ポンコツ天使が王女の代わりに結婚したら溺愛されてしまいました

永江寧々

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キスとはどんなものかしら

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「紅茶のシフォンをご用意させていただきました」



 何も知らずに紅茶とケーキを運んできたウィルは手早くセッティングしながらも違和感に気付いた。



「……何かございましたか?」



 何やら場を離れる前に見た時より輝きが増しているように見えるヴィンセントに問いかけると彼に好意を持っている女ならイチコロだろう艶のある笑みが向けられた。



「結婚するの」

「それはようございまし……はぁっ⁉」



 フローリアの言葉に笑顔で頭を下げようとしたが、頭を下げる前に理解した脳は冷静ではいられずウィルに大声を出させた。



「え、も、な、は、え……ええっ⁉」



 結婚に乗り気ではなかったフローリアが笑顔で告げる事にも驚いたが、王子に何があったのかと思うぐらい艶のある表情を見せている事にも驚いた。



「天にも昇る想いだ」



溜息さえも艶っぽく、ウィルはどう対応していいのかわからなくなりリガルドを見遣った。



「結果オーライってとこらしい」

「それは……そうですが……」



 二人の結婚は両家が決めた政略結婚。この顔合わせは結婚するために行われたもの。

 ヴィンセントは覚悟を決めてきたため断るつもりはなかったが、フローリアは断る可能性があった。

 フローリアが断ったとオーランドが知れば何をするかわからないため安堵すべきとこなのだが、ウィルは心配でならなかった。

 自分でさえ手を焼いているフローリアをこんなにも早くヴィンセントの嫁に出して大丈夫なのかと。もっと回数を重ねて知り合ってから結論を出すべきなのではないのかと。



「式はいつにしようか? 僕としてはこのまま君を連れて帰りたい。フロース王国を案内して、真っ白なシーツを赤いバラで飾って———」

「王子、暴走はおやめください」



 リガルドの声に振り向くといつの間にか後ろに立っていた。



「一つだけお願いがあります」

「何でも聞くよ」



 尻に敷かれやしないか心配するまでもなくヴィンセントは自ら尻に敷かれに行く事が従者達には容易に想像がついた。



「ウィルを連れて行ってもよろしいでしょうか?」

「お嬢様⁉」



 何を言いだすのかと慌てたのはウィルだけでヴィンセントもリガルドも眉一つ動かさなかった。



「だってウィルがいないと誰が車椅子を押してくれるの? お勉強は誰が教えてくれるの? 紅茶の好みはウィルしか知らないもの」

「それは王子が手配してくださいます。教育係も何もかもちゃんとした方を———」

「ウィルさえ良ければ一緒に来てくれないか? 僕もその方が安心だ」



 相手は王族。嫁いできた王女のために手を尽くしてくれるはずだと言うもヴィンセントもフローリアの意見に賛成だった。



「慣れない土地でストレスを感じてほしくないんだ。四六時中傍にいたいけどそういうわけにもいかないからね。君がいてくれれば彼女は……ゴホン、僕の妻も安心して生活できる」



 わざわざ言い直すほど喜びを感じているヴィンセントに苦笑しながらもウィルにとってこれ以上ないありがたい申し出だった。



「私が行ってもよろしいのでしょうか?」

「もちろん。僕からレイラ王妃に伝えよう」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」



 フローリアとウィルの二人からのお礼にヴィンセントは頷いた。



「迷惑かけてすまない」

「え?」

「王子が浮かれてアンタまで巻き込んだ」

「巻き込まれたなんてそんな。私には願ってもないお言葉でしたから」



 離れた場所で二人の様子を見守るリガルドからの謝罪にウィルは首を振って前を向いた。



「正直、フローリア様に必要としていただかなければ私の存在価値などないも同然なんです。目を覚ましてくださったおかげで私はウィルという人間でいられます。フローリア様はご自分を人間じゃないとおっしゃいますが、それは私の方。彼女が私を人間にしてくださったんです。ですから、お役御免を言い渡されるまでお傍でお世話をさせていただきたいと愚かながらに願っていました」



名前を呼ばれることなどほとんどない使用人で終わる一生は寂しいと思っていた。「ちょっと」「おい」と声をかけられて指示をだされるだけで名前を呼ばれて特別な事をする機会はなかったウィルにとってフローリアの目覚めは転機だった。

 結婚を機に任を解かれる事を考える度に寂しくて苦しかった思いを何度懺悔したかわからない。



「まあ、初めに言っておくが、幻滅する事になるぞ」

「ヴィンセント王子にですか?」

「ああ。あれだけデレデレしてんだ。今までのように爽やかで完璧な王子様ってのは幻想でしかなくなる」



 確かにもう今までの印象とは全く違うヴィンセントを見ているが幻滅はしていない。むしろフローリアと結婚することで色気が増すのであれば良い事だとさえ思っている。

 今以上に増えるだろうファンにどう対応するのかが問題なだけで。



「人は愛で変わり、愛で狂う」

「確かに狂ったな」

「変わったと言ってあげてください」



 呆れっぱなしのリガルドに笑うウィルにとって今日はヴィンセントに負けないほど良い日に思えた。

 会う時はいつも静かで、その感情に合う静かな微笑みを浮かべるだけだったのが、今は少年のような瞳でフローリアを見つめて笑っている。

 ウィルはリガルドほどヴィンセントについて知らないが、それでも嬉しかった。

















 紅茶のシフォンケーキはそのままでもじゅうぶん美味しい。紅茶の香りが鼻を抜け、赤ん坊でも食べられる柔らかさ、そしてほんのりとした甘み。ハーブティーとの相性も良く、甘い物を食べ慣れていないヴィンセントでも食べることが出来る上品な味だった。

 しかし、フローリアは違った。



「本当にそれを食べるのかい?」

「とっても美味しいんですよ! 甘いのが口いっぱいに広がって幸せな気持ちになるんです」



 一口に切られたシフォンケーキをデコレーションするように乗せられた生クリームにかけられた蜂蜜の上からチョコレートソースという暴挙に出たフローリア。紅茶の風味も何もなくなってしまうだろうそれは紅茶のシフォンケーキである必要はなかった。

 殺人級にすら思える甘味のトリプルアタックを直視する事を戸惑いそうになるほどの光景にヴィンセントはフローリアの顔に視線を注ぐことにした。

 だが———



「とっても美味しいですからヴィンセント様も一口どうぞ」



 試せと言われただけなら『今日は紅茶のシフォンを楽しみたいからプレーンの時にまた』とスマートに断れるのだが、この状況では絶望的に無理だった。

 微笑みながら紅茶のシフォン~殺人デコレーションがけ~を運ぼうとしているフローリアがいる。求めずにしてもらえる〝アーン〟はこの先何回あるかわからない。ましてや一緒に楽しめる食事がほとんどない状況では絶望的だ。



「死んだな」



 リガルドの発言にハッとしたウィルが駆け寄ろうとしたもののヴィンセントは何の戸惑いも見せず笑顔で頬張った。

 口に入れた瞬間に感じるのは鼻から抜ける香り高い紅茶ではなく、生クリームと蜂蜜とチョコレートソースが混ざった匂い。そしてバラバラに襲い来る甘さ。三位一体はどこへ行ったのか、それぞれが個性豊かにヴィンセントの舌を刺激し殴りかかっていた。



「お口に……合いません、でしたか?」



 口に入れたまま固まっているヴィンセントの口が動かない事から不安げに見つめるフローリアを見た瞬間、ヴィンセントは笑顔で口を動かし始めた。何度も何度も口を動かし、そしてゴクンと音を立てて飲み込んだ。



「初めて味わう風味がとても斬新だったよ」



 美味しいと言わないのが感想の全てを物語っているとリガルド達は思ったが、空気も人の感情も察せないフローリアは単刀直入に問いかけた。



「美味しかったですか?」

「すごく美味しかった」



 間髪入れずに嘘をつくヴィンセントの根性にリガルドは白旗を上げた。そこまで根性見せるなら自分に出来るのは見守る事と全力で守ることだけだと。



「ウィル、紅茶のおかわりをいただけるかな?」

「ただいま!」



 ゆっくりとだが一回でティーカップ一杯分を飲み干してすぐウィルにおかわりを頼むヴィンセントに駆け寄ったウィルは急いでカップに紅茶を注いだ。



「カモミールティーには蜂蜜たっぷり入れるととっても美味しいですよ」

「虫歯になるのでダメです!」



 蜂蜜が入ったポットを差し出そうとするフローリアから取り上げると頬を膨らますのが見えたが無視して生クリームとチョコレートソースも一緒に没収した。



「こんなにも美しい娘を眠らせていたのはきっと神が手放したくなかったからだろうね」



 手の甲で頬に触れるヴィンセントの言葉にフローリアは苦笑する。

 本当に手放したくなかったのであれば手放さなかったはずだとフローリアは思った。

 実際、天使をやめた天使は禁忌を破った者だけ。特別な仕事を任されても皆ちゃんと帰ってきて天使を続けている。



だがフローリアは違った。



『仕事だ』とその一言でフローリアは天使としての全てを失った。〝力〟も〝羽根〟も。



 愛されているのはわかっていた。どれほど愛してくれていたかも。だが、ヨナスはその手を離した。

 内容は知っていたはずだ。クローディア・ベルの【たった一つの願い】を。



「神は……」

「ん?」



 自分より優秀な者が大勢いることはわかっていた。だが自分が〝落ちこぼれ〟のレッテルを貼られている事は知らなかった。だから自分は特別任務を任されなかったという自覚もある。しかし、ならばコレを他の天使に任せる事も出来たのにヨナスはあえて自分に任せた。天使ではなくなるとわかっていながら。

 フローリアは地上に下ろされてから「ヨナスは何故自分に任せたのか」と考え続けているが答えはまだ出ていない。



「神は何故手放したのでしょう?」



 自分では解けない疑問を相手に託した。



「んー……」



 腕組をしながら首を傾げて目を閉じるヴィンセントがパッと表情を明るくしてフローリアを見つめた。



「僕の願いを聞き入れてくださったのかもしれないね。なんて」



 結局誰にもわからない。



神のみぞ知る。



 まさにその通りだとフローリアは小さく笑う。



「じゃあヴィンセント様は私を眠りから目覚めさせてくれた王子様ですね」

「キスで起こせなかったのが残念だ」

「キス……」



 小説の中で何度も読んだ恋人同士のキス。両親や兄から毎日のように受ける額や頬へのキスではなく唇同士が触れ合うもの。



「ねえウィル、キスってしたことある?」

「ええ」

「唇によ?」

「ええ」

「誰と?」

「それは……好きな相手と」

「嘘」

「……何故そう思われます?」

「ウィルは嘘をつくのが下手だもの。ねえ、キスってどんな感じ? 素敵なもの? 幸せな気持ちになる?」

「そうですね。愛する人とすれば幸せな気持ちになり素敵な思い出となるでしょうね」



 ウィルはそう言っていたが、フローリアは「んー」声を漏らすだけで納得はしていなかった。両親がキスをしているのは日常茶飯事でどんな風にすればいいのか理解はしていても感触や感想まではわからないわけで。

 クローディアの代わりに結婚をする目の前の相手を好きになってそれが愛に変わった時、自分はキスをして幸せな気持ちになるのだろうか———



「……神よ、その柔らかな蕾を開かせる役目をお与えくださった事、感謝いたします」



 胸の前で手を組みながらボソボソと呟くヴィンセントの視線はフローリアが無意識に触れている唇に注がれていた。



「ヴィンセント様はキスをされた事はありますか?」

「君をずっと待っていたから」

「……? ありますか?」

「ないよ」



 ロマンチックな台詞もフローリアにかかれば一瞬でぶち壊せる。それでもヴィンセントはウィルのように溜め息をつく事もせずイエスかノーかで言い直してくれる。それだけでフローリアにとってヴィンセントは〝優しい人〟認定を受けた。



「キスはいつするのでしょう?」

「今すぐでもかまわないっ」

「今すぐは違うと思うんです」

「あ、はい」



食いつき気味にいってしまった自分を反省して前のめりになった身体を引けば自分の太ももをつねった。



「私が読んだ小説では二人きりの時に見つめ合ってキスをするんです。森に散歩に出掛けた時や部屋でお話をしている時、それから馬車の中。私のお気に入りのシーンは想い合う二人が手を握り合って見つめ合ったら互いに顔を近付けてキスをするんです。車輪が地面を削る音さえも聞こえないぐらい二人の世界に入り込んだ中で二人は目を閉じて少し長いキスをする。挿絵がとても素敵だったんです。見ている方が恥ずかしくなるぐらい」



 愛を紡ぐ者達へ祝福を贈り続けたフローリアは人間の恋や愛に興味津々だった。それをウィルに相談した時に薦められた恋愛小説。

 最初は面白半分に読んでいた物だったが、いつの間にかどっぷりハマってしまい夜通し読み続けている。

 キスが出てこない小説はなく、小説によってシーンやキスの仕方が違うためフローリアの中で想像が膨らみ続けている。挿絵があれば納得するのだが、挿絵がない小説では自分の想像通りかわからずモヤつく事も多い。

 その中でも一番のお気に入りである馬車でのキスシーン。お気に入りだが、他の小説よりも少し恋愛要素が多かったのもあって思い出すだけで恥ずかしくなった。



「フロース王国を案内する時は特別な馬車で迎えに来るから」

「本当ですか? ふふっ、馬車とっても楽しみです!」



 恥ずかしいと頬を押さえてはにかむ表情を目に焼き付けながら馬車に乗せると即答した。



「下心しかないな」

「ヴィンセント様も男ですから」

「初めて知った」



 苦笑するウィルの言葉に肩を竦めるリガルドは木に背中を預けて腕を組んだ。



「しかしフローリア王女は鉄壁だな」

「隙しかないと思いますが」

「だからこそだ。どんな令嬢でも盾の一枚は持っている。自分が軽い女ではない事を示すためにな。その盾を外した時は下心を持っているとわかりながら相手をする時で、男にとっても行動しやすいものだ。だが王女は違う。あの会話の流れで喜べば大体の男はキスを承諾されたと受け取るだろう。自分から馬車でのキスシーンが良かったと語り、男は次の逢瀬は馬車だと言った。流れとしては自然だ。しかしあの王女は照れや緊張も見せない。それは何故だ?」

「キスをされるとは思っていないからでしょうね」

「その通り。馬車に乗れる事に喜んでいる。そんな相手に馬車の中でキスをしようとしたらどうなる? 王女様の性格から考えれば……」

「……あー考えたくもない……」



 手順を踏んで連想させていくリガルドの言葉に見える先は最悪の結果で、フロース王国に降り立った時にヴィンセントが屍と化していたらと思うとウィルは胃がキリキリと痛むのを感じた。



「言い聞かせておきます」



 新しい課題が山積みだと頭を抱えたくなったウィルにリガルドは肩を揺らして笑う。



「大変だな、お互いに」



 笑い事ではないと苦笑しながら溜息と共にうなだれた。



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