ポンコツ天使が王女の代わりに結婚したら溺愛されてしまいました

永江寧々

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嵐の中で

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 あっという間に一ヵ月が過ぎ、帰国の日。朝から雨が降っていた。

「よし、これで大丈夫だと思う」
「すごい音ですね」

 窓を打ち付ける雨。木々を揺さぶる強い風。雨戸を閉めなければガラスが割れるのではないかと思うほどの荒れた天気に二人は入り口から窓から全て戸締りをした。

「アーラ島は気候が良くてめったに荒れないんだけどね」

 毎年来ているヴィンセントでさえこの荒れた天候は経験した事がないほど酷いもので、家全体が揺らされている。

「酷くなってきましたね」

 外はあっという間に最悪の状況へと変わっていく。
 風の音は強くなり、木が軋む音が聞こえ、怒鳴り声のような雷が鳴り響いている。

「マーヤの勘はすごいね」
「そうですね」

 昨日の朝、マーヤが突然大量の蝋燭を持ってやってきた。

「明日は帰れませんよ。嵐が来ます」

 神妙な顔をして言うものだから冗談を返す事も出来ず蝋燭を受け取ったのだが、翌朝になって当たっていたことがわかった。

「怖いかい?」
「少し」

 フロース王国は程よく雨が降るが、荒れたりはしない。
 アストルム王国は曇りが多く、暴風は良くあるが雷雨を伴う事は少ない。
 嵐というものを経験するのは二人にとって初めてのこと。ソファーの上で身を寄せあって毛布にくるまる。

「キャッ」
「大丈夫だよ。電気が消えただけだから」

 電気が消えた。まだ朝といえど雨戸を閉めてしまえば中は真っ暗になる。
 すぐ傍に置いていた蝋燭に火を灯し、あちこちに置いて部屋を照らすとフローリアはホッと安堵の息を吐き出した。

「二人で暮らしたら、こういう事もよくあるのかもしれないね」

 ヴィンセントが口にする「二人暮らし」はこれで何度目か、フローリアは黙って視線を向けた。

「僕達にあの家は大きすぎる。僕はどこに居ても君の気配を感じられる広さの家でいい」
「ここは?」
「ここも広い」

 二人で暮らすにはじゅうぶんすぎる広さだと来た時に思ったためフローリアは反論せず黙って頷く。

「一緒に眠るベッド一つにキッチンとバスとトイレがあれば他に部屋なんていらない」

 それはきっとヴィンセントの部屋よりも小さな部屋に全てがついている話をしているのだろうと理解する。
 想像してみると悪くはないような気がした。
 この一ヵ月、マーヤの手を借りる事は少なくはなかったが、それでも自分達で出来る事が増えたのは間違いない。

 どうやって洗濯するのか。
 どうやって浴槽を洗うのか。
 どうやってシーツを替えるのか。
 どうやって皿をピカピカに洗うのか。

 失敗しながらもやってきた。
 二人で暮らす生活は息苦しい中にいるよりずっと良いものになるのは間違いないとフローリアは賛成するように頷いた。

「この一ヵ月、君と二人きりの毎日は本当に幸せだった。だから、この嵐は帰りたくないと思ってる僕へのプレゼントかなって思ってるんだ。不謹慎かな?」

 きっとリガルド達は心配している。無事が確認できない事に苛立ちながら嵐が過ぎ去るのを待つしかないもどかしさに皆が心配と苛立ちに険悪になっている事だろう。それでもヴィンセントは家族を心配させている申し訳なさよりまだフローリアと二人だけでいられる事を喜んだ。

「私も同じ事を思ってましたから」
「ホントに?」
「この生活が続けばいいのにって」
「嬉しいよ」

 笑顔で抱きしめるヴィンセントに頬を預けながら背中に腕を回す。
 もし彼が本当にあの家での生活が嫌なのであれば叶えてあげたい。苦労した事のない二人がどこまでやれるかはわからないが、それでも彼が望み続けるよりずっといい。
 だが簡単な話ではない。王子は仕事を辞めるみたいに簡単には辞められない。ならどうすればいいのか……。

「こういうのもムードがあっていいね」

 肩を抱いていた手が腕を撫で、腰に到達する。グッと引き寄せられると簡単に膝の上に乗せられた。

「神も帰るべきではないと言っているのかもしれないね」
「そうですね」
「嵐が止んでも帰りたくないな」
「きっとリガルド様が血相変えて迎えに来られますよ」
「逃げようにも船はないしね」

 帰らなければならないのは絶対で、口にしているのはあくまでも自分の欲望でしかない。叶うはずのない望みは誰にも叶えることは出来ず、唯一の願いだった天使に会いたいという願いはもう叶えてもらってしまった。
 これ以上望むと罰が当たるとヴィンセントはゆっくり息を吐き出しながら弱音のように吐いた言葉をそこで止めた。

「……もしいつか、子供が出来たら……どこか静かな場所で暮らしたいですね」

 言ってもいいかわからなかった。
 ヴィンセントが優先するのは誰か、フローリアは自分が一番よくわかっていた。だからこんな事を口にしてしまえば何としてでも叶えようとするかもしれないと思ったから。だが、自分も同じ事を思っているのだと伝えなければ彼の中で希望がなくなってしまいそうで怖かった。
 生まれる場所は選べない。親は子を選べないし、子も親を選べない。なら我慢するしかないのか? 王族だから?
 ヴィンセントが国民からどれほど愛されているか結婚式の日に強く感じた。そのヴィンセントが王室から離脱すると聞けば国民は悲しむことだろう。だが、悲しむからという理由で自分の人生を犠牲にしなければならないのか?
 オーランドもオズワルドもまだ結婚はしていない。オーランドは最高指揮権を所有しており、オズワルドは優秀な兄からのプレッシャーを受けながらも必死に任務を全うしている。
 一般市民であれば家が合わないから家を出るという選択はそう難しい事ではないだろうが、王族に生まれてしまえば話は別。
 そこには必ず【無責任】が付きまとうのだから。

「君もそう思ってくれてるのかい?」

 この希望を「仕方ない」で済ませる事はフローリアには出来なかった。
 クローディアだって王族に生まれた。だから必死に頑張ってきた。だが無理だった。耐えられなかった。自分を認められず責め続け、神に祈った。

 ヴィンセントが言った『信仰は人を縛るものではなく自由にするものだ』という言葉はクローディアにはその通りだっただろう。
 神に祈ることでクローディアは自由になった。
 誰もがそうあるべきなのだ。フローリアは思う。

「のんびりした生活が私達には合っていますね」

 誰よりも神を信じ、神を愛してきた男が自由になれないのはおかしい。
 フローリアはヴィンセントに幸せになってほしかった。辛さを噛みしめ、叶わぬ願いだとわかりながらも口にするのではなく、叶うのだと信じて口にしてほしかった。

「二人なら、どこにいたってきっと楽しいですから」

 強く手を握って笑えばヴィンセントの目が少し潤んだように見えた。
 この人を守りたい。優しい心を。優しさで全てを諦めてしまわないように。

「私はきっと、王子の妻としては失格なんだと思います。理解力もないし、王子に二人で暮らしたいなんてワガママも言ってしまう。王子の妻ならもっとエミリア様のように気丈で前だけを向いていなければならないのに、私はあなたと二人で静かに暮らしたいと思ってしまう」

 間違っていると言われてもそれを受け入れて考え直すことはない。正しいか間違っているのかの判断は自分達が下すものであって人から下されるものではない。無責任かどうかは人が決めればいいが、善悪を言われる筋合いはないとフローリアは思った。

「君ほど最高の女性はいないよ」

 強く抱きしめて愛していると囁くヴィンセントの言葉に微笑みながら目を閉じる。

 きっとヘレナに言えば家が震えるほどの怒声で非難するだろう。息子をたぶらかした悪魔だと罵倒するだろう。それでもフローリアは負けているわけにはいかないと強く思った。
 ヴィンセントが不安や苦しみから解放されるためには家を出るしかない。
 怒声を上げる時の悪魔のような顔をするヘレナと対峙するのは怖い。思い出しただけでも身体が震えそうになる。それでも自分を愛してくれた、、毎日愛を捧げてくれるこの人を自分が守らなければと思ったから。

 帰ったら話をしよう。フローリアは覚悟を決めた。

 だが、幸せに向かうための道を崩そうとする者がいる。
 フローリアはまだ知らなかった。
 本物の悪魔が誰なのかを……。
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