亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

文字の大きさ
52 / 190

暗闇に覆われる

 いつもより少し遅く目が覚めたのは、風呂に入って寝室に戻ってからずっと落ち着かなかったせい。
 夫婦の寝室であるはずの部屋の中にはいつもロベリアがいた。肖像画に写真にロベリアが使用していた装飾品や香水瓶や鏡台。それらが全て撤去されていたのだ。途端に部屋が広く感じるようになった寝室に落ち着かず、「燃やした」「これで少しは機嫌が直るか?」とも言わないファーディナンドにも落ち着かず、なかなか眠れなかった。

(ピクニックに持っていくサンドイッチの具は何にしてもらおうかな。レタスとトマトとベーコンとたまご……それからスコーンのジャムはブルーベリーが採れたって言ってたからそれにしてもらって、紅茶とミルク、どっちがいいかな。どっちもって言ったらどっちかって言われるかな。サーシャとウォルフと一緒にボートに乗って──)

 まだ目を閉じたまま約束したピクニック日和を知らせる空の眩しさに口元にだけ笑みを浮かべながら考える。
 食べるのに時間がかかるが、食べるのは大好き。サンドイッチやスコーンなど何にしようかと考えながらゆっくりと目を覚ますのが予定ある朝の楽しみ。

「イベリス様、起きてください」

 揺り起こされる経験があまりないイベリスが驚いて飛び起きるとサーシャがいた。表情はいつもより少し険しめ。

〈どうしたの?〉

 立てた人差し指を左右に揺らして問うイベリスの視界に入ったファーディナンドも同じ表情をしていた。
 窓の外はよく晴れた美しい青空と白い雲が広がっている。何をそんなに険しい顔で見ているんだとベッドから降りようとするイベリスに差し出すサーシャの手を取りながら床に足を着いてファーディナンドの隣に立つ。

(何もないけど)

 庭は燃えていない。花も相変わらず美しく咲き誇っている。池も濁らず透き通っている。空を飛ぶ鳥が落ちているわけでもない。なのに何をそんなに険しい顔で外を見ているのかがわからず、ファーディナンドの服を引っ張って怪訝な顔を見せた。

〈何か聞こえるの?〉
「開けるな」

 窓を開けたところで聞こえはしないが、とりあえず毎朝の習慣である空気の入れ替えをしようと窓の鍵に手をかけるとファーディナンドが止めた。以前変わらず険しい表情を崩さないファーディナンドに何があったのかと問うとようやく顔が向けられる。

「テロスには暗夜も白夜も存在しない」
〈知ってる〉
「お前は丸一日寝ていたわけではない」
〈わかってる〉
「今は朝だ」
〈そうね〉

 それだけ言ってまた空を見上げるファーディナンドの言いたいことがわからず、サーシャに手招きをすると手話で教えてくれた。

〈朝が来ていないのです〉

 何を言っているんだと首を傾げるイベリスは思わずカレンダーの確認に向かった。壁にかけられているカレンダーに祝祭は書かれていない。いくつバレずに嘘がつけるか、という祭りでもない限りサーシャが嘘をつくはずがない。ましてこんなにも神妙な顔で。

〈どういうこと?〉

 今にも涎を垂らしそうなマヌケ面で首を傾げて口を開けるイベリスにサーシャは窓を指す。振り返る。やっぱり外は晴れている。朝は来ている。
 イベリスの表情が途端に怪訝なものへと変わる。

(二人で騙そうとしてる……? ファーディナンドがサーシャを誘ってサプライズ的な? でもそんなのサプライズじゃないし、サーシャが乗るとも思えない)

 二人を交互に見るも二人の表情は変わらず、揃って外を見ている。

〈ウォルフは?〉

 着替えが済むまでウォルフは外で待つことになっている。サーシャよりウォルフのほうが乗っかりそうだとドアを開けて廊下を覗き込むも廊下には誰もいない。

「騎士団は全員巡回に出ている」

 ますます怪訝な表情になるイベリスの前にやってきたファーディナンドが目の前で片膝をつく。

「お前は何も心配しなくていい。原因究明が済むまで移動するだけだ」
〈なんの話? なんの原因を探るの? どこへ移動するの? なんのために?〉

 心配する要素がない。あるとすれば晴れた空を見て怪訝な顔をする二人のことだ。いたって大真面目そうに見える二人の顔の前で手を振るも表情は変わらない。

〈一応、聞くんだけど、これって何?〉
「何とはなんだ?」
〈だから、この状況〉
「それを究明するために騎士と魔法士が既に動いているんだ」

 もはや混乱にまで陥りそうになっているイベリスはファーディナンドを押し除けて窓に近付き、鍵を外して窓を開け放った。吹き込んでくる風に髪を靡かせながら目を細めるイベリスの前で思いきり窓が閉まった。割れそうな勢いで閉まったのはファーディナンドが押したからで、ムッとして顔を上げるが彼のあまりの必死の形相に怒りは消える。

「開けるな。何が起こるかわからん」
〈風が入るだけでしょ。そんなに強い風でもないじゃない〉
「わからんだろう」
〈虫が入ってくると思ってる?〉
「悪魔だったらどうする」

 ポカンと口が大きく開く。

(悪魔? 悪魔って言った? 晴れた空の下を悪魔が飛ぶの?)

 ファーディナンドもサーシャも冗談を言うタイプではないからこそ戸惑う。

〈一年前の風邪薬とか飲んでないよね?〉

 馬鹿げた質問だと言わんばかりの表情で見てくるファーディナンドから離れてベッドに腰掛ける。

〈私には──〉

 紙に書いている途中で足音が廊下に響き、ファーディナンドとサーシャの顔がそちらへ向く。ノックのあとすぐに開いたドアからウォルフが顔を出した。耳が生えている姿だ。

「街に変わった様子は?」
「国民が大勢、広場に集まっています。不安なのでしょう。空に何か飛んでいるのを見たという者や月が消えるのを見たという者もいました」
「国民に変わった様子は?」
「ありません。不安を軽くするために皆で広場に集まっているという感じです」

 ふむ、と声を漏らして考えこむファーディナンドが広場に火を焚くよう指示を出し、ウォルフは急いで騎士団に伝えに向かった。

(月が消えたっていうか、朝だから月が出てないだけでしょ?)

 ウォルフまで結託して嘘をついているとは考え難い。冗談好きなウォルフならありえないではないのだが、こんな大掛かりな嘘をつく理由がない。

「魔法士の塔に移動するか」
「魔法士の仕業であると考えることはできませんか?」
「ありえん。魔法士が所属国を裏切るのは重罪。魔法士の魔法使用は自由ではなく許可がいる。無断で使用した上、自国を混乱に陥れたと?」
「あくまでも可能性ですが……」

 イベリスもその線は考えた。自分には正しく朝に見えているのだから、本当に彼らが夜に見えているのであれば魔法士が無断で魔法を使った可能性は否定できない。問題はその理由。扱いに納得がいってなかったか、帝国乗っ取りの線が妥当だろう。ファーディナンドはグラキエスの皇帝とは違い、魔法が使えない。だとすれば魔力の使用を感じ取れない。そこを利用した可能性がある。

(ロベリアを崇拝していたとか?)

 ロベリアの肖像画や写真を燃やしたのが昨日。そして翌日の朝にこの状況。裏切りと感じたのかもしれない。それが重罪の判決を受ける恐怖よりも怒りが勝ったのだとしたら──

(ありえないことじゃない)

 ベッドの上で腕を組みながら考え込むイベリスは少し冷静になっていた。
 タイミングが合いすぎている。ロベリアがどれほど愛されていたのかは先月の式典で感じ取った。魔法士は出席していなかったため様子を窺い知ることはできなかったが、可能性として考えるには今の状況は充分だ。
 一人で一国を闇で覆っているわけではなく、あくまでも幻術。どちらがより魔力を使うのか、魔力のないイベリスにはわからないが、テロスに属している魔法士全員でならやれないことでもないのだろう。魔法士の塔で暮らしている魔法士全員が敵となったのだとしたら厄介でしかない。

「魔法士に確認しに行く」

 ドアへ向かうファーディナンドの前に立って両手を広げたイベリスが待ってと伝える。それを見たファーディナンドは怪訝な表情を崩さないままイベリスを抱きしめた。
感想 328

あなたにおすすめの小説

幼馴染以上、婚約者未満の王子と侯爵令嬢の関係

紫月 由良
恋愛
第二王子エインの婚約者は、貴族には珍しい赤茶色の髪を持つ侯爵令嬢のディアドラ。だが彼女の冷たい瞳と無口な性格が気に入らず、エインは婚約者の義兄フィオンとともに彼女を疎んじていた。そんな中、ディアドラが学院内で留学してきた男子学生たちと親しくしているという噂が広まる。注意しに行ったエインは彼女の見知らぬ一面に心を乱された。しかし婚約者の異母兄妹たちの思惑が問題を引き起こして……。 顔と頭が良く性格が悪い男の失恋ストーリー。 ※流血シーンがあります。(各話の前書きに注意書き+次話前書きにあらすじがあるので、飛ばし読み可能です)

仮面王の花嫁

松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。 しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。

【完結】旦那は堂々と不倫行為をするようになったのですが離婚もさせてくれないので、王子とお父様を味方につけました

よどら文鳥
恋愛
 ルーンブレイス国の国家予算に匹敵するほどの資産を持つハイマーネ家のソフィア令嬢は、サーヴィン=アウトロ男爵と恋愛結婚をした。  ソフィアは幸せな人生を送っていけると思っていたのだが、とある日サーヴィンの不倫行為が発覚した。それも一度や二度ではなかった。  ソフィアの気持ちは既に冷めていたため離婚を切り出すも、サーヴィンは立場を理由に認めようとしない。  更にサーヴィンは第二夫妻候補としてラランカという愛人を連れてくる。  再度離婚を申し立てようとするが、ソフィアの財閥と金だけを理由にして一向に離婚を認めようとしなかった。  ソフィアは家から飛び出しピンチになるが、救世主が現れる。  後に全ての成り行きを話し、ロミオ=ルーンブレイス第一王子を味方につけ、更にソフィアの父をも味方につけた。  ソフィアが想定していなかったほどの制裁が始まる。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

私はもう、別の方の腕の中です

阿里
恋愛
自分の食事を抜き、内職で指を傷だらけにしながら、婚約者ケビンの夢を応援してきたニーナ。だが、成功を手にした彼から返ってきたのは、感謝ではなくあまりに冷酷な裏切りだった。家族からも見放され、絶望の泥濘に沈む彼女の前に現れたのは、かつて命を救った「名もなき騎士」……今や最強の権力者となったアーサーだった。 「私を捨ててくれてありがとう。おかげで私は、本物の愛を知りました」 後悔に狂う元婚約者を余所に、ニーナは騎士団長からの過保護なまでの溺愛に包まれていく。

オネエな幼馴染と男嫌いな私

麻竹
恋愛
男嫌いな侯爵家の御令嬢にはオネエの幼馴染がいました。しかし実は侯爵令嬢が男嫌いになったのは、この幼馴染のせいでした。物心つく頃から一緒にいた幼馴染は事ある毎に侯爵令嬢に嫌がらせをしてきます。その悪戯も洒落にならないような悪戯ばかりで毎日命がけ。そのせいで男嫌いになってしまった侯爵令嬢。「あいつのせいで男が苦手になったのに、なんであいつはオカマになってるのよ!!」と大人になって、あっさりオカマになってしまった幼馴染に憤慨する侯爵令嬢。そんな侯爵令嬢に今日も幼馴染はちょっかいをかけに来るのでした。

世継ぎは他の妃が産めばいい——子を産めない私ですが、帝の寵愛を独占して皇后になりました

由香
恋愛
後宮に入る女の価値は、ただ一つ。 ——皇子を産めるかどうか。 けれど私は、産めない。 ならば—— 「世継ぎは他の妃に任せます。私は、陛下に愛される女になります」 そう言い放ったその日から、すべてが狂い始めた。 毒を盛られても、捨てられず。 皇子が生まれても、選ばれたのは私だった。 「お前は、ここにいろ」 これは、子を産めない女が ただ一つの武器“寵愛”だけで頂点に立つ物語。 そして—— その寵愛は、やがて狂気に変わる。

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!