アリサ・リリーベル・シュタルクヘルトは死んだ

夜霞

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ペテルギウス・1

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誰もいない執務室に戻って来るとーーペテルギウス曰く、オルキデアの部下たちは執務室への出入りを禁止されているらしい。ペテルギウスの部下が監視する中で、身体と髪を洗って、髭を剃った。
監視されながら身体を流すという、妙な気持ちになりながら、清潔なシャツとズボンに着替えて、ペテルギウスが待つ執務室内に戻ったのだった。

「随分と早かったのですね。もう少しゆっくりされても良かったのですよ」

ソファーで足を組んで、オルキデアの私物の軍法書を読んでいたペテルギウスは、自身の部下に連れられてやって来たオルキデアに気づくと、革張りの軍法書に目を落としたまま声を掛けてきた。

年齢は、プロキオンより少し歳上くらいだろうか。
軍人よりも医師や学者が似合いそうな細身の男だった。
眼鏡をかけて、白衣を着て、軍医の中に紛れられてしまうと、見つけられる自信がない。
レイヴン色の髪を頸で結び、僅かばかりかの髭を顎に生やし、軍人らしくない細長の顔には、黒真珠のような黒い切れ目が輝いていた。
プロキオンとは違い、全くの面識のないオルキデアが、こうしてペテルギウスと話しをするのは始めてであった。

第二王子の麾下に入ったプロキオンの上官にして、オルキデアの上官でもあるペテルギウス。
彼が麾下に入ったことで、プロキオンとその下にいるオルキデアも第二王子側の人間と軍部内で見なされていた。
派閥に興味はないが、将来ペルフェクト王国の国王の後継者争いになった時には、オルキデアも巻き込まれるだろうと考えている。

またクシャースラが護衛する第三王子は第二王子側の人間らしいので、後継者争いの際には親友と肩を並べて第一王子側と戦うことになるかもしれない。
最も後継者争いなどの内乱は国が荒れるだけではなく、敵であるシュタルクヘルトにも侵攻の好機と思われかねないので、後継者争いが起こったとしても水面下で行われるだろう。
後継者争いに関わらず国内で争いが起こっている間は、国外に目を向ける余裕がない。軍も警察も国内で勃発する争いの鎮圧が最優先になる。その隙に敵が攻め入り、国を制圧される可能性の方が大きかった。
制圧まではいかなくても、これ以上、戦局が悪化する様な事態には発展しないで欲しいものだが。

「早く、妻に会いたいので」

妻、という単語に胸が苦しくなる。
一刻でも早く屋敷に帰って、「おかえりなさいませ」と春の日差しの様な愛妻に出迎えてもらいたかった。
ただ何も聞かずに傷心の自分を抱きしめて、その慈しみでささくれ立った自分を慰めて受け止めて欲しい。

愛妻を思い浮かべていると、ようやくペテルギウスが本から顔を上げた。
そうして、感嘆の息をついたのだった。

「噂以上に、熱愛されているのですね」
「噂?」
「冷酷無慈悲のラナンキュラス少将が……いえ、冷酷無慈悲と言うべきでしょうか。奥方を熱愛されているという噂は、わたしの耳にも届いています」 
「そ、そうですか……」

その噂はどこまで広まっているのかと、場違いにも気になってしまう。
目を逸らしているとその疑問が伝わったのか、ペテルギウスが答えてくれたのだった。

「わたしの部下……貴官の上官であるプロキオン中将が話していましてね。菫の花の様に可憐な奥方とご結婚されたと」
「そうでしたか……」
「ええ。ここを尋ねてきた二日前にお会いしましたが、噂以上に可憐な方でした。奥方というよりはお嬢さんといった方で」

その言葉にオルキデアは濃い紫色の瞳を見開くと、ペテルギウスを見つめる。

「アリーシャが軍部に来たんですか!?」

ペテルギウスは何も言わず、小さく笑みを浮かべた。
それをオルキデアは肯定と受け取ったのだった。
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