静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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 一人、馬車の中で揺れながらアーデルは外の景色を眺めていた。
 あれからどうやって馬車に乗ったのか覚えていない。父親に挨拶はしたような気がする。フォスとはすれ違ったが、何か言葉を交わしたような無視をしたような、ハッキリと覚えていない。
 どうやってココと離れて、どうやって馬車に乗ったのか。そんな事はどうだっていい。問題はココの気持ちだ。
 アーデルは人気という言葉とは程遠い人生を送ってきた。フォスと違って自分から声をかける事が苦手で、話しかけられても盛り上げる事ができない。一つ話題が終わればあとはだんまりか笑顔を浮かべているだけ。お得意の愛想笑いをして退屈な時間が早く過ぎるのを願う事のほうが多かった。
 人気者になりたいわけじゃない。大勢の人間に囲まれて会話する人間を見ると大変だと思ってしまうぐらいには人との関わりが好きではない。かといって孤独が好きなわけじゃない。自分もきっとどこかでは「根暗」と呼ばれているだろう事も予想はしている。構わない。実際そうなのだから。
 王族だけのパーティーに出席した時、アーデルは一人だった。一応の挨拶程度には話しかけられたが、大した盛り上がりもなく相手は早々に去っていった。輪に入っておいでと父親には言われ、渋々ながら輪に向かった。輪の近くにいただけで話には入れなかったし、誰もアーデルを入れようともしなかった。
 アーデルは本当は椅子に座って本を読んでいたかった。そんな事が許されるはずもなく、これも付き合いだと笑顔を浮かべていたのだが、地獄だった。そういう経験もあって、結婚相手は第一王子じゃない人がいいと思っていた。帝国の人間が結婚相手というのには驚いたが、ラビでよかったと心から思っている。
 結婚したばかりの頃は彼との生活は大変そうだと思っていたが、今は彼の傍にいたいと思っている。この結婚はとても幸せなものだと今もそれは変わらない。だけど、一つ違う点があるとすれば幼馴染がこの結婚を心から祝っていたわけではないという事だ。

「どうして……」

 ココが結婚を口にしたのは一度や二度ではない。自分達が結婚したら、という話は何度もしていた。ココが相手なら気持ちも楽だし、父親さえ許すならそれでもいいかと思っていた。
支援者のほとんどが貴族であるためパーティーに同席しなければならない苦痛を除けば幸せだろうと確信もあった。父親も反対はしなかった。だからアーデルの中でも結婚相手はココかもしれないと想像する事は幾度かあった。
 でも実際は違った。帝国の第七皇子と政略結婚。
 結婚式にココは来なかった。仕事が多忙である事は知っていたし、世界を飛び回っている事も知っていたから不満にも思わなかった。だけど、こういう状況になって初めて、あの欠席は仕事ではなく感情的なものから欠席を選んだのではないだろうかと疑ってしまう。もし、遅れてお祝いに来たあれがラビ・ワーナーという男を、新居がどんなものかを見に来たのだとしたら?

「ココはそんな人じゃない……」

 嫌な想像をしてしまう自分にかぶりを振るも、あの力強い抱擁も搾り出したような声が紡いだ言葉も冗談ではなかった。冗談だとは言わなかった。
 途中、街によって宿を取って休むも目を閉じれど睡魔は来ず、眠って考えを放棄する事ができなかった。考える必要はない。考えたところで現実は変わらない。変える事はできないし、するつもりもないのだから。

「大丈夫ですか? 随分と顔色が良くないようですが」
「大丈夫です。少し疲れているだけですから」
「もし体調がすぐれないようでしたらもう一日休んではいかがでしょう? 医者をお呼びいたしますが」
「帰ります。家のほうが落ち着きますので」
「それもそうですね。家が一番です」

 御者は昨日よりゆっくりと走った。速度を上げればそれだけ馬車は揺れる。気遣ってくれた事に感謝しながらもアーデルの気分は浮かないままだった。

「ラビ皇子は帰ってるかしら……」

 まだシャンディに寄り添っている可能性がある。残しておいた書き置きもそのままに一週間空けた家は少し埃っぽくなっているかもしれない。まるで自分が一人で暮らしているかのような状態だったらと考えると更に気分は沈んでいく。
 シャンディの悲しみは理解できる。自分を理解し、支えてくれる相手がラビであるなら立ち直るまで傍にいてやるべきだと思う。それは嘘ではないのに、いつまでいるつもりだろうかと考えてしまう。シャンディが立ち直るまで居ていいと言っていたとラビが伝えればきっとシャンディはあの手この手で引き留めるのではないだろうか。
 そろそろ戻ってきてほしいと手紙を書くべきか。でもシャンディが本当にまだ悲しみから立ち直れていなかったら……と考えると筆を握る気にもならない。
 こういう経験は初めてで、どう対応するのが正しいのかさえわからない。感情のままに動けば下手を打つ可能性もある。ラビは繊細な人だから自分のわがままで困らせたり傷つけたくない。自分はシャンディとは違う。感情をぶつけて優しい相手を操縦するなど絶対にしたくないのだ。
 今はただ、ラビに会いたくて仕方ない。おかえりと言って抱きしめてほしい。手を繋いで散歩に行きたい。もう古書市は終わってしまったけど、新しい催しが開かれているはずだから一緒に買い物をしたい。特別な事は何もなくていい。謝罪もプレゼントも何もいらないから彼と二人だけの静かで穏やかな時間が欲しい。
 考えれば考えるほど沈んでいく気持ちをどう切り替えればいいのかわからない。彼が家に居たらきっと嬉しくて飛び跳ねるだろう。だけどもし、彼が家に居なかったら、ソファーの上から動かない自分が容易に想像できる。いや、動けない自分が。
 考えすぎて吐きそうだった。行儀が悪いのはわかっているが、シートの上で膝を抱える。そこに顔を埋めてモヤモヤと考えては顔を横に向けて窓の外の景色を眺めるの繰り返し。
 窓を少し開けて外の空気を取り込むとようやく呼吸ができている感じがした。ここから歩いて一時間ほどであれば歩いて帰ると御者に伝えるのだが、ここから歩けば家まで十時間以上はかかるだろう。アーデルの足はそこまで強靭にはできていない。
 ラビがいるかいないかわからない家に帰りたいような帰りたくないような複雑な気分のまま馬車に揺られる。

「嫌な顔……」

 自分で気付いていなかっただけできっと存外嫌な性格をしているのだろう。それが今の表情に滲み出ているとガラスに映る自分の顔を見つめながら呟く。
 日が暮れてくると御者が車内のランプをつけてくれる。ぼんやりとした灯りに照らされる車内。外を見ても真っ暗で何も見えず、嫌な自分の顔が映るだけ。

「もうすぐ到着しますよ」
「長旅ご苦労様でした」

 御者に向かって少し大きめの声で言葉を返すと「とんでもない」と上機嫌な声が聞こえてくる。今回は雇った御者が良い人だった事だけが唯一の救い。長旅ではあったが、申し訳ないと思うほどに何度も気を遣ってくれる御者へと感謝としてアーデルは持ってきていた財布をそのまま置いていく事にした。忘れ物ではないと知らせるために自分の座席の斜め向かいのシートに置いておく。

「……デル……!」

 開けたままだった窓から入ってきた声に耳を疑う。

「え……」

 勢いよく顔を上げると前方に見える我が家に灯りがついている。そしてよく知った声。求めていた声が今度はハッキリと聞こえた。

「アーデル!」

 馬車が停まるとラビがドアを開けた。いつもなら差し出された手を取ってゆっくり降りるのだが、今回はそんな余裕はなかった。淑女だとか王族の出だとかそんな事はどうだっていい。アーデルは飛び込むようにラビの腕の中に降りた。

「あなたにずっと会いたかった」
「僕もです。またあなたを一人にしてしまってすみません」
「もう、大丈夫なのですか?」
「はい。これからはずっとあなたと一緒です」

 求めていた事を証明するように抱きしめ合う二人は幸せだった。「この人でなければ」と互いに再確認していた。
 暗闇の中、互いの顔が確認できないまま顔に触れ合い、求め合うままにキスをした。
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