『エターナル・ブラック・アイズ』

segakiyui

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8.虚ろな魂

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「おはよ」
 『エターナル・アイズ』でのハードな一日目を過ごした翌日、マンションの玄関のガラス戸を開けて外に出た瑞穂は、駐車場を囲むように続く植え込みの影から姿を現した相手にぎょっとした。
「『グリーン・ア………じゃなくって、高樹くん」
 じろっとにらまれて、寸前急いでことばを入れ替える。
 晃久の髪は染め直したのか濃いめのブラウンに戻っている。加えて、黒い縁の地味な眼鏡までかけていて、そうしてみると、これがまた、典型的な純和風の美少年で通るうえに、何だか誠実そうに見えるから不思議なものだ。
 ところが、このいい人ふうの相手は朝からとんでもなく機嫌がよくなかったらしい。
「鈍感なうえに物覚えも悪いんだね」
 冷ややかな声で切り返されて瑞穂は苦笑いした。
「どうしたの?」
「一緒に行こうと思ってさ」
 それは当然だろうという口調で、晃久は瑞穂と肩を並べた。
「一緒にって、あの」
「同じ高校に通っている。ついでにクラスは隣だ。あんたの名前もわかってる。鷹栖瑞穂だろ。他にもいろいろとわかってるけど、今は言わない」
(やれやれ)
 瑞穂は思わずそっとため息をついた。
 見かけは確かに高校生だが、精神年齢はひょっとすると中学より下かも知れないとつい思ってしまい、ひやっとする。
(でも、きっと、何を考えても筒抜けなんだろうな)
 そして、それは、瑞穂だけではなく、晃久の回りに居る者全てがそうなのだ。友達、通り過ぎる誰か、全く関係のない誰か。そして、おそらくは家族さえも。
「大丈夫だよ」
 朝日の逆光で表情のよく見えない晃久がつぶやくように言った。
「外ではオープンにしてない。そんなことしてたら…」
 声がふっと低くなる。
「壊れてる」
「…うん」
(きついよね、それ)
 瑞穂は彼が口にしなかったことばを自分の胸の中でつぶやいた。
 厳しい顔になった晃久から目を逸らせて、朝日がはねてまばゆく輝く町並みを眺める。その光景は、昨夜のとおるを襲った悲劇も、瑞穂が襲われた恐怖も、何かの錯覚だったように白々としている。
(でも、そうじゃない)
 現実は確実に人を変え、世界を揺り動かしていく、どんなに見えないふりをしようと。 
「どうして、あそこに住んでるの」
「うん? ああ、あのね」
 心を読めばわかることだろうに、晃久は前を向いて歩きながら尋ねてきた。
「家族が死んだ、その保険金でね、買ったの」
 中古ではあるけれど管理はよくて、マンションから続く通りは広くてバスも走っている。そして、瑞穂の通う柴崎高校は徒歩で十数分かかるか、かからない距離にある。
 それもあって、家族全員を失った後残された保険金で、瑞穂はこの小さな分譲マンションを買ったのだ。
「…ごめん」
 晃久は一瞬ひるんだ。
「ううん、いいよ」
「じゃあ、いろいろとややこしかっただろ?」
 心を読む方がこういった失敗はしないに違いない。けれど、それではつらい話をさせなくてすむかわりに、お互いにわかりあったという気持ちもうまれない。
(それを『グリーン・アイズ』は知っている)
 わかるまでにずいぶんつらいことがあっただろうな、と瑞穂は考えた。
「おじさんがいてね、面倒をみてくれた。今は外国に移住しちゃったけれど」
「ふうん」
「だから、身内はもう、ここにはいないの」
「そうか」
 会話が途切れた。周囲のざわめきがゆっくりと二人の沈黙の中に入り込んでくる。
「どうして、急に一緒に行こうって?」
 歩きながら瑞穂は尋ねた。どうせ隠し立てなどできないのだから、と居直ってみたのだ。
 思ったままをストレートに口に出す。それは意外と解放感があるものなんだ、と瑞穂は改めて感じた。
「あんたは、僕の未来を変える、と言った」
 低いままの声が応じた。まっすぐに前を見た晃久の表情は頑なで冷たい。
「でも、信じなかったでしょう?」
「けど、あんたは、あのおばさんの何かを動かした」
「ああ…」
(そうか、こういうふうにつながったのか)
 瑞穂はうなずいた。
 あのとき、瑞穂は気づかなかったが、あの店のどこかに晃久がいたのだろう。
 そして、彼の方は瑞穂のことに気づいていて、彼女があの女性に対してどうふるまうのかをじっと見ていたのだ。
(もし、あのとき、私が怖がって何もしなかったら)
 きっと晃久は瑞穂をつけることもなく、そして瑞穂は長部に襲われて、ひょっとしたら命を落としていたのかもしれない。
 いや、それよりも先に、あの女性に何も働きかけなければ、危険な目にも会わなかったかわりに『グリーン・アイズ』を見捨ててしまったことになったのだろう。
「だから、ふっと、ふっとだよ」
 晃久は警戒するように続けた。
「あんたならできるかもって、そう思っただけだ」
 瑞穂は、そのことばに昨夜の晃久の手の力を思い出していた。
 瑞穂を助けるためにというよりは、瑞穂の腕を命綱にするように握り締めていたような、強くて激しい力だった。
 瑞穂の安全を守ろうとしたのも、瑞穂を守ろうとしたと言うよりは、つまりは命綱が切れるのを未然に防いだというあたりだったのだろう。
(そっか…)
 やっぱりそうだよね、とどこか胸の奥で納得するものがあって、そして、なぜか、その納得は瑞穂を少し切なくさせた。
(望まれたのは、私の能力、なんだ)
 瑞穂自身、ではなくて。
 そう胸の中で繰り返すと、側の晃久が一瞬立ち止まりそうになった。
「僕は…」
「え?」
「あ、いや…」
 瑞穂の胸の声に応えるようにつぶやきかけた晃久は、ふいに口をつぐんだ。
「何?」
「なんでもない」
 言い捨てた晃久は、間近に見えた校門に、唐突にするすると瑞穂の側を離れて先に学校に入って行く。まるで、瑞穂なんかとは一緒に歩いていなかったとでも言うように。
 その晃久の姿は、すぐに友人らしい数人に囲まれた。肩を叩いたり、笑ったりしながら、同じ歩調で歩きだす仲間の中で、晃久も楽しそうにしゃべっている。近くを通り過ぎかけた女子が晃久の声に振り向いて笑ったのは、彼がジョークでも飛ばしたのだろう。
 そのまま仲間と一緒に校舎に吸い込まれていく晃久を、瑞穂はじっと見つめた。姿が消えると同時に息を吐いて、肩の力を抜く。
 にぎやかで楽しい友人、穏やかな学校生活、一緒に暮らせる家族。
 おそらくは、永遠に瑞穂にはかかわりのない、手に入らない『あたりまえの暮らし』。
(大丈夫だよ、あなたは)
 胸の内で晃久に話しかけて、瑞穂はくるりと向きを変えた。両手のこぶしを握りしめ、吹き寄せてくる風に顔を上げる。
(私は私の仕事をしよう)
 昨夜のとおるの家に、もう一度行ってみるつもりだった。

 夜と昼では顔が違う家がある。
 瑞穂は、もう一度とおるの家を見つけるのに思ってもいなかったほど苦労してしまった。
 昨夜あれほど騒がれていたのに、ましてや昨日の今日だと言うのに、とおるの家もその周囲の家も奇妙に静まり返っている。
 むしろ、ひどく虚ろで物寂しい。
(家は…住む者を映し、住む者によって変えられる)
 持ち物もそうだ。
 人間の身の回りのものは、読み方さえ丁寧であれば、十分にそこにいる人間、それに関わった人間のことを語ってくれる。
(だから、きっと、この家の住人は、昼と夜とでは違う顔を持っていた)
 瑞穂は昨夜のように、少し離れた場所からとおるの家を観察した。
 こじんまりした一軒家だ。
 新興住宅街でよく見る、狭い敷地に無理やり建てられた三階建てではなくて、小さな庭があり、玄関までの階段と門扉を備えた、くつろぎやすそうな家に見える。
 窓は今それぞれに雨戸がわりの小豆色のシャッターが閉められていて、中は見えない。
 家の周囲は濃い緑、よく手入れされた人の背ほどの生け垣になっていて、回りの家と同じようにぐるりをきちんと囲って門に続いている。
 報道関係だろうか、同じようなにおいのする男が数人、周囲を所在なげに歩いていて、ときおり、何かを期待するように家の窓に目をやった。
(この中で、とおるの父親はとおるを虐待死させた)
 今朝の朝刊は、とおるの父、遠山哲(32)が数年間続いていた愛人との関係で妻、三津子ともめていたことを伝えていた。
 哲は大学の准教授としてかなりの人気を得ていたようだ。専門の講義には学生が集まり、指導方法も好まれており、研究者としても順調で、次期教授確定だろうとの声も高かったらしい。
 親切で明るく優れた教師だった、と記事は繰り返しているが、妻と離婚後、長男とおるを引き取ってからは、哲の私生活は公的な部分ほどスムーズにはすすんでおらず、どちらかと言うと混乱し続けていたようだ。
 家政婦に家のことやとおるの世話を任せてはいたが、愛人との関係はむしろ悪化していた。一時、実母が同居を申し出たらしいが、哲が拒んでいる。
 家政婦が居るのは朝から夕方までで、彼女が帰った夜に、哲は愛人とのトラブルに関するいら立ちをとおるにぶつけていたと見られている。
 悲劇は約一週間前、とおるが体調がすぐれずに幼稚園を休んだ日に起こった。
 その日、家政婦は一日休みを出された。
 家政婦がいないときはほとんど締め切られていた窓は、この日一日開けられなかった。
 隣に住んでいた主婦は朝刊を取りに出た哲と顔を合わせているが、いつもと変わった感じはなかったと証言している。
「お休みですか」
「ええ、今日はのんびりと」
 そう応えた哲はにっこり笑って家の中に消えたが、昼過ぎてもシャッターが開かない窓に、とおるとどこかへ出掛けたのかと思っていたという。
 夕方、遠山家には宅配便が届いた。
 後からわかったのだが、それは三津子がとおるに送ってきた夏服だった。
 受け取りに出た哲はそれとわかるほどいらいらしており、家の中で子どもの泣く声が何だかひいひいという悲鳴じみた調子で響いていた。アルバイトの青年が不審がると、哲は聞き分けがなかったので少し叱ったんだよ、と応えたらしい。
 その実、そこでとおるは既に哲にかなり激しく床に叩きつけられて、少なくとも二か所肋骨を折っていたと思われる。
 だが、哲は痛みに泣く幼い子どもを放置して、愛人との密会に出掛けた。
 次に哲が帰ってきたのは、その日の夜中だ。
 帰ってきたときには、とおるは既にショック状態を起こしていた。夕方骨折した骨の一部が内臓を傷つけており、そこからの出血が原因だったらしい。
 うろたえた哲は救急車を呼ぶこともなく再び放置、やがてとおる死亡後、タオルケットに包んでゴミ袋にいれ、みかんの段ボールに押し込み、とおるの部屋に彼の死体を置いていた。
 そのうち、ころ合いを見て、山奥かどこかの湖に捨ててくる予定だったと哲は自白している。
 だが、機会はことごとく奪い去られた。
 大学での会議や愛人との外出が重なり、家の中に腐敗臭が満ち出して、哲はかなり焦っていた。
 そこへ、三津子が何が何でもとおるに会わせろ、と乗り込んできたのだという。
「そんなことのできる女だとは思ってなかった。私がためらっていると、何か知ってたみたいに、まっすぐとおるの部屋に走り込んでいって見つけました。もうだめなんだ、とそのとき初めて思いました」
 哲はそのときの気持ちをそう語っている。

(何か知ってたみたいに)
 もちろん、彼女は気づいていた、と瑞穂は昨夜のことを思い出していた。
 気づいていたけど、まさか、と思いたかったのだ。
 自分がかつて愛した相手、かつては一緒に暮らした相手が、よもや自分達の子どもを殺してしまうような男だとは思いたくなかった。自分が残してきた子どもが、そのせいで惨い死を迎えたと思いたくなかった。
『許さない、許さないからーっ』
 夜に響いた嘆きの叫びは、きっと三津子自身にも向けられていたのだろう。
『あんたはあのおばさんの何かを動かした』
 晃久の声が瑞穂の耳に戻ってくる。
(でも? だから?)
 瑞穂は、できれば、とおるが死ぬ前に助けたかった。
 哲が追い詰められる前に関わりたかった。
 三津子があの悲劇にぶつかってしまう前に、もっと何か、食い止められるような働きをしたかった。
(でも、いつも、あたしは食い止められない)
 けれど、長部は。
 瑞穂は胸の前でこぶしを握って、少し目を閉じた。
 長部は確かに昨夜瑞穂を襲ったけれど、まだどうにも取り返しのつかないことをしたわけではない。
 長部がどうして遠山と関わっているのかがわかれば、これから起こる何かを食い止められるかも知れない。
 そして、それはひょっとすれば、瑞穂の炎の夢を解決する何かにつながるかもしれないという予感があった。
 ふ、と瑞穂の胸に、昨夜瑞穂をかばって立ちふさがった晃久の後ろ姿が思い浮かんだ。
 振り返っていらだった顔でにらみつける、深い黒の瞳。
(心配、してくれたんだなあ)
 あんな目を、瑞穂は、ずいぶん長い間、見たことがない。
 晃久の目の温かさに出会って、瑞穂は励まされたような気がした。
 だから、自分のためだけではなく、今度は晃久のためにも頑張らねばならない、と思った。たとえ、それが、瑞穂の能力を失うということへの心配で、瑞穂自身への心配ではないにせよ、と。
 でも、今は瑞穂の胸の内を、寒い風が吹き抜ける。
 校舎に向かって歩き去って行く、仲間に囲まれた晃久の後ろ姿は、昨夜のものとは段違いに遠く無関係なものに見えた。
(哲の胸にもこんな風が吹いていただろうか)
 ふと胸に過った思いに瑞穂は注目した。
 『気配』がかすかに揺れている。瑞穂の感覚が起こった出来事の後ろにあったものに触れようとしている。
(寒い風が吹く心は何を求める?)
 きっとあたたかな温もりを求めているはずだ、今の瑞穂のように。
 自分を支えてくれる何か、自分の存在を少しでも認めてくれる誰かを。
 そして、そのような虚ろな心は一度捕まえたものを手放そうとはしない、たとえかなりの犠牲を払ってでも自分の心に空いた穴を埋めようとする。
(穴の空いた虚ろな心)
 瑞穂は占いのときの長部が描いた絵を思い出した。
 白い丸が二つ。同じキャラクターを持つ二人の人間。同じように虚ろな二つの心を持つ二人の人間は、重ならずに離れている。
 長部はそれにいらだっていた。
(ひょっとして?)
 長部忍が目指していた大学はどこだっただろう。遠山哲が助教授を務めていた大学ではなかっただろうか。
 遠山哲は愛人と不倫関係にあった。けれども、なぜか、離婚した後の方が愛人との関係が悪化しているようだ。
 もし、妻子が負担だったのなら、どうして離婚後新しい関係に踏み切ろうとしなかったのだろう。
 とおるが邪魔だったとしても世話は家政婦に任せていたし、哲が愛人との付き合いを深めるのにとおるが問題になったとは思えないのに。
(それ以上、愛人と関係を深めるわけにはいかなかった、のか?)
 母親からの締め付けだろうか。それとも、もっとほかの原因があるのだろうか。
(もし、愛人、というのが忍だったら)
 瑞穂は目を開いた。
 哲の世間体と家を重んじる母親は、息子の結婚の破綻が同性の愛人との関係であることを受け入れられただろうか。
(たぶん、ううん、まず無理だった)
 三津子がいなくなったところで、いや、いなくなったからこそ、二人の関係は予想と違って、逆に全く身動き取れないものになってしまったかもしれない。
 家は空高く上がり始めた太陽に照らされ、暖かそうに優しそうに見える。
 だが、そのシャッターに遮られた空間に重く暗い怒りを満たしているのだ。
 それは長部忍という人間にとてもよく似ている。
 
 瑞穂が長部と知り合ったのは、部活動の勧誘からだ。
「入部希望がうんと少なくて、本当に困ってるんだよ」
 四月の教室で、長部は雨に濡れた子犬のように頼りなげな目をして、瑞穂にため息をついて見せた。
「三年生を安心させて送り出したいんだけど、無理かもしれない」
 本当は同じクラスにいた、長部の知り合いの子を勧誘にきたのだった。
 けれど、そっちにはあっさり振られて、何だかついつい話を聞いていた瑞穂にお鉢が回ってきたのだ。
 柔らかで温かな視線だった。その視界に入るものをしっかりと守ってくれそうだった。
 ずっと家族に疎外され、孤独感を味わっていた瑞穂が、長部に魅かれるまでに時間はそうかからなかった。
「瑞穂がいると安心する」
「瑞穂が僕の支えだよ」
「瑞穂がいないと不安になるよ」
「瑞穂さえいてくれればいいんだ」
 繰り返される甘い求愛。
 長部の出かけたいところにずいぶんと付き合った。瑞穂の好みとずれたコンサートもショッピングも、長部と一緒なら楽しめた。
 けれど、いつからか、『気配』が微かな警告を出していた。
(忍の気持ちはことばには重なっていない。忍が本当に大事にしているものは、どこかに隠されていて、私には見えない、と)
 何かがずれている気がする、と瑞穂は思い始めていた。
 たとえば、風邪を引いた瑞穂を早めに家に送り届けてくれるのに、すぐ後に電話をかけても忍はいない。
 翌朝登校して話をすれば、
「昨日は心配で眠れなかった」
「でも、電話したのよ、いなかったよね?」
 そう瑞穂が尋ねると、
「友達から会いたいって急に言われたから。ごめんね、瑞穂」
 心底悪かったという顔をして謝るのだ。
 ところが、その『友達』が実は瑞穂と同じクラスの女の子だったりする。
「どういうことなの?」
 そう、瑞穂が不安がると
「だって瑞穂が心配で、ストレスがたまって辛かったんだ。だから、少し気晴らしにでかけたんだよ。瑞穂だって、僕が辛いの嫌だろう?」
 長部はそういかにも不思議そうに尋ね返したりするのだ。
 何かが違う。
 長部の気持ちと瑞穂の気持ちには何か決定的なずれがある。
 そんな時、瑞穂のあの炎の悪夢は起こったのだ。
(あのとき)
 長部は病院の瑞穂にすぐに会いに来てくれた。
「大変なことになったね。僕でよければ力になるから」
 そう言ってくれて、本当にうれしくて、涙がこぼれた。
 瑞穂は家族の悲劇を何とかできたはずなのに、自分の弱さに負けて何もしないまま家族を見殺しにした、そう自分を責め続けていた。
 夜は夜で、家族の呪いとうめき声で満ちていて、瑞穂は数日間満足に眠っていなかった。
 長部が来てくれてひさしぶりにほっとして眠り込み、目覚めると長部は部屋にいなかった。
 きっと急ぎの用があったんだろう。
 そう瑞穂は不安がる自分の心をなだめた。
 けれど、それから長部は病院に来てくれなくなった。
 心配する瑞穂に同情してくれたのか、掃除をしてくれているおばさんが、そっと教えてくれた。
「悪いことは言わないからさ、あの子は当てにしない方がいいよ」
「どうしてですか?」
「この間、婦長にあんたの支払いは誰がするのかって尋ねてたからね。病状よりも支払いを気にする男はたいてい帰って来ないよ」
 信じられなくて、瑞穂は長部に電話をかけた。手紙も書いた。
 確かに返事をくれるし、励ましてもくれる。けれど、部活動のこととか、家の事情とかで、その後瑞穂が退院するまで、長部はついに見舞いには来てくれなかった。
(それでも、きっと、ううん、ずっとずっと信じてた)
 退院した瑞穂が伯父の計らいで一人暮らしをし始めると(そのころは一応名義上は伯父と同居していることになっていたが)、長部はじりじり微妙に瑞穂から距離を取るようになった。デートの会話も、まるでただのクラスメートのような、無難なあたりさわりのないものになった。
 ひさしぶりのデートでタロットを使って占ってくれと言い出したのも、本当はその『あたりさわりのない話題』の一つのつもりだったのだろう。
 瑞穂が渋るのを、遊びだからと長部が望んだのだ。
 どこかで運命の歯車が回り出していたのかもしれない。
 気まぐれで長部が試したタロットは、長部が抱えている本当の気持ちを明らかにしてしまった。
 長部は女性を愛さない。
 タロットはそう告げたのだ。
 どんな結果なのとほほ笑まれて、瑞穂は困りながら、それでも冗談のつもりで言った。「忍は女性に興味がないって出てるけど」と。
 次の瞬間、真っ赤になった長部は
「君は、そうやって、人の気持ちにずかずか入り込んで楽しんでるのか!」
 そう叫んだ。
「最近の君にはうんざりだ。僕は君の家族がわりなんかしないからな!」
 ぶつん、と瑞穂の中の何かが切れた。
「忍が問題を抱えてどう生きようかと悩むのは勝手だけど、占ってもらうことにさえ迷って受け入れられないなら、占いなんてしない方がいいと思う」
 瑞穂の答えに長部は真っ青になり、もう何も答えなかった。
 やがて、長部は高校受験を理由にして瑞穂との交際を断ってきた。
「お互い、もっといろいろ考えることがあると思うんだ。瑞穂だって、僕よりいい人がいるよ、きっと」
「瑞穂には幸せになってほしい。これからもいい友達でいたいからね」
 お定まりの、自分の不利を相手側のためを思うゆえの判断だとごまかすような、相手に責任の全て投げかけることばを最後に、長部は瑞穂の前から姿を消した。
 高校に入って一、二回街で見かけた長部の姿に、『気配』はタロットが合っているよ、とささやき続けた。
 密やかな、特別な恋の香りを長部はいつもまとっていた。

(もし、忍が哲と愛人関係だったなら、あの占いは正しかった)
 晃久も言っていたではないか。長部が付き合っていた相手には妻子がいたと。
(でも、『グリーン・アイズ』は、相手が妻子を捨てても一緒になっていいと言ってるとも言っていた。迷ってるのは忍の方だと)
 そして、哲は明らかに忍とうまくいかなくなって荒れていたのだ。
(でも、それなら、どうして忍があたしを襲う?)
 忍と哲の恋愛に関して、瑞穂は何も手を出していないはずだ。
 しかし、哲はどうだ? 
 哲の虐待が明らかになったのは、ほかならぬ瑞穂が三津子の問題を読み解いたからとは言えないか?
(まさか、忍がそれに気づいて…?)
 そのとき、ふっと背後に人の気配がした。
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