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強く優しい人
しおりを挟む夕飯時、場の雰囲気はとてもじゃないが〝家族団らん〟とは程遠いものだった。
「どうしてデアがここに?」
「ヘレナ様が招待してくださったので。嫌でしたか?」
「ええ。今日は家族〝だけ〟で初めての食事なの。あなたは家族じゃないでしょ」
二人の間に火花が飛び、アーサーは額に手を当てながら首を振り、ヴィンセントは苦笑しながらフローリアにそっちを見ないよう自分の方を向かせていた。
「デアは家族みたいなものでしょう。昔から一緒に食事をしているの。今更目くじら立てる必要ないわ」
ヘレナの言葉で勝ち誇った顔をするデアと今にも舌打ちをしそうなエミリア。
「せっかく家族そろっての食事よ。くだらない喧嘩はやめて味わいなさい」
誰のせいでこうなっていると思っているんだとエミリアが内心悪態を吐くも表情には出さなかった。
「フローリアはもう食事は出来るようになったのよね?」
「それが……」
「冗談でしょう? まだ出来ないなんて言わないわよね?」
「すみません……」
足のリハビリだけでなく食事の方も頑張っていた。目覚めた時と比べて多少食べられるようになったといえどフルコースは無理。
家族揃っての食事を一番つまらないものにしてしまうのは自分だと眉を下げるフローリアをヴィンセントが抱き寄せる。
「最初から食事に関しては口を出さないという約束です。それにレイラ王妃からも食事に関してはお聞きしていたはずですが」
「ええそうね。でもあれから随分時間が経っているのにまだ食べられないなんて信じられなかっただけよ。歩けさえすればいいと思っていたのかしら?」
「そんなつもりは……」
「母上やめてください」
「食事は家族でするものなんだから」
静かだが怒気を含んでいるヴィンセントの声に全員が視線を向けて注目する。
神を崇拝する者として怒りを面に出してはならないと自戒してきたがフローリアの事になるとそれを守れなくなってしまう。
「やっぱり部屋で食べよう」
「で、でも……」
「こんな気分の悪い食事会なんてない方がいい」
「努力すれば済む話でしょう!」
ヘレナの怒声にヴィンセントが強い睨みを向けるも直後に響いたガチャンという食器がぶつかる音と共に聞こえた嘔吐の声。
「吐いてしまってごめんなさいね。つわりは収まったはずなのにまだ受け付けないものがあるみたい。努力してみたんだけどダメね。食べられない辛さ、私にはよくわかるわ」
「大丈夫か?」
「ええ、服にかかっちゃったから着替えるわ。フローリア、手伝ってくれる?」
「あ、はい!」
汚れた口元をナプキンで拭いながら立ち上がったエミリアに呼ばれ、フローリアは一緒に出ていった。
「俺も心配だから行くよ」
「僕も」
「ヴィンセントは残りなさい。することないでしょう」
「そうよ。フローリア様がついているから大丈夫よ」
そっと手を握って引き留めるデアに視線だけ移すもヴィンセントは何も言わずそのまま手を振り解いてアーサーと一緒に出ていった。
驚きに目を見開いて固まるデアにとって手を振り払われるというのは信じられない事だった。
「ヴィンセントが私の手を払った……?」
どんなに忙しい時にワガママを言おうと困った顔で笑って申し訳なさそうに「ごめんね」と優しく断ってくれた。
今まで一度だって手を振り払うことなどなかったのに、ヴィンセントは手を振り払うだけではなく何も言ってくれなかった。あの見慣れた困った笑顔さえ見せることもせず。
「エミリア、大丈夫か? もうすぐ産まれるってのにまだつわりがあるのか」
「ええ、すっごく気分が悪くなったの。自分でもびっくりしちゃった」
「フローリア、君はなんともないかい? 気分が悪くなってたり、震えてたり」
「私の心配しなさいよ」
「義姉さんは大丈夫だよ。頑丈だし、わかってるから。ありがとう」
あの場で気分が悪くなって吐いたのは妊娠のせいではないとわかっているヴィンセントの言葉にエミリアはふふっと笑うだけで何も言わなかった。
「辛い思いをさせてごめんなさいね」
「いえ、とんでもないです。もっと食事の方も頑張ればよかったのに食事は得意じゃなくてワガママばかり言ってたんです。歩けるようにさえなればいいって思ってたのも確かですから」
「間違ってないわ。歩けないのなら歩けるようになる。それが終わってから食事を頑張ればいい。一緒になんてムリよ。人間はそこまで器用じゃないもの」
優しい言葉が嬉しかった。ヘレナだけではなくレイラからの重圧に耐えてきたのは何としてもバージンロードをヴィンセントと歩きたかったから。
一歩ずつ歩く姿を驚いたように見つめるヴィンセントの顔は今思い出しても嬉しくてたまらない。
リハビリを頑張って良かったと思えることだったが、食事まで頑張らなければと必死になる事はなかった。食事に関してはレイラも『ムリしなくていいのよ』と言ってくれていたのもあり、リハビリで疲れているのもあって〝努力〟という文字はいつも頭から消えていた。
それが今日になってここまで強く当たられる事になるとは思ってもいなかったためもっと頑張ればよかったと思わざるを得なかったが、エミリアの言葉でそれが少し救われる。
「初めてあなたがこの国に来た時、つわりが酷くて挨拶は出来なかったけど窓から姿は見ていたのよ。車椅子に乗った小さな女の子だったのに、今じゃ私を支えて歩いてくれるリハビリを頑張った女の子になった。あの人の言葉なんて気にしなくていいからね」
「息子に聞こえてますけど」
「誰とは言ってないでしょ。それをヘレナ様の事だと思ってるならあなたの勝手な憶測よ」
エミリアは強い女性だった。強くて優しい女性。エミリアと同じ事を思ったとしても自分ならヴィンセントにそんな言い方は出来ないとフローリアは思った。
それでもアーサーは怒るどころか笑っているため夫婦仲は良いのだろうと伺える。
「何でも自分が偉くて何でも自分の思い通りにならなきゃ気が済まないのよね」
「ヘレナ様ですか?」
「そうよ。私が身籠ってるのが男の子じゃなかったら今頃どんな仕打ちを受けてるかわからないぐらい」
「言いすぎだぞ」
「男の子で良かったわぁ。女の子だったらどうしようかと思っていたもの。長男の嫁は男の子を産めてこそよねぇ。って言われた気持ちがあならにわかるの?」
ヘレナの真似をして今まで言われた中で一番腹が立った事をバラすエミリアに皆が苦笑していた。
「結婚生活とはどういうものですか?」
フローリアの質問にドキッとしたのはヴィンセント。夫婦になったばかりだというのにもうそんな疑問を抱くのかと不安げにフローリアを見るもこっちを向いてはくれない。
ヴィンセントの視線に気付いたエミリアはクスッと笑ってアーサーに手を伸ばした。
「素敵よ。愛する夫が傍にいて、もうすぐその愛の結晶が産まれてくる。欲を言えば二人きりの生活ならもっと素敵だっただろうけど、一般人じゃないからそこは諦めてる」
アーサーに肩を抱かれ、エミリアは腰を抱く。身体を寄せ合って笑い合う二人が愛し合っているのは充分に伝わってくる。
ようやく顔が向けられた事にヴィンセントが笑顔を見せるが少し緊張もしていた。
神を信仰する事に人生を費やしてきたヴィンセントにとって〝愛〟がどういうものなのかまだよくわかっていない。心で感じる愛情は全て相手に注ぐつもりだが、それでいいのか?という疑問もある。だがそれを不安として相手に見せるわけにはいかないという責任感もあった。
フローリアと夫婦になれた事は幸せ以上のもので、信じられない奇跡だと思っている。だからこそ今の幸せを手放すわけにはいかないという覚悟の中、エミリアの『二人きりの生活ならもっと』という言葉が胸を突き刺した。
「フローリアは……」
「はい」
真っ直ぐ見つめるこの瞳が自分だけを映せばいいのにといつも思う。
「二人で暮らしたいと思うかい?」
「え?」
驚いたのはフローリアだけではなくアーサーとエミリアも同じだった。
「いいえ」
「僕が何も出来ないから? 僕が頼りないから?」
「違います」
「じゃあどうして?」
子供のように不安な顔を見せるヴィンセントにフローリアは手を取ってギュッと握った。
「ヴィンセント様は何も出来ないわけじゃありません。何も出来ないなんて言わないでください。ヴィンセント様は素敵です。背は高いですし、瞳の色は空のように美しく、お顔だってそうです。とても美しいのですから」
「フローリア、中身を褒めてやってくれないか?」
外見だけを褒められてもヴィンセントがコンプレックスに思っている事はフォロー出来ないとアーサーが小さな声で付け足すようお願いした。
「え? あ、はい!」
「いいよ大丈夫」
「いえ、聞いてください。ヴィンセント様はいつも私の事を一番に考えてくださいます。お忙しいのに毎日お手紙とお花を贈ってくださいました。花瓶がいっぱいになったら結婚しようと言っていたのに私のせいでいっぱいになった花瓶が二つ三つと増える長い月日の中で一度だって愛を綴られない日はありませんでした。あなたは誰よりも愛情豊かで優しく、逞しい方です。それは探さずともすぐ目につき感じられる事ですし、何より国民の皆さんがあなたを慕っている。あなたは何も出来ない人ではないし、頼り甲斐のあるお方です。」
出会ったその瞬間からたくさんの愛情で接してくれた相手を頼りないと思った事も何も出来ない男と思う事は一度だってなかった。
手紙を読むたびに嬉しくなったし、花を見るたびに幸せになれた。
不安だった結婚も〝この人となら〟と思えるものに変わった。
愛情豊かで人気がある夫は実は小心者で不安になりやすい人だと知ると余計に愛おしくなった。
「そのままのヴィンセント様でいてください」
手を離して抱きしめると覆うように腕を回され全身で抱きしめられている気分になる。
「心配なさそうね」
「最初からないさ。顔合わせから帰ってきた日からヴィンセントはずっとあんな感じだったしな」
「あら、目覚めたばかりの王女様を嫁に貰うのは心配だって言ってなかった?」
「ちょ、やめろよ! どんな子か知らなかったんだから仕方ないだろ!」
「言ったじゃないか、フローリアは天使だよって」
「会えばわかった。会ったことがなかったから心配して言ったことだ。兄として弟を心配するのは普通のことだろ」
「キレイな子だなって見惚れてたものね」
「見惚れてないぞ!」
「いくら兄さんでも許さないよ」
「だから違うって!」
焦るアーサーをからかう姿を見ながらフローリアは幸せだと実感する。
もしこれが神の、ヨナスの計らいだったとしても今は何の後悔もない。天使でなくなってしまった事で家族同然の者達に会えないのは今も寂しく思う時はあるが、それでも今はここに新しい家族がいる。会えなくなっただけで消えてしまったわけではない。向こうはきっと見てくれている。
そう思えるようになった。だからフローリアはヴィンセントの胸に頭を預けて見上げると降ってくるキスを受け入れた。
「さ、食事を持ってきてもらいましょう」
急かされない、強要されない食事は久しぶりで、フローリアは時間こそかかったが珍しく完食出来た。
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