65 / 69
離婚
しおりを挟む
ルーシィに少し話があると、出てきたばかりのルーシィに声をかけようとしたのだが、その前にルーシィが「泊めて」と笑顔で寄ってきた。
どうやら二人が下で聞いていたことを知っていたらしく「事情説明いらないでしょ」と勝手にユズリハたちの家に上がり込んだ。
それからすぐにリンタロウたちに手紙を書きたいと言い、便箋を渡すとあっという間に手紙を書き上げた。書く文章に迷うことなく、三枚の便箋にびっしりと文字を書いてすぐに送った。
「和の国に行くのか?」
「来てもいいって返事がもらえたらね」
「ダメだと書かれてあったら?」
「とりあえず遊びに行くわ」
きっと誰もダメとは言わない。
兄はそれを望んでいるし、父親は認めるとは言っていないが息子の好きにさせるだろうことは目に見えている。恋愛も結婚も拒否していた息子が運命の相手を見つけたならそれでいいと。妻ならきっと素直に受け入れるだろうと想像してのことだろう。
だからユズリハも口うるさく言うつもりはない。
「これからもそなたが義姉であることが嬉しい」
「気が早いな」
「お前様とてそう思うじゃろう」
「リンタロウさんのことは沈めないように」
「彼にそんなことするわけないじゃない」
笑顔で放たれる『彼に』の言葉。チャンスがあればクリフォードにはしようと思っていたということ。聞こうか聞くまいか迷いながらルーシィを見るとニコッと意味深な笑みを向けられる。
聞かないでおこう。そう決めて口を閉じた。
「あなたの笑顔に会えなくなると思うと寂しいわ。あなたの笑顔がとても好きだったから」
「そう言ってもらえるのは嬉しいな」
「たまには写真送ってね」
「わらわ、写真は苦手じゃ」
「でも送って」
約束だと差し出される小指に苦笑しながらも小指を絡める。整った形、手入れされた爪が美しい手。そのまま髪を撫でられ頬に触れられる。
いつもそうだ。優しく撫でてくれた。嫁に行った姉を思い出すほど本当の姉のように優しく接してくれた。
笑顔が好きだったのはユズリハも同じだ。この天井知らずの明るさにどれほど救われたことか。
会えなくなってしまうのだと思うとやはり寂しい。だが、家族の絆は続いていく。あの家に明るいルーシィが入ることで今よりずっと活気に溢れるだろう。そしていつか赤ん坊ができ、跡取りができたと父親が喜ぶ。父親になったと感動する兄がいて、皆が幸せな笑顔に包まれていくその光景を想像するだけで嬉しくなり、顔が綻んでいく。
「やれやれ。大喧嘩の末の離婚劇か。我が孫ながら無様だな」
「お祖父様」
騒動を聴いて入ってきたウォルターが呆れているのはルーシィではなくクリフォード。立ち上がったルーシィが頭を下げる。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「短い間? お前と俺はこれからも顔を合わせるだろうし、付き合いも続くぞ」
「私とは顔を合わせたくないのではありませんか?」
孫と円満離婚ではない終わり方をした自分を許すのかと不安げにウォルターを見ると肩を竦められる。
「俺はお前とリンタロウの結婚式にも出席するし、これからも和の国に足を運び続ける」
「で、でも、私は彼を傷つけ──」
「傷つけられたのはお前も同じだろう。自分が愛する文化を理解されず嫌悪を吐きかけられることに傷つかんわけがない。お前は何も理解しろと強要していたわけじゃないんだ。それをアイツがひたすら意味のない罵倒を続けただけ。俺ならそんな奴とは早々に離婚する」
簡単ではないと言ったのはウォルターだ。互いの家同士で結ばれた結婚には親の承諾が必要で、ルーシィはまだ親には言っていない。ヘインズ家と結婚が決まったときの両親の喜び様を思い出すとすぐに言いに行くことができなかった。
自分がこれから行おうとしているのは最低の裏切り行為。言い逃げのようなことをするつもりだった。
政略結婚の離婚は簡単ではない。ルーシィはそれを噛み締めている最中。
「和の国と交流がない以上は理解してもらうのは難しい。ましてや差別意識がある者に対しては尚更だ」
「そうですね。私はあなたが和の国好きだったのでヘインズ家との婚約を承諾しました」
「俺にそのことを言ってこなかったじゃないか」
「私の浅知恵で話すのは恥ずかしいと思ったんです」
「和の国の言葉を話せるようになるほど勉強している人間が浅知恵とはな。なら、俺も浅知恵か?」
意地悪で言っているとわかる笑みにルーシィが必死にかぶりを振る。
「俺はもうこの国に生まれて七十年以上が経ったが、それでもこの国について知り尽くしているとは言えん。他国のことなら尚更だ。俺とて和の国について知っていることは少ない」
「でも私よりは知っています」
「当然だ。だからこそ話せばよかったんだ。お前が知りたいことがあるなら教えてやれた」
「あの人は良く思わなかったでしょうから」
ヘインズ家でウォルターに親しみを持っている者はいない。誰もが恐怖している。その中で上手い生き方を知っているクリフォードだけがフランクに祖父と接するが、それはあくまでも一定時間の問題であって一日中そうしてはいられない。圧をかけられれば戸惑うし、反論できないときも多い。だから自分の妻が楽しげに祖父と話していることを快くは思わなかっただろう。クリフォード・ヘインズは器の小さい男。
ウォルターも容易に想像できることに苦笑はするも責めはしない。
「あんな男と一年も夫婦を続けてくれたことに感謝せねばな」
「とんでもない。私はそれほどデキた人間ではありません」
「だが、クリフォードと相性が良いと言えるほどバカな女でもない」
どうしてそんなに褒められるのかがわからないルーシィの表情に困惑が浮かぶ。
ウォルターと話した回数はこの一年間で両手で数えられるほどしかない。それなのになぜ、と頭上に疑問符を浮かべる。
「俺は妻との結婚は運命だったと思っている。心の底から愛した女だ。だからアイツが病に倒れて俺を置いていったときは俺も死のうとさえ考えた。アイツのいない人生なんて考えられない。何を楽しみに生きればいいと毎日泣いて苦しんだ。愛する者を失う苦しみは自分の身体の一部を失うよりずっと辛いものだが……」
ウォルターの視線が一瞬だけユズリハに向けられた。愛する者を失う辛さを知っている者。
すぐに視線をルーシィに戻して微笑みに変えた。
「その死にたくなるほどの辛さは愛していたからこそ感じるものだと気付いた。死神が現れて命を差し出せば妻を助けてやると言われたら俺は助けなくていいから俺も連れていってくれと頼んだだろう。愛とは素晴らしいもので、世界がそうした愛で満ちればいいとさえ思うほど幸せなものだった」
だから、と言ってから数秒間黙ったあと、口を開いた。
「運命の相手を見つけたなら走ればいい。全て上手くいく人生など存在しない。何かを手に入れたいなら何かを手放す必要がある。お前の場合は家族だろうな」
リンタロウからの返事次第でそうするつもりだった。家族はきっと許してはくれないだろう。ヘインズ家と親交があるだけでも貴族にとってはプラスになること。それが子供同士が結婚したとなれば天に届くほど鼻を伸ばせる。
娘から離婚を申し出たと言えば「何を考えているんだ!」と怒り、離婚を言い渡されたと言えば「何をやってるんだ!」と怒られる。結局は女から離婚を言い出すのも離婚を言い出される女も恥でしかない。男に尽くし、様々なことに耐えることこそ貴族の妻の役目なのだ。
確かにルーシィもその覚悟で嫁いだ。ヘインズ家の長男の妻になれるなんて光栄なことだと思って気に入られようと努力していた。だが、ハロルドが和女を嫁にすると言い、ずっと憧れだった和の国に触れられると思うとそれを見下す夫やその家族を疎ましく思うようになった。
それでも、平和にやっていくためにはある程度の我慢は必要で、わざわざ和の国が好きだと言う必要もないと思って我慢していた。それもクリフォードによるユズリハへの攻撃で打ち砕かれた。
あの日、正体がバレてしまったことは今でも後悔していない。こうして離婚に繋がったとしてもこれは自分が望んだこと。
離婚し、家族を捨て、彼らに見つからない場所まで行こうとしている。見つけてしまった運命の相手への恋心と共に。
卑怯な女だと自嘲するルーシィの頭にウォルターが手を伸ばした。
「お前の人生は一度きりで、お前だけのものだ。貴族には貴族のルールはあれど、お前の家は娘を犠牲にし続けなければならないほど貧乏ではない。俺も上手く働いてやる。あとのことは心配するな。お前の選択はきっと正しい」
「そうでしょうか……」
「お前にとってはな。だが、それでいいんだ。運命の相手は二人もいない。互いに運命を感じたと言うならそれは本物だろう。何もかもかなぐり捨てて追いかけるに値する理由じゃないか?」
否定はしない。否定なんてしたくない。あの日からずっと彼を思い出している。彼が恋しくてたまらない自分がいる。もう自分にそれは勘違いであると言い聞かせられないほど恋焦がれている。
ダイゴロウの言うとおり、二人には火の粉が降りかかるかもしれない。今回ウォルターが庇ってくれたとしても、それが何年もつのかもわからない。だから申し訳ないと思っている。苦しめてしまうかもしれないと思いながらも自分の幸せを掴みに行こうとする浅ましさにギュッと目を閉じるもウォルターが乱暴に頭を撫でたことに反射的に顔を上げた。
その視界に映ったのはウォルターとユズリハの優しい笑顔。
「兄上には嫁が必要じゃ。ぐーたらでどうしようもない男じゃからのう。兄上を律する嫁がいいと思うておったが、その嫁がルーシィであるなら文句はない。そなたのその気の強さ、あそこではきっと役に立つ」
「違いない。モミジも気が強かったからな」
申し訳ないと思いながらも嬉しさで涙が出そうだった。
キュッと唇を噛んで堪えては大きく息を吐き出す。
「頭は下げんでくれよ」
ルーシィの行動を先読みしたユズリハの言葉に動きが止まる。
「どうかこの選択を後悔せんでくりゃれ。いつだってこの選択が正しかったのだと思え。後悔はなんの役にも立たんからのう」
ユズリハもそうしてきた。後悔すれば自分が辛くなるだけで前に進むための一歩が踏み出せなくなる。だからユズリハは前を向く。これでよかったのだと前を向く。
ルーシィの明るさは取り柄だ。それを後悔で決してほしくはない。
前を向け。エールを送ることこそがユズリハにできる唯一のことだった。
「ああ、俺も和の国に同行するからな。女一人で長旅はさせられんからな」
自分が行きたいだけだと誰もツッコミはしなかったが、やれやれと首を振る。
四人が笑う楽しげな声はいつもよりずっと大きく響いていた。
どうやら二人が下で聞いていたことを知っていたらしく「事情説明いらないでしょ」と勝手にユズリハたちの家に上がり込んだ。
それからすぐにリンタロウたちに手紙を書きたいと言い、便箋を渡すとあっという間に手紙を書き上げた。書く文章に迷うことなく、三枚の便箋にびっしりと文字を書いてすぐに送った。
「和の国に行くのか?」
「来てもいいって返事がもらえたらね」
「ダメだと書かれてあったら?」
「とりあえず遊びに行くわ」
きっと誰もダメとは言わない。
兄はそれを望んでいるし、父親は認めるとは言っていないが息子の好きにさせるだろうことは目に見えている。恋愛も結婚も拒否していた息子が運命の相手を見つけたならそれでいいと。妻ならきっと素直に受け入れるだろうと想像してのことだろう。
だからユズリハも口うるさく言うつもりはない。
「これからもそなたが義姉であることが嬉しい」
「気が早いな」
「お前様とてそう思うじゃろう」
「リンタロウさんのことは沈めないように」
「彼にそんなことするわけないじゃない」
笑顔で放たれる『彼に』の言葉。チャンスがあればクリフォードにはしようと思っていたということ。聞こうか聞くまいか迷いながらルーシィを見るとニコッと意味深な笑みを向けられる。
聞かないでおこう。そう決めて口を閉じた。
「あなたの笑顔に会えなくなると思うと寂しいわ。あなたの笑顔がとても好きだったから」
「そう言ってもらえるのは嬉しいな」
「たまには写真送ってね」
「わらわ、写真は苦手じゃ」
「でも送って」
約束だと差し出される小指に苦笑しながらも小指を絡める。整った形、手入れされた爪が美しい手。そのまま髪を撫でられ頬に触れられる。
いつもそうだ。優しく撫でてくれた。嫁に行った姉を思い出すほど本当の姉のように優しく接してくれた。
笑顔が好きだったのはユズリハも同じだ。この天井知らずの明るさにどれほど救われたことか。
会えなくなってしまうのだと思うとやはり寂しい。だが、家族の絆は続いていく。あの家に明るいルーシィが入ることで今よりずっと活気に溢れるだろう。そしていつか赤ん坊ができ、跡取りができたと父親が喜ぶ。父親になったと感動する兄がいて、皆が幸せな笑顔に包まれていくその光景を想像するだけで嬉しくなり、顔が綻んでいく。
「やれやれ。大喧嘩の末の離婚劇か。我が孫ながら無様だな」
「お祖父様」
騒動を聴いて入ってきたウォルターが呆れているのはルーシィではなくクリフォード。立ち上がったルーシィが頭を下げる。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「短い間? お前と俺はこれからも顔を合わせるだろうし、付き合いも続くぞ」
「私とは顔を合わせたくないのではありませんか?」
孫と円満離婚ではない終わり方をした自分を許すのかと不安げにウォルターを見ると肩を竦められる。
「俺はお前とリンタロウの結婚式にも出席するし、これからも和の国に足を運び続ける」
「で、でも、私は彼を傷つけ──」
「傷つけられたのはお前も同じだろう。自分が愛する文化を理解されず嫌悪を吐きかけられることに傷つかんわけがない。お前は何も理解しろと強要していたわけじゃないんだ。それをアイツがひたすら意味のない罵倒を続けただけ。俺ならそんな奴とは早々に離婚する」
簡単ではないと言ったのはウォルターだ。互いの家同士で結ばれた結婚には親の承諾が必要で、ルーシィはまだ親には言っていない。ヘインズ家と結婚が決まったときの両親の喜び様を思い出すとすぐに言いに行くことができなかった。
自分がこれから行おうとしているのは最低の裏切り行為。言い逃げのようなことをするつもりだった。
政略結婚の離婚は簡単ではない。ルーシィはそれを噛み締めている最中。
「和の国と交流がない以上は理解してもらうのは難しい。ましてや差別意識がある者に対しては尚更だ」
「そうですね。私はあなたが和の国好きだったのでヘインズ家との婚約を承諾しました」
「俺にそのことを言ってこなかったじゃないか」
「私の浅知恵で話すのは恥ずかしいと思ったんです」
「和の国の言葉を話せるようになるほど勉強している人間が浅知恵とはな。なら、俺も浅知恵か?」
意地悪で言っているとわかる笑みにルーシィが必死にかぶりを振る。
「俺はもうこの国に生まれて七十年以上が経ったが、それでもこの国について知り尽くしているとは言えん。他国のことなら尚更だ。俺とて和の国について知っていることは少ない」
「でも私よりは知っています」
「当然だ。だからこそ話せばよかったんだ。お前が知りたいことがあるなら教えてやれた」
「あの人は良く思わなかったでしょうから」
ヘインズ家でウォルターに親しみを持っている者はいない。誰もが恐怖している。その中で上手い生き方を知っているクリフォードだけがフランクに祖父と接するが、それはあくまでも一定時間の問題であって一日中そうしてはいられない。圧をかけられれば戸惑うし、反論できないときも多い。だから自分の妻が楽しげに祖父と話していることを快くは思わなかっただろう。クリフォード・ヘインズは器の小さい男。
ウォルターも容易に想像できることに苦笑はするも責めはしない。
「あんな男と一年も夫婦を続けてくれたことに感謝せねばな」
「とんでもない。私はそれほどデキた人間ではありません」
「だが、クリフォードと相性が良いと言えるほどバカな女でもない」
どうしてそんなに褒められるのかがわからないルーシィの表情に困惑が浮かぶ。
ウォルターと話した回数はこの一年間で両手で数えられるほどしかない。それなのになぜ、と頭上に疑問符を浮かべる。
「俺は妻との結婚は運命だったと思っている。心の底から愛した女だ。だからアイツが病に倒れて俺を置いていったときは俺も死のうとさえ考えた。アイツのいない人生なんて考えられない。何を楽しみに生きればいいと毎日泣いて苦しんだ。愛する者を失う苦しみは自分の身体の一部を失うよりずっと辛いものだが……」
ウォルターの視線が一瞬だけユズリハに向けられた。愛する者を失う辛さを知っている者。
すぐに視線をルーシィに戻して微笑みに変えた。
「その死にたくなるほどの辛さは愛していたからこそ感じるものだと気付いた。死神が現れて命を差し出せば妻を助けてやると言われたら俺は助けなくていいから俺も連れていってくれと頼んだだろう。愛とは素晴らしいもので、世界がそうした愛で満ちればいいとさえ思うほど幸せなものだった」
だから、と言ってから数秒間黙ったあと、口を開いた。
「運命の相手を見つけたなら走ればいい。全て上手くいく人生など存在しない。何かを手に入れたいなら何かを手放す必要がある。お前の場合は家族だろうな」
リンタロウからの返事次第でそうするつもりだった。家族はきっと許してはくれないだろう。ヘインズ家と親交があるだけでも貴族にとってはプラスになること。それが子供同士が結婚したとなれば天に届くほど鼻を伸ばせる。
娘から離婚を申し出たと言えば「何を考えているんだ!」と怒り、離婚を言い渡されたと言えば「何をやってるんだ!」と怒られる。結局は女から離婚を言い出すのも離婚を言い出される女も恥でしかない。男に尽くし、様々なことに耐えることこそ貴族の妻の役目なのだ。
確かにルーシィもその覚悟で嫁いだ。ヘインズ家の長男の妻になれるなんて光栄なことだと思って気に入られようと努力していた。だが、ハロルドが和女を嫁にすると言い、ずっと憧れだった和の国に触れられると思うとそれを見下す夫やその家族を疎ましく思うようになった。
それでも、平和にやっていくためにはある程度の我慢は必要で、わざわざ和の国が好きだと言う必要もないと思って我慢していた。それもクリフォードによるユズリハへの攻撃で打ち砕かれた。
あの日、正体がバレてしまったことは今でも後悔していない。こうして離婚に繋がったとしてもこれは自分が望んだこと。
離婚し、家族を捨て、彼らに見つからない場所まで行こうとしている。見つけてしまった運命の相手への恋心と共に。
卑怯な女だと自嘲するルーシィの頭にウォルターが手を伸ばした。
「お前の人生は一度きりで、お前だけのものだ。貴族には貴族のルールはあれど、お前の家は娘を犠牲にし続けなければならないほど貧乏ではない。俺も上手く働いてやる。あとのことは心配するな。お前の選択はきっと正しい」
「そうでしょうか……」
「お前にとってはな。だが、それでいいんだ。運命の相手は二人もいない。互いに運命を感じたと言うならそれは本物だろう。何もかもかなぐり捨てて追いかけるに値する理由じゃないか?」
否定はしない。否定なんてしたくない。あの日からずっと彼を思い出している。彼が恋しくてたまらない自分がいる。もう自分にそれは勘違いであると言い聞かせられないほど恋焦がれている。
ダイゴロウの言うとおり、二人には火の粉が降りかかるかもしれない。今回ウォルターが庇ってくれたとしても、それが何年もつのかもわからない。だから申し訳ないと思っている。苦しめてしまうかもしれないと思いながらも自分の幸せを掴みに行こうとする浅ましさにギュッと目を閉じるもウォルターが乱暴に頭を撫でたことに反射的に顔を上げた。
その視界に映ったのはウォルターとユズリハの優しい笑顔。
「兄上には嫁が必要じゃ。ぐーたらでどうしようもない男じゃからのう。兄上を律する嫁がいいと思うておったが、その嫁がルーシィであるなら文句はない。そなたのその気の強さ、あそこではきっと役に立つ」
「違いない。モミジも気が強かったからな」
申し訳ないと思いながらも嬉しさで涙が出そうだった。
キュッと唇を噛んで堪えては大きく息を吐き出す。
「頭は下げんでくれよ」
ルーシィの行動を先読みしたユズリハの言葉に動きが止まる。
「どうかこの選択を後悔せんでくりゃれ。いつだってこの選択が正しかったのだと思え。後悔はなんの役にも立たんからのう」
ユズリハもそうしてきた。後悔すれば自分が辛くなるだけで前に進むための一歩が踏み出せなくなる。だからユズリハは前を向く。これでよかったのだと前を向く。
ルーシィの明るさは取り柄だ。それを後悔で決してほしくはない。
前を向け。エールを送ることこそがユズリハにできる唯一のことだった。
「ああ、俺も和の国に同行するからな。女一人で長旅はさせられんからな」
自分が行きたいだけだと誰もツッコミはしなかったが、やれやれと首を振る。
四人が笑う楽しげな声はいつもよりずっと大きく響いていた。
11
あなたにおすすめの小説
行き遅れのお節介令嬢、氷の公爵様と結婚したら三人娘の母になりました
鳥柄ささみ
恋愛
お節介焼きで困っている人を放っておけないシアは、数多のご令嬢達から人気の令嬢だ。毎日ファンレターが届き、社交界に出れば令嬢に取り囲まれるほどである。
けれど、それに反比例するように男性からの人気はなく、二十七だというのに嫁の貰い手もないため、毎日母から小言をもらっていた。
そんなある日のこと、突然公爵家から縁談の話が。
シアは公爵家がなぜ自分に縁談など持ち掛けるのかと訝しく思いつつ話を受けると、なんと公爵の後妻として三人の娘の母代わりになれと言われる。
困惑するも、自分へ縁談を持ちかけた理由を聞いて、お節介なシアは嫁ぐこと決めたのだった。
夫になるレオナルドはイケメンなのに無表情で高圧的。三人の娘も二女のアンナを除いて長女のセレナも三女のフィオナもとても反抗的。
そんな中でもお節介パワーを発揮して、前向きに奮闘するシアの物語。
※他投稿サイトにも掲載中
有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
お気に入り1000ありがとうございます!!
お礼SS追加決定のため終了取下げいたします。
皆様、お気に入り登録ありがとうございました。
現在、お礼SSの準備中です。少々お待ちください。
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
円満離婚に持ち込むはずが。~『冷酷皇帝の最愛妃』
みこと。
恋愛
「あなたと子を作るつもりはない」
皇帝シュテファンに嫁いだエリザは、初夜に夫から宣言されて首をかしげる。
(これは"愛することのない"の亜種?)
前世を思い出したばかりの彼女は、ここが小説『冷酷皇帝の最愛妃』の中だと気づき、冷静に状況を分析していた。
エリザの役どころは、公爵家が皇帝に押し付けた花嫁で、彼の恋路の邪魔をするモブ皇妃。小説のシュテファンは、最終的には運命の恋人アンネと結ばれる。
それは確かに、子どもが出来たら困るだろう。
速やかな"円満離婚"を前提にシュテファンと契約を結んだエリザだったが、とあるキッカケで彼の子を身ごもることになってしまい──?
シュテファンとの契約違反におののき、思わず逃走したエリザに「やっと見つけた」と追いすがる夫。
どうやら彼はエリザ一筋だったらしく。あれ? あなたの恋人アンネはどうしたの?
※小説家になろう様でも掲載しています
※表紙イラスト:あさぎかな先生にコラージュアートをいただきました
※毎朝7時に更新していく予定です
乙女ゲームの悪役令嬢の兄の婚約者に転生しましたが傷物になったので退場を希望します!
ユウ
恋愛
平凡な伯爵令嬢のリネットは優しい婚約者と妹と穏やかで幸福な日々を送っていた。
相手は公爵家の嫡男であり第一王子殿下の側近で覚えもめでたく社交界の憧れの漆黒の騎士と呼ばれる貴族令息だった。
結婚式前夜、婚約者の妹に会いに学園に向かったが、そこで事件が起きる。
現在学園で騒動を起こしている第二王子とその友人達に勘違いから暴行を受け階段から落ちてしまう…
その時に前世の記憶を取り戻すのだった…
「悪役令嬢の兄の婚約者って…」
なんとも微妙なポジション。
しかも結婚前夜で傷物になる失態を犯してしまったリネットは婚約解消を望むのだが、悪役令嬢の義妹が王子に婚約破棄を突きつける事件に発展してしまう。
で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?
Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。
簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。
一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。
ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。
そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。
オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。
オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。
「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」
「はい?」
ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。
*--*--*
覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
★全31話7時19時更新で、全話予約投稿済みです。
★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓
このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。
第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」
第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」
第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」
どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ
もしよかったら宜しくお願いしますね!
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
私は、夫にも子供にも選ばれなかった。
その事実だけを抱え、離縁を突きつけ、家を出た。
そこで待っていたのは、最悪の出来事――
けれど同時に、人生の扉がひらく瞬間でもあった。
夫は愛人と共に好きに生きればいい。
今さら「本当に愛していたのは君だ」と言われても、裏切ったあなたを許すことはできない。
でも、子供たちの心だけは、必ず取り戻す。
妻にも母にもなれなかった伯爵夫人イネス。
過去を悔いながらも、愛を手に入れることを決めた彼女が辿り着いた先には――
【完結】地味な私と公爵様
ベル
恋愛
ラエル公爵。この学園でこの名を知らない人はいないでしょう。
端正な顔立ちに甘く低い声、時折見せる少年のような笑顔。誰もがその美しさに魅了され、女性なら誰もがラエル様との結婚を夢見てしまう。
そんな方が、平凡...いや、かなり地味で目立たない伯爵令嬢である私の婚約者だなんて一体誰が信じるでしょうか。
...正直私も信じていません。
ラエル様が、私を溺愛しているなんて。
きっと、きっと、夢に違いありません。
お読みいただきありがとうございます。短編のつもりで書き始めましたが、意外と話が増えて長編に変更し、無事完結しました(*´-`)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる