亡き妻を求める皇帝は耳の聞こえない少女を妻にして偽りの愛を誓う

永江寧々

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イベリス復活編

フローラリア9

「イベリス様、知ってますか? 双眼鏡はそうやって使う物じゃないってこと」
「そうなの?」
「よかったら、ですが、お教えしましょうか?」
「ううん、大丈夫。自分で学びたいから」
「あ、はい」

 部屋に帰ったウォルフはイベリスとイチャつきたかったのだが、イベリスは荷物の中から動物観察用にと父親からもらった双眼鏡を出してテラスから外を見ていた。双眼鏡の先にいるのはフローラリアに生息する動物ではなくサーシャとリオ。
 浜辺に腰掛けながら話している二人の様子を覗いていた。悪趣味と呼ばざるを得ない状況に苦笑するも隣に立ってウォルフも同じ方向を見る。
 サーシャは悪い人間ではない。好き嫌いがハッキリしているだけ。職場には仕事をしに行っているのだから仲良しごっこはせず、仕事をするという決まりで生きていたから友人は作れなかった。彼女はそれを後悔してはいなかったが、そんな状態で一生を過ごすのだろうかとウォルフも内心、心配はしていた。しかし、助言したところで素直に受け取られることはないし、嫌味が返ってくると腹が立つため言わないでいた。
 そんなサーシャにようやく春が訪れるのかと少し興味はあった。浜辺で男女二人が並んで座っている。しかも男から意味ありげに声をかけた。自分だったら間違いなくキスすると隣で双眼鏡で悪趣味な覗きをする婚約者の唇に視線を移す。

「告白されるかしら?」
「かもしれませんね。リオはずっとサーシャに興味があったみたいですし、共に死地を越えると絆が深まると言いますしね」
「ウォルフは私に興味あった?」
「ありましたよ。興味しかなかったです。興味津々でした」

 率直に答えるウォルフに双眼鏡を覗いたままおかしそうに肩を揺らして笑う。

「そりゃね、最初は戸惑いましたよ。耳が聞こえない人なんて見るのも初めてでしたし。でもペンと紙があれば話せるし、毎日一緒に過ごしていくうちに耳が聞こえないとか関係ないあなたの明るさに惹かれていきました。弱さも強さも愛情もなんでも持ってるあなたにね」
「嬉しい」
「ホントに思ってますー?」
「思ってるよー」

 相変わらず双眼鏡を覗き込んだ状態で答えるイベリスが真面目に聞いていないことに少し拗ねた顔を見せるも今までならこうした返事の仕方は絶対にしなかっただけに、気を抜いてくれていることが少し嬉しかった。

「イベリス様、俺ね──」
「キスした!!」

 バッと双眼鏡を外したイベリスは興奮と共に見てはいけないものを見てしまったような表情を見せる。それを聞いてウォルフはスッと視線を逸らして身体ごと部屋の中へと向けた。
 不思議なほど気温が落ち着いた中で意中の相手と美しいビーチで二人きりとなればキスぐらいする。リオも立派な男だということ。リオはもともと南国の人らしい陽気な若者という感じであるため不思議ではない。

「わー」

 両親の挨拶のようなキスとは違う、自分たちが交わすようなキスシーンだった。ねっとり濃厚というわけではないのだが、知っている相手なだけに妙に恥ずかしくなった。
 双眼鏡を覗けなくなったイベリスはそれを手に腹部まで下ろしてウォルフを見上げる。

「サーシャはこのままリオを受け入れると思う?」
「さあ……どうでしょうねぇ。頑固ですし、こだわりも強いみたいですから拒むんじゃないですか?」

 サーシャの恋愛事情など心底どうでもいいと思っているのが伝わってくる答え方に苦笑しながらテーブルの上に双眼鏡を置いて椅子に腰掛けるイベリスを追って向かいに座る。

「これからもサーシャが一緒だとウォルフは嫌?」
「嫌ですね」

 ここだけは譲れなかった。サーシャとは二人でイベリスを守ってきた同志のようなものだが、家族ではない。一時は三人で暮らすことも考えた。しかしそれはあくまでも従者だったときの話。今は恋人であり婚約者。サーシャを使用人にして一生一緒に、など絶対に御免だと意思表示だけはハッキリしておいた。

「そっか」

 イベリスは落ち込んではいなかった。むしろやっぱりそうかと納得したようですらあった。だが、迷っているのだろう。どこでどう切り出すべきなのか。まだ結婚はしていない。結婚するまではウォルフもサーシャの同行を許すつもりだ。イベリスの幸せを自分と同じぐらい祈っているから見届けたい思いがあるのも知っているから。

「まだまだ旅は続きますし、ゆっくり考えていいんですよ。今日ここで、今すぐ答えを出す必要はないです」
「そうね」

 握られた手を握り返して微笑む。フローラリアに到着してだいぶ経ったが、観光はまだ一度もできていない。これからだ。ここが運命の分かれ道ではないのだから相手が許してくれるのならゆっくり考えよう。互いにそう思っていた。しかし──……

「はぁぁぁああああああああッ!?」

 戻ってきたサーシャからの報告にホテル全体を揺らすような大声を上げたウォルフをイベリスが背中を撫でながら宥める。

「ウォルフ、マシロが驚いてるから」

 遠吠えのように感じたのか、マシロはそれに反応するように遠吠えをする。ウォルフとマシロに静かにするよう人差し指を立てて笑顔を見せるもウォルフはマシロの頭を撫でながら気に入らないと言いたげな表情でサーシャを見ていた。

「お前さ、雇ってくれたリングデール夫妻に申し訳ないとかそういうのないわけ?」
「あるわよ。当たり前じゃない」
「へー! 意外だなぁ。お前にはそういった感情なんてこれーっぽっちもないもんだと思ってた」
「私と離れられて嬉しいでしょ?」
「俺が働いてる間、イベリス様をお守りするって強制的についてきたのは誰だよ。お前だろ」

 開き直ることもできないサーシャが俯くとイベリスがウォルフのお尻を軽く叩いた。

「イベリス様?」

 怒った顔をしているイベリスにウォルフが首を傾げる。

「リオはサーシャの魅力に気付いたの。サーシャもそう。とっても良い子だもの。惹かれ合うのは当然じゃない。リオにとってサーシャはヒーローよ。かっこいいと思うし、美人だって思うし、好きだって思うのは自然な流れでしょ? どうして責めるの?」
「だ、だって、嘘つきじゃないですか。イベリス様をお守りするって言ったのにフローラリアに残るなんてそんなわがまま……」
「わがまま? 何がわがままなの? 恋人の傍にいるって選択がどうしてわがままなの?」
「信頼してサーシャを雇ってくださったご両親になんと言えば……」
「サーシャはフローラリアで運命の人を見つけたのでフローラリアで別れますって言うだけ。それ以上の説明が必要だと思う? お父様だってそっちを優先しなさいって言うに決まってる。それともウォルフは娘を守らないなんてなんて奴だ!って怒るような心の狭い人間だと思ってるの?」
「まさか! そんなこと絶対に思いません!」

 姿勢を正して敬礼までする大袈裟な反応をする様子にふふっとイベリスが笑う。

「ウォルフは寂しいのよね?」
「は!? 寂しくないですよ! サーシャがいなくなるなんて清々するぐらいです! でも、イベリス様を一人にしてしまう時間があるのは心配なんです。俺は自分のためにそう言ってるだけで寂しいなんて感情はこれっぽっちもありません!」

 わかったわかったと軽く腕を叩いて横を通りすぎたイベリスはサーシャを抱きしめる。驚くサーシャに「嬉しい」と伝えるとサーシャの目にじわりと涙が滲んだ。

「本当は、あなたから離れたくありません。これからもイベリス様にお仕えしていたいです。自慢の侍女だと言っていただきたいです。でも……」
「私も離れたくない。ずっとずっとサーシャとウォルフと一緒にいたい。でも、あなたが誰かと幸せになる道ができたなら絶対にそっちに行ってほしいから、あなたがちゃんとそう決めてくれたことがすごく嬉しいの」
「ごめんなさいッ」

 泣き声混じりの謝罪に困った顔で笑うイベリスの瞳にも涙が滲んでいる。

「どうして謝るの? 私を救うために犠牲になってくれたあなたが幸せになれないなんて絶対におかしいじゃない。皆があなたの魔法に感謝してた。やっぱり魔法はそうでなくちゃ。あなたはとっても優しくて魅力的な人よ。それは私とウォルフが保証する」
「俺は同意できませんけどね」
「あなたはここで生きる運命だったのかもしれない。ここで過ごしていく間にきっと、あなたの氷は溶けていくと思う。あの魔女さんはそういう人よ。愛を大事する人だから」

 魔女は自他共に認める性悪だと言っていた。口が悪く怠惰。それはイベリスも感じた。それでもイベリスは魔女を好きだと思った。優しかった。可愛かった。幸せだった。楽しかった。テロスにいるよりずっと心地良かったのは全て魔女のおかげ。
 素手で触れることができなくなったと言っていたが、イベリスはきっといつかその氷が溶けていくと確信があった。このフローラリアの熱で、彼の愛でゆっくりと溶け、いつか手袋を脱いで、愛する人に触れられる日が来ると。

「これが正しい別れ方よ、サーシャ。今度は笑顔で別れましょ」
「頑張ります」

 涙の別れは一度でいい。もう二度とあんな悲しい別れは味わいたくない。
 ウォルフは今も不満げな顔をしているが、断れとも同行しろとも言わない。一生一緒は嫌だと言ったが、早すぎる別れに上手く心が整理できていないだけ。
 いつかは訪れていた別れ。それが予想よりずっと早かっただけ。複雑な心境の中、ウォルフも心の中ではサーシャの幸せを願っていた。
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