エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

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エリスローズは帰宅する

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「機嫌が良さそうですね」

 エリスローズは朝から機嫌がよかった。
 死ぬほど退屈なパレードが終わってから数日経った今日は待ちに待った給料日。
 そして家族に会いに行ける日。
 家族と離れてまだ一ヶ月しか経っていないが、毎日泣くほど恋しかったため今日という日が嬉しくて仕方ない。
 
「エリーナ、いいだろうか」

 朝からリオンの顔を見なければならないことに少し憂鬱になる。
 今の気分を壊したくはないが、王太子が会いに来たのに断ることなどできない。
 どうするかとエリスローズを見るカーラに頷くとドアが開いた。

「給金を持ってきた」

 なぜ王太子が直々に持ってくるんだと怪訝そうな表情を見せるエリスローズにリオンが笑顔で手渡した。

「ッ!?」

 驚くほどズシッとしている巾着袋。

「目の前で開けるのは──」

 スラム街や貧困街では受け取った給料はその場で確認するのが常識。もしかすると中に入っている金額が誤魔化されているかもしれないから。
 巾着袋の紐を解くエリスローズをカーラが止めようとするが、それよりも先に開けてしまった。

「ッ!?」

 黄金に輝くコイン。生まれて初めて見る金貨に驚いたエリスローズが何度もリオンと金貨を交互に見る。
 何枚あるか正確な数はわかっていないが、ザッと見ただけでも父親、母親、エリスローズが一年かけて稼ぐ額を遥かに超えていた。
 慌てて紙とペンを持ったエリスローズが字を書く。

『何かの間違いでは?』

 勢いよく見せる紙に書かれた言葉にリオンが笑う。

「契約書に書いてあっただろう? これでも少ないんじゃないかと僕は思ってるよ」

 これで少ないと感じる王族はやはり手の届かない人間だったと改めて実感する。
 エリスローズがしていることは実際にはほとんどない。
 字が書けるようになってから各国の王族から送られてくる手紙に返事を出すだけ。

「これからイベントが続くんだ。パレードよりずっと大変かもしれない。これじゃあ割に合わないって思うことがあるかもしれないから、そのときは言ってほしい」
『じゅうぶんです。これで家族が貧しい思いをせずに生きていけます』
「何か欲しい物があればいつでも言って。用意するから」

 首を振るエリスローズは巾着袋をしっかり閉じて手首に紐を巻き付けた。

「今日、ご家族に会いに行くんだろう? もしよかったら僕も一緒に行ってもいいだろうか?」

 予想もしていなかった言葉にエリスローズは咄嗟に首を振ってしまう。

「迷惑かな?」
『そうじゃないんです。ただ、一人で会いに行きたいんです』
「そっか。家族水入らずがいいよね」
『ごめんなさい。王太子が一緒にと言ってくださったことは伝えます』
「急に言ってごめんね」

 首を振るエリスローズの頭を撫でる優しい手。
 なぜこんなに優しくしてくれるのだろうと思うが、カーラが一切の差別をしないように王太子もそうなのだと思った。
 スラム街の人間だからとボロ屋に住まわされてもおかしくなかったのに、王太子の好意で別荘を貸してくれた。そのお礼は家族にちゃんと言わせなければならないとわかっているが、今日は一人で会いに行きたかった。
 急に連れて行けばきっと家族は恐縮して何も言えなくなってしまう。
 なにより、ロイが素直に甘えられないだろうからとそれを危惧して断った。

「時間を取らせてしまったね。じゃあ行っておいで」
『行ってきます』

 紙とペンを持って馬車へと向かうエリスローズを警護するようについてきたリオンが馬車の前まで来て見送ってくれた。
 良い人だと珍しく誰かにそんな感想を抱き、エリスローズは少し嬉しかった。
 家族に会える嬉しさに笑顔が出っぱなしだが、不安もある。やはり声が出ないことと目が青いこと。
 エリスローズは毎日自分の顔を鏡で見るため見慣れてしまったが、家族は初めて見る。
 化粧を施されたこの顔もエリスローズというよりはエリーナ。
 両親は理解してもきょうだいは嫌がるのではないかという心配。
 だが今はその心配で時間を潰すのではなく、手にしている紙に伝えたいことを書いていく。
 
「着いたぞ」

 馬車に乗るときはいつも御者が開けてくれるのだが、今日は兵士が開ける。
 ゆっくりと馬車から降りると家族が出てきた。

「……エリー……?」

 娘なのかと戸惑う両親に苦笑するエリスローズが頷く。

「ああ……ッ、あああぁぁあああッ! エリー!」

 両親が泣きながら駆け寄って抱きしめてくれる。
 その温もりにエリスローズの目から涙が溢れた。
 ずっと聞きたかった声だ。この声が恋しかった。
 
「目はどうしたの? どうして青いの?」

 ペンを取り出して紙に書くと兵士に見せた。

「エリーナ王太子妃に合わせたためだ」
「ああ……エリー……なんてことだ。お前の美しい赤の瞳が青に……」

 ここまでしなければならないのかと悲壮な顔を見せる両親にエリーは涙を拭って笑顔を見せる。

「声は? どうして喋らないんだい?」
「エリーナ王太子妃とは全く声が違うため、万が一のことを考えて声を封印している」
「そんなッ! そこまでする必要があるのですか!?」
「万が一にでもバレたらどうする。国がパニックになるだけだ。エリーナ王太子妃がお戻りになれば声も目の色も戻る」
「そんな……」

 目の色も変えられ、声も奪われ、人とのコミュニケーションは書くことだけとなった娘がどういう扱いを受けているのか心配になった。
 ずっと心配してはいたが、そこに苦痛が加わる。
 表情を歪ませる両親に苦笑しながらもう一度二人を抱きしめると抱きしめ返される。 

「中に入れ」

 書いた紙を兵士に渡すと中に入るよう促される。

「ねーね!」
「おねーちゃん!」

 メイとシオンが駆け寄ってくるのを膝をついて受け止める。
 小さな身体に汚れはない。少しふっくらしたように見える二人が健康そうで安心したとエリスローズは安堵した。

(ロイ)

 奥にロイが立っているのが見え、立ち上がるとロイに向かって両手を広げる。
 声は出ないが口だけ動かしてロイを呼ぶ。

(おいで)

 ゆっくりと口を動かして伝えるとロイの目が潤みはじめる。

(ローイ)

 もう一度呼ぶとロイが目を擦って駆け寄ってきた。

「なんで声出ないんだよ!」
(ごめんね)
「こんなのおかしいじゃん!」
(ごめんね)
「エリーの声がッ……聞こえないなんて……いやだ……ッ」

 震えるロイの声にエリスローズはまた涙が出そうになる。
 今日は笑顔で過ごすと決めていたのに両親に会った瞬間、その決心は一瞬で崩れ落ちた。
 場所なんてどこだっていい。家族がいることが大事なんだとエリスローズは再確認する。
 ここよりずっと広い場所で生活していても家族がいなければ寂しくて辛い。
 朝から夕方まで工場で休みなしで働いて、いい歳した中年男の相手を娼婦としてこなし、酒場で酒を振る舞う生活は何一つ楽だと言えないものでも全て終われば家族がいる場所に帰れることが幸せだった。
 その日食べる物がなくてどんなに腹の虫が騒ごうと弟たちが食べられていればそれでいいと思えるほど家族を愛しているエリスローズにとって家族がいない生活は何よりも辛いものだった。

「ローにーに、だーじょ?」
「ロイにーちゃんは大丈夫だよ、メイ。ほら、おねーちゃんに食べてもらう果物取りに行こう」
「うん!」

 メイとシオンの前では変わらずお兄ちゃんとして過ごしているロイが泣いているのをメイが心配するも、シオンがメイの手を引いて向こうへ行く。
 シオンもまだ五歳。甘えんぼだが、メイの前ではお兄ちゃんの顔を見せる。

(ロイ、眠れてる?)
「……眠れてる……」

 寝ているのかとジェスチャーを見せると伝わったロイは目を擦りながら頷くが、メイやシオンと比べると明らかに顔色は良くない。
 ちゃんと三食食べられているはずなのになぜここまで弱っているように見えるのかと心配になる。
 ロイを抱き上げて向かうは立ったままこちらを見ていた両親のもと。

「これは……!?」
「どうしたの!?」

 巾着袋の紐を手首から外して父親に差し出すとその重さに驚いたあと、中を見てエリスローズと同じ反応を見せた。

「それは一ヶ月の給金だ」
「……そう、ですか……」
「?」

 スラム街で生きていれば一生手にすることはできないだろう額を見ても両親に笑顔はない。
 首を傾げるエリスローズに向ける顔は辛そうに歪んでいる。

「お前を犠牲にして手に入れた金だ。お目の美しい瞳の色も美しい声も奪われ、誰も味方がいない中で一ヶ月苦しんで手に入れた金なんて……」

 親として喜べるものではなかった。
 エリスローズは一度ロイを下ろして紙に言葉を綴る。

『味方がいないわけじゃない。カーラという教育係はとても良い人。王太子も優しい人』

 エリスローズが書いた文字を兵士が読み上げて伝える。

「辛い思いはしてないか?」
『この顔色が証拠』
「こんな大金をもらえるほど大変な思いをしてるんじゃないのか?」
『建国記念日のパレードに出て手を振っただけ。最近はエリーナ様への手紙に返事も出してる。それぐらいしかしてない』

 そこに書いてある言葉が本当かどうか字が読めない二人には判断できない。
 もしかすると兵士がそれを正確に読まず、嘘をついている可能性もある。
 だが、疑ったところでそれが嘘か本当かを確認する術を持たない二人は娘の笑顔を信じるしかない。

「こんな大金、一体どうすればいいんだ……」

 見たこともない大金をどうすればいいのかわからないのはエリスローズも同じ。
 何でも変える。それこそ街に出てスラム街の人間を嘲笑するパン屋の店主の店ごと買い取れるだけの額だ。
 だが、スラム街の人間は底辺の生活に慣れすぎて物欲というものが消えてしまっている。
 望んだところで手に入らない。それがわかっているから何も望まなくなった。
 両親もそう。今は配給がある生活をしているし、最低限の生活は保障されているだけに金を手に入れたとて使い方がわからない。
 
『貯めておけばいい。エリーナ様が戻ったらここから出て行かなきゃいけないし。ここから出たらお金が必要だから』
「そうだな。そうしよう」
「大切に置いておくわね」
『街に行って服を買ったりしてもいいから。あ、二人の指輪を買ってもいいと思う』

 エリスローズが提案するも二人は顔を見合わせたあと、首を振って断った。

「指輪なんかなくても私たちは夫婦だ。あれは儀式に必要なアイテムというだけで必ず必要な物じゃない」

 二人の考え方は実に二人らしいもので、エリスローズは納得したように頷く。

『ロイはちゃんと眠れてる?』
「ロイは──」
「余計なこと言うな!」

 母親の言葉を遮ったのが眠れていないという証拠。
 
「エリーがいないって泣く日が多くて夜は眠れてないことが多いの」
「言うなって言っただろ! 何で言うんだよ!」
「恥ずかしいことじゃないだろ? お前はエリーにしか甘えないから眠れなくなるんじゃないかって心配してたんだ」
「その通りになっちゃったのよね」
「寝てる! 嘘つくんじゃねぇ!」

 顔を真っ赤にして反論するロイがエリーに抱きついてお腹に顔を埋める。
 エリーにだけは聞かれたくなかったことに耳まで真っ赤に染めたロイは猫の唸り声に近い声を漏らして地団駄を踏む。

『お昼まで一緒に寝る?』

 兵士の声だが、エリーの言葉。
 拗ねたような顔を見せながらも拒否しないロイに両親もエリスローズも笑う。

「ねーね!」

 メイの声にロイがビクッと肩を跳ねさせて慌てて離れようとするがエリスローズが離さない。

「食べる? りんごおいしいよ!」

 メイが持ってきた物をシオンが問いかける。
 皿に乗っているのは傷みのない新鮮なリンゴ。
 ちゃんとした物を届けてもらっているのだと安堵した。
 皿にはちゃんとフォークが置いてあり、この一ヶ月で成長したのは自分だけではないのだと嬉しくなる。
 一つフォークで刺してかじると甘い蜜の味に目を細める。

「おいしい?」

 笑顔で頷くエリスローズにシオンもメイも嬉しそうに笑う。

「さ、二人で寝ておいで」

 父親の言葉に頷くとロイを抱き上げて二階へと上がっていった。
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