穂がどうにも動きそうにないと知ると、
「ああ、もう!」
 煮え詰まったような叫びを上げた。瑞穂の腕を引きずりながら元の場所に戻り、ほうり出されたままの鞄を拾い上げて瑞穂に押し付け、居丈高に尋ねる。
「他には?」
「ううん、ない」
「じゃあ、帰るからね」
「はい」
 それ以上何か言うと相手が爆発しそうな気がして、瑞穂は慌ててうなずいた。
 痛いほど握られた腕は軽くしびれてきていた。けれど、それがなぜか、相手が嵐の海で必死に命綱を必死につかんでいるような感じがして、離してくれとは瑞穂にはとても言い出せなかった。
 そのままずんずん歩き続ける晃久と一緒にどのぐらい黙って歩いていただろう。気がつけば、瑞穂は住んでいるマンションのオートロックのガラス戸前まで連れて来られていた。
「あれ、あいつだったろ。あんたがさっき占ってた奴」
 無言でいた晃久が立ち止まったとたんにぽつりと言った。
 瑞穂は黙って晃久の強ばった横顔を見上げた。こうして隣に並ぶと、やはりかなり背が高い。
「知ってた?」
 瑞穂の腕を離さないまま、マンションのガラス戸をにらみつけながら、晃久は確認するように尋ねた。そして、すぐに瑞穂の心を読み取ったのだろう、こくんと一つうなずいて、
「そうか、知ってるんだ。じゃあ、何であいつがあそこに居たんだ? あいつはずっとあんたをつけて歩いてた。バーガーショップから出るときはいなかったのに。あんた、何をしたんだ?」
 たて続けに問いかけた。
「わからない」
 瑞穂は首を振った。
 それは本当にわからなかった。
 なぜ、あんなところに、長部がいたのか、どうして瑞穂をつけてきて、しかも襲いかかろうとしたのか。
(私の占いが原因?)
 瑞穂が占った何かが長部の中のものを揺り動かしたのだろうか。
 けれど、瑞穂が知っている限り、長部は自分が不利になるような行動を取らないキャラクターだった。
 それがなぜ、いきなりあんな行動を取ったのかが一番わからない。
(そういえば、とおる君の家の辺りで見かけたような気がしたんだっけ)
 今思えば、あれは本当に長部だったのだろう。けれど、そうすると、なおわからないことになる。
(どうして忍があんな所にいたんだろう?)
「たっ」
 急にぐっとまた強く晃久に腕を握られて、思わず瑞穂は悲鳴を上げた。
「何だって、知ってたのか、あんた」
 相手は真っ白な顔に大きな目を見開いて瑞穂を見下ろしている。
「知ってて、なのに、あんな暗い道をふらふら一人で歩いてたのか、あんたは?」
 心が読めるはずなのに、そして瑞穂のことばが嘘ではないとわかっているだろうに、晃久は重ねて尋ねた。
「あの、痛いよ?」
「あ…」
 瑞穂が顔をゆがめて、今度はようやく晃久に伝わったらしい。
 相手はあわてた様子で手を放した。
「それに、怒ってるね?」
 瑞穂はそうっと尋ねた。
「どうして、そんなに怒ってるの?」
「どうしてって」
(うわ…)
 いきなり晃久の顔が下からピンクに、続いて濃い紅に染め上げられていって、瑞穂は呆然とした。
「だって、それは」
 晃久は我を失ってしまったらしい。うろたえた顔で瑞穂を見つめ、すぐに目を逸らし、マンションの入り口をにらみ、またすぐに瑞穂に目を戻し、歩いてきた道を振り返り、戸惑った口調でつぶやく。
「だって、危ないだろ? わかってるのに、どうして、あんな危ない所を一人で歩くかって、思うだろ? もう少しで、ほんとに襲われてたんだぞ、だから」
 ぶつぶつつぶやくように、怒った口調で反論する。
「うん、あの、だけど、たぶん、私、怒られてるよね? で、私がわからないのは、助けてくれて私も無事だったのに、『グリーン・アイズ』はどうしてそんなに怒ってるのかなってことで」
「高樹、晃久だって言ってるだろ?」
 相手はヒステリックに遮った。
「ここは店じゃないし、僕は衣装きてないし、だから今は『グリーン・アイズ』じゃなくって」
「うん、今は『グリーン・アイズ』じゃなくって?」
 瑞穂はうなずいて相手を見上げた。
「だから、つまり、その」
 晃久はふいにくしゃくしゃと複雑な表情に顔をゆがめた。
「もういいから、帰れよ! 家に入って部屋にこもっちまえよ! そうしたら、僕は安心するんだから!」
 瑞穂の手を振り放すように離して、晃久はとうとうきいきい声で怒鳴り出してしまった。
 金髪の頭の上から湯気が立ちのぼりそうになっているほど怒っているのは、読心力のない瑞穂にもわかる。殺気立った形相はこれ以上妙なことをしゃべったら実力行使で黙らせるぞ、と言わんばかりだ。
 なまじ顔立ちがきれいなだけに、すごむと怒気を越えて殺気が増すらしい。
「どうして、こんな簡単なことがわかんないんだよ!」
「あの…」
 瑞穂は困った。晃久の激怒はやはりどうやら自分に関わっていることのようだが、今一つどうにもよくわからない。
 なぜ晃久は瑞穂が夜道を歩いていると怒るのだろう? それは晃久の何を危うくさせているのだろう。
(第一、忍もそうだけど、どうして『グリーン・アイズ』があんなところにいて…あ、そうか、バーガーショップに居たのかな?)
 疑問が群れをなしてわきあがり、瑞穂は思わず晃久を見た。
「自分のことだと、どうしてそこまで鈍感なんだよ…」
 とうとう、晃久は疲れきった顔でつぶやき、深いため息をついて肩を落としてしまった。
「あ、うん、そうね。そうだ、助けてもらったお礼も言ってなかった、ごめんなさい。あの、ありがとう」
 瑞穂はようやくはっとした。晃久はお礼がなかったのにいら立っているのかもしれないと気がついたのだ。
「それに、送ってくれてありがとう。これからは気をつけます」
 不服そうにこちらをにらむ相手に、急いでもう少しことばを付け加える。
「だから、そうじゃなくって」
 はあ、と相手はもう一度ため息をついた。
「あんたって……人は。もう、いいよ、僕、帰るね。あ、だけど」
 晃久は少し息を吸い込み、ゆっくりと言った。
「とりあえず、中に入って。それから」
 瑞穂は急いで暗証番号を打ち込み、マンションに入ろうとした。出来る限り急いでガラス戸を押し開ける、その後ろから思わぬ優しい声が響いた。
「できたら、名前で呼んでほしかったんだ」
 振り返ると、晃久がまるで子どものように走って姿を消していくところだった。   
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