顔も知らない婚約者 海を越えて夫婦になる

永江寧々

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対峙

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 ハロルドに許可を得てからユズリハは一週間に一度は街に出るようになった。
 広い庭を歩くだけでも充分だったが、外を歩けば美味しい物に出会える。お気に入りの物だってできた。
 良い顔をしなかった店主もユズリハとシキが現地の言葉を話せると知ればそれほど悪い顔はしなくなった。笑顔で接してくれる店主もいた。
 もともと歩くのが好きなユズリハにとって外を散歩できることは一つの幸せでもある。

「ユズリハ!」

 こうして名前を呼んでくれる店主の店に立ち寄って必ず食べる郷土菓子。中はサツマイモの餡がもちもちの生地に包まれた甘い揚げパン。
 噛んだ瞬間のサクッと鳴る音から美味しさを感じ、それから遅れて感じる少し塩味ある生地と甘い餡のなめらかな舌触りがたまらない。
 一口食べてすぐお気に入りになった。それからは散歩に出る度に買っている。なにより、ユズリハが行くと店主はいつも「待ってろ」と言って紙越しに持っても火傷しそうなほど熱い揚げたてを出してくれるのだ。
 今日もそれを店の前に置かれたベンチに腰掛けて味わっているとシキが前に立った。誰かが接近してくるとシキは動く。
 誰だと身体をズラして覗くと相手は少女。知り合いではない。

「何用だい?」

 シキが問いかけると現地の言葉を話せることに驚いたのか目を見開いて三秒ほど固まっていた少女が口を開いた。

「ユズリハ、さん……ですよね?」

 ユズリハの名前を知っている者はここ近郊では珍しくない。貴族たちが多く暮らす地域では噂も名前も一日あれば全域に広がる。
 実際、街を歩いているだけで何人もの見知らぬ相手から『ユズリハでしょ?』と声をかけられる。和人に興味を持って話しかけてくる者ばかりだが、八割の人間がすぐに去っていく。大笑いと共に。
 気分の良いものではないが、気にしないようにしていた。だから今日もこうして話しかけられたことへの対応はシキに任せようと冷める前に揚げパンにかぶりつこうとしたユズリハだが、聞こえた言葉に動きが止まる。

「ハロルドさんのことでお話があります」

 もう一度、後ろから覗き込むと少女と目が合った。その瞳に宿る強い眼差しに相手が誰なのか、なんとなく予想はついている。

「アーリーンとやらか?」
「アーリーン・コールマンです」

 相手にする必要はないと目で訴えるシキにかぶりを振れば揚げパンを渡して立ち上がる。

「ここでは人目が多いですし、馬車へお願いします」
「人目が多い場所で話せない内容なのかい?」
「注目を浴びることが嫌なだけです」
「なら手紙でも書いちゃどうだ? 相手がどこの誰かわかって話かけてきてんだろ?」
「直接お話ししたかったものですから」

 気の強いクソガキだと頭の中で判断したシキは振り返ってユズリハに判断を任せることにした。

「かまわぬよ」
「こちらへ」

 シキも同行し、馬車の外で待つことにした。
 狭い馬車の中で出来ることは限られている。刃物でも持ち出さない限りは平和に終わるはず。
 貴族が個人的感情で己の手を汚すはずがない。ましてや令嬢自らなど。
 それらを計算に入れるとシキは馬車に寄りかかって腕を組んだ。
 厳しい目つきで見てくる従者が思っていることは手に取るようにわかる。和人に馬車に触れられたくないのだろう。一度、鼻で笑ったあと、シキはまるで立ったまま昼寝をするように目を閉じた。
 それを見たくない従者は反対側に回って姿勢を正して待機する。

 馬車の中は和の国の籠よりも広いが、広々というほどではない。ユズリハはこの閉塞感がなんとも言えない感覚になるためあまり好きではなかった。
 ましてや向かいにいる相手はこちらへの嫌悪感丸出しで人を品定めするように視線を這わせてくる。

(女の趣味が悪いのう)

 心の中で呟いていると先にアーリーンが口を開いた。

「ハロルドさんと別れてください」

 話し合いがしたいと呼び出されたが実は殴り合いだったような衝撃を受けた。
 見た目は清楚なのに口から飛び出したのは前置きも何もない単刀直入すぎるもの。

「いきなりじゃな」
「学校でハロルドさんが笑い者になっていることはご存知ですか?」
「うむ」
「知っているのに別れないなんて……あなたのせいなんですよ!」

 ハロルドが学校で笑い者になっていると最後に訴えたのはいつだろうと記憶を遡ると数ヶ月は前の話だった。
 くだらない、低脳、幼稚と文句を言わなくなったため、彼が現在どう過ごしているのか知らなかったが、笑い者であることは変わらない。その事実に申し訳ないと思いながらもアーリーンの言葉に首を縦に振ることはしない。

「じゃろうな」

 当たり前のようにイエスと答えるユズリハにアーリーンがカッとなる。

「あなたが婚約者なせいでハロルドさんは笑い者になっているんです! ハロルドさんはとても優秀で優しい方なんです! そんな素敵な方の婚約者が和女だなんてあってはならないことでしょう!」

 ユズリハも同じことを思っている。
 ハロルドが優秀であることはウォルターから聞いていたし、優しさも知っている。ハロルドと一緒に過ごす時間が楽しいことも、失いたくないと願っていることも自覚している。
 笑い者になっていい男ではない。本来なら突き放すべきなのだ。ハロルドが「祖父が勝手に決めた婚約者ってだけで自分は好きに恋愛するつもりだ」と言えるように、嫌われるべきだとずっと考えているのにできないでいる。

「あなたはハロルドさんを愛してはいないのでしょう?」

 どうなのだろうと自分の胸に問いかけてみる。

「そなたは貴族であろう? ならば政略結婚を知らぬわけではあるまい」
「でもあなたはハロルドさんを愛していないじゃないですか! 私は」

 愛していると返ってこなかったことでアーリーンの中で確信へと変わった。
 ハロルドの気持ちはユズリハに向いているかもしれない。だが、ユズリハの気持ちがハロルドに向いていないのであれば諦めるはず。自分さえ諦めなければハロルドの優しさはまた自分に向くはずだとアーリーンは考えていた。
 
「あれ? シキ?」

 おやつを買って帰れば喜ぶだろうと気まぐれに歩いていたハロルドが遠くでシキを見つける。
 ユズリハは歩くのが好きで馬車はいらないと言っていた。もたれかかっているのはヘインズ家の馬車ではない。シキがユズリハの傍から離れるはずもなく、シキがいるということはユズリハもいるということ。
 
「まさか……」

 花束をくれた男の馬車に乗って二人きりで話をしているのではないかと足早に向かうと近付いてくる足音に目を開けてハロルドの存在を認識し、口元で人差し指を立てた。
 なんだと思いながらも足音を立てないように隣に立って口を閉じていると聞こえてきた聞き慣れた声に耳を立てる。

「そなたは政略結婚したのちに他の男を愛してしまったら夫とは別れるのか?」
「私の話はしていません!」
「己ができぬ話を人に強要するのか?」

 ユズリハが口にした「強要」にハロルドが眉を寄せる。話している相手はアーリーンで間違いない。彼女が一体なんの用だと怪訝な表情でシキを見るも肩を竦められるだけ。
 今すぐドアを開けて問いたいが、そうすると嘘をつかれる可能性もある。それならここで答えを待っているほうがいいとその場で腕を組んだ。

「だってあなたはハロルドさんに相応しくないじゃないですか!」
「自分なら相応しいと?」
「そうです!」

 自信満々に即答したアーリーンに向けたのは反論ではなく大きな溜息。誰が聞いても呆れているのがわかるほどあからさまなもので、表情まで見ているアーリーンは不愉快そうに表情を歪めた。

「そなたは卑怯な女じゃな」
「私が!?」

 卑怯と言われたことは一度もない。今も自分は卑怯なことを言っているとは思っていない。それなのにユズリハは面と向かって非難してきた。なぜ自分が──アーリーンは納得できないと怒りを表情に乗せて露わにする。

「そなたがわらわを気に入らないという文句であればこの会話にも意味はあるのじゃろうが、別れろという話なら権限を持つ男にすべきこと。わらわに言うたところでどうしようもないことぐらいわかっておるじゃろうに。己は嫌われず、わらわに婚約破棄を宣言させようとする女を卑怯でなければなんと言う?」
「わ、私は強要なんてしていません!」
「別れろと迫るのは強要じゃと思うが?」
「お願いしているだけです! 大袈裟な言い方に変えるのはやめてください!」

 物は言いようだと感心してしまう。だが、それで納得できるほどユズリハは子供ではない。
 目の前で腕を組んでシートに背中を預けて「ほう」と声を漏らした。

「そなたは人に何かをお願いするにあたってお願いしますの言葉も言わぬのか?」
「私はハロルドさんのためを思って言ってるんです!」
「だとしても、わらわはそなたからお願いしますとは言われておらぬ故、強要されておると思うたのじゃ」
「ッ!」
 
 アーリーンはユズリハに頭を下げるつもりは毛頭ない。
 ハロルドにユズリハのほうがイイ女だと言われて傷ついたが、それでもハロルドを好きな気持ちは変わらなかった。きっと祖父に逆らえなくて、前に言ったことが祖父の耳に入ってひどく叱られたからそう言っているんだという確信があった。 
 だから何も言えないハロルドの代わりに自分が言ってやると決めて立ち上がった。そして最近、和女が目撃されるという噂の場所に行ってユズリハを見つけた。
 今日しかない。今日ここでユズリハを説得して帰るのが自分の使命だと思っているアーリーンからすればユズリハのは屁理屈にすぎなかった。

「好いた男に婚約者がいようと己に自信があるなら面と向かって伝えればいい。相応しいのは自分であってわらわではないとな。毎日顔を合わせておるのじゃからそれぐらいできるじゃろう。同じ校舎で、教室で授業を受ける日々を過ごしていながら自分には言ってこず、わざわざ婚約者に言うそなたを奴は好かぬであろうな」
「ッ! ………の……に」

 ボソリと呟いたアーリーンの声はハロルドに話すよりワントーン低いものだった。
 シキは相変わらず目を閉じたままで、ハロルドはハラハラしている。
 なんと言ったのかと問いかけることはなく、ユズリハはきっとこれから感情を爆発させるであろうアーリーンの言葉を待っていた。

「和女のくせにおこがましいのよ!!」

 馬車の外にまで響くアーリーンの怒声にハロルドが眉を寄せる。やはりアーリーンはそういう考えだったのだと改めて感じてショックを受けたが、今はそれに落ち込むよりも湧き上がる怒りに身体が動いた。
 ユズリハのことを何も知らないくせにと感情のままに馬車のドアに手を伸ばしたが、掴む寸前でシキに腕を掴まれて止められ、駆け寄ったと同じく、口元に指を立てて黙っていろと指示を受ける。
 主人が言われっぱなしでいいのかと睨むも自分よりも付き合いが長いシキがそれに苛立ってないわけがない。爆発させれば和人の評判に関わるから抑えているんだとハロルドも必死に抑えるために拳を握った。

「おお、本性を現したか」

 あ、違う。ハロルドが直感する。
 シキは苛立ちを必死に抑え込んでいるわけではなく、全てユズリハが受け止めるとわかっているから介入しないようにしているだけ。アーリーンがどれほど暴言を吐こうとユズリハが感情を乱されることはない。それがあの楽しげな声に表れていた。

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