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予想だにしない

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「ディル!」
「お前帰ってきたのかよ!」
「帰ってきました」

 敬礼ポーズで帰国を報告するディルに駆け寄るシェフたち。

「お兄ちゃんおかえり!」
「シーナ……?」
「そうだよ? ミーナに見える?」
「いや……大きくなったなーって……」

 抱きついてきた少女は当然五年前と比べて大きくなっている。顔も身体もすっかり子供ではなくなっており、レディとして育っていた。疲れていたはずの身体は店に入ると同時に吹き飛び、五年も帰っていなかったのが嘘のように感じる。

「おかえりなさい」
「ただいま、ミーナ」

 やはり双子だと実感するほど同じような成長具合だが、やはり中身は別物であるためミーナのほうが大人びて見える。

「ジルヴァ、ただいま」
「遅ぇよ。四年じゃなかったのか?」

 咥えていた火のついていない煙草を口から外して問いかける意地悪さも懐かしい。

「俺らはてっきり年始まで帰ってこないのかと思ってたぜ」
「帰国のタイミングはルオーニが決めるんだ。もう少しいさせてほしいは通用しないみたい」
「追い出されたってわけか」
「免許皆伝って言ってほしいな」

 五年経ってもジルヴァはジルヴァで、どこかが変わった感じはしなかった。既に三十代に突入していることは知っているが、昨日別れたかのように錯覚するほど昔と変わっていない。

「ハグしてもいい?」
「どうするかー」
「我慢できないからする」

 ずっとジルヴァに会いたかった。妹に会いたかった。シェフたちに会いたかった。だから今この瞬間が涙が出るほど嬉しい。一滴もこぼれない滲まないにしてもディルはここに帰ってこれただけで感無量だった。
 両手を伸ばしてジルヴァを抱きしめると片腕が回される。ジルヴァも同じ気持ちだったのだと言葉はなくとも伝わってくる。

「明日はパーティーだな!」
「今日じゃなくて?」

 キョトンとするディルにオージたちがニヤつく。

「おいおい、溜まりに溜まったもんぶちまけてからじゃねぇと祝いの席で落ち着かねぇだろ」
「言い方ってもんがあるでしょうが!」

 デイヴがオージの背中を叩くその光景さえも懐かしい。

「お気遣いありがとう。でも今日は家族で過ごすから」
「ミーナから大事な話もあるしな」
「そうな──」
「やめて!」

 大声を出したミーナの表情は浮かない。ハッとした表情をしてすぐ二階へと駆け上がっていった。

「悪い、ディル。余計なこと言っちまった」

 事情を知らないのは自分だけ。他の皆が知っていることならそれほど心配にはならないディルは「大丈夫」とだけ伝えて二階へとミーナを追って上がっていった。

「バカね! デリケートな問題なんだからアンタが言うことじゃないでしょうが!」
「いてッ! 悪かったって!」
「バカねッ!」
「いてぇよッ!」

 下から聞こえてくる会話に笑みを深めながらギシギシと音を立てる懐かしい廊下を歩いて向かうのは五年前まで暮らしていた部屋。三人で一部屋だったが、今は二人の部屋。昔のように勝手にドアを開けるのはマナー違反と考え、ノックをした。

「ミーナ、入ってもいい?」

 返事はない。

「お土産買ってきたんだけど……いらない?」

 話があるとは言わないディルにミーナはドアを開けた。招き入れるように大きく開いたその先は五年前の何もない部屋ではなく、しっかりと好みが分かれた部屋になっている。
 狭い部屋の中には二つのシングルベッドと二つの机しかないが、間にはカーテンがあって互いの空間を作っていた。シーナの空間はぬいぐるみがたくさん置いてあり少しゴチャッとしているが、ミーナの空間はシンプルで整理整頓がきちんとされている。
 性格は変わっていないようだと微笑みながら中に入ったディルが床に鞄を置いた。

「色々買ってきたんだ。ミーナとシーナがこんなに大きくなってるって知らなかったからちょっと子供っぽい物になったけど……っと、どこだ?」

 大きな鞄はいつ弾けてもおかしくないほど物が詰め込まれており、中にある物を探し出すのに苦労する。あれでもないこれでもないと鞄の中身を一つずつ取り出していくとラッピングがぐちゃぐちゃになった物が出てきた。

「これ?」
「ああ、それそれ! うわっ、ぐちゃぐちゃだ! 中身が無事だといいんだけど」

 薄い箱。お菓子ではないだろうと予想しながらも開けないでいると兄からの視線を感じて開けることにした。グチャグチャのラッピングを引っ張り破いて開ければ箱に書かれた店の名前に驚いた。

「ここ、高いって雑誌に紹介されてた」
「言ったろ、兄ちゃん金持ってるって」
「でも、お誕生日もたくさん送ってくれたのに……」
「離れてる間、してやれること少なかったからこれぐらいはね。子供っぽくて嫌かもしれないけど」

 兄はそれほど趣味が良いほうじゃなかった。買い物に行って「これは?」と選ぶ物にシーナと二人でブーイングばかり。そんな兄が選んだ物を五年ぶりに楽しみにして箱を開けると目を瞬かせたあと、すぐに笑みが溢れた。

「い、嫌だった?」
「ううん、嫌じゃないよ。可愛い」

 よかったと安堵するディルに向けて箱から中身を取り出したミーナが髪に当てて見せる。少し大きめのリボンのヘアアクセサリー。白と黒のボーダー。これがミドルスクール生なら大喜びだっただろうが、兄にとってはまだそのぐらいに思えているのだと思うとミーナは少し嬉しかった。

「シーナともお揃いなん──」
「デートに付けていくね」

 言葉を遮ったミーナの勢いは少し強めで、その言葉を理解するのにディルは少し時間がかかった。デートとはなんだったか。リボンをつけていくことだったかと頭が都合よく判断しようとする。でもミーナの顔を見るとからかっているようでも幸せそうでも嬉しそうでもない。どこか辛そうで切なそうで、そんな表情で言う“デート”にディルはそのまま床に腰掛けた。

「デートする相手ができた?」
「うん……」

 椅子に腰掛けて小さく頷くミーナの手を握ると握り返される。

「そっか。付き合ってどのぐらい?」
「半年、ぐらい。でも、知り合ったのはもっと前。学生時代」
「同級生?」
「ううん」

 ということは年上だろうと判断した。十六歳で年下と付き合うことは考えられない。一般的な常識で判断しても年上。付き合って半年、知り合ったのはもっと前ということは付き合うまでにそれなりの時間をかけている。まずそこに安堵した。出会ってすぐが悪いわけではないが、ミーナはまだ十六歳。大人ではあるがディルにとってはまだまだ子供。年上だからというわけではないが、事情を知っているオージたちが反対していない様子だったこともあって相手に心配はしていないが質問は止まらない。

「どこで知り合ったの?」
「帰り道」
「……ナンパ?」
「違う。そんな……」

 なんだろう。良いこと? 悪いこと? 続く言葉を待っているのだが、ミーナは首を振って苦笑を滲ませる。

「捨てられてた、人」

 その言葉に猛烈な頭痛がやってきた。
 何を言ってるんだ。どういう意味だ。理解できない。脳から口を動かせと伝達があったが唇を内側に引っ込めることで堪えていた。

「あ、一人で近寄ったわけじゃないよ。シーナと一緒に帰ってたときだったし……」
「うん。それで?」

 水が欲しい。続きを促しながらも渇いた喉がゴクリと鳴る。

「ゴミ捨て場に倒れてたの。傷まみれでボロボロ。女の人が彼に向かって何か叫んでて、花瓶の水をかけて……花なんかいらないから出てって。もう二度と戻ってこないでってそれを投げつけたところを見たの」

 その男はヒモだったのではないかと苦笑したくなるのを堪えながらも早急に答えを出しはしない。ミーナは目の目にいる。答えを出すのはミーナが選んだ相手がどういう人間か知ってからでも遅くはないのだ。どこへも行かないのだから。

「それを見たミーナは助けてあげた、とか?」
「ううん、そこまではできなかった。変な人だと怖いなって思ってたし」

 ジルヴァには感謝しかない。もしジルヴァに腕っぷしの強い、来るなら来いに成長していたらどうしようと心配していたのだ。

「ただ、引っ掻き傷みたいなのが顔や身体にあるのにゴミ捨て場に倒れたからバイ菌が入っちゃったら大変と思ってハンカチだけ渡したの」
「そしたらストーキングされた、とか?」
「そこまでじゃないけど……その一週間後ぐらいから毎日校門で花束を持って待ってた、ぐらい……」
 
 ぐらい、の話ではない。それは次のターゲットにされただけではないのかと喉元まで出かけて飲み込んだ。年上の男が毎日花束を持って十五歳の少女に渡すために就業時間まで待っている絵面は正直見たくない。

「んー……」

 どう質問すればいいのか迷ってしまう。二人はもう付き合っている。それはミーナが彼の想いに答えたということ。兄として言葉は選ばなければならない。その言葉がまず出てこないのだ。

「んー……」

 腕を組んで唸り続けるディルに苦笑するミーナもまたどうするべきか迷っていた。なんと答えればいい。何を聞かせるべきなのか。

「とりあえず、どういう人か聞かせてくれる?」
「あ、うん」

 ミーナは詳しく話した。出会った瞬間のこと。思わずハンカチを差し出したこと。でもそれだけだったこと。話もしていないし、すぐに立ち去ったこと。一週間後に彼が門前で忠犬のように待つようになったこと。毎日花を持って告白してきたこと。それを半年間ずっと断り続けていたこと。花束を渡すときでさえ手に触れようとしなかったこと。家までついてきたりしなかったこと。いつだって紳士な態度でいてくれたことに徐々に相手のことを考える時間が増えていったこと。ある日、いつもどおり告白されたときに断ろうと思わなかったこと。花束をくれるその手を取りたいと思ったこと。
 一つずつ話すミーナの声が震え、顔を上げると大きな瞳から涙が溢れていた。慌てて涙を拭く物を探すけれど汚れた物しか持っておらず、拭けるものを探す。

「ごめんなさい!」

 大きな声で謝るミーナがなぜ謝っているのかわからない。

「お兄ちゃんが帰ってくるまで待つつもりだったの! お兄ちゃんが頑張ってるのにミーナだけ恋愛するなんて、そんなのダメだって……思ってたんだけど……」

 申し訳ない。まだそれを滲ませるミーナをたまらず抱きしめた。

「なんで兄ちゃんに謝るんだよ。恋愛は自由だろ。ミーナを好きになってミーナも好きになったんだ。付き合うのは当たり前じゃないか。その場で決めたことじゃない。半年間も断り続けてちゃんと答えを出した結果に謝罪なんか必要ない」
「でも、でもお兄ちゃんに許可取るべきだった」

 許可という言葉にディルは思わず笑ってしまう。自分もすぐに許可を取ろうとする。そしてジルヴァにからかわれる。本人はいたって真面目にそう思っているのに聞く側からすればそれがどんなにバカバカしいことかよくわかる。

「兄ちゃんに付き合う許可求めるのやめてくれよ。ミーナの人生はミーナのものだろ? 兄ちゃんに決めさせないでくれ。ミーナがちゃんと考えて決めたことなら兄ちゃんは応援するし、お前が困ったときには全力で助ける。だから心配しなくていい。兄ちゃんはお前の口からちゃんと聞けて嬉しいよ」
「うん……」

 でも、と今度はディルが付け足す。

「とりあえず一回会っておこうかな。それで許可を出す。どう?」
「うん。お願いします」

 急遽ではあるが、会うことになった。善は急げ。帰ってきて皆に挨拶したらジルヴァにプロポーズしようと考えていたディルの予定は崩れ、とりあえずシャワーを浴びて着替えてからミーナと一緒に彼の元へと向かう途中、ディルは聞いていなかったと足を止めた。

「彼の名前は?」
「ティニー」

 心臓が嫌な音を立てた。
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