悪役令嬢な眠り姫は王子のキスで目を覚ます

永江寧々

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乙女のように

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 この日、ティファニーは今までにないほど緊張していた。
 自分のような人間がこの煌びやかな王宮に足を踏み入れるのは場違いなのではないかと思って仕方がない。

「緊張してるみたいだね」
「だ、だって王宮に入るのは初めてですもの」
「僕しかいないんだから楽にしてよ」
「そ、そうですわね。あなただけですものね」

 王や王妃に謁見するわけではないのだからガチガチに緊張する必要はない。あの日のパーティーで本性はバレているのだから今更この場で淑女を気取った所で意味などないというのにティファニーは自分でも驚くほど身体がガチガチだった。
 相手しかいないということは相手と二人きりということで、大勢がいる中で話すのとはわけが違う。
 この爽やかな王子と自分のような人間が一体何を話すというのか、ティファニーには想像もつかなかった。

「この間は大丈夫だった?」
「え、ええ。ご心配おかけしたようで申し訳ありませんでした」
「いいんだ。またこうして君に会えただけで僕は嬉しいから」

 笑顔と共に向けられる優しい言葉にティファニーの胸が高鳴る。何故クリストファー王子が相手だとこんな風になってしまうのか、速くなる鼓動に聞きたくなった。

「あの、最初にお詫び申し上げますわ。わたくしその、あなたが王子ということを知らずにあのような無礼な物言いをしてしまいましたの」

 手紙の差出人に【クリストファー・ブレア】と書いたのを見た時もティファニーは「誰ですの?」と父に聞き、何を言っているのかわからないほど早口怒り狂っていた。唯一聞き取る事が出来た『マレニス王国の王子だバカ!』という言葉で、屋敷中に響き渡るほどの大声を上げたのを覚えている。
 その手紙の内容にもまた大声を上げ、信じられない内容に三十回は内容を読み直した。
 自分がパーティーでしでかした失態で話があるのではないだろうかとずっと不安だったティファニーは相手の顔を見ないように深く頭を下げた。
だが、怒られる覚悟なら出来ているとギュッと目を瞑るティファニーに降ってきたのは『え?』という不思議そうな声だった。

「無礼な物言いって何だっけ?」

 驚きに顔を上げると声同様不思議そうな顔でティファニーを見ていた。苦笑でも笑顔でもなく、本当にわからないという顔。

「え、あの、わたくし、生意気にもダンスのお誘いならお断りと言ってしまいました……」
「誰にでも断る権利はあるよ。でも君はそう言いながらも僕と踊ってくれた。ダンスは完璧だったし、無礼な事なんて何もなかった」
「ですが……」
「ストップ。僕の素敵な思い出を謝罪で台無しにしてほしくない。まるで僕だけが楽しかったみたいに思える」

 慌てて首を振るティファニーに目を細めるクリストファーの優しい笑みにこの瞬間ばかりは自分が悪役令嬢である事を忘れていた。
 まだ恋をした事がない初心な乙女のように恥じらいを持ち、ときめく想いに頬を染める。

「それから、僕が王子だからって言葉遣いや態度を変える必要はないよ」
「わたくし、言葉遣いが酷いんですの……」
「僕を王子だって知らない君と会ってるんだよ? それを気に行ったのに今更態度を変えられるのは寂しいよ」

 今まで何度同じことを思ってきたのだろうとティファニーは思った。
 自分は嫌われ者で媚びてくる者など一人もいなかったが、これだけ爽やかで優しい王子なら周りは媚びる人間でいっぱいなはず。その度に寂しいと思ったのだろうか?と考えると「王子だから」と遠慮して跳ねのけることは出来なかった。

「無礼だって怒らないと約束してくださいます?」
「僕の方が怒られる可能性だってあるのに」
「まあっ、わたくしこう見えて心が広いんですのよ。試しに無礼な事を言ってみてくださる?」
「レディに? 出来ないよ。レディには愛と優しさと尊重を持って接すること。そう教わってきたから」

 コンラッドとは比べ物にならない出来の良さにどう反応していいのかわからず、頬を掻きながら話題に困って紅茶を一口飲んだ。

「ん? この紅茶、すごくフルーティーですわ。初めて飲む味……」

 一口飲んだだけで口いっぱいに広がる紅茶に馴染んだフルーツの香りと甘さに目を瞬かせるティファニーの前にポットが置かれた。ガラス製のポットの中には生のフルーツがぎっしり詰められており、初めて見る光景にまた目を瞬かせる。
 オレンジの紅茶は選んだ事があっても生のフルーツを紅茶に入れようと思ったことは一度もない。

「なんというか……女性的、ですわね」
「美味しい物や美しい物に女性的も男性的もないと僕は思ってる。女性だって肉にかぶりつけばいいし、男性だってケーキにフルーツティーを味わえばいい。一度きりの人生、性別に囚われた行動で素晴らしい世界を経験できないのはバカらしいと思ってるんだ」
「素敵な考え方ですわ」

 心からそう思った。
 女性が女性らしくしなければならないのは何故か。男性が男性らしくしなければならないのは何故か。悪役令嬢を押し付けられてきたティファニーは何度も考えた夜があった。
 悪役令嬢らしくしなければならない事と同時に、成績はそれなりに上位を取り、ダンスもヒロインに合わせて行動するため踊れなければならない。
 男性的になりたいと思ったことはなくとも、悪役令嬢でありながらレディである事も求められる人生は窮屈でたまらなかった。
 女好きは理解出来なくとも自由に生きられるコンラッドを羨ましいと思う事もあったが、今はその考えがあっという間に消えてしまった。
 自由になれずとも考え方一つで自由になれるのだと。

「あなたは尊敬に値すべき人ですわ」
「大袈裟だね。媚びてるのかな?」
「ふふっ、未来の王に今から取り入っておくのも悪くはないでしょう?」
「はははっ、そうだね」

 誰かを心から尊敬したのは初めてだった。
 柔らかな口調と柔らかな声。穏やかな表情に上品な仕草。マリエットの取り巻きよりずっと上品だとティファニーは思った。

「ご友人に怒られたというのは何故ですの?」
「マリエットを惚れさせてこっぴどくフッてほしかったのにって」
「それは……なんとも……」
「彼のことは可哀相だと思うけど、だからって人を陥れるなんて出来ないよ。傷つけられたから傷つけていいなんて理屈通用しないんだから」

 言葉が出てこなかった。笑顔でイエスと言えば済むのに、自分がやっている事がその通りすぎて何も言えなかった。
 嘘をつくなんて何でもない。悪役令嬢は嘘をつくものだ。嘘ばかりの人生に今更一つ嘘が増えたぐらいで傷など出来るはずもないのに、ティファニーはこの瞬間だけは嘘をつきたくなかった。
 平気な顔で嘘をついて笑顔を見せればクリストファーはそれを信じ、自分を良い子だと思ってくれる。それなのにティファニーは嘘がつけなかった。

「でも彼のおかげで君に会えた。これも怒られた理由の一つだ。どこぞの令嬢なんかいいからマリエットをやれってね」
「わたくしは伯爵令嬢ですし」
「何かいけないのかい?」
「え?」

 予想外の言葉に首を傾げるティファニーに合わせてクリストファーも首を傾げる。

「伯爵という地位は君が思ってるほど低くはないよ。むしろ高い方だ。上には上がいるけど、上なんか見ていたらきりがない。それに、伯爵令嬢が公爵令嬢に劣っているなんて思わなくていい。君は君で彼女は彼女。別の人間なんだから比べる方がおかしいんだ」

 涙が出そうになった。
 いつだって比べられる人生だったから、いつだって伯爵と公爵というだけで差を感じる事ばかりで誰もティファニーという人間を見ようとはしなかった。
 自分の役割を果たしているだけだと思っても誰もそれを知らないのだから仕方ないと思い続けていても、時には孤独がしんどくなる時もあった。誰かと一緒にいる楽しさを知らないまま進み続けた人生の中で、転機のように訪れたチャンスがコンラッドの接近だったが、結局は彼も王子である事を武器にティファニーを操ろうとした。父親やマリエットをのように。
 だが、クリストファーだけは違った。悪役令嬢などというものをやっていることを知らないからだと自分に言い聞かせても、それでも嬉しい言葉をくれた。

「あ、あれ? 僕が泣かした? 何か気に障るような事でも言った?」

 堪えようと思った涙がボロボロと溢れだし、頬を伝う。
 心配するクリストファーに何度も首を振りながら違うと否定するも抑えようとすればするほど涙は止まらなくなる。

「ごめんね?」

 自分が悪いと思う優しさに胸が暖かくなるのに締め付けられる。自分は優しさを貰えるような人間ではない事を隠しながらただ気の強い令嬢を演じて接している。
 自分のような人間は本来、興味を持ってもらえるような人間ではないのだと唇を噛みしめた。

「もしよかったら……ダンスを踊らない?」
「今、ですの?」
「うん。今」

 まだ返事をしていないのに音楽をかけるクリストファーが何を考えているのかわからず見つめていると笑顔で手を差し出してきた。

「わたくし、泣いていますのよ?」
「音楽で聞こえない」
「……もうっ、あなたって人は」

 泣くのを堪えていたティファニーが我慢することなく泣けるようにと音楽をかけ、全て音楽で聞こえないふりをするためダンスに誘ったのだと気付いたティファニーは余りある優しさに笑顔を見せた。

「踊っていただけますか?」

 囁くような誘いに「喜んで」と返事をしながら手を乗せて立ち上がったティファニーはあの日のダンスとは違う、二人だけのダンスタイムに幸せを感じていた。

 二曲踊って、紅茶と軽食を楽しんだ後はまたダンスを踊る。初めて令嬢に生まれた気分を味わったティファニーはまるで夢の中にいる気持ちだった。

「ん……」
「あ、起きた? よかった。大丈夫?」
「……わたくし……」

 目を覚まして一番に目に入ったのはクリストファーの心配そうな顔。それと同時にティファニーの顔が青ざめる。
 いつ眠ってしまったのか記憶がない。ダンス中? 会話中? どっちにしても失礼であり、あの日と同じように心配をかけてしまったと慌ててベッドから降りて鞄を掴めば深く頭を下げた。

「ご迷惑おかけしました。今日はとても、その……あの……」
「送るから大丈夫だよ」

 膝をついて手を握るクリストファーの言葉は「ゆっくりでいい」と言っているように聞こえた。
 ゆっくり頭を上げて見るクリストファーの優しい表情に安堵しながらも申し訳なさでいっぱいなティファニーはまたすぐに顔を俯かせた。

 馬車まで歩く間、クリストファーはずっとティファニーの手を握っていた。スラリと伸びた指と包み込むような大きな手のひらにティファニーの心臓は速くなる。
 誰かと手を繋いで歩くなど子供の頃、幼馴染とした以来でそれもたった一度だけ。
 今は二度目の手を繋ぐ行為に状況的に不謹慎だと思いながらも心臓は速くなっていた。

「今日はすごく楽しかったよ。ありがとう」
「わたくしの方こそ、とても素敵な時間をありがとうございました」
「楽しかったかな?」
「ええ、とても」

 気にする相手に笑いながら頷くもティファニーは少し笑みを落として膝の上で拳を握り、真っ直ぐクリストファーを見つめた。

「二度もご心配をおかけして黙っているわけにはいきませんのでお話させていただいてもよろしいですか?」
「うん」

 クリストファーはきっと聞くつもりはなかったとティファニーにはわかった。欠伸一つせずに倒れるように眠った相手に疑問を持たないわけがない。それでもクリストファーは事情があると思い、その事情が重いのか軽いのかわからない以上は気軽には聞けないと判断しているような気がした。
 あくまでも自分の推測にすぎないと思いながらもティファニーは彼の優しさに甘えて疑問を持たせたままにしたくなかった。

「どこが悪いのかはわかりませんが、すぐに眠ってしまう病気なんです。いつ寝たのか自分でも覚えていなくて、気が付けばどこかで眠ってるんです。一日に何度も繰り返すもので、あの日も倒れたのではなく眠ってしまっただけなんです。そして今日も……」

 楽しい時間をぶち壊してしまうから人といるのをやめたのだと今思い出した。
 嫌われて離れていった人がほとんどだったが、それでも傍にいてくれる人はいた。だが、ティファニーは自分から離れていった。人を驚かせ、戸惑わせ、心配させてしまうから。
 心のどこかで「またか」と思われていると思うだけで怖かった。

「よかった」
「え?」

 喜ぶような言葉に耳を疑うティファニーは目の前の王子が笑顔な事に驚いた。

「緊張しすぎたのかとか、窮屈すぎたのかとか、失神するほど嫌だったのかとか悪い事ばかり考えてたから眠っただけなら良かった」

 眠った後、良かったと言われたのは初めてだった。自分が眠った事で不安にさせたのも初めてで、ティファニーは理解が追い付かなかった。

「あの……」
「あ、ああっ、ごめん! 自分の事しか考えてないみたいな言い方になってた! 心配はしたんだけど、なんて言えばいいのかな。えっと、嬉しさの方が勝っちゃって……どう説明したらいいのかな。んー……」

 困ったと呟きながら頭を掻く姿にティファニーは笑ってしまった。
 急に笑い出したティファニーに今度はクリストファーが驚いた顔で見たものの、つられるように笑いはじめる。

「いいんですの。嬉しいなんて言われたのは初めてで、わたくしの方こそ嬉しくなってしまいましたわ」
「ごめんね?」
「謝らないでくださいませ。今までずっとこの病気が嫌いでたまらなかったんですけれど、あなたのおかげで少し楽になれましたわ」
「そうだったらいいな」
「本当ですのよ? 眠って嬉しいなんて言われたのは初めてですもの。ありがとうございます」

 笑顔を見せるティファニーに影がおち、クリストファーと唇が重なる。
 目を見開き、固まっているとそれほど長くはなかったが、そっと離れるクリストファーの表情がどこか男を感じさせるもので心臓が口から飛び出しそうだった。

「……何故……キスを?」
「ごめん。送り狼みたいな事するつもりはなかったんだけど、君の笑顔に……いや、君の笑顔が可愛くて、気が付いたら……いや、キスしたくなったんだ」

 どこまで誠実なのだろうかとティファニーの方がたまらくなった。〝吸い込まれた〟とか〝気が付いたら〟とか無意識によるものだと言うことも出来るのにクリストファーはそれをいちいち否定して自分がしたかったからだと言い直した。

「あの、勘違いしないでほしいんだけど」
「わたくしのような女には気がないと?」
「違うよ! そうじゃない!」

 冷静になるためにからかうつもりだったが、あまりの大きな否定に驚いてからかうどころではなかった。

「可愛いと思ったら誰にでもキスするような男じゃないってこと」
「……わかっています」
「ごめんね?」
「キスした後に謝るなんて失礼ですわよ?」
「そ、そうだね。ごめん。ああっ、じゃなくて、えっと……わかってくれてありがとう?」
「よろしい」

 笑顔は見せるもティファニーは自分を根性ナシだと責めていた。利口なふりなどせずに「ならどうしてわたくしにキスを?」と聞けば気持ちが聞けたかもしれないのに、それを心臓が受け止めきれる自信がなかったせいで聞けなかった。

 ———バカバカバカバカッ! いくじなし! 悪役令嬢ならそれぐらい出来て当然ですのに!

 後悔しながらもティファニーは家に到着するまでの間、馬車の中でずっと赤い顔のままだった。

「ティファニー! こんな時間に帰ってくるなどどういうつもり……クリストファー王子!」

 ドアが開いた音に大声を張り上げながらやってきた父親はクリストファーの姿を見るなり立ち止まって姿勢を正した。

「ヘザリントン伯爵、このような時間まで令嬢を引き留めてしまった事、申し訳なく思っています。彼女との時間が楽しく、帰らなければと言う彼女を何度も引き留めてしまいました」

 頭を下げて謝罪するクリストファーにティファニーは事実を言おうか迷ったが言えなかった。ここで自分が事実を言えばクリストファーの善意をムダにする事になる。頭まで下げてくれているのに王子に嘘をつかせてしまった事への罪悪感で余計な正義を押し出すわけにはいかないと眉を下げながら見つめていた。

「頭をお上げください! このような娘でよろしければいつでもお呼び出しください!」
「彼女は素晴らしい人です。親であるあなたが謙遜であろうとそのような言い方はしないでください」
「申し訳ありませんっ」
「どうか素晴らしい女性に育てられた事に胸を張ってください」
「ありがとうございます!」

 深く頭を下げる父親の姿は見慣れているが、王子はこんな風に頭を下げる姿を見るのは初めてだった。
 馬車を降りて別れようと思ったのに、クリストファーは馬車を降りて『謝りに行く』と言って聞かなかった。そしてティファニーも予想していなかった頭を下げての謝罪を見せた。娘を貶す父親を強く咎めるのではなく褒めるような言葉を柔らかな微笑みと共に送る対応にティファニーはたまらず首を振った。

「では、ティファニー。また次会えるのを楽しみにしているよ」
「わたくしもですわ」
「おやすみ」

 手の甲にキスを落とし、もう一度父親に頭を下げてから帰っていく後ろ姿は凛々しく、まさに王子様に相応しいものだった。ティファニーは見えなくなるまで手を振るという乙女の行動を取り、後ろで「よくやった」という父親の耳障りな声も聞こえず見つめていた。

「クリストファー王子をオトしたのはよくやったが、お前の使命はあくまでもマリエットのためにコンラッド王子とつかず離れずの状態であることだ。それを忘れるな。今日はウインクル公爵から最近コンラッド王子がマリエットと一緒にいると喜びの電話があってな、お前がけしかけたおかげだと褒めていたぞ!」

 努力していた時は何も褒められなかったのに努力をやめた途端に褒められる皮肉さにティファニーの表情が死んだように無になった。
 返事もせずに部屋に帰る娘の後を追いながら言葉を続ける父親の機嫌は最高潮で鬱陶しさも同じく最高潮に達していた。

「だがクリストファー王子はそのままキープしておけ」
「……は?」

 キープという言葉に足を止めたティファニーが父親に怪訝な表情を向ける。

「お前が使命を果たした後、結婚できるかもしれないからな」

 信じられない言葉に目を見開いたティファニーは思わず父親の顔を叩き、乾いた音が静かな屋敷に鳴り響く。

「いくらお父様でもその発言は許されませんわよ」

 王子をキープしておけなど賢い親なら口が裂けても言わないはずだ。だがこれが腐った貴族なのだとティファニーは実感する。人を人の中身ではなく地位でしか見られない貴族に何を言おうと意味がない。
 クリストファーのような人間は奇跡に近いのだ。

「今日は機嫌がいいから許してやろう」
「お父様の許しなど必要ありませんわ。言ったはずですわよ、全てわたくし次第だと」
「口を慎め」
「ええ、では口を利かなくて済むようにもう寝ますわ。おやすみなさい」

 部屋に入ったティファニーはドアに背中を預けながら大きな溜息を吐き出した。
 思うはクリストファーの笑顔と声。
 自分には手が届かない存在のはずなのに、夢のような時間を過ごしてしまった。あの優しさにティファニーは胸がいっぱいになり、幸せでたまらなかった。
 そんな相手をキープなどと呼ぶ父親は許せない。
 悪役令嬢として卒業まで生きるつもりだが、クリストファーの言葉が胸に刺さって覚悟を鈍らせる。だが、卒業したらこの家を出ると今決めたティファニーは頭を振ってクリストファーの言葉を振り払い、やれるところまでやってやると頷いた。

「でも今日だけは、いいかな……」

 幸せな気分で終わりたい。やり返せたからではなく、純粋に幸せだった気分は初めてで、笑顔を浮かべたティファニーはクリストファー以外思い出さない事にした。

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