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一人でも
しおりを挟む「クリストファー・ブレアから手紙を貰ったと?」
どこで聞きつけたのか会って早々不機嫌そうに問いかけるコンラッドにティファニーは嫌な顔を見せる。
「ええ」
「内容は?」
「教える義務はありませんわよ……」
「俺は君の相棒だ。知る権利がある。俺の協力が必要だろ?」
選ぶ相手を間違えたかと思ったのはこれが初めてではない。もはや確信に至りそうな回数そう思ってきた。だが、マリエットと対峙するにはコンラッドの協力は必要不可欠。不機嫌さを見るとこれ以上の反論は適切ではないと判断して溜息をついた。
「先日のパーティーでわたくしが眠ってしまったのを倒れたと勘違いして心配の手紙をくださいましたの。それだけですわ」
「会いたいとは?」
ティファニーは迷った。
クラリッサに話したことは当然マリエットの耳にも入っているだろう。
ならばマリエットが告げ口するような形でコンラッドに伝えていてもおかしくない。
「ええ、書かれていましたわ」
正直に答える事にした。
「それで? 君は何と返事をしたんだ?」
不機嫌さに拍車がかかったような目つきと声色はティファニーを辟易させる。
ティファニーの中でコンラッドはあくまでもマリエットに対抗するためのカードであって、一線を越えさせるような仲ではない。それなのにコンラッドはティファニーに協力が必要なのを弱味に簡単に踏み越えてくる。
「私の答えがイエスかノーで何か変わりますの?」
「イエスなら君は今後、クリストファー王子に協力してもらえばいい」
「……は?」
「ノーなら今後も変わらず俺が協力しよう」
開いた口が塞がらないとはこの事だとティファニーは自分の手で顎を押し上げて閉じる。
もはやこれは脅迫でしかなく、どう返していいのか頭が回らないほど驚きに思考が固まっていた。
見上げる勝気な笑み。
マリエットを喜ばすも絶望させるも自分の言動一つで、ティファニーが元の悪役令嬢に戻るか、強気に出られる悪役令嬢になるかも自分の答え一つである事から全て自分の手の中だとでも思っているのだろう。
停止していた思考が動き始めた時、ティファニーは自分でも驚くほどハッキリとした嘲笑を見せた。
「バカバカしい……」
「ん?」
「あなたの協力なんてこっちからお断りさせていただきますわ」
「本気か?」
「ええ」
「どうやってマリエットに対抗するつもりだ? 俺が彼女の方につけば君は後ろ盾もないまま公爵家からの圧を受ける事になるぞ」
自分が必要だと言ってほしいのだろうとティファニーは腕を組んで顎を上げ、ハッと声を大にして音を漏らした。
コンラッドの言っていることは現実問題となるだろうが、マウントを取ってくる相手に媚び続けてまで悪役令嬢を貫こうとは思わない。それならいっそ家を飛び出して他国に逃げた方がマシだと思った。
「どうぞご自由に。あなたとマリエットが婚約すればわたくしはお役御免ですもの。願ったり叶ったりですわ」
コンラッドにとってマリエットは鬱陶しい相手で婚約する気がない事は知っている。だからそれがはったりだと言う事もわかっていたが、駆け引きに脅しを使ってくるような相手とはやってられないというのがティファニーの本音だった。
「俺が君の敵に回ったらどうなると思う?」
「さあ? やってみてはいかが?」
「随分強気だな。さてはもうクリストファー王子を取り込んだか?」
「さあ? どうでしょう? 敵のあなたに話すことは何もありませんわ。ではこれで」
コンラッドと離れる事には不安しかなかった。コンラッドがマリエットの傍にいるようになればマリエットは今までの分をやり返すように派手に動くかもしれない。自分の手は汚さないまま取り巻き達を上手く操ってティファニーを叩くだろう。
それに対して今までのように強気な発言だけで乗り切れるかわからない。
「遊び人の王子が敵に回ったところでどうってことありませんわ。わたくしは悪役令嬢ですもの」
自分に言い聞かせるように声に出して拳を握ると大きく息を吐き出して空を見上げる。
誰しも皆、友達がいるわけではない。これだけ大勢の人間が居ても一人ぼっちで三年間過ごす者だっている。
ティファニーはずっとそうだった。周りは全員敵だと言っても過言ではない状況でずっと生きてきた。今更敵が増えたところで自分がする事は変わらないのだと気合を入れた。
それからコンラッドは本当にマリエットと一緒にいるようになった。
見せつけるように肩を抱き、姿が見えた時はいつだってマリエットが傍にいて、勝ち誇ったような笑みを向けてきた。
「遊ばれていた事に今更気が付いたみたいね」
「コンラッド様があんな性悪女好きになるわけないじゃない」
「きっとマリエット様が悩まれているのを見かねての事だっただけですわ」
「最近少し大人しくなったし、毒牙を抜かれたのね」
周りから聞こえるクスクス笑いと一緒に聞こえる当たりもしない憶測はティファニーを苦しめる事はない。
周りの者達は何もわかっていないのだからと見下げているのだ。だから何を言われようと平気だった。
問題なのは———
「ティファニー・ヘザリントン」
「……何ですの?」
「あなた、マリエット様に言うべきことがあるんじゃない?」
「はあ?」
マリエットの取り巻きだ。
目の前で仁王立ちをしながら偉そうに見下してくる女達を見るのも嫌だったが、放たれた言葉に思わず顔を上げると嫌な光景が目に入った。
コンラッドとマリエットだけではなく、クラリッサまで一緒にいたのだ。
ティファニーの身体に無意識に緊張が走る。
「コンラッド様を誘惑してマリエット様を陥れようとしたそうね」
コンラッドに視線をやると真面目な顔をしていた。これは一種の宣戦布告で、コンラッドがマリエットに言ったのだとすぐにわかった。
謝るチャンスを与えているつもりだと察しはしたが、ティファニーにその気はない。
「陥れる? わたくしが? まさかっ。何を証拠にそのような事を言ってますの?」
「コンラッド様が全て話してくれたわ」
やっぱり。
ティファニーは口元にだけ笑みを浮かべてマリエットを見ると少し緊張しているような面持ちがあった。
変化が見えるティファニーにまだ警戒しているのだ。
「日替わりで違う女を連れ歩く女好きの王子がわたくしの誘惑に心動かされたと?」
「ティファニー、私が嫌い? あなたの気に障るような事をしてしまったのなら教えて。悪い所は直すわ」
取り巻きが大声で名前を呼んだせいで見物人が大勢集まってきた。そして聞こえる「またティファニー・ヘザリントンか」の声。
何もしていなくとも問題が起きた時はそこにティファニーがいるだけで全てティファニーのせいになる。
———素晴らしい環境ですわね。
優しい幼馴染のマリエット・ウインクルを迫真の演技で魅せるマリエットをどうしてやろうか、短い時間でいくつかの案が浮かんだが三対一では分が悪い。
相手は王子一人に公爵令嬢が二人。
何をしようと何を言おうと無礼にあたる。かと言って黙ったままでいるのも悔しい。
「いいえマリエット、あなたは完璧ですわ。悪いのはこのわたくし。恵まれているあなたに嫉妬して意地悪をしてやろうと思ってコンラッド王子に近付きましたの。くだらない嫉妬であなたを傷つけてしまいましたわね。本当にごめんなさい」
前に出る事が出来ないのなら後ろに下がってやると頭を下げて見せた。嫉妬という言葉を自ら口にする事で三人は当然、周りの見物人達も驚きに言葉を失っていた。
「ずっとあなたが羨ましかったの。美人で、頭も良くて、優しくて、皆に好かれているあなたが。わたくしは正反対だからあなたが眩しくて……。あなたはいつだってわたくしを心配して守ってくれていたのに、わたくしはそれに気付かず……ッ!」
涙を一筋、頬に流せば後は両手で顔を覆いながら泣くだけでこの場はティファニーの主演舞台と化す。
「いいのよティファニー。意地悪だなんて思ってなかったから」
「全て許してくれますの?」
「最初から怒ってなんかないわ」
マリエットは許すしかない。そうしなければヒロインではなくなってしまうから。
このまま強気な態度に出れば公爵令嬢に取る態度ではないと叱責を受けただろうが、そうはいかない。クラリッサが不愉快そうな顔で見ているのが何よりの証拠だ。
「マリエット、ここで誓いますわ。もう二度とコンラッド王子には近付かない。コンラッド王子はあなたと婚約するつもりだとおっしゃっていたし、わたくしが傍にいては勘違いさせてしまいますものね」
コンラッドの目が見開き、ティファニーを見たがティファニーはそれを見なかった。
「コンラッド様のことが好きなんじゃないの?」
「まさかっ。ありえませんわ。確かにわたくしは歪んだ性格をしているし、意地悪だけど幼馴染の婚約者を奪ったりしませんわ。お父様に何を言われるかわからないもの。醜い嫉妬で困らせてごめんなさい」
疑心暗鬼な様子が見えるが、マリエットは間違いなく安堵していた。
皆の前で誓う事が信頼を生み、ティファニーの言葉を信じた。
「マリエット、騙されちゃダメよ。こんなすぐに変わるわけないじゃない。この場を切り抜けるための嘘なんだから」
クラリッサもコンラッドも信用してはいないだろう。だが、だからといって舌打ちをするわけにもいかずティファニーは真面目な顔でクラリッサに顔を向けて頷いて見せる。
「わたくし、本当にコンラッド王子には興味がありませんの。だって、クリストファー・ブレア王子に心惹かれているんですもの」
ピクッとクラリッサの眉が動いたのを見てティファニーは笑顔を向ける。
「前にも言いましたが、クリストファー王子が会いたいと手紙を送ってきてくださいましたの。パーティーの日に彼と踊った素敵な思い出が忘れられなくて、わたくしもお会いしたいと思っていたのですぐに返事を出しましたわ。ですので、コンラッド王子には興味がないんです。迫る理由がありませんわ」
「なにそれ当てつけのつもり?」
コンラッドにとっては侮辱的な言葉で、クラリッサにとっては悔しい以外の何でもない言葉だった。マリエットのみ、それが安堵となる言葉で、マリエットはティファニーを庇うようにマリエットの前に出た。
「やめてあげてクラリッサ。ティファニーは意中の相手から手紙が来てハシャいでるだけなの。ね?」
「ええ、とっても嬉しいんですのよ。男性から手紙を貰うなんて初めてですし、その初めてがあのクリストファー・ブレア王子からだなんて一生の思い出ですもの」
「ティファニーがハシャいでる姿って初めて見るわ」
「だって、今まで嬉しい事なんてなかったんですもの。強要されてばかりで……」
ティファニーの言葉にマリエットの笑顔が消えかける。皆が見ている前であからさまに表情を変えるわけにもいかず、なんとか笑顔は保っているが、喉はごくりと音を立てて唾をのみ込んだ。
「いつ会うかもう決まってるの?」
「いえ、まだですわ」
「決まったら教えてね」
「ええ、もちろん!」
日取りはもう決まっているが教えるつもりはなかった。漏れないよう父親にも言ってはいないのだから好意を持っているクラリッサにも、何かしかねないコンラッドにも言えるはずがない。
「またお話聞かせてくれる?」
「ええ、あなたと恋の話が出来る日が来るなんて人生捨てたものではありませんわね。あなたと語り合えるなんて」
「またね、ティファニー」
同じことを繰り返すティファニーとこれ以上一緒にいるのは危険だと感じたマリエットはコンラッドとクラリッサを連れて引き上げた。
大勢が見ているというのは相手を陥れるにはもってこいだが、その分、自分も落とされる可能性があるだけに被害者となっているティファニーには切り札が多い。
ティファニーは信頼がゼロと言っても過言ではないが、もしティファニーが真実を暴露した時にそれを信じてしまう者がいるかもしれない。
一人信じれば二人に伝わり、二人に伝われば四人に伝わる。もし自分が気付かない所で誰かの恨みを買っていたとしたら……そう考えると怖くなった。
だからマリエットは先手を打つ事にした。
「あら、どうしましたの?」
夜、ティファニーの部屋を訪ねたマリエットは高級菓子を手にお茶をしようと誘った。
「ティファニーあのね、提案があるの」
「何ですの?」
わざわざ〝提案〟という言葉を使うマリエットが何か企んでいるのは間違いないと気付いたが、ティファニーは先手を打たず、不思議そうな顔で小首を傾げて見せた。
「あなたと和解出来た事だし、もう悪役令嬢とかヒロインとかにこだわるのやめましょう?」
「え……それって……もう、悪役令嬢をしなくていいということですの?」
「ええ、そうよ。あなたはあなたで生きていいの。ティファニー・ヘザリントンとして素直なあなたで生きてほしいから。だからもう悪役令嬢なんてしなくていいわ」
驚いたティファニーの顔に笑顔を向けるマリエットは良い提案だと言わんばかりに手を伸ばしてティファニーの手を握る。ティファニーよりも少し大きな手は指輪の似合いそうな細長い綺麗な指をしていてネイルも美しかった。
「ごめんなさいマリエット」
「もう謝罪はいいわ。じゅうぶん受け取ったから」
憑き物が取れたように素直になるティファニーに小さく首を振って髪を撫でるマリエットだが、その笑顔を崩すようにティファニーは強く手を払いのけた。
「お断りですわ」
「え……?」
何を言っているのか、自分の想像にはなかった〝拒否〟にマリエットは驚きに瞬きを繰り返すだけで言葉が出てこない。
驚いているマリエットに顔を近付け、ニッコリ笑うティファニー。
「わたくしが悪役令嬢として努力しているのにあなたがヒロインでいる努力を放棄するなんて許しませんわ」
「だ、だからもう努力なんてしなくていいって言って———」
「いいえ、しますわ。十年間の努力をムダにしたくありませんもの。わたくしはこれからも悪役令嬢を続けるつもりですわ。あなたが結婚するまでずっとね」
囁くように告げられた宣戦布告にマリエットはカッとなり、感情のままにテーブルを叩いた。用意された紅茶がクロスにこぼれ、カップが音を鳴らす。
「あれは演技だったわけ……?」
「今更気が付きましたの? マリエットったら意外と鈍感ですのね」
クスクスと笑うティファニーの厭味ったらしい笑顔めがけて手を振るもその手は強い力で払われ、頬には当たらなかった。
あれが演技と見抜けず本気で喜んだ自分が恥ずかしいと唇を噛みしめるマリエットの顔にティファニーがグラスに入った水を思いきりかけた。
「何するのよ!」
「コンラッド王子がどうして急にあなたの所に行ったかわかる?」
「なに……」
「悪役令嬢と一緒にいた王子はどうして急にヒロインの所に行ったのかしら?」
何の話かわからないと眉を寄せるマリエットを見るのは気分が良く、ティファニーの声も自然と高く大きくなっていく。
「愛想つかされたんでしょ」
「そうだといいけど」
ふふっと余裕めいた笑みを浮かべるティファニーがマリエットの不安を掻き立てる。だが今は不安よりも騙された苛立ちの方が強く、グラスに手を伸ばそうとしたのをティファニーが先に払って床に落とした。
「ッ……何が努力よ! アンタがしてるのは努力じゃなくて私への当てつけでしょ!」
「マリエット、ヒステリーは悪役令嬢であるわたくしの役目であってヒロインであるあなたがする事ではありませんわ。ヒロインのあなたはいつだって笑っていないと。優しい優しいマリエット・ウインクル」
「ふざけないでよ!」
優位なのは自分だったはず。自分は公爵令嬢で、ティファニーは伯爵令嬢。優位なのは自分でなければならないのに、顔色を窺ってばかりだったティファニーは消え、目の前では優雅に紅茶を飲むティファニーがいる。
「そんなにヒステリーを起こしたいのなら、あなたが代わりに悪役令嬢になられては? ヒロインはわたくしが代わりますわ。ほら、コンラッド王子はわたくしに夢中ですし。あなたも見たでしょう? 彼がわたくしにキスするところ」
「ッ! いい加減にしないとパパに言いつけるわよ!」
「ならわたくしは王子に言いつけますわ」
父親に言いつけると言えば少し前までなら慌ててどうすればいいかを聞いてきたのに今は王族を盾に強気な態度で対抗するティファニーをどう操ればいいのかわからなかった。
怒鳴り散らしても怯える様子はなく、また紅茶を飲もうとするためマリエットはティファニーの手を払ってカップを飛ばした。
カップが割れ、紅茶が絨毯に染み込んでいく。
「……覚えてなさいよ……」
呟くように言って部屋を出ていく背中に何も言わず足を組むとおかしそうに肩を揺らして笑いだし
「それも悪役令嬢であるわたくしの台詞ですのにお似合いですこと」
声こそ小さかったが、直後の笑い声は大きかった。まるでマリエットに聞かせるように高笑いをしながら自分の部屋へと戻っていった。
応援ありがとうございます!
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