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染みついたもの
しおりを挟む「さて、問題が発生したわけだけど」
「ええ、大問題ですわね」
大騒ぎになった学校から逃げるように馬車に飛び乗ってティファニーの家へ戻った二人は向かい合ってバラバラの表情を浮かべていた。
「とんでもない失礼発言よろしくて?」
「うん」
「あなた昨日の今日でご自分でおっしゃったこともお忘れになりましたの!? 使うからにはちゃんと使ってほしい。後戻り出来なくなるぐらいと言いましたわよね!? なのにどうして婚約の話をあなたがしてしまいましたの!? わたくしまだ心の準備も計画も何も出来ていないというのにあなたのせ……配慮のおかげでさいあ……混乱していますのよ! わたくしのこの気持ちがわかりまして!?」
言いたい言葉は山ほどあった。焦りと混乱と困惑と怒り。だが、それをクリストファーに口汚く伝えるのは間違いだとわかっているだけに言葉を詰まらせながらも言いたい事を必死に伝える。
クリストファーが言った言葉が婚約する〝つもり〟ならまだよかった。あくまでも予定は未定と受け取る事も出来ただろう。しかし、クリストファーは婚約〝する〟と言いきった。それはもう予定は確定しているということで誰も勘違いは起こさないほど明確な言い方だった。
「わかるよ。驚いてるんだよね」
「……まあ、そう、です、わね」
違う!と声を大にして言いたいが、彼の優しさを考えるとそれも言えなかった。
「冗談だよ。ごめんね、勝手なこと言っちゃって。でもあれ以上は見てられなかった」
「わたくしは大丈夫でしたのに」
「そう思ってるだけだよ。心は傷付いてる。でも君は幼い頃から課せられた任で心をフリーズさせたんだ。悪役令嬢は嫌われるものだ。悪役令嬢は傷付いたりしないという暗示によってね。でも無意識に心は傷を受け、それに気付いてないから癒される事もなく蓄積を続ける。それが爆発した時、君は自分で自分をコントロール出来なくなると思う。余計なお世話だったと思うけど、僕は君が壊れるのを見たくないんだ」
だから分不相応だとわかっていながらもティファニーはクリストファーに心惹かれるのだと思った。
今までの人生の中で、これほどまでに自分を見てくれた人はいただろうか。表面だけではなく、心の奥まで見てくれた人がいただろうか。
それを心配して行動に出てくれた人がいただろうか。
婚約発表は大事件だった。だが、ティファニーはそれを嬉しいと思った。もう後戻りは出来ない。明日の新聞には大々的に婚約宣言が載るだろう。賢い相手なら容易に想像がつくはず。それを後悔していないのであればティファニーはもう、このまま進もうと思った。
申し訳ない気持ちはまだある。自分は相応しくないと思う気持ちも。だが、少しでも相応しい女になりたいと思った。
「大変なのはあなたですのよ? それをわかってらっしゃいますの?」
「わかってる。でも存外どうにかなるものだよ。僕はこう見えて頑固だし、両親はそれを理解してる。今まで品行方正に生きてきた。国民たちに不安を与えないような生き方をね。それはこれからも変わらない。いい王子であり、いい王になる。それだけだ」
そんな甘い世界ではない事は伯爵であるティファニーにだってわかる。恋人を作る事と妻を作る事は全く別の事。恋人は結婚前の火遊びだと受け取られても結婚はそうはいかない。ありとあらゆる過去を調べられるだろう。ティファニーがどういう娘で、どういう事をしてきたのかも全て暴かれてしまう。
王室にとって到底受け入れられるものではない過去と現在を持っている。
コンラッドが暴露したティファニーの悪行を聞きながらもクリストファーはそれを受け入れて尚、説得する気でいた。
「ティファニー、僕が諦めると言うまでどうか君も諦めないでほしい」
すごい言葉だと思った。諦めると言われるまで希望を持ち続けろ。でも、諦めると言った時は諦めろと言われているような気分になった。希望と絶望がセットになった言葉にティファニーは数回目を瞬かせて返事をしなかった。
「僕は諦めが悪い男なんだ」
でも説得出来なければ諦めるしかない。
「うんって言ってくれないの?」
「わたくしに言える言葉があるとでも?」
「待ってますとか」
「諦めの悪い男にその言葉は必要ですの?」
噴き出したように笑うクリストファーが『そうだね。確かにその通りだ』と言って豪快に笑う姿につれられティファニーも笑い出した。
明日、学校に行けばどういう反応が待っているのかわからない。クリストファーがティファニーとイチャついているのを見ただけで泣いて去った生徒もいた。クラリッサ同様、ティファニーを見下し、許せないと思っている者もいるだろう。その者たちまで敵にならなければいいが……と不安は拭いきれなかった。
「大丈夫だよ。きっと上手くいく」
「すごい自信ですわね」
「苦労は報われるべきだからね」
苦労は誰にでもある。愛されるヒロインにだって、意地悪をする悪役令嬢にだって。でもそこには異常なほどの差があって、愛されるために努力をしたヒロインが愛される事によって努力が報われたとするのならヒロインをヒロインとして存在させるために努力してきた悪役令嬢はどうしたら報われたという事になるのだろう?
王子に迫られる悪役令嬢は見た事がない。だからティファニーは正しい対処法を知らない。
それでもクリストファーについていくと決めたのだ。分不相応だろうと、クリストファー・ブレアが自分が諦めるまで諦めてくれるなと言うのだからそれを否定する理由は存在しない。
だからティファニーは笑顔で頷いた。
だがティファニーは自分が存外我慢弱い事を知る事となる。
翌日、登校した瞬間から大勢の生徒に囲まれて質問攻めにあっていた。アーロンが長身で守って教室まで進ませてくれるが声までは防げない。
「ごめんなさい。まだお答えできないことがほとんどなんです」
こう答えるしかなかった。王室との秘密保持契約があるとアーロンが言うと離れる者もいるものの女子生徒はクリストファーとの出会いや進み具合を根掘り葉掘り聞いてくる。
まだ何もないと答えたいが、あえて答えなかった。
「ご想像におまかせしますわ」
そう答えることで余裕を見せたのだ。
何かが揚げ足取りになってはいけない。ティファニーが婚約すると宣言したのであれば大勢の人間が『嘘つき』『見栄っ張り』と嘲笑しただろう。しかし宣言をしたのはティファニーではなくクリストファー。とんでもない発言を冗談でするような男ではないと皆知っているのだ。だから皆、自分達の自慢話よりティファニーの話題に興味深々だった。
これが貴族の鬱陶しさだと改めて思い知る。
今日のサロンはその話で持ちきりだろう。そこで父親のアルバートは天井にも届きそうなほど鼻を高くして『うちの娘は優秀ですから』と謙遜なしに答えるのだろう。それこそ公爵家でクラリッサ・マーシャルの父親にさえ対等であるかのように話す姿は想像に難くなかった。
「そう言えば聞きまして? クラリッサ様の暴言」
「ええ、マリエット様がお止めになられていたけれど止まりませんでしたわね」
「何の話ですの?」
令嬢達の言葉に首を傾げると一度辺りを見回してクラリッサがいないのを確認してから顔を寄せてきた。
「昨日、お二人が帰られてから酷かったんですのよ。クラリッサ様ったら気でも狂ったかのように暴言と発狂の連続で」
「マリエット様が何度も宥めておられたのですが効果はなく、笑い声を上げては怒鳴り散らしの繰り返し。怖かったですわ」
「そんな事が」
見てみたかったと心から思った。やり返さないとは決めたが、それでも目が合ったら口元をニヤつかせるぐらいのことはしてやりやかった。
あの場でそんな事をする勇気も余裕もなかったのだが……。
「ですから今日はクラリッサ様はお休みで、マリエット様はおひとりでしたわ」
「コンラッド様は?」
「そういえば一緒じゃありませんでしたわね」
———マリエットはもう用済みってわけですのね。可哀相なマリエット。
ティファニーの中に初めて同情が生まれた。
マリエットは自分がヒロインになりたいがためにティファニーを悪役令嬢にするよう仕向けた。同学年でなければ常日頃から意地悪は出来ず、それを庇う優しいヒロインにはなれない。だからティファニーが選ばれた。そして十年という長い年月、ティファニーが悪役令嬢として過ごしてきたようにマリエットはヒロインとして過ごしてきた。性根はヒロインには程遠く、物事は全て計算で動くタイプ。危険を顧みず助けるタイプではないし、何より大切なのは自分という人間だ。五歳で人を悪役令嬢になるよう父親に願うのだからその時からもうヒロインに相応しくはなかった。
だが、努力はしてきた。それは傍で見ていたティファニーが一番よく知っており、だからこそ否定は出来ない。
ヒロインとして生きるため、性根が悪役令嬢であるマリエットが愛されるためには努力が必要不可欠だった。
どんな時も笑顔でいる事。でも時には少し涙を流す。差別なく平等に接する事や維持しなければならない主席の成績。好みではない控えめなアクセサリー。目を向ける事も嫌であろう安物の情報を仕入れ、話題にする事。
どれもマリエットには苦痛だっただろう事をヒロインになりたいがために努力し続けてきた。その結果、マリエットはヒロインの座を勝ち取っていたのだ。
だがそれももう終わりが見えている。
コンラッドには結婚の意思がない。マリエットを嫌い、マリエットとの婚約などありえないと思っている。それを知らないマリエットはコンラッドの気分屋な性格に振り回されていた。
毎日違う女を連れ歩き、かと思えばティファニーと親密になり、かと思えば疎遠になって今度はティファニーを攻撃し始めた。それなのに今はマリエットから離れて違う女の所にいる。
どうしているのだろうかと少し気になった。
「マリエットを探してきますわ」
「一緒に行きましょうか?」
「申し出はありがたいのですが、わたくし一人で行かせてください。いつも助けてもらったのですから今回はわたくしが支えになりたいんですの」
嘘が9割、本音が1割。
病気でも単位を落とすことなく過ごせているのはマリエットのおかげ。そこだけは感謝している。それが自分のためだとわかっていてもティファニーは助けられている。だからもし落ち込んでいるのなら少し話がしたいと思っていた。
「本当に変わりましたわね」
「マリエット様が悪役令嬢になるよう指示していたという噂もありますのよ」
「その噂、詳しく聞きたいですわ!」
「よろしくてよ。向こうでお茶でもしながら話しましょう!」
キャッキャッと盛り上がる令嬢達は小走りで去っていく。
「マリエット」
いる場所はすぐにわかった。マリエットお気に入りの温室の中。目の前に咲く薔薇を見つめながらボーッとしている姿はマリエットらしくないが、マリエットも人間。自分が知る姿が全てではないとゆっくり近づいて声をかけた。
「ティファニー……」
弱弱しい声に相応しい表情が痛々しく見えた。
「何かありましたの?」
答えなかった。強がるわけでも素直になるわけでもないマリエットは今悩んでいるのだとわかった。素直になるべきかどうか。これはマリエットの一つの癖だとティファニーは知っている。
「……あなたのせいよ」
「わたくしの?」
「あなたがコンラッド様と親しくするから全部おかしくなったんじゃない」
言葉は責めていても声は弱弱しいままで、それはまるで独り言のように聞こえた。
「わたくしだって親しくなどなりたくなかった。あの王子は自分が正しいと思っているんですもの。権力を持っている偉い人間だと勘違いしているような男に興味はありませんわ」
「じゃあどうして仲良くしたのよ」
「ヒロインは時に悪役令嬢に王子を奪われる。ヒロインはショックを受けて離れるけど最後は王子と結ばれる。悪役令嬢は最後の巻き返しに悔しがって退場。それが筋書きでしたわ。でも彼は……」
「自分の思い通りにしか動かない」
マリエットはわかっていた。ティファニーが知り合うずっと前からコンラッドを知っているのだからティファニーが語るまでもない。今回、コンラッドが一緒に行動していたのも何か企みがあっての事だとわかっていたのだろう。
「ねえ、どうしてアンタなの? 性格悪い女を演じてきたアンタがどうして王子にモテるのよ」
「わたくしが面白いからだと彼らは言いましたわ。淑女を気取らないわたくしが面白いんだそうですの。きっと物珍しさなだけですわ」
「それじゃあ私の努力は無駄だったって事になるじゃない」
震える声が後悔を伝える。それもそのはず。イイ女になるために自分を磨いてきたマリエットに王子は靡かず、何の磨きもかけてこなかったティファニーにばかり王子が寄っていく。媚びる事一つしないティファニーが〝面白い〟のであれば聖女のように振舞ってきた自分の努力は何だったのかと馬鹿馬鹿しくなるのも一理ある。だからといってティファニーは今更どうしてやる事も出来ない。先程のように嘘をついてやる事は出来ても、悪役令嬢にしてやることは出来ない。皆の前でマリエットが悪役令嬢になれと言った事を暴露してもマリエットがなれるのは悪役令嬢ではなくただの悪者。
落ちる事のないティファニーに恐れるものはなく、落ちる事を恐れるマリエットではこれからの選択肢が全く違うものになる。
「マリエット、あなたの努力は無駄にしたくないけど、コンラッド・グレンフェルはやめておいた方がいいと思うの。彼を選んでもあなたは幸せになれない」
あなたに気がない。とは言わず、やめるようにだけ言うと睨むような目を向けられるもそれも一瞬だった。これは悪役令嬢からではなく幼馴染としての警告。
「私の人生ここで諦めろって言うの?」
「そうじゃない。あなたは賢くて美しい。男を選べる立場よ。彼に執着する必要なんてないはず。おじさんに頼んでもっと素敵な人と縁を結ぶの」
「クリストファー・ブレアとか?」
冷めた目に言いよどむ。
「冗談よ。アンタに嫉妬なんかしたくないし、クリストファー・ブレアには興味ない」
「コンラッド王子が好きなの?」
「……別に。ただ、彼が適任なだけ。次男だし、結婚する前から遊び人だから束縛される事も浮気が私のせいだって言われる事もない。よそで子供を作っても認める気もない男」
「そんな男だとわかってて、それでも選ぶの?」
「自分の人生は自分で作るの! 私は結婚しても私を生きる! グレンフェル家の嫁じゃない、マリエット・グレンフェルと言われるようなね!」
最低な男であろうと条件だけ見れば生きやすいという理由だけでコンラッドを諦めきれないマリエットが哀れで仕方なかった。
自分が優位に立つ人生は苦労が少なく快適だろう。だが、そこに幸せが存在するのか、ティファニーはそこが気になった。
『苦労は報われるべきだからね』
クリストファーが言った言葉がマリエットには当てはまらないのかもしれないと思うと何とも言えない気持ちになった。
「それであなたは後悔しないの?」
「後悔しないために選ぶのよ」
世界は広いのだからコンラッドより好条件の王子は大勢いるだろう。それでも自国の王子にこだわるのはきっと自分を一番よく知る者達に自慢し続けたいから。
ティファニーは溜息にならないようゆっくりと息を吐き出してマリエットを見つめた。
「命令されるがままに生きてきたアンタが幸せを掴んで、努力してきた私が幸せになれないって皮肉よね」
自嘲めいた笑みを浮かべるマリエットにティファニーは抑えていた溜息をあからさまなほどハッキリ吐き出した。
「わたくしが努力していないような言い方はやめていただける?」
急に口調が変わったティファニーにマリエットが顔を上げる。
「悪役令嬢になる大変さも知らないで自分だけが努力してきたような言い方は不愉快ですわ」
「好き勝手出来る悪役令嬢とイイ子でいなきゃいけないヒロインの努力が同じなわけないでしょ」
「性根が腐っているのにヒロインになる大変さなら理解してさしあげますわよ」
観客がいない二人だけの世界ならヒロインも悪役令嬢もないとティファニーは真っ向から対峙する。
「王子と婚約するからって調子に乗るんじゃないわよ」
「王子と婚約も出来ていないくせに偉そうですのね」
パンッと乾いた音が聞こえたのと頬への衝撃を感じたのは同時だった。
「キャアッ!」
そのまま顔を上げたティファニーは思いきりマリエットの頬を叩いた。叩かれると思っていなかったマリエットは大袈裟な声を上げ、驚きに目を見開きながらティファニーを見た。
「おあいこですわね」
睨んではいるが、マリエットの目には涙が溜まっている。親にも叩かれた事がないマリエットにとって初めて受けた痛みに感情とは別に涙が溢れてきたのだ。
ティファニーは幼い頃から叩かれているため今更頬に何発かくらおうとも涙が滲む事さえしない。
「あなたが選んだ道を尊重しますわ。それが破滅の道であろうともね」
去っていくティファニーに「待ちなさいよ!」と大声を張り上げるマリエットに振り向くと頬を押さえたまま、まだ睨み付けていた。
「クラリッサがアンタを許さないって言ってたわよ」
「そう。ご自由にと伝えてくださる? ああ、そうそう。想い人に選ばれてごめんあそばせとも」
自分にはやはり悪役令嬢が合っているのだと再確認してしまう事が嫌だったが、相手を挑発する言葉がこんなにもスムーズに出てくるのだから根っこまで染まってしまっている。
クリストファーが知っているのはほんの一部であり、大部分を知れば嫌いになるかもしれない。疑いたくはないが、ないとは言い切れない可能性が怖くなった。
期待はしすぎない。いつだって最悪の状況を浮かべていればどんな絶望にだって耐えられるのだから。
ティファニーは幼い頃から胸に刻んできた言葉を暗唱して温室を出ていった。
この時はまだ、この挑発が大事件を起こすキッカケになるとはティファニーは想像もしていなかった。
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