悪役令嬢な眠り姫は王子のキスで目を覚ます

永江寧々

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崩落

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「状況は?」
「未だ意識は戻らず、芳しくありません」

 丸一日が経った今もティファニーの意識は目覚めず、調子も安定しない。酸素マスクを装着して眠る姿は痛々しく、本来であれば必要ない機械音にコンラッドは唇を噛みしめる。

「俺の傍にいればよかったんだ……」

 傍の椅子に腰かけて手を握って額に押し当てるコンラッドは一人で立ち向かい続けた結果だと眉を寄せた。自分の傍にいればお茶会に参加させることもなく、クリストファーとの婚約もなかったのだからクラリッサを敵に回す事もなかった。
 ティファニーの頑固さを認めず、やり方を変えなかった自分のせいでもあると悔やみながら青白い顔に手を伸ばそうとした瞬間、廊下から大きな声が聞こえた。

「お待ちください! 許可が出ていません! そちらはただいま立ち入り禁止でございます!」

 何事だと立ち上がったコンラッドは勢いよくドアを開けた相手に目を見開いた。

「クリストファー・ブレア……」

 汗をかき、息をきらせながら近付いてくるクリストファーはコンラッドを見ていない。すぐ傍で眠るティファニーだけを見つめ、コンラッドが触れようとしていた頬に触れた。

「医者の話では紅茶に毒が混ぜられていたのではという話で……おい、何をするんだ!」

 説明しているコンラッドを無視して機器を外すクリストファーを慌てて止めようとするも腕を振り払われ、そのままティファニーを抱きあげ早足で外へと向かうのを追いかける。

「待て! どういうつもりだ!」
「わが国で治療を受けさせる」
「むやみに動かすな!」
「ここに置いてはおけない」
「俺が責任を持って治療させる! 最高の医者を用意する!」

 コンラッドが張り上げた声にクリストファーが立ち上がり向けた視線は冷たいもので、恨みさえあるように感じた。

「マレニスより良い治療が受けさせられるとでも言うのかい?」

 コンラッドは唇を噛みしめる。
 マレニス国は医療に力を入れており、いくらコンラッドが国一番の医者を集めたとしてもマレニスより良いと言えないのは確かだった。
 クリストファーには渡したくないが、今は一刻を争う状態。ここで言い合いをして無駄な時間を割くわけにはいかなかった。

「ティファニーを、頼む……」
「僕の婚約者だ。必ず助ける。君は君のすべき事をしてくれ」
「俺のすべき事?」

 怪訝な表情を浮かべるコンラッドにクリストファーは背を向ける。

「婚約者に首輪をつけて躾をする事だ」

 わかっていた。いつかこうなるのではないかと。
 大急ぎで走り去る馬車を見つめながら拳を握るコンラッドはそのまま駆け足でウインクル家に向かった。

 ウインクル家でマリエットの居場所を問うと庭先にいると聞き、それだけでコンラッドの中で怒りが沸々と湧き出す。
 幼馴染が血を吐いたというのに庭先に出て何をしているんだと想像せずわかる事をまだ確定はせず自分の中で疑問を持ったまま庭へと向かえば、あっさり疑問は解決する。

「マリエットッ!」

 辺りに響き渡るほどの怒鳴り声に驚いて振り向いたマリエットは立ち上がってコンラッドに駆け寄る。

「ティファニーの容態はいかがです?」

 心配の表情を浮かべるマリエットにコンラッドの怒りは大きくなる。
 本当に心配しているのなら一日中付きっきりになってもおかしくはないのに、マリエットは今、クラリッサと二人で優雅にティータイムを楽しんでいた。
 ティファニーは目を開ける事さえしないのに、昨日の今日で笑顔でお茶会を開くマリエットが理解出来なかった。

「キャアッ!」

 パンッと乾いた音と共にマリエットが悲鳴を上げるとクラリッサが立ち上がった。

「何をなさるのですか!」

 何が起こったのかわからず頬を押さえながら見開いた目で地面を見つめるマリエットを抱きしめるクラリッサの頬も同じように叩いた。軽くではなく、渾身の力で。

「お前達は親に何を習ったんだ? 欲しい物があれば人を殺してでも勝ち取れと言われて育ったか?」

 コンラッドの声が怒りに震え、目には完全なる怒りが宿り、握られた拳は今にも動きだしそうで二人は怯えていた。
 公爵令嬢である事が誇りだった二人にとって王族を怒らせることはあってはならない事。それなのに目の前のコンラッドは見た事がないほどの怒りを抱えて睨み付けている。

「私達が何をしたとおっしゃるのですか!」
「わざわざ言われないとわからないのか? お前達が望むのなら広場に全国民を集めて証拠を叩きつけ、お前達がしたこと全てを明らかにしてもいいんだぞ」

 二人の表情が一気に曇る。

「お前のような恐ろしい女が妻になりたがっていたとはな。吐き気がする」
「誤解ですコンラッド様!」
「触るな!」

 縋りつこうとするマリエットの手を思いきり振り払うとクラリッサを睨み付けた。ビクッと大袈裟なまでに身体を跳ねさせるクラリッサは今にも心臓が口から飛び出してしまいそうなほど激しく脈打っている。

「ティファニーは先程クリストファー王子がマレニス国に連れて行った」
「え……」
「一人の女のために一国の王子が動くとはな。彼はお前達が犯人だとわかってたようだぞ」
「そんな……」

 見舞いに来たのではなく、国に連れて行ったのはきっとクリストファーの独断だろう。これからティファニーはコンラッドのように回復を待つだけではなく最善を尽くし、回復させるのだと絶望に顔を青くするクラリッサ。

「お前達の処遇は追って下す。楽しみにしていろ」

 背を向けて歩き出すコンラッドに「お待ちください!」と叫び声にも似た声でマリエットが引き止める。

「彼女が……彼女がいけないんです。あなたと仲良くなるから……」
「俺が誰と仲良くしようとお前には関係のない事だ」
「私はあなたの婚約者です!」
「候補だろう」
「それでも候補は私だけです!」

 ハッキリ言われた〝候補〟という言葉はマリエットの胸に深く突き刺さるが、それぐらいで引きはしない。

「俺が公爵令嬢如きと結婚すると本気で思ってたのか?」
「……どういう意味ですか……」
「わからないか? 王子である俺がお前のような公爵令嬢ごときを妻に選ぶわけがないと言っているんだ」
「そんな……」
「親同士が親しいから俺は義理でお前と話していただけでお前を妻にすると言った事は一度もない。それをお前が妻の座を手に入れるために吹聴して回って出来上がったデマだ。お前のように自分が輝くために人の人生を狂わせるような恐ろしい女を誰が欲しがるものか」

 どこまで知っているのかと顔面蒼白になったマリエットは途端に呼吸が崩れ始めた。過呼吸のように息が出来なくなり、地面に座り込み、手をつくもすぐに倒れた。

「マリエット! マリエットしっかりして! 誰か来て! 早く! マリエットが死んじゃう!」

 コンラッドはティファニーの時のようにマリエットを抱え上げて駆けだす事はなかった。
 あれぐらいで死にはしない。ここはウインクル家の敷地だ。バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、マリエットを心配する声が響き渡る。
 これからクラリッサはコンラッドのせいだと説明するのだろうが、そんな説明をしたところで誰も文句は言えない。それこそマリエットの父親であるバージルでさえコンラッドに物申す事は出来ないだろう。それどころか自分が十年前にアルバート・ヘザリントンに命じた事がバレた事に怯えるはず。そして、娘がしでかした事をこれから死刑を待つような気持ちでいる事になるのだろう。

「アーロン!」
「ああ、コンラッド! 僕急いでるんだ!」
「お前が行ってどうする」
「でもティファニーが心配なんだ! 行かなきゃきっと後悔する! ティファニーの傍にいたいんだ!」

 大荷物を馬車に乗せるアーロンを見たコンラッドが腕を掴んで引き止める。
 大男が人前であろうと涙を隠さず流しながら訴える姿は見ていて胸が痛いが、このまま行かせるわけにはいかなかった。

「お前が行ったところで邪魔になるだけだ。これからティファニーはマレニスで最高の治療を受ける。二十四時間医者がついて治療にあたる。傍に居られるのはクリストファーだけだ。お前は部屋に入る事も出来ないだろう」
「でもっ、でも僕にも何かできることがあるかもしれない! 声をかけるとか……名前を呼ぶとか……」

 そんな事に意味がない事はアーロンが一番よくわかっているのだろう。段々声が小さくなり、震える歯がガチガチと音を鳴らし、喉奥から漏れる小さな唸り声が悲壮感を醸し出している。
 自分の弟より泣き虫な男をいつもなら笑うが、コンラッドは今、それを笑う気にはなれなかった。こうして恥もなく泣けることが羨ましいとさえ思っていた。

「お前のすべき事は今ティファニーの傍にいる事じゃない。ティファニーが帰ってきた時に笑顔で受け入れる事だ。ティファニーの好物はお前が一番よく知ってるだろ?」
「でも今行かなきゃ後悔するかもしれない……」
「ティファニーが死ぬと?」
「死なないよ! 死なない! ティファニーは死なない! 死んじゃいけないんだ。あの子は幸せにならなきゃいけないんだ……」

 ティファニー・ヘザリントンという女がどういう人生を送ってきたのかを一番間近で見てきたアーロンの言葉にコンラッドはゆっくり息を吐き出す。
 人生を狂わせたのはマリエットではなく自分かもしれないと思っていた。自分が関わらなければティファニーは今も当たり前の顔で悪役令嬢を続けていたかもしれない。だが、誰にも先は読めない。マリエットとクラリッサが共謀して紅茶に毒を盛る事など誰が予測だろうか。
 コンラッドは自分を責める言葉と擁護を交互に繰り返しながら首を振ってアーロンを抱きしめた。

「ティファニーは元気になって帰ってくるよね? 大丈夫だよね?」
「当たり前だ」

 しがみついて泣くアーロンの背中を撫でながら祈るように答えた。


 ティファニーが目を覚ましたと聞いたのはそれから10日が経った頃だった。
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