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エリスローズは狼狽する
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「……すっげー……」
初めて見るお城の大きさにエリスローズが入城するときと同じような反応を見せるロイにエリスローズが笑う。
自分はもうすっかり慣れてしまったこの場所もロイにとっては別世界に見えているのだろう。
「ここでずっと暮らしてたの?」
頷くエリスローズにロイはキュッと唇を結んで抱きついた。
どうしたのかと目を瞬かせるエリスローズが頭を撫でると顔が上がる。
「これからは俺がいるから大丈夫だよ、エリー。寂しくないだろ?」
途端に表情がとろけるエリスローズがロイの額にキスをするとしゃがんで抱きしめた。
優しい子なのは昔からわかっている。でもそれが変わらないのが嬉しい。
敵ばかりであることを知らせることになってしまうのは辛いが、どうせ使用人とはあまり関わらないためロイはそれほど辛い目に遭わないはずだと思いながらもしっかり守ろうと覚悟を決めて立ち上がる。
「行こうか」
先を歩くリオンに門番や使用人たちが次々と頭を下げていく。ちゃんと立ち止まって頭を下げ、挨拶をする。
「ハッ、城で働いてるって言ってもどこも同じだな」
王太子妃の身代わりをしているというのに誰もエリスローズには頭を下げない。
立ち止まるどころか隣を通る際にフンッと鼻を鳴らす使用人もいた。
貧困街の人間のやり方と同じだと小さく鼻を鳴らしては呟くロイに握った手を少し強めに揺らして無言の注意をする。
「ここがエリーの部屋だよ。使用人たちには既に話は通してあるから着替えも揃ってるし、何かあればベルで呼ぶといいよ」
部屋に入ってもロイが感動することはなかった。
ぐるりと部屋を見回すとソファーに腰掛ける。
「お前の部屋もこんなもん?」
「あー……いや、もう少し部屋数があるかな」
「お前もエリーを差別してんの? それとも差別を容認してんの?」
やめなさいとロイの頭にノートを乗せたエリスローズが隣に腰掛けてペンを走らせる。
『あくまでも身代わり。立派な部屋は必要ないし、一人ならこれでも広すぎるぐらいよ』
「でもエリーがいないと困るんだろ? だったらもっと良い待遇すべきなんじゃねーの?」
『ロイは贅沢がしたいの?』
エリスローズの言葉に慌てて首を振るロイ。
「違う! そうじゃない! 俺はエリーがもっと良い暮らししてると思ってただけ! だってエリーがいないとアイツら困るんだろ? 城はこんなに広いのにエリーの部屋は狭いって納得できなくて……。コイツらの感謝の気持ちってそういうのでしか表せねーじゃん」
『お給金もらってる』
「そうだけど……」
『贅沢しに来てるんじゃないの。スラム街から通うことだってできたのを住ませてくれてるんだからありがたいって思わなきゃ』
「俺はスラム街でもよかった」
『あんなにたくさんのお金持ってあの場所にいられると思う?』
「思わないけど……」
もし大金を隠しているのがバレたら一瞬で奪われてしまっているだろう。
エリスローズが留守にしている間にロイたちは殺されていたかもしれない。
人を殺しても罪に問われない場所では自分が生きるためなら人を殺してでも奪い取るという考え方の人間が少数ながら存在するのだ。
だから誰もが家に隠し場所を持っている。それさえも嗅ぎ分ける泥棒はいて、絶望の中で生きながら更なる絶望を味わわなければならない者もいる。
それを回避できたことは幸せ以外の何者でもない。
「ごめん……」
『私に謝るの?』
指摘に唇を尖らせるもリオンのほうを向いて謝るロイにリオンはソファーの肘掛けに腰掛けて頭を撫でた。
「良い部屋に移ってもらうこともできるんだよ。でもね、エリーがそれを望んでないんだ。僕は彼女に過ごしやすい場所で過ごしてほしいと思ってるから」
「……うん……」
ロイもエリスローズの性格はわかっているため豪華な部屋を遠慮したのだろうとわかってはいるが、城に入ってから部屋に到着するまでの道中、使用人たちの態度を見ていると冷遇されているとわかったため部屋も別荘とそう変わりない部屋を与えられたのではないかと思ってしまった。
「なんで、皆エリーに冷たいの?」
「皆、エリーナのことが好きだから身代わりで来てくれたエリーを受け入れることに戸惑ってるんだ。エリーナは一人しかいないのにってね」
「だからって挨拶しないなんていいのかよ。挨拶は基本なんだろ?」
馬車の中で挨拶は基本だと教えられた。
だが、使用人はリオンには挨拶をしてもエリスローズにはしなかった。
そのことに不満を訴えるロイにリオンは頷く。
「そうだね」
「いいのかよ」
『ロイ、そうしてくれるよう私が頼んだの』
「なんで?」
『エリーナ様って呼ばれるのが嫌だから』
「んー……」
不納得なロイを抱きしめてもまだ不納得のまま唸るロイに苦笑してリオンを見るとリオンも納得していないのか眉を寄せている。
リオンは一度使用人たちにエリスローズをエリーナだと思って世話をするようにと言ったが、王妃が厳しい態度を取るのだから使用人たちもそっちを優先して不遜な態度を取っているのだろう。
王太子より王妃を優先するのは使用人として当然のこと。
だから彼らの意識を変えようにもリオンだけでは変えられない。
「すげー文句言ってやりたいけど、いい子にするって約束したから我慢する」
我慢という言葉をロイに使ってほしくはないが、この状況では仕方ない。
「エリーといられるだけで嬉しいし」
目を覚ましてから父親がリオンに言われたことを伝えるまでロイは泣きじゃくっていた。
離れたくない、寂しい、ずっと一緒がいいと言ってしがみついて離れようとしなかった。
こうして一緒にいるだけでロイが笑顔でいてくれるのなら使用人からどんな扱いを受けようとどうだっていい。
『両陛下との面会はあるのですか?』
「いや、その予定はないよ。父はエリーナが戻ってくるまで全うしてくれるのなら弟ぐらい囲わせてやれと言ってたし」
『王妃様は?』
「……まあ、反応は最悪だったから……何をしでかすかわからない、かな」
『頼りねーな、王太子』
「いや、守るよ。だから僕もこの部屋で過ごそうかな」
「寝言は寝て言えよ」
冷たい言い方にもリオンはめげない。
「じゃあ、二人で僕の部屋に移動してくるっていうのは──」
「玉蹴り上げて夢の中に送ってやろうか? いてっ! もー、痛いって」
お尻を叩かれて文句を言うロイにもーじゃないと口の動きで伝えるとまた拗ねたように唇を突き出しながら身体を離して尻を撫でる。
「まあ、もし会うことがあるとしても一回だけだと思う。ロイ、王妃に会ったら気分害すると思うけど笑ってられる?」
「エリーに暴言吐いたら唾吐いてやる。冗談だけど」
どこまでが冗談なのだろうと笑顔で固まるリオンが三秒ほどしてから咳払いをして肩を叩く。
「いい子にしてりゃいーんだろ」
「そうだね」
「俺も追い出されたくねーもん。大人しくしてる」
「あーいい子! 大好きだよ!」
「やめろ鬱陶しい! お前に言われても嬉しくねーんだよ! 気持ち悪い! 離れろ!」
抱きしめてくるリオンを全力で拒否する様子にエリスローズが笑う。
家にいたときよりもずっと子供らしさを見せるロイに安心した。
家族以外は全員敵だと思っているロイがどこまで上手くやれるかはわからないが、エリスローズ自身もロイがいることで心が安らいでいる。
「いたたたたっ! あ、そうだ! 今から三人で庭を散歩するっていうのはどうだい?」
「家族ごっこでもしようってのか? そうはいかねーぞ」
「そうじゃないよ。君に自慢の庭を見せたいんだ」
「花とか興味ねー」
「じゃあ外でティータイムも一緒にどう? スコーンとかクッキーとかサンドイッチにケーキ。オレンジジュースも一緒に!」
ゴクリと喉を鳴らすロイだが、エリスローズはあまり良い顔を見せない。
「エリー?」
リオンの呼びかけにロイがエリスローズを見上げる。
「エリーが行かないなら俺も行かない」
エリーはこの状況に困っていた。
庭はリオンとエリーナのために作った場所だから勝手に歩くなと王妃に言われている。それをリオンに伝えるつもりはなかっただけに、どう断るべきか迷っている。
庭を歩くだけでも文句を言われたのに庭でティータイムなど叱られるどころではない。
自分だけならいいが、入城することさえ快く思われていないロイまで同席していると知ったらロイにまで火の粉が飛ぶ可能性がある。
それだけはなんとしても避けたかった。
「エリーの好きな紅茶を用意するよ」
リオンは信じて疑っていないのだろう。エリスローズの日常に当たり前のようにティータイムの時間があると。
だが一度もない。いや、一度だけあった。カーラがマナーを教えるために用意してくれたのだ。それでもそれだけ。
リオンが口にしたクッキーやスコーンなどこの七ヶ月間出されたことがないのだ。
マナーを習ったといえど一度きり。
カーラはエリーナがいくらお喋り好きであろうと声が出なくなった相手をお茶会に誘うほど他国の王女たちはバカではないためお茶会への誘いは来ないだろうと言っていた。
その読みは当たり、身代わりになってからお茶会への誘いはゼロ。
お茶会がないからマナーは必要ないという結論に至り、一度きりにしてしまったせいで忘れてしまっている。
しかし、問題はそれだけではなく紅茶を飲むこともほとんどないため好きな紅茶と言われても種類がわからない。
「いつもなんの紅茶を飲んでるんだい?」
最悪の質問にエリスローズが固まる。
「スコーンにつけるクリームは何がいい?」
種類があることさえ知らない。
「ジャムはなんのジャムが好き?」
ジャムがなんだったのかも思い出せない。
「クッキーはどのクッキーが好き?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問にエリスローズは初めて目が回りそうになった。
全てエリスローズの好みに合わせてくれようとしているリオンの気持ちはありがたいが、今はそれが最もエリスローズを困らせている。
「俺もエリーの好きな物が食べたい」
ロイの期待がエリスローズの呼吸をも止めた。
今日から寝食を共にするのだからバレてしまうことだ。
家族よりもずっと質素な食事をしていたと。
出てくるパンにはジャムもクリームも付いていないし、紅茶ではなく水が出てくる。肉や魚といったメインはなく、サラダとスープだけだという事実を知るのは数時間後だ。
それでもロイだけに知らせればロイはきっとエリスローズの頼みであれば内緒にする。リオンにさえバレなければ面倒なことにはならないと隠そうとしていた。
それなのに今、全てがバレようとしている。
「エリー?」
何も書こうとしないエリスローズに二人が似たような表情で見つめてくる。
最高に居心地の悪い瞬間。
エリスローズは握ったペンをノートの上で揺らすだけで書かない。
「エリー、もしかして……」
ドキッとした。
怪訝な表情をしていたらどうしようと心臓が激しく動くのを感じながら顔を上げようとしたエリスローズだが、ノックもなく開いた後方のドアに救われた──と思っていた。
「母上……」
呼んでもいないのにやってきた王妃の存在にエリスローズの顔が歪む。
ロイを貶しに来たのかと守るように抱きしめながら何を言うつもりだと目で訴えたが、王妃の反応は想像とは違っていた。
「……どう、して……お前が……」
驚きと怯えが混ざり合ったような表情でロイを見つめる王妃の顔は青く、口を押さえながら何かを呟いている。
「母上?」
文句を言いに来たのだとばかり思っていたリオンは初めて見る様子に心配そうに声をかけるが、王妃の視線はロイから離れない。
「お前、この子をワザと連れてきたの!?」
「どういう意味ですか?」
「……追い出しなさい……」
「何を急に──」
「すぐに追い出しなさい! これは王妃命令です!」
顔色は青いまま大声を張り上げて去っていく王妃の異常にリオンたちだけではなく使用人たちも戸惑っていた。
王妃様ッと慌てて追いかける王妃お抱えの使用人たちさえ事情がわからないのではリオンたちにわかるはずがない。
「追い出されんの……?」
不安そうに見上げてくるロイにリオンは笑顔を見せて頭を撫でる。
「まさか。ロイは今日からここでエリーと暮らすんだよ。追い出したりなんかしない」
「命令に従わなくていいのかよ」
「言っただろ? 何があっても僕が必ず守るって」
「……まあ……当然だけど」
ロイは頭を撫でるリオンの手を振り払わなかった。
「よしっ、じゃあ庭に行こう!」
「しょーがねーな」
リオンが立ち上がるとロイも立ち上がる。
「エリー、行くぞ」
何を言われるかわからない。今の反応を見るなら尚更だ。
だが、あれは激怒しているのではなくどこか怯えているようにも見えた。
考えてもわからないことを考えるのは好きではないが、気になってしまう。
「エリー! 早く!」
手を引っ張るロイはお腹が空いているのだろう。
「エリーの希望は決まった?」
リオンの問いかけにエリスローズはこう書いた。
『リオン様が一番美味しいと思っている物を用意していただけると嬉しいです』
その言葉に目を細めたリオンはドアを開けて使用人を掴まえて何かを伝えている。
一瞬驚いた顔をしたあと、横目でエリスローズたちを見る使用人だが、断ることができず、シェフに伝えに走って向かった。
「ティータイムまで庭を散歩しよう」
ノートとペンを持ってロイと手を繋いで歩き出す。
「僕とも手を繋いでくれる?」
「出てくる飯、美味いんだろうな?」
「すごく美味しいよ」
「ならまあ……いいけど」
断られると思っていただけに驚いた顔をするリオンだが、差し出される手を嬉しそうに握って三人で一緒に庭へと歩いていく。
「今日だけだからな!」
「明日もこうしたいな」
「暇人かよ」
「君たちとこうするためならいくらでも時間作るよ」
「ご苦労なこって」
「だから明日も散歩しよう」
ロイはイエスともノーとも答えなかった。
ロイも実際は不安なのだろう。右も左もわからない場所で敵だらけとわかった中、自分だけでエリスローズを守りきれるかどうか。いや、守りきれないとわかっているのだ。
だからリオンから見放されないように手を繋いだ。
今この場所でエリスローズを守れるのはリオンだけ。自分が不遜な態度を取ることによってリオンが気分を害せば終わり。
その不安を解消するためには受け入れることも重要だとロイは知っている。
「ロイ、楽しい?」
「は? 別に? エリートいるのは楽しいけど、お前がいるから半減」
「そっか。僕は嬉しいよ」
「知らねー」
そう言いながらもロイの表情は年相応の笑顔に見えた。
初めて見るお城の大きさにエリスローズが入城するときと同じような反応を見せるロイにエリスローズが笑う。
自分はもうすっかり慣れてしまったこの場所もロイにとっては別世界に見えているのだろう。
「ここでずっと暮らしてたの?」
頷くエリスローズにロイはキュッと唇を結んで抱きついた。
どうしたのかと目を瞬かせるエリスローズが頭を撫でると顔が上がる。
「これからは俺がいるから大丈夫だよ、エリー。寂しくないだろ?」
途端に表情がとろけるエリスローズがロイの額にキスをするとしゃがんで抱きしめた。
優しい子なのは昔からわかっている。でもそれが変わらないのが嬉しい。
敵ばかりであることを知らせることになってしまうのは辛いが、どうせ使用人とはあまり関わらないためロイはそれほど辛い目に遭わないはずだと思いながらもしっかり守ろうと覚悟を決めて立ち上がる。
「行こうか」
先を歩くリオンに門番や使用人たちが次々と頭を下げていく。ちゃんと立ち止まって頭を下げ、挨拶をする。
「ハッ、城で働いてるって言ってもどこも同じだな」
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立ち止まるどころか隣を通る際にフンッと鼻を鳴らす使用人もいた。
貧困街の人間のやり方と同じだと小さく鼻を鳴らしては呟くロイに握った手を少し強めに揺らして無言の注意をする。
「ここがエリーの部屋だよ。使用人たちには既に話は通してあるから着替えも揃ってるし、何かあればベルで呼ぶといいよ」
部屋に入ってもロイが感動することはなかった。
ぐるりと部屋を見回すとソファーに腰掛ける。
「お前の部屋もこんなもん?」
「あー……いや、もう少し部屋数があるかな」
「お前もエリーを差別してんの? それとも差別を容認してんの?」
やめなさいとロイの頭にノートを乗せたエリスローズが隣に腰掛けてペンを走らせる。
『あくまでも身代わり。立派な部屋は必要ないし、一人ならこれでも広すぎるぐらいよ』
「でもエリーがいないと困るんだろ? だったらもっと良い待遇すべきなんじゃねーの?」
『ロイは贅沢がしたいの?』
エリスローズの言葉に慌てて首を振るロイ。
「違う! そうじゃない! 俺はエリーがもっと良い暮らししてると思ってただけ! だってエリーがいないとアイツら困るんだろ? 城はこんなに広いのにエリーの部屋は狭いって納得できなくて……。コイツらの感謝の気持ちってそういうのでしか表せねーじゃん」
『お給金もらってる』
「そうだけど……」
『贅沢しに来てるんじゃないの。スラム街から通うことだってできたのを住ませてくれてるんだからありがたいって思わなきゃ』
「俺はスラム街でもよかった」
『あんなにたくさんのお金持ってあの場所にいられると思う?』
「思わないけど……」
もし大金を隠しているのがバレたら一瞬で奪われてしまっているだろう。
エリスローズが留守にしている間にロイたちは殺されていたかもしれない。
人を殺しても罪に問われない場所では自分が生きるためなら人を殺してでも奪い取るという考え方の人間が少数ながら存在するのだ。
だから誰もが家に隠し場所を持っている。それさえも嗅ぎ分ける泥棒はいて、絶望の中で生きながら更なる絶望を味わわなければならない者もいる。
それを回避できたことは幸せ以外の何者でもない。
「ごめん……」
『私に謝るの?』
指摘に唇を尖らせるもリオンのほうを向いて謝るロイにリオンはソファーの肘掛けに腰掛けて頭を撫でた。
「良い部屋に移ってもらうこともできるんだよ。でもね、エリーがそれを望んでないんだ。僕は彼女に過ごしやすい場所で過ごしてほしいと思ってるから」
「……うん……」
ロイもエリスローズの性格はわかっているため豪華な部屋を遠慮したのだろうとわかってはいるが、城に入ってから部屋に到着するまでの道中、使用人たちの態度を見ていると冷遇されているとわかったため部屋も別荘とそう変わりない部屋を与えられたのではないかと思ってしまった。
「なんで、皆エリーに冷たいの?」
「皆、エリーナのことが好きだから身代わりで来てくれたエリーを受け入れることに戸惑ってるんだ。エリーナは一人しかいないのにってね」
「だからって挨拶しないなんていいのかよ。挨拶は基本なんだろ?」
馬車の中で挨拶は基本だと教えられた。
だが、使用人はリオンには挨拶をしてもエリスローズにはしなかった。
そのことに不満を訴えるロイにリオンは頷く。
「そうだね」
「いいのかよ」
『ロイ、そうしてくれるよう私が頼んだの』
「なんで?」
『エリーナ様って呼ばれるのが嫌だから』
「んー……」
不納得なロイを抱きしめてもまだ不納得のまま唸るロイに苦笑してリオンを見るとリオンも納得していないのか眉を寄せている。
リオンは一度使用人たちにエリスローズをエリーナだと思って世話をするようにと言ったが、王妃が厳しい態度を取るのだから使用人たちもそっちを優先して不遜な態度を取っているのだろう。
王太子より王妃を優先するのは使用人として当然のこと。
だから彼らの意識を変えようにもリオンだけでは変えられない。
「すげー文句言ってやりたいけど、いい子にするって約束したから我慢する」
我慢という言葉をロイに使ってほしくはないが、この状況では仕方ない。
「エリーといられるだけで嬉しいし」
目を覚ましてから父親がリオンに言われたことを伝えるまでロイは泣きじゃくっていた。
離れたくない、寂しい、ずっと一緒がいいと言ってしがみついて離れようとしなかった。
こうして一緒にいるだけでロイが笑顔でいてくれるのなら使用人からどんな扱いを受けようとどうだっていい。
『両陛下との面会はあるのですか?』
「いや、その予定はないよ。父はエリーナが戻ってくるまで全うしてくれるのなら弟ぐらい囲わせてやれと言ってたし」
『王妃様は?』
「……まあ、反応は最悪だったから……何をしでかすかわからない、かな」
『頼りねーな、王太子』
「いや、守るよ。だから僕もこの部屋で過ごそうかな」
「寝言は寝て言えよ」
冷たい言い方にもリオンはめげない。
「じゃあ、二人で僕の部屋に移動してくるっていうのは──」
「玉蹴り上げて夢の中に送ってやろうか? いてっ! もー、痛いって」
お尻を叩かれて文句を言うロイにもーじゃないと口の動きで伝えるとまた拗ねたように唇を突き出しながら身体を離して尻を撫でる。
「まあ、もし会うことがあるとしても一回だけだと思う。ロイ、王妃に会ったら気分害すると思うけど笑ってられる?」
「エリーに暴言吐いたら唾吐いてやる。冗談だけど」
どこまでが冗談なのだろうと笑顔で固まるリオンが三秒ほどしてから咳払いをして肩を叩く。
「いい子にしてりゃいーんだろ」
「そうだね」
「俺も追い出されたくねーもん。大人しくしてる」
「あーいい子! 大好きだよ!」
「やめろ鬱陶しい! お前に言われても嬉しくねーんだよ! 気持ち悪い! 離れろ!」
抱きしめてくるリオンを全力で拒否する様子にエリスローズが笑う。
家にいたときよりもずっと子供らしさを見せるロイに安心した。
家族以外は全員敵だと思っているロイがどこまで上手くやれるかはわからないが、エリスローズ自身もロイがいることで心が安らいでいる。
「いたたたたっ! あ、そうだ! 今から三人で庭を散歩するっていうのはどうだい?」
「家族ごっこでもしようってのか? そうはいかねーぞ」
「そうじゃないよ。君に自慢の庭を見せたいんだ」
「花とか興味ねー」
「じゃあ外でティータイムも一緒にどう? スコーンとかクッキーとかサンドイッチにケーキ。オレンジジュースも一緒に!」
ゴクリと喉を鳴らすロイだが、エリスローズはあまり良い顔を見せない。
「エリー?」
リオンの呼びかけにロイがエリスローズを見上げる。
「エリーが行かないなら俺も行かない」
エリーはこの状況に困っていた。
庭はリオンとエリーナのために作った場所だから勝手に歩くなと王妃に言われている。それをリオンに伝えるつもりはなかっただけに、どう断るべきか迷っている。
庭を歩くだけでも文句を言われたのに庭でティータイムなど叱られるどころではない。
自分だけならいいが、入城することさえ快く思われていないロイまで同席していると知ったらロイにまで火の粉が飛ぶ可能性がある。
それだけはなんとしても避けたかった。
「エリーの好きな紅茶を用意するよ」
リオンは信じて疑っていないのだろう。エリスローズの日常に当たり前のようにティータイムの時間があると。
だが一度もない。いや、一度だけあった。カーラがマナーを教えるために用意してくれたのだ。それでもそれだけ。
リオンが口にしたクッキーやスコーンなどこの七ヶ月間出されたことがないのだ。
マナーを習ったといえど一度きり。
カーラはエリーナがいくらお喋り好きであろうと声が出なくなった相手をお茶会に誘うほど他国の王女たちはバカではないためお茶会への誘いは来ないだろうと言っていた。
その読みは当たり、身代わりになってからお茶会への誘いはゼロ。
お茶会がないからマナーは必要ないという結論に至り、一度きりにしてしまったせいで忘れてしまっている。
しかし、問題はそれだけではなく紅茶を飲むこともほとんどないため好きな紅茶と言われても種類がわからない。
「いつもなんの紅茶を飲んでるんだい?」
最悪の質問にエリスローズが固まる。
「スコーンにつけるクリームは何がいい?」
種類があることさえ知らない。
「ジャムはなんのジャムが好き?」
ジャムがなんだったのかも思い出せない。
「クッキーはどのクッキーが好き?」
矢継ぎ早に飛んでくる質問にエリスローズは初めて目が回りそうになった。
全てエリスローズの好みに合わせてくれようとしているリオンの気持ちはありがたいが、今はそれが最もエリスローズを困らせている。
「俺もエリーの好きな物が食べたい」
ロイの期待がエリスローズの呼吸をも止めた。
今日から寝食を共にするのだからバレてしまうことだ。
家族よりもずっと質素な食事をしていたと。
出てくるパンにはジャムもクリームも付いていないし、紅茶ではなく水が出てくる。肉や魚といったメインはなく、サラダとスープだけだという事実を知るのは数時間後だ。
それでもロイだけに知らせればロイはきっとエリスローズの頼みであれば内緒にする。リオンにさえバレなければ面倒なことにはならないと隠そうとしていた。
それなのに今、全てがバレようとしている。
「エリー?」
何も書こうとしないエリスローズに二人が似たような表情で見つめてくる。
最高に居心地の悪い瞬間。
エリスローズは握ったペンをノートの上で揺らすだけで書かない。
「エリー、もしかして……」
ドキッとした。
怪訝な表情をしていたらどうしようと心臓が激しく動くのを感じながら顔を上げようとしたエリスローズだが、ノックもなく開いた後方のドアに救われた──と思っていた。
「母上……」
呼んでもいないのにやってきた王妃の存在にエリスローズの顔が歪む。
ロイを貶しに来たのかと守るように抱きしめながら何を言うつもりだと目で訴えたが、王妃の反応は想像とは違っていた。
「……どう、して……お前が……」
驚きと怯えが混ざり合ったような表情でロイを見つめる王妃の顔は青く、口を押さえながら何かを呟いている。
「母上?」
文句を言いに来たのだとばかり思っていたリオンは初めて見る様子に心配そうに声をかけるが、王妃の視線はロイから離れない。
「お前、この子をワザと連れてきたの!?」
「どういう意味ですか?」
「……追い出しなさい……」
「何を急に──」
「すぐに追い出しなさい! これは王妃命令です!」
顔色は青いまま大声を張り上げて去っていく王妃の異常にリオンたちだけではなく使用人たちも戸惑っていた。
王妃様ッと慌てて追いかける王妃お抱えの使用人たちさえ事情がわからないのではリオンたちにわかるはずがない。
「追い出されんの……?」
不安そうに見上げてくるロイにリオンは笑顔を見せて頭を撫でる。
「まさか。ロイは今日からここでエリーと暮らすんだよ。追い出したりなんかしない」
「命令に従わなくていいのかよ」
「言っただろ? 何があっても僕が必ず守るって」
「……まあ……当然だけど」
ロイは頭を撫でるリオンの手を振り払わなかった。
「よしっ、じゃあ庭に行こう!」
「しょーがねーな」
リオンが立ち上がるとロイも立ち上がる。
「エリー、行くぞ」
何を言われるかわからない。今の反応を見るなら尚更だ。
だが、あれは激怒しているのではなくどこか怯えているようにも見えた。
考えてもわからないことを考えるのは好きではないが、気になってしまう。
「エリー! 早く!」
手を引っ張るロイはお腹が空いているのだろう。
「エリーの希望は決まった?」
リオンの問いかけにエリスローズはこう書いた。
『リオン様が一番美味しいと思っている物を用意していただけると嬉しいです』
その言葉に目を細めたリオンはドアを開けて使用人を掴まえて何かを伝えている。
一瞬驚いた顔をしたあと、横目でエリスローズたちを見る使用人だが、断ることができず、シェフに伝えに走って向かった。
「ティータイムまで庭を散歩しよう」
ノートとペンを持ってロイと手を繋いで歩き出す。
「僕とも手を繋いでくれる?」
「出てくる飯、美味いんだろうな?」
「すごく美味しいよ」
「ならまあ……いいけど」
断られると思っていただけに驚いた顔をするリオンだが、差し出される手を嬉しそうに握って三人で一緒に庭へと歩いていく。
「今日だけだからな!」
「明日もこうしたいな」
「暇人かよ」
「君たちとこうするためならいくらでも時間作るよ」
「ご苦労なこって」
「だから明日も散歩しよう」
ロイはイエスともノーとも答えなかった。
ロイも実際は不安なのだろう。右も左もわからない場所で敵だらけとわかった中、自分だけでエリスローズを守りきれるかどうか。いや、守りきれないとわかっているのだ。
だからリオンから見放されないように手を繋いだ。
今この場所でエリスローズを守れるのはリオンだけ。自分が不遜な態度を取ることによってリオンが気分を害せば終わり。
その不安を解消するためには受け入れることも重要だとロイは知っている。
「ロイ、楽しい?」
「は? 別に? エリートいるのは楽しいけど、お前がいるから半減」
「そっか。僕は嬉しいよ」
「知らねー」
そう言いながらもロイの表情は年相応の笑顔に見えた。
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