44 / 61
嵐の中で
しおりを挟むあっという間に一ヵ月が過ぎ、帰国の日。朝から雨が降っていた。
「よし、これで大丈夫だと思う」
「すごい音ですね」
窓を打ち付ける雨。木々を揺さぶる強い風。雨戸を閉めなければガラスが割れるのではないかと思うほどの荒れた天気に二人は入り口から窓から全て戸締りをした。
「アーラ島は気候が良くてめったに荒れないんだけどね」
毎年来ているヴィンセントでさえこの荒れた天候は経験した事がないほど酷いもので、家全体が揺らされている。
「酷くなってきましたね」
外はあっという間に最悪の状況へと変わっていく。
風の音は強くなり、木が軋む音が聞こえ、怒鳴り声のような雷が鳴り響いている。
「マーヤの勘はすごいね」
「そうですね」
昨日の朝、マーヤが突然大量の蝋燭を持ってやってきた。
「明日は帰れませんよ。嵐が来ます」
神妙な顔をして言うものだから冗談を返す事も出来ず蝋燭を受け取ったのだが、翌朝になって当たっていたことがわかった。
「怖いかい?」
「少し」
フロース王国は程よく雨が降るが、荒れたりはしない。
アストルム王国は曇りが多く、暴風は良くあるが雷雨を伴う事は少ない。
嵐というものを経験するのは二人にとって初めてのこと。ソファーの上で身を寄せあって毛布にくるまる。
「キャッ」
「大丈夫だよ。電気が消えただけだから」
電気が消えた。まだ朝といえど雨戸を閉めてしまえば中は真っ暗になる。
すぐ傍に置いていた蝋燭に火を灯し、あちこちに置いて部屋を照らすとフローリアはホッと安堵の息を吐き出した。
「二人で暮らしたら、こういう事もよくあるのかもしれないね」
ヴィンセントが口にする「二人暮らし」はこれで何度目か、フローリアは黙って視線を向けた。
「僕達にあの家は大きすぎる。僕はどこに居ても君の気配を感じられる広さの家でいい」
「ここは?」
「ここも広い」
二人で暮らすにはじゅうぶんすぎる広さだと来た時に思ったためフローリアは反論せず黙って頷く。
「一緒に眠るベッド一つにキッチンとバスとトイレがあれば他に部屋なんていらない」
それはきっとヴィンセントの部屋よりも小さな部屋に全てがついている話をしているのだろうと理解する。
想像してみると悪くはないような気がした。
この一ヵ月、マーヤの手を借りる事は少なくはなかったが、それでも自分達で出来る事が増えたのは間違いない。
どうやって洗濯するのか。
どうやって浴槽を洗うのか。
どうやってシーツを替えるのか。
どうやって皿をピカピカに洗うのか。
失敗しながらもやってきた。
二人で暮らす生活は息苦しい中にいるよりずっと良いものになるのは間違いないとフローリアは賛成するように頷いた。
「この一ヵ月、君と二人きりの毎日は本当に幸せだった。だから、この嵐は帰りたくないと思ってる僕へのプレゼントかなって思ってるんだ。不謹慎かな?」
きっとリガルド達は心配している。無事が確認できない事に苛立ちながら嵐が過ぎ去るのを待つしかないもどかしさに皆が心配と苛立ちに険悪になっている事だろう。それでもヴィンセントは家族を心配させている申し訳なさよりまだフローリアと二人だけでいられる事を喜んだ。
「私も同じ事を思ってましたから」
「ホントに?」
「この生活が続けばいいのにって」
「嬉しいよ」
笑顔で抱きしめるヴィンセントに頬を預けながら背中に腕を回す。
もし彼が本当にあの家での生活が嫌なのであれば叶えてあげたい。苦労した事のない二人がどこまでやれるかはわからないが、それでも彼が望み続けるよりずっといい。
だが簡単な話ではない。王子は仕事を辞めるみたいに簡単には辞められない。ならどうすればいいのか……。
「こういうのもムードがあっていいね」
肩を抱いていた手が腕を撫で、腰に到達する。グッと引き寄せられると簡単に膝の上に乗せられた。
「神も帰るべきではないと言っているのかもしれないね」
「そうですね」
「嵐が止んでも帰りたくないな」
「きっとリガルド様が血相変えて迎えに来られますよ」
「逃げようにも船はないしね」
帰らなければならないのは絶対で、口にしているのはあくまでも自分の欲望でしかない。叶うはずのない望みは誰にも叶えることは出来ず、唯一の願いだった天使に会いたいという願いはもう叶えてもらってしまった。
これ以上望むと罰が当たるとヴィンセントはゆっくり息を吐き出しながら弱音のように吐いた言葉をそこで止めた。
「……もしいつか、子供が出来たら……どこか静かな場所で暮らしたいですね」
言ってもいいかわからなかった。
ヴィンセントが優先するのは誰か、フローリアは自分が一番よくわかっていた。だからこんな事を口にしてしまえば何としてでも叶えようとするかもしれないと思ったから。だが、自分も同じ事を思っているのだと伝えなければ彼の中で希望がなくなってしまいそうで怖かった。
生まれる場所は選べない。親は子を選べないし、子も親を選べない。なら我慢するしかないのか? 王族だから?
ヴィンセントが国民からどれほど愛されているか結婚式の日に強く感じた。そのヴィンセントが王室から離脱すると聞けば国民は悲しむことだろう。だが、悲しむからという理由で自分の人生を犠牲にしなければならないのか?
オーランドもオズワルドもまだ結婚はしていない。オーランドは最高指揮権を所有しており、オズワルドは優秀な兄からのプレッシャーを受けながらも必死に任務を全うしている。
一般市民であれば家が合わないから家を出るという選択はそう難しい事ではないだろうが、王族に生まれてしまえば話は別。
そこには必ず【無責任】が付きまとうのだから。
「君もそう思ってくれてるのかい?」
この希望を「仕方ない」で済ませる事はフローリアには出来なかった。
クローディアだって王族に生まれた。だから必死に頑張ってきた。だが無理だった。耐えられなかった。自分を認められず責め続け、神に祈った。
ヴィンセントが言った『信仰は人を縛るものではなく自由にするものだ』という言葉はクローディアにはその通りだっただろう。
神に祈ることでクローディアは自由になった。
誰もがそうあるべきなのだ。フローリアは思う。
「のんびりした生活が私達には合っていますね」
誰よりも神を信じ、神を愛してきた男が自由になれないのはおかしい。
フローリアはヴィンセントに幸せになってほしかった。辛さを噛みしめ、叶わぬ願いだとわかりながらも口にするのではなく、叶うのだと信じて口にしてほしかった。
「二人なら、どこにいたってきっと楽しいですから」
強く手を握って笑えばヴィンセントの目が少し潤んだように見えた。
この人を守りたい。優しい心を。優しさで全てを諦めてしまわないように。
「私はきっと、王子の妻としては失格なんだと思います。理解力もないし、王子に二人で暮らしたいなんてワガママも言ってしまう。王子の妻ならもっとエミリア様のように気丈で前だけを向いていなければならないのに、私はあなたと二人で静かに暮らしたいと思ってしまう」
間違っていると言われてもそれを受け入れて考え直すことはない。正しいか間違っているのかの判断は自分達が下すものであって人から下されるものではない。無責任かどうかは人が決めればいいが、善悪を言われる筋合いはないとフローリアは思った。
「君ほど最高の女性はいないよ」
強く抱きしめて愛していると囁くヴィンセントの言葉に微笑みながら目を閉じる。
きっとヘレナに言えば家が震えるほどの怒声で非難するだろう。息子をたぶらかした悪魔だと罵倒するだろう。それでもフローリアは負けているわけにはいかないと強く思った。
ヴィンセントが不安や苦しみから解放されるためには家を出るしかない。
怒声を上げる時の悪魔のような顔をするヘレナと対峙するのは怖い。思い出しただけでも身体が震えそうになる。それでも自分を愛してくれた、、毎日愛を捧げてくれるこの人を自分が守らなければと思ったから。
帰ったら話をしよう。フローリアは覚悟を決めた。
だが、幸せに向かうための道を崩そうとする者がいる。
フローリアはまだ知らなかった。
本物の悪魔が誰なのかを……。
0
あなたにおすすめの小説
混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない
三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。
【完結】番である私の旦那様
桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族!
黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。
バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。
オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。
気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。
でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!)
大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです!
神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。
前半は転移する前の私生活から始まります。
勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!
エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」
華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。
縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。
そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。
よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!!
「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。
ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、
「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」
と何やら焦っていて。
……まあ細かいことはいいでしょう。
なにせ、その腕、その太もも、その背中。
最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!!
女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。
誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート!
※他サイトに投稿したものを、改稿しています。
女嫌いな騎士が一目惚れしたのは、給金を貰いすぎだと値下げ交渉に全力な訳ありな使用人のようです
珠宮さくら
恋愛
家族に虐げられ結婚式直前に婚約者を妹に奪われて勘当までされ、目障りだから国からも出て行くように言われたマリーヌ。
その通りにしただけにすぎなかったが、虐げられながらも逞しく生きてきたことが随所に見え隠れしながら、給金をやたらと値下げしようと交渉する謎の頑張りと常識があるようでないズレっぷりを披露しつつ、初対面から気が合う男性の女嫌いなイケメン騎士と婚約して、自分を見つめ直して幸せになっていく。
【完結】タジタジ騎士公爵様は妖精を溺愛する
雨香
恋愛
【完結済】美醜の感覚のズレた異世界に落ちたリリがスパダリイケメン達に溺愛されていく。
ヒーロー大好きな主人公と、どう受け止めていいかわからないヒーローのもだもだ話です。
「シェイド様、大好き!!」
「〜〜〜〜っっっ!!???」
逆ハーレム風の過保護な溺愛を楽しんで頂ければ。
転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。
琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。
ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!!
スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。
ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!?
氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。
このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。
【完結】転生したら悪役継母でした
入魚ひえん@発売中◆巻き戻り冤罪令嬢◆
恋愛
聖女を優先する夫に避けられていたアルージュ。
その夜、夫が初めて寝室にやってきて命じたのは「聖女の隠し子を匿え」という理不尽なものだった。
しかも隠し子は、夫と同じ髪の色。
絶望するアルージュはよろめいて鏡にぶつかり、前世に読んだウェブ小説の悪妻に転生していることを思い出す。
記憶を取り戻すと、七年間も苦しんだ夫への愛は綺麗さっぱり消えた。
夫に奪われていたもの、不正の事実を着々と精算していく。
◆愛されない悪妻が前世を思い出して転身したら、可愛い継子や最強の旦那様ができて、転生前の知識でスイーツやグルメ、家電を再現していく、異世界転生ファンタジー!◆
*旧題:転生したら悪妻でした
【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?
はくら(仮名)
恋愛
ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる