エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

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エリスローズは感涙する

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「楽しかったなぁ」

 行きと同じで帰りの馬車の中でも上機嫌なリオンが窓の外を眺めながら呟く。
 今日はエリスローズにとって二度目の帰宅となる日だったのだが、帰宅したのはリオンの実家だったかと思うほど彼は満喫した一日を過ごした。

「シオンもロイも賢いね。あれならあっという間に読み書きができるようになるよ」
『ありがとうございました』
「もし彼らさえ良ければ家庭教師を派遣してあげたいなと思うんだけど」
『……そこまでしていただくわけには。彼らは自分で勉強すると思います』
「でもわからないことは教えてもらったほうがわかりやすいよ」

 字を覚えたいと自ら目指した先に早く辿り着くには独学よりも教師に教えてもらったほうがいいに決まっている。
 わからないことは質問すればすぐに返ってくるし、間違いを正してもらうこともできる。
 なにより、一通の手紙を書いたあと、これが間違っていないか確認してもらうことができるのだ。
 ロイは大人顔負けにプライドが高い。だから今まで弱音を吐くこともなかったし、皆がロイの我慢強さに甘えていた。だからこそ素直になれない部分もあるため、家庭教師の授業をちゃんと受けるかわからない。スラム街以外の人間は敵、そう考えているのだから。
 シオンに関しては心配はしていない。妹想いのシオンは自分のためではなく、気に入った絵本をメイに読んであげたいという目標がある。
 字の読み書きはできたほうがいい。彼らのためにはリオンからの申し出を受けたほうがいいのだろうとわかっている。

「何を迷ってるんだい?」
『そこまでしていただく理由がないからです』
「理由が必要かい?」

 エリスローズが頷く。

「君を巻き込んでしまったお礼だよ」
『それはお給金としていただいています。リオン様に何かしていただく理由がないんです』
「僕がしたいからっていうのは理由にならない?」

 その言葉にエリスローズは今までずっと疑問に思ってきたことを問いかけることにした。

『なぜこんなにも気にかけてくださるのですか? 私だけではなく家族にまでこんなに良くしてもらって……何度考えても理由が見つからないんです』

 紙に書かれた困惑の感情にリオンが苦笑する。

「……責任っていうとわかりやすいかな。失踪したのは僕の妻だ。責任感のない妻のせいで無関係な君を巻き込むことになってしまった。あの場所は息苦しいだろう? エリーナもよくそう言っていた。王女として生まれたエリーナでさえそう言うのだから君が思わないはずがないよ」
『思います』
「でも君がいないと僕たちは困ってしまうから」
『正直に言うことはできないのですか?』
「できるよ。でもそれは国民を不安にするだけだからね」
『隠しているほうがいいと?』
「今の生活に飽きれば戻ってくるだろうから」

 リオンの話を聞いて思うのは、やはり皆が勝手すぎるということ。
 弱い者に選択権がないことはエリスローズも知っている。
 生まれながらにしてそうであればそれに抗う術を持っていないことも。
 エリーナと離婚にでもなればオリヒオとの同盟も消滅するかもしれない。快くしてくれていた支援もなくなるかもしれない。
 それが怖くて誰もエリーナを責めないし、こうした身勝手な振舞いも許している。
 エリスローズには到底理解できないことだ。

『甘やかし続けるのも大変ですね』
「まあ、そうだね。でも彼女がいることでこの国は潤ってるようなものだから」

 嫌味のつもりだったのだが、言われ慣れていないリオンには通じなかった。
 真正面から言葉を受け入れるリオンにエリスローズがペンを走らせる。

『この国、というのに入っているのは平民まででしょうけど』
「それは……」

 国がどれほど潤っていようとスラム街がその恩恵を受けることはない。
 酒がタダになって毎日配られるようになろうともスラム街に与えられるのは平民が飲んだ空き瓶だけ。
 
「僕は──」
『子供がお好きなんですね』
「え? あ、うん。そうだね。子供は大好きだよ」

 言葉を遮って話題を変えたエリスローズの問いに戸惑いながらも笑顔を見せるリオン。
 メイとシオンとロイの三人を相手にしていた体力もそうだが、処理の上手さには皆が舌を巻いていた。
 だが彼に子供はいない。弟や妹に会ったことがないだけでいるのだろうかと疑問を紙に書いた。

「一人っ子だよ、残念ながらね。だからこそ早く子供が欲しかったんだ」
『子供は作らないのですか?』
「エリーナがね、乗り気じゃないんだ。子供を産むと体型が崩れると言ってね」

 あまりにもひどい理由に絶句する。
 世継ぎを産むのは王太子妃の役目。それを体型が崩れるという産まない理由にもならない言葉で押し通しているエリーナには嫌悪感が増すばかり。

「愛人でも作って産ませればいいと言われたよ。僕の血が入っていることが大事なんだからと」
『それさえも許してしまうのですか?』
「それはまだ話し合ってる途中。彼女の両親が孫を観たがっているのもあって諦めてはないよ」
『説得できそうですか?』
「……無理だろうね。彼女は自分が一番大事なんだ。親の期待や妻としての義務なんてどうだっていい。王太子妃としての務めさえ放棄する女性だから」

 エリスローズは離婚すればいいと思ったが紙には書かなかった。
 そさえも甘やかしてしまうのなら甘やかした人間が責任を取るべきだと思ったから。
 リオンがエリーナを甘やかしているのならリオンが責任を取るべきだし、全員が甘やかしているのなら孫の存在や王太子妃としての務めを果たすことも諦めるべきだと。
 実際、彼はこれからもそうやって甘やかして何もかも許していくのだろう。彼女のいい加減さを、わがままをそうやって「仕方がない。国のためだ」と言って。

「だからね、今日はロイやシオンやメイと遊べてすごく楽しかったんだ。年齢的に見ても全員が僕の子でもおかしくはないから」
『ロイは十歳ですよ?』
「王族はね、生まれた瞬間に婚約者が決まることもある。だから十五歳で親になる王族は少なくないんだ」

 それはスラム街も同じ。若ければ若いほど良いと言われる娼婦。それでも客を一人取ったところでリンゴどころかリンゴの皮さえ買えないような額しか稼げないのに乱暴に扱われてなんの気遣いもなく妊娠させられる。
 スラム街でエリスローズの年齢なら二人ぐらい産んでいる女はそれなりに存在する。
 相手のことが好きでたまらなくて子供を作るのであれば羨ましい限りだが、彼らはそうじゃない。
 全ては世継ぎのため。
 虚しいことだと思いながらも彼もまた自分の運命を変えられない環境にいるのだ。

「三人も子供がいたら楽しいだろうね。十五歳で父親になったのに二十歳でまた子供ができて、二十二歳にまた子供ができる。三回も喜びを感じられるんだ。一回目と二回目が男の子で三回目が女の子。僕の理想だよ」

 理想が目の前にあったからこそ、あれだけ喜んで遊んでくれたのだろう。
 相変わらずマイペースに過ごしているメイと少しお兄ちゃんの顔を見せながらも甘えん坊なシオン、そして反抗期を迎えているかのようなロイ。
 彼にとって誰もが可愛くて仕方なかった。

「ロイは君のことが大好きなんだね」
『彼が甘えられるのは私にだけなんです。両親はメイとシオンが取っちゃうのでロイはお兄ちゃんとして甘えることを我慢してる。だから私がロイを甘やかすんです。というより私が甘えてもらっているんです』
「手ぇ出すなよって言われたときは驚いたな」

 帰りの馬車に乗る前、ロイはリオンに向かってそう言い放った。
 両親が慌ててロイの口を押さえるもリオンが大笑いするものだから二人はキョトンとしていた。

「あそこには今、僕が手に入れられなかった愛が溢れてるんだ」
『エリーナ様とよく話し合われてみたらいかがです?』
「彼女が人の話を聞く人間なら僕もそうしてるんだけどね」
『国王陛下のお言葉もですか?』
「彼女は自分が持つ力をわかってるから」

 エリスローズはリオンの話を聞けば聞くほど幼い頃に見ていた夢が消えていくのを感じた。
 キラキラした王子様と結婚すれば無条件で幸せになれると思っていた幼い頃。
 目の前にはキラキラした王子がいる。だが、その王子は全く幸せそうではない。ましてやあの両親。家族一緒に城で暮らすなど不可能。
 馬鹿げた夢だったと自嘲しながら外を見るエリスローズはペンを置いた。
 リオンはそれがエリスローズがこれ以上会話をする気がないと言っているようで膝上に置いてあるノートをトントンと叩く。
 振り向くのは当たり前なのに彼女の顔がこっちを向くだけでリオンは嬉しくなる。

「来月も一緒に行っていいかな?」

 イエスともノーとも言えない問いにエリスローズの頬が引き攣る。
 両親はリオンが素敵な人で安心したと言っていたが、ロイは絶対に来るなと言っていた。ロイの気持ちを優先して一人で帰るとメイとシオンはガッカリするだろう。
 どうしたものかと考えていると手を握られる。

「君の両親と約束した通り、僕はエリーナが戻ってくるまで君を支えるつもりだ」

 帰る前、リオンは両親から娘は大丈夫だろうかと聞かれ「彼女は素晴らしい努力家で、僕も見習わなければならないほどだ」と答えた。そして「何があろうと支えるから心配しなくていい」とも言った。
 それを聞いた両親は涙を滲ませながら何度も頭を下げていた。
 差別の中で生まれ育ったエリスローズにとって城の中での差別など傷つくに値しない。だがそれをエリスローズの口からそうやって伝えることは絶対にできない。
 娘が「大丈夫、心配しないで」と言ったところで両親の心配は軽くならないはず。だからその言葉はエリスローズにとってもありがたいものだった。
 両親を安心させられるのは娘ではなく娘と一緒に来てくれた王太子。
 少し悔しいが、それが現実。

『ありがとうございます』
「だから君も気軽に僕を頼ってほしい」

 どうやって頼れというのか。誰もエリスローズを快く思っていないのにリオンを頼っているなど知られたら何を言われるかわからない。
 言葉通り気軽に頼っていたら王妃に報告がいくことは間違いないだろう。そしてこう言われる。

「何様のつもりですか? 身の程を知りなさい」と。

 容易に想像がつくことにエリスローズは何も言わず、その場限りの返事として頷きを見せた。
 
「……君に僕の子供を産んでほしいよ」

 少しはにかみながら言うリオンには申し訳ないと思いながらもエリスローズはゾッとして鳥肌を立てていた。
 今払っている給金の十倍を払うから子供を産んでほしいと言われてもエリスローズは絶対に頷かない。
 愛人にはなりたくないし、自分の血が王室に残ると思うと鳥肌が止まらない。
 想像だけでこんなにも気持ち悪いのだから現実になることなどありえない。

「ロイのように賢い子がいて、シオンのように優しい子がいて、メイのように可愛い子がいる。君とならそんな家族が築けそうなのに」

 やめてくれと心の中で訴えながら微笑みと共に首を振る。

「なんて、急にこんなこと言うなんてちょっと怖いかな」

 間髪入れずに頷くエリスローズにリオンはまた苦笑しながら「あはは……」と声を漏らして頬を掻いた。

「あ、ロイから手紙が来たら見せてくれるかい?」

 頷くエリスローズのもとに手紙が届いたのはそれから一週間後のこと──

「ロイから手紙が来たって──いッ!」

 約束していたからと手紙を持って王子の執務室を訪ねると勢いよく立ち上がったせいで机に足をぶつけて震えていた。

『大丈夫ですか?』
「み、みっともない姿でごめん。見せてもらってもいいかな?」

 差し出された手紙は便箋一枚だけ。
 それを開くとリオンの目が緩やかに細められる。

「彼はやっぱり賢い子だ」

 お世辞にもキレイとは言えないガタガタの字。それも便箋の線に従わず大きく書かれた文字。

「エリーが元気でいますように、か」

 書きたい言葉はたくさんあっただろう。会いたいとか帰ってこいとか好きだとか──
 でもロイが選んだ言葉は願い事のようなもので、読んだエリスローズが罪悪感を抱かない言葉だった。
 
「ここに呼んで勉強させたいぐらいだよ……っと、ああ……嬉しいよね」

 部屋でもうじゅうぶんに泣いたはずなのに字を見るとやっぱり泣いてしまう。
 あれからずっと練習していたのだろう。与えられた紙とペンで何度も何度も繰り返し書いていたのだろう。
 ロイの優しさが詰まった言葉に涙するエリスローズをリオンがそっと抱きしめた。

「訂正する。彼も優しい子だ。賢いだけじゃないね」

 腕の中で何度も頷くエリスローズが泣き止むまでリオンはずっと髪を撫でていた。
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