エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

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エリスローズは登場する

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 パレード当日、エリスローズは鏡の前に立っていた。
 美しいドレス、宝石が散りばめられた王冠、ダイヤのイヤリング、強い匂いの香水、完璧な化粧で作り上げられた偽物のエリーナ王太子妃が鏡の中にいる。
 今日、初めてエリーナの写真を見た。
 去年のパレード時の写真だろう。それを見ながら化粧をする使用人がメイクを進めるたびに怪訝な顔を見せていた。
 化粧を施す度にエリーナに近付いていく顔を不気味だと思っているのが伝わってくる表情だった。
 エリスローズとてそう思っていた。写真の中の女性と鏡の中の女性はもはや同一人物と言っても過言ではない。
 それほど似ている。

「ドレスの裾を踏まないように」

 カーラの言葉に頷いてゆっくりと立ち上がると外に出るときに着ているドレスよりもずっと重くて嫌になる。
 目には見えない強い香りが不愉快でたまらない。
 人々はこれを良い香りだと言うのだろうが、エリスローズは好きになれなかった。
 スラム街の悪臭が好きというわけではないが、エリーナが好んでいた物だと思うとどうしても好きになれない。
 それでも今はエリーナの代わりとして雇われているのだから我慢だと自分に言い聞かせて待ち合わせ場所へ向かう。

「おお、エリーナがいるようだ」

 スピーチ台に設置された玉座には既に国王と王妃が揃っていた。
 感動する国王に対して王妃は不愉快そうに顔を歪めている。
 外に出る用事のない日は化粧はしない。
 それはエリスローズが望んだことではなく、使用人がしないだけ。
 王妃からの命でも出ているのだろう。スラム街の小娘のために使う化粧品などないと。
 幼稚な王妃のやり方はこの一ヶ月でよくわかった。
 食事は王太子妃が食べる物とは思えない質素な物。スラム街にいた頃よりは食べられているとしても王太子妃の代わりをしている者に出すとは思えない食事だった。
 ロールパン一つ、小さなオムレツが一つ、サラダを作った残りだろう葉っぱが数枚、飲み物は水。バターやジャムはついていないし、ドレッシングもない。
 オムレツには卵の殻が入っていることもあった。
 カーラが言いに行くかと言ってくれたが、面倒事は起こしたくない。
 本来のエリスローズであれば嫌味の一つや二つ吐き出していただろうが、声を出せない今はそれすらも面倒になった。
 言われても言い返せないと思われているのは腹が立つが、仕方ない。言い返せないのは事実だから。
 自分の役目はこうしたイベント時に化粧をして怪しまれないよう振る舞うだけ。

「エリーナそのものだよ」

 笑顔のリオンに軽く会釈してから並んで席に着くとゆっくり息を吐き出した。
 国王のスピーチが始まり、国民への感謝を伝える。
 国民たちが上を見上げながら手持ち旗を振っては嬉しそうに笑っている。
 このスピーチもスラム街には届かない。届いたとしてもスラム街の人間には関係のない言葉ばかりだし、スラム街の人間はその【愛する民】という言葉の中には入っていないのだからどうだっていいこと。

「緊張してる?」

 小声で話しかけてくる王太子に小さく頷くと手を握られた。
 ギョッとするエリスローズはその手をどうしようか迷っていた。
 正直に言えばゾッとしている。好意も何もない男に手を握られて喜ぶ女はいない。
 王太子は爽やかで優しく思いやりのある人物だというのはわかる。
 だが、それほど親しくもない相手に顔だけで心惹かれるほどエリスローズはミーハーではない。
 恋をしてはいけない相手だとわかっているし、恋をしようとも思っていない。
 だからこの手を快くは思わなかった。
 
「こんな場所で手を握るなんてやめなさい。必要ないでしょう」

 それを見た王妃が眉を寄せて小声で注意するも王太子は笑顔で聞き流している。

(どうして私を睨むわけ? どう見ても手を重ねてるのはあなたの息子じゃない)

 まるで自分が誘惑したかのような恨みがましい目を向けてくる王妃と目を合わせることはせず知らないふりをした。
 ここでバッと払うことはできるが、そうしたらそうしたで無礼だと言ってくるのはわかっている。それなら睨まれていることに気付いてないフリをしたほうがいいと無視を決め込んだ。

「毎年、皆に素晴らしい愛の言葉を届けるエリーナだが、今年は喉の調子が良くない。お喋り好きなせいで喉をやってしまった。声を元通りにするには時間がかかり、治療のために声を出すことができなくなっている。皆にはガッカリさせるだろうが、どうか今年は理解してほしい。エリーナもこの日を楽しみにしていたのだが……残念だ」

 国王の名演技にザワつく広場。
 
「だが、エリーナ自身は元気だ。こうしてこの場に集まれたこと、嬉しく思う」

 立つよう促され、それに従って顔を見せると暖かい励ましの声が飛んでくる。
 笑顔で手を振るだけの楽な仕事だが、心の中は複雑でしかない。
 これが全て自分に向けられた言葉なら何時間だってこうして手を振っているだろう。
 だが、これは全て王太子妃エリーナに向けられたもの。
 遊びまわって王太子妃としての役目も果たさない無責任な女の代わりをしている。
 仕事だと割り切っても複雑さは消えない。

「いつまで手を繋いでるの!」
「エリーナは緊張してるんだ」
「あなたが手を握ったから緊張がなくなるとでも言うの?」
「幼い頃、母上がそう言ったのにもう忘れましたか?」

 国王の長い長いスピーチが終わり、今度は街中を走る馬車に向かう。
 握った手を離さない王太子との手を無理矢理離させようとする王妃を国王が止める。

「お前はカッカッしすぎだ。リオンもそういう言い方をするんじゃない」
「失礼しました」

 叱るというよりは注意。それに対して返す言葉に親子の感じはない。
 
「紙とペンは持っているかい?」

 首を振るエリスローズに使用人に用意するよう伝えた。

「必要ないでしょ」
「国民に向けてメッセージがあったほうがいいでしょう」

 今日一日は王妃の機嫌が悪いだろうことに国王がため息を吐く。
 お気に入りの嫁の身代わりをするのがスラム街の女というだけでも嫌なのに、今日は合法的に密着する日となる。
 エリーナは距離感のおかしい女性なため、こうした場に出るときはいつも必要以上にくっついていた。
 それが今年だけ距離を取っているのはおかしく思われてしまうのもあって王妃はくっつくなとは言えない。

「腕を絡ませて。エリーナはいつもそうしてたから」

 舌打ちでもしそうな勢いでこっちを睨んでいる王妃を無視しながらそっと腕を絡めると使用人が持ってきた紙とペンを受け取る。

「これで君と話せる」

 王と王妃は別の馬車に乗ったため口うるさく言う者はいない。

『腕を組んでいると書きにくいです』
「ああ、それもそうか」

 片手では台座があるといえど紙が不安定になることを理解した王太子と離れたことに安堵する。
 
『何か書いたほうがいいですか?』
「書いてるところを見せたほうがいいかもしれないね」

 街に上がったことがないためパレードがどういうものか見たことがなく、王太子妃がどういう振る舞いをしていたのかも知らないが、要はパフォーマンスが必要なのだと理解した。
 ペンを揺らしながら何を書くべきか迷うエリスローズを見て微笑むリオン。
 その視線に気付いて見上げると笑顔で首を振るだけ。
 何を見ているんだとチンピラのような言葉が頭を過った。

「なんでもいいんだよ」

 それが一番困る。

『建国記念日おめでとう』
「国王も言ってた言葉だし、いいと思う」

 紙に小さく書いた言葉を新しい紙に大きく書き直そうとするも書いているところを見せなければと馬車が動き出し、国民たちの前を走り始めてから書き直した。

「エリーナ様、お大事に!」
「早く良くなってまたお声を聞かせてください!」

 次々にかけられる言葉にエリーナは国民から愛されていたのだと実感する。
 これほど愛を投げてくれる国民に会える重大イベントを遊びまわることですっぽかした女はどういう人間なのか少し興味があった。

『エリーナ様は字も美しい!』 
「褒められてるよ」

 耳元で喋るリオンに苦笑しそうになるのを堪えて笑顔を見せる。

『リオン様と一緒にいるお姿が大好き!』
「お似合いよね!」

 真実を知らないことは幸か不幸か。
 王太子は妻を愛していない。妻も夫を愛してはいないのだろう。
 愛していれば迷惑をかけるような真似はしないのだから。
 だが国民には二人はいつまでも仲睦まじく素晴らしい夫婦として映っているのだ。
 
「ッ!?」
「キャーッ!」
「パレードでは必ずするんだ。いつもはエリーナからだけどね」

 突然頬に押し当てられた唇にエリスローズは驚きを隠せなかった。
 勢いよくリオンを見るも笑顔だと自分の頬をトントンと叩いて促す。
 これもエリーナになっている身として受け入れなければならないこと。
 気持ち悪いと思ったわけではないが、驚いた。

「君からもしてくれる?」
『無理です』

 紙に書いた文字を国民に見えないように紙を膝の上に置いて見せた。

「でも怪しまれるかもしれないよ?」

 頬や額へのキスはきょうだいにしているため慣れている。
 ファーストキスはとっくの昔にダンに奪われた。
 恋物語への憧れもないため唇が誰のどこに当たろうと平気だと目を閉じて息を吐き出したあと、エリスローズの覚悟を決めた顔を見たリオンが頬を出して待つ。
 その頬へゆっくりと唇を押し当てるとまた女性たちが黄色い悲鳴をあげる。

「ね? 大喜びだ」

 若い女性たちの憧れの的である夫婦。
 その二人はいつも笑顔の仮面をかぶりながら国民の前に立っていた。
 エリーナが戻ってきて、エリスローズが今後なんらかの奇跡で二人の姿を見ることがあったらその姿を哀れに思うのだろう。

「僕の肩にもたれかかりながら手を振って」

 頭を添えるように軽く預けてその後は笑顔で手を振り続けるエリスローズは今日の日を死ぬほど退屈なイベントとして記憶した。

「このあとは各国の王族を招いた食事会があるんだ」

 パレードが終わって城に戻るとエリスローズは笑顔が戻らなくなっていることに気付いた。
 家族の前以外で笑うことなんてなかったのが笑顔を貼り付けていたせいで取れなくなっている。
 
「どうしたの?」

 リオンの言葉に返事をしないで頬を揉むエリスローズに目を瞬かせながら頬に触れるリオン。
 その手をそっと押し返してペンを走らせる。

『笑顔で固まってしまったので戻しているだけです』
「いいじゃないか。君の笑顔は優しくて好きだ」
『ずっと笑顔でいるのは変です』
「エリーナはよく笑う女性だったから平気だよ」
(じゃなくて私がしんどいの!)

 心の中で訴えるだけにしたエリスローズは首を振って馬車から降りるために立ち上がった。
 先に降りたリオンが使用人を移動させて手を差し出す。
 その手を取って素直に降りたエリスローズは少し先で王妃がまだ睨んでいることに気付いた。

『私も食事会に出席しないとダメですか?』
「したほうがいいだろうね。きっと皆、エリーナが声が出なくなったことを心配してるだろうから」
『王妃様はそれを望んでいないみたいですけど』

 書かれた文字を見て振り返ったリオンに慌てて王妃が目を逸らす。

「席は離れてるし問題ないよ。良い顔しなきゃいけないから君に向けるような態度も見せられない」
『上手くやれる自信がありません』
「僕がフォローするから大丈夫だよ」

 手の甲に口付けを落とすリオンは正に王子様という感じだった。

「エリーね、いつかエリーを迎えに来た王子さまとケッコンしてお姫さまになるの」

 叶いもしないそんな夢を見ていた頃があったと懐かしさに目を細める。

「何か困ったら僕の膝を叩けばいい」
『わかりました』

 紙とペンを使用人に渡して腕を組む。
 通した腕に手を置かれる違和感はあるが、リオンの笑顔を見ると今は我慢だと歩き出す。
 向かいで鬼の如く恐ろしい顔を見せる王妃の後ろに着くとエリスローズはあえてリオンを見つめて笑顔を見せた。
 そして王妃にはあえて舌を出す。声がなくとも反抗ぐらいできると見せたエリスローズにリオンは顔を逸らして笑っていた。
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