顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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贈り物

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「お前様」
「ん? どうした?」
「いや、そのように凝視されては顔に穴があきそうでな。わらわの顔に何かついておるか?」

 ここ数日、ハロルドからの視線が痛いと思っていたが、直接問うとすぐに否定するため聞かずにいた。しかし、さすがに限界だと問いかけるとやはり気付いていなかったのかハッとした顔で慌てて視線を逸らす。
 考えていることが顔に出やすいハロルドと過ごすのは退屈しないと前々から思っていたが、最近はそれが更に強くなっている。

「見惚れておるのか?」
「違う。そうじゃない」

 からかえば焦るばかりだが、たまにこうして冷静に返されることもある。
 そういうときは必ず何か真剣に考えているときだとそれさえもわかりやすかった。

「穴があくほど人を見つめる理由はなんじゃ? 見惚れたのでなければそれ以外の理由があろう?」
「いや、お前の顔を見ていたんじゃない」

 顔の前で手を振って否定するハロルドの言葉にハッと反応したユズリハが自分を抱きしめる。

「わらわの身体……?」
「違う! 人の身体を見つめるのは変態だ! 僕は変態じゃない!」
「むっつりじゃしのう」
「違う! 僕はむっつりじゃないし、お前の身体も見てない! 僕が見てたのはお前の髪だ!!」
「髪?」

 顔ではなく髪を見ていたと言われれば納得する。ハロルドの視線を感じて視線だけを向けても目は合わなかった。
 虚空を見て何を考えているんだと思わなかったわけではないが、ハロルドは物言いたげに見てくることが多かったため顔だと思っていた。

「わらわの髪が何か?」

 髪を撫でるユズリハに大きな溜息を吐くハロルドがテーブルに片肘をついて額に手を当てる。小さく唸る様子に首を傾げるユズリハは静かに言葉を待った。
 すると学校指定の鞄を開けて中から黒い箱を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。

「本当はもっと違う形で渡したかったんだけどな」
「わらわにか?」
「そうだ」

 不満げな声色で告げるハロルドからの贈り物に手を伸ばそうとしないユズリハに眉を寄せながらズイッと箱を押し出す。

「お前様から贈り物とは稀有なこと」
「稀有?」
「珍しいということじゃ」
「まあ……初めてだしな」

 出会いは最悪で、想い合っているわけではないことはハロルドもわかっている。
 ユズリハにとってこの結婚は親が決めた政略結婚でしかなく、愛し合えと言われていないのだから生が終わる最期の日までのんびり過ごすつもりなことも知っている。
 男が女に贈り物をするということがどういうことか、ハロルド自身よくわかっている。ユズリハがわかっていればそれなりに伝わるだろうと思ってのことだ。
 緊張しているのは受け取る側より送る側。反応が気になっているハロルドとしては今すぐにでも手に取って箱を開けてほしいのだが、ユズリハは受け取って自分の隣に置くだけで開けようとしない。

「……なぜそこに置くんだ?」
「あとで開ける」
「普通はすぐに開けるだろ」
「その場で開けるのは失礼にあたる」
「開けないほうが失礼なんだよ」

 文化の違いで意見がぶつかると二人は必ずシキを見るようになった。シキとしてはあまり同席したくないのだが、こういうことが頻繁に起こるようになったため同席するようにしている。
 縁側に寝転んで惰眠を貪るシキは視線に気付いているが目は開けない。頭の下に敷いていた手を揺らして口だけ開いた。

「郷に入っては郷に従え」
「なるほど」

 ここでは現地の人間が正しいのだと言われればそれに従うしかない。送り主が開けろと言うなら開けるべきだと箱を手に取ってテーブルの上で蓋を開けた。

「髪飾りか。美しいのう」

 中に入っていたのは小さな宝石が散りばめられた花がモチーフの髪飾り。ジッと見るだけで手に取ろうとしないユズリハにハロルドのほうが焦ってしまう。

「そういうのは嫌いか?」
「いや、そうではないが……わらわの髪には合わぬなと」

 言葉だけならショックを受けているだろうが、そう口にするユズリハの表情は不安を吹き飛ばすような微笑みを浮かべていた。
 この髪飾り自体は気に入ってくれたと確信する。だが、手に取ろうとしない。

「お祖父様に相談して取り寄せてもらったんだ」
「それでわらわの髪を焼き切るほど見つめておったのじゃな」
「お前の髪に飾られたときのイメージを見てた」

 嬉しい報告ではあるが、ユズリハにとって更に嬉しいのはハロルドが自らの意思でウォルターに相談したこと。
 ウォルターを“暴君”と呼び、毛嫌いしていたハロルドが自分への贈り物のためにウォルターを頼った。それがとても嬉しかった。

「ジジ様は喜んでおったじゃろう」
「喜びすぎてどこかに飛んでいくかと思ったよ」
「じゃろうな」
「すぐに知り合いに連絡して、自慢の品をありったけ持って来させてた」
「その中でなぜこれを選んだ? 安物ではないじゃろう」

 シンプルな花がモチーフとなっているが、宝石が散りばめられている。ユズリハはあまり宝石を目にする機会はなく、詳しくもないが、これが安物でないことはわかる。
 ハロルド・ヘインズは相手が物の価値がわからないからと模造品を送るような人間ではない。それもあってユズリハはすぐに髪につけようとはしなかった。

「嬉しくないのか?」

 ハロルドにとって重要なのはそこだった。どれだけ熟考して贈っても相手が喜ばなければただの押し付けになってしまう。
 ユズリハが好きな物をハロルドは知らない。知っているのは食の好みだけ。
 祖父にも一応の相談はした。和の国にある植物モチーフ髪飾りはないかと。それがどれだけ馬鹿げた質問かはわかっていたが、ユズリハが喜ぶ物を贈りたい気持ちがあった。
 それを祖父は笑わなかった。頭を撫でて「えらいぞ」と優しく褒めてくれさえした。
 人を大切に思うことがどういうことなのか、ハロルドはようやくわかってきたのだ。
 だが、見つからなかったから花にした。街で見る令嬢たちがかぶっているような帽子や羽根は嫌がるだろうと容易に想像がついたから控えめな髪飾りにしたのだが、ユズリハがアーリーンのように感動して大喜びする様子はない。
 不安から心臓が嫌なくらい速く鼓動を打つハロルドはユズリハから視線を逸らさず答えを待った。

「いや、嬉しい。今度の散歩にはこれをつけて出てることにする」

 もう少し喜んでもらえると思っていたハロルドにとって残念な気持ちは拭えないが、食以外にはしゃいでいるのを見たことがない以上は期待しすぎた自分も悪いと彼女がミーハーな性格でないことをもっと頭に置いておくべきだったと反省。
 しかし、ハロルドは髪飾りを送ると決めてから頭の中で何十回と繰り返していたことがある。
 手を伸ばしてユズリハの小さな手を握った。
 何事かと目を瞬かせるユズリハの目を見つめて少し声を作って囁いた。

「お前のことを考えながら選んだ。つけてみてくれ」

 その言葉には覚えがあった。
 学校主催のパーティーの日、ユズリハがアーリーンに髪飾りを贈る際に送ったアドバイス。それをまさか自分に向けられるとは思っていなかったユズリハが大笑いする。

「他所の女に言った言葉を婚約者に言うとは、お前様は存外、芸がないのう」
「言ってない」

 大笑いがぴたりと止まった。

「アーリーンには言ってないんだ」

 自分が送ったアドバイス。実行するかしないかは相手の自由。何もかもが気に入らないと言葉でも態度でも示していたハロルドが素直にアドバイスを受け入れるとは思っていなかったため、そのことはショックでもなんでもない。
 自分が送ったアドバイスを覚えていたことに驚いている。

「そ、そうか。それは……なんと……」

 自分が送ったアドバイスだから起用するのはおかしなことではなく、むしろ妥当と言える。ユズリハでもそうしただろう。ハロルドが言ったことはハロルドにとって効果的だからアドバイスに使ったのだと考える。ハロルドもきっとそうなのだと考えるも、策士だと笑うことができない。
 賢いなと大笑いする自分の姿は頭の中で浮かぶのに、急に込み上げてくる恥ずかしさに大笑いどころか顔が赤くなって言葉が止まる。
 ここ数日ずっと髪を見つめていた理由がわかった。この髪飾りがユズリハの髪に飾られた瞬間を想像して見つめていた。だからこそ、その言葉に嘘偽りがないような気がして恥ずかしくなってしまう。

「僕がつけてもいいか?」
「う、うむ……よ、よろしく頼む」

 赤くなっている顔を見られたくないと慌てて背を向けるも、ハロルドの目には既にしっかりと赤くなった瞬間が映っていた。

「これ、抜いてもいいか?」
「いや、それを抜くと髪が落ちる」
「そうか」

 簪がスッと抜かれると重たい髪が流れ落ちる。座っていると床に着くほど長い髪。黒だから余計に重く感じる髪が落ちる際にハロルドの手を撫でた。見た目よりもずっと柔らかい髪質に指を絡めたくなる。

「このような髪で外には出られぬ」
「僕の中ではお前の長い髪についてたんだ」

 想像されていた事実をハッキリと聞かされると掻いてしまいたいほど胸の奥がむずむずする。
 そっと箱の中から取り出した髪飾りがハロルドの手によってユズリハの髪につけられ、そのまま髪の間を指が滑り毛先から抜けた。

「うん、イメージどおりだ」
「そ、そうか。それはなにより」
「前から見せてくれ」
「あああああいや、横から見てくりゃれ。横からが一番わかるじゃろう」
「全体を見たい」
「後ろからでもわかるじゃろう!」
「前からも見たいんだ。いいから見せろってば」

 本当はユズリハがどういう顔をしているのか見たいだけ。
 ハロルドが動けばユズリハも動き、顔を見られることだけは絶対に阻止しようとするユズリハに余計に見たくなってしまう。
 肩を掴んで動きを止めると俯かれる。髪がさらりと流れて顔を隠した。
 肩から手を離しても動かないだろうと予想して肩から顎へと手を移動させて顔を上げさせるとハッキリ見えた。

「わ、わらわの地味な顔とあのような美しい花が合うわけなかろう」
「見てみないことにはわからないだろ」
「わかりきっておるくせに……お前様は意地悪じゃ」

 真っ赤な顔でボソボソと珍しい喋り方をするユズリハが本気で照れているのだと思うとなんとも言えない感情が込み上げる。
 口元が緩んでしまうくすぐったい感情を隠そうともせず、横の髪を耳にかけると真っ赤に染まった耳が見えた。
 自分でも耳まで真っ赤なことがわかっているのか、耳を押さえて隠す。

「も、もうよい! もう学校へゆく時間じゃろう! さっさと行かぬと遅れるぞ!」
「ああ、もうそんな時間か。惜しいな、これからお前が真っ赤なことをからかってやろうと思ってたのに」

 いつもされる側だからとからかうつもりだったハロルドが立ち上がるとユズリハが髪ごと頬を押さえた。
 
「そ、そなたのせいじゃ……」

 ハロルドは一瞬、世界の時間が止まったような気がした。そして時間が動き出したように感じたときにはユズリハの前に膝をついて顔を上げさせ、キスをしていた。

「……行ってくる」

 それほど長い時間ではなかった。自分からキスをしたのだと、あのときと同じだと理解している。突発的なようでそうではない。確かに、明確に、ハッキリと、自分の意思で動いているのだ。
 だから、唇を離したあとも冷静でいられた。後悔するような行動ではないから。
 
「い、行って……まい、れ……」

 声を耳にしながら玄関を出て、いつものように振り返ってもユズリハの姿はない。
 あの反応なら嫌がってはいないはず。婚約者だからと仕方なく受け入れているわけでもないはず。
 アーリーンのときはユズリハに反発してアドバイスどおりにしなかったが、その選択は間違いではなく、むしろ正しかった。
 全身が震えるほどの高揚感に胸を躍らせながら馬車に乗り込んだハロルドはまだ登校もしていないのにユズリハに会う夜が楽しみで仕方なかった。
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