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リオン・レッドローズは快味する
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「君は愛を知ってるのかい?」
リオンの問いかけにロイが鼻を鳴らして笑う。
「ガキだと思って見下してんならぶっ飛ばすって言いてーところだが、大人になっても知らねーんじゃ疑いたくなるのも当然だわな」
憐れむような視線を向けるロイにリオンの表情が歪む。
「僕が愛を知らないとでも?」
「知ってんのかよ」
「知ってるさ」
「お前がエリーに抱いてる感情は愛じゃねーぞ。興味だ」
すぐに反論できなかったのは当たっていると思う部分があったから。
エリスローズは今まで会ったことがないタイプで、あの強い瞳に惹かれた。
甘えず頼らず自分の力で生きていこうとする姿をいいなと思った。
彼女をもっと知りたいと思い、近付いた。それは彼女だけに留まらず、彼女の家族にも。
彼女が持つ全てがキラキラと輝いて見えた。
だが、これを愛だと呼ぶには違うのではないかと思う自分がいる。
羨ましくて、好ましくて、微笑ましくて──憧れに近い感情かもしれないと。
「でも彼女が好きなんだ」
「ならエリーのために全部捨てられんのかよ。親も国も地位も何もかも捨ててエリーを選べんのか?」
「そうすることだけが愛じゃないよ」
「そうすることさえできねぇなら愛じゃねぇよ」
愛の中で生きてきたロイに勝てるはずがない。
これは子供だから知らない大人だから知っているということではなく、どう育ったかが重要なのだとリオンは思った。
両親の間に愛はなく、親子の間にも愛はない。愛した女を妻に迎えたわけでもなければ、愛が何かも知らない。
キラキラと輝くあの家族の姿が愛だというのなら、それを喉から手が出るほど欲している自分はまだ愛を持っていないのだと自覚する。
「ロイは僕が嫌いだよね」
「ああ、嫌いだね」
ハッキリ告げるロイにリオンが苦笑する。
「俺は……俺らはお前に感謝してる。お前のおかげで両親も弟たちも食うに困らず生活できてる。お前が優しい人間じゃなかったらいまだに貧しいままだったかもしれない」
ロイの口から初めて聞く「感謝」という言葉に驚くリオン。
今まで一度だって言われたことはなく、それもエリスローズがいないときに言うため驚きもあって戸惑っていた。
「俺はいいんだ、食えなくても。両親も。でもシオンとメイだけは何があっても食わせなきゃいけねーから……。栄養とらせなきゃいけねーから、今の生活ができてることには感謝しかない」
ポツリポツリとこぼれる言葉に余計な相槌も挟まず黙って頷く。
「アイツらがどうにかなったら……エリーは悲しむから」
それはロイも同じだろうと手を伸ばして頭を撫でると俯いていた顔が上がり、目が合った。
「コリンから聞いたよ、亡くなったお兄さんたちのこと」
「……あっそ」
言葉は冷たいが、ぶっきらぼうな言い方はしない。
思い出して落ち込んでいるようにも見えるロイにリオンは何をしてやれるだろうかと考えていた。
「一番上の兄ちゃんのことは知らねー。でも二番目の兄ちゃんのことはよく知ってる。すげー優しい人だった」
「エリック、だよね?」
ロイが静かに頷く。
「明るくて優しくて太陽みたいな人だった。いつも笑顔でさ、かっこよかったんだ。俺もあんな風になりたいって思うぐらい良い人だったんだ」
五歳の子供がハッキリそう思えるぐらい素敵な人間とはどういう人だったんだろうと想像するもできるはずがない。
写真が残っていればよかったが、写真などあるはずもなく、エリックの笑顔は彼らの思い出の中だけにある。
「いつも上を向いてる人だった。晴れた日には必ず上を指差してこう言うんだ。「諦めんなよ、人生を。お前の人生はお前のもんだ。諦めなきゃ、あそこまで上がることだって夢じゃないんだぜ」って。俺はずっとその言葉を信じてた。エリックは絶対に嘘はつかなかったから」
ロイにとってエリックという男は憧れだった。
目を細めたくなるぐらい眩しい笑顔を見せる兄が目標だった。
だが、ロイはそんな兄の最期を知っている。とても笑い話にはできない悲惨な最期を。
「だから、兄ちゃんがボコられて帰ってきたときは驚きすぎて涙も出なかった。エリーが泣いてたし……俺は泣いちゃいけないって思った……」
「君たちはどうしてそういう考えになるんだい? 皆で泣けばいいじゃないか。家族を失うのは辛いことなんだから」
「エリックが言ってた。男が泣くのはどうしても耐えられないときだけだって。女の涙を拭くのは男の役目だけど、男の涙を女に拭かせるのはダメだって言ってたから」
「そんなことないよ」
「エリーが泣いてんのに俺まで泣いたらエリーが泣けなくなるだろ」
「君だって──」
「俺はいーんだよ。男だから」
リオンには理解できなかった。自分もそこまで涙腺が弱いほうではないが、泣いてはいけないと思ったことは一度もない。
悲しいことがあれば泣くし、それを恥ずかしいことだとも思わない。
なぜ彼らはそう思ってしまうのだろうと不思議だった。
兄が家庭を支配していたわけではないのに兄の言葉が絶対であるかのように守ろうとしたロイにリオンは首を振る。
「お前にゃわかんねーよ。お前と俺らじゃ住む世界が違うんだ。たまたま今こうして同じ場所にいるだけで、これもすぐに終わる」
「でも僕はスラム街を変えたい」
「どうやって? 聞かせてくれよ。あの階段を下りたこともねー奴が何を変えようってんだよ。何から変えようってんだよ。その考えからして間違ってんだよ、テメーは」
「どういう意味だ?」
わからないのかと言いたげに嘲笑を見せるロイに怪訝な表情を見せるリオン。
「変えるのはスラム街じゃねーだろ。お前らの意識だ」
ハッとしたリオンが目を見開く。
「それが変わらなきゃ意味ねーんだよ。差別主義者がのさばるこの国に俺らが何か期待してるとでも思ってんのかよ」
期待していないという言葉ほど辛いものはない。
一番救わなければならない者たちが救われると思っていないのだから、それは間違いなく自分たち王族のせいだとリオンは片手で目を覆って目を閉じる。
「食い物配っても病気になれば死ぬしかない。医者を配置しても診察代は払えない。全部無料でやれんのか? ゴミ捨て場に行く医者がいんのか? 一度やり始めたこと一生やり続けるって約束できんのかよ」
ロイの言葉に頷くこともできない自分が情けなかった。
救いたい、変えたいと口で言うのは簡単だ。守ると言ったところで皆が王妃の命令を優先すればエリスローズにもロイにも嫌な態度を取り続ける。
守ると言った自分がしていることはなんだろうと考えたときに、ハッキリと言えるのは追い出されないように抵抗したことだけ。
それで守っていると言えるのだろうか。追い出されて王太子妃身代わりから解放されるほうがずっといいのではないか。
口ばかりで何も実行できていない自分を信用してくれなどと口が裂けても言えない状況でロイに返す言葉などない。
「父さんが言ってた。人は身の丈にあった生活をするようにできているんだと。俺らはゴ……スラム街で生まれたからそれに合った生活をしてきた。あそこは今日生きられたこと、明日死ぬかもしれないことを運命として受け入れて生きてる奴らばっかなんだよ。それをお前一人が変えるって息巻いたところで絶対変わんねーよ。常に死と隣り合わせだけど俺は幸せだった」
スラム街の人間は皆一様に貧しさに喘ぎ、苦しんでいる者ばかりだと思っていた。そこで生まれ育ったことを幸せだという者がいるなどと考えたことさえない。
それでも今のロイの表情に嘘はない。強がりでもなんでもなく、彼にとって家族の愛の中で生きてきたことは貧しいことが苦にならないほど幸せなことだったのだろう。
「僕は……これだけ贅沢な中にいても幸せだと思ったことはないな……」
「カワイソーな奴」
「ロイはどうしたら僕のこと好きになってくれる?」
「ならねーよ。テメーがクソみてーにエリーのこと好きで居続ける限りな」
「でもこれはどうしようもない感情だし……」
「嫁がいるくせに無責任な感情持ってんじゃねーよ」
ロイと話しているとリオンは言い返せないことが多くて苦笑しか出なくなる。
「ま、一緒に飯食ってやるぐらいはしてやるよ」
「君と二人でご飯は初めてだね。というか、エリーと一緒に食べたことないなぁ」
「は? エリーいつも一人で飯食ってたわけ?」
「一人で食べたいって断られ続けてね……」
「フラれてんじゃん」
時計が昼を指すと同時に使用人たちが部屋の中へと入ってきてテーブルに食事を並べていく。
食欲をそそる良い匂いにロイがゴクリと喉を鳴らす。
「さ、座ろうか」
立ち上がったリオンのあとをついていくロイはテーブルに並ぶ食事の豪華さに目を疑った。
「肉だ……」
「え? いつも食べてるだろう?」
驚いた顔をするロイに不思議そうに問いかけるリオンを見てロイは笑顔を見せる。
「まーな」
椅子に座ってナイフとフォークを持つが、ロイはそれを使おうとしない。
「切ってあげようか?」
「え? あ、いや、別に良い。自分で切れるし」
切れると言いながらも切ろうとしないロイの前から皿を取って肉を切るとロイの前に戻す。
「どうぞ」
「別にいーって言ったじゃん」
「切りたかったんだよ、僕が。こういうのしたことないから」
お節介だと言われるかと予想するもロイは何も言わない。ただジッと肉を見つめたまま。
「お肉は嫌いかい?」
家では食べていたはずだと記憶には残っているため不思議そうに問いかけるとロイが皿を別の場所に置く。
「あんま好きじゃねー」
「魚にしてもらおうか?」
「魚もいらねー」
「でもこれじゃあ……」
「いーからっ」
メインディッシュがなくなってしまったことに戸惑うリオンの前でサラダを頬張るロイ。
本来なら一つずつ出すところをロイが嫌がるだろうからと全部一緒に並べてもらったのだが、まずったかと思った。
一つずつならそれを食べるしかないが、こうして出してしまうとスープとサラダを一気にかきこんでいる。
パンには何もつけずにそのまま頬張り、ロイ用にと用意していたオレンジジュースではなく水で流し込んで乱暴に口を拭った。
「デザートは何が好き?」
「……いらね。もう腹一杯だから」
「なんでもあるよ。アイスクリームもあるし。好きだろう?」
「アイスクリーム?」
「ほら、一昨日贈った冷たいデザート。バニラ味の甘いやつ」
リオンの説明にロイは「ああ」と何度か頷いてポンッと手を叩いた。
「あの甘いやつな。バニラの」
「好きな味だった?」
「別に」
「そ、そっか。残念だ」
テーブルの上で頬杖をつきながらそっぽを向くロイと楽しく食事がしたかったリオンにとって今の状況は寂しいものだが、こういう食べ癖がついているのだろうかと思って何も言わなかった。
だが、両親が出した食事はこんな風にがっつく様子はなかったことが少し引っかかっている。
「ロイ、ゆっくり食べてもロイが食べ終わるまで食事を下げたりしないからね?」
「わーってるよ」
「明日もエリーは公務で出るし、明日はロイの好きな物作ってもらおうか。何が好きだい?」
「食えりゃなんでもいーし」
エリスローズがいない食事がつまらないのかもしれないと少し可哀想に思ったリオンが頭を撫でると払われる。
いつも通りだと笑うリオンが肉を食べるとロイはその様子を一瞬だけ見遣り、鬱陶しそうに顔を歪めたあと、小さく舌打ちをした。
リオンの問いかけにロイが鼻を鳴らして笑う。
「ガキだと思って見下してんならぶっ飛ばすって言いてーところだが、大人になっても知らねーんじゃ疑いたくなるのも当然だわな」
憐れむような視線を向けるロイにリオンの表情が歪む。
「僕が愛を知らないとでも?」
「知ってんのかよ」
「知ってるさ」
「お前がエリーに抱いてる感情は愛じゃねーぞ。興味だ」
すぐに反論できなかったのは当たっていると思う部分があったから。
エリスローズは今まで会ったことがないタイプで、あの強い瞳に惹かれた。
甘えず頼らず自分の力で生きていこうとする姿をいいなと思った。
彼女をもっと知りたいと思い、近付いた。それは彼女だけに留まらず、彼女の家族にも。
彼女が持つ全てがキラキラと輝いて見えた。
だが、これを愛だと呼ぶには違うのではないかと思う自分がいる。
羨ましくて、好ましくて、微笑ましくて──憧れに近い感情かもしれないと。
「でも彼女が好きなんだ」
「ならエリーのために全部捨てられんのかよ。親も国も地位も何もかも捨ててエリーを選べんのか?」
「そうすることだけが愛じゃないよ」
「そうすることさえできねぇなら愛じゃねぇよ」
愛の中で生きてきたロイに勝てるはずがない。
これは子供だから知らない大人だから知っているということではなく、どう育ったかが重要なのだとリオンは思った。
両親の間に愛はなく、親子の間にも愛はない。愛した女を妻に迎えたわけでもなければ、愛が何かも知らない。
キラキラと輝くあの家族の姿が愛だというのなら、それを喉から手が出るほど欲している自分はまだ愛を持っていないのだと自覚する。
「ロイは僕が嫌いだよね」
「ああ、嫌いだね」
ハッキリ告げるロイにリオンが苦笑する。
「俺は……俺らはお前に感謝してる。お前のおかげで両親も弟たちも食うに困らず生活できてる。お前が優しい人間じゃなかったらいまだに貧しいままだったかもしれない」
ロイの口から初めて聞く「感謝」という言葉に驚くリオン。
今まで一度だって言われたことはなく、それもエリスローズがいないときに言うため驚きもあって戸惑っていた。
「俺はいいんだ、食えなくても。両親も。でもシオンとメイだけは何があっても食わせなきゃいけねーから……。栄養とらせなきゃいけねーから、今の生活ができてることには感謝しかない」
ポツリポツリとこぼれる言葉に余計な相槌も挟まず黙って頷く。
「アイツらがどうにかなったら……エリーは悲しむから」
それはロイも同じだろうと手を伸ばして頭を撫でると俯いていた顔が上がり、目が合った。
「コリンから聞いたよ、亡くなったお兄さんたちのこと」
「……あっそ」
言葉は冷たいが、ぶっきらぼうな言い方はしない。
思い出して落ち込んでいるようにも見えるロイにリオンは何をしてやれるだろうかと考えていた。
「一番上の兄ちゃんのことは知らねー。でも二番目の兄ちゃんのことはよく知ってる。すげー優しい人だった」
「エリック、だよね?」
ロイが静かに頷く。
「明るくて優しくて太陽みたいな人だった。いつも笑顔でさ、かっこよかったんだ。俺もあんな風になりたいって思うぐらい良い人だったんだ」
五歳の子供がハッキリそう思えるぐらい素敵な人間とはどういう人だったんだろうと想像するもできるはずがない。
写真が残っていればよかったが、写真などあるはずもなく、エリックの笑顔は彼らの思い出の中だけにある。
「いつも上を向いてる人だった。晴れた日には必ず上を指差してこう言うんだ。「諦めんなよ、人生を。お前の人生はお前のもんだ。諦めなきゃ、あそこまで上がることだって夢じゃないんだぜ」って。俺はずっとその言葉を信じてた。エリックは絶対に嘘はつかなかったから」
ロイにとってエリックという男は憧れだった。
目を細めたくなるぐらい眩しい笑顔を見せる兄が目標だった。
だが、ロイはそんな兄の最期を知っている。とても笑い話にはできない悲惨な最期を。
「だから、兄ちゃんがボコられて帰ってきたときは驚きすぎて涙も出なかった。エリーが泣いてたし……俺は泣いちゃいけないって思った……」
「君たちはどうしてそういう考えになるんだい? 皆で泣けばいいじゃないか。家族を失うのは辛いことなんだから」
「エリックが言ってた。男が泣くのはどうしても耐えられないときだけだって。女の涙を拭くのは男の役目だけど、男の涙を女に拭かせるのはダメだって言ってたから」
「そんなことないよ」
「エリーが泣いてんのに俺まで泣いたらエリーが泣けなくなるだろ」
「君だって──」
「俺はいーんだよ。男だから」
リオンには理解できなかった。自分もそこまで涙腺が弱いほうではないが、泣いてはいけないと思ったことは一度もない。
悲しいことがあれば泣くし、それを恥ずかしいことだとも思わない。
なぜ彼らはそう思ってしまうのだろうと不思議だった。
兄が家庭を支配していたわけではないのに兄の言葉が絶対であるかのように守ろうとしたロイにリオンは首を振る。
「お前にゃわかんねーよ。お前と俺らじゃ住む世界が違うんだ。たまたま今こうして同じ場所にいるだけで、これもすぐに終わる」
「でも僕はスラム街を変えたい」
「どうやって? 聞かせてくれよ。あの階段を下りたこともねー奴が何を変えようってんだよ。何から変えようってんだよ。その考えからして間違ってんだよ、テメーは」
「どういう意味だ?」
わからないのかと言いたげに嘲笑を見せるロイに怪訝な表情を見せるリオン。
「変えるのはスラム街じゃねーだろ。お前らの意識だ」
ハッとしたリオンが目を見開く。
「それが変わらなきゃ意味ねーんだよ。差別主義者がのさばるこの国に俺らが何か期待してるとでも思ってんのかよ」
期待していないという言葉ほど辛いものはない。
一番救わなければならない者たちが救われると思っていないのだから、それは間違いなく自分たち王族のせいだとリオンは片手で目を覆って目を閉じる。
「食い物配っても病気になれば死ぬしかない。医者を配置しても診察代は払えない。全部無料でやれんのか? ゴミ捨て場に行く医者がいんのか? 一度やり始めたこと一生やり続けるって約束できんのかよ」
ロイの言葉に頷くこともできない自分が情けなかった。
救いたい、変えたいと口で言うのは簡単だ。守ると言ったところで皆が王妃の命令を優先すればエリスローズにもロイにも嫌な態度を取り続ける。
守ると言った自分がしていることはなんだろうと考えたときに、ハッキリと言えるのは追い出されないように抵抗したことだけ。
それで守っていると言えるのだろうか。追い出されて王太子妃身代わりから解放されるほうがずっといいのではないか。
口ばかりで何も実行できていない自分を信用してくれなどと口が裂けても言えない状況でロイに返す言葉などない。
「父さんが言ってた。人は身の丈にあった生活をするようにできているんだと。俺らはゴ……スラム街で生まれたからそれに合った生活をしてきた。あそこは今日生きられたこと、明日死ぬかもしれないことを運命として受け入れて生きてる奴らばっかなんだよ。それをお前一人が変えるって息巻いたところで絶対変わんねーよ。常に死と隣り合わせだけど俺は幸せだった」
スラム街の人間は皆一様に貧しさに喘ぎ、苦しんでいる者ばかりだと思っていた。そこで生まれ育ったことを幸せだという者がいるなどと考えたことさえない。
それでも今のロイの表情に嘘はない。強がりでもなんでもなく、彼にとって家族の愛の中で生きてきたことは貧しいことが苦にならないほど幸せなことだったのだろう。
「僕は……これだけ贅沢な中にいても幸せだと思ったことはないな……」
「カワイソーな奴」
「ロイはどうしたら僕のこと好きになってくれる?」
「ならねーよ。テメーがクソみてーにエリーのこと好きで居続ける限りな」
「でもこれはどうしようもない感情だし……」
「嫁がいるくせに無責任な感情持ってんじゃねーよ」
ロイと話しているとリオンは言い返せないことが多くて苦笑しか出なくなる。
「ま、一緒に飯食ってやるぐらいはしてやるよ」
「君と二人でご飯は初めてだね。というか、エリーと一緒に食べたことないなぁ」
「は? エリーいつも一人で飯食ってたわけ?」
「一人で食べたいって断られ続けてね……」
「フラれてんじゃん」
時計が昼を指すと同時に使用人たちが部屋の中へと入ってきてテーブルに食事を並べていく。
食欲をそそる良い匂いにロイがゴクリと喉を鳴らす。
「さ、座ろうか」
立ち上がったリオンのあとをついていくロイはテーブルに並ぶ食事の豪華さに目を疑った。
「肉だ……」
「え? いつも食べてるだろう?」
驚いた顔をするロイに不思議そうに問いかけるリオンを見てロイは笑顔を見せる。
「まーな」
椅子に座ってナイフとフォークを持つが、ロイはそれを使おうとしない。
「切ってあげようか?」
「え? あ、いや、別に良い。自分で切れるし」
切れると言いながらも切ろうとしないロイの前から皿を取って肉を切るとロイの前に戻す。
「どうぞ」
「別にいーって言ったじゃん」
「切りたかったんだよ、僕が。こういうのしたことないから」
お節介だと言われるかと予想するもロイは何も言わない。ただジッと肉を見つめたまま。
「お肉は嫌いかい?」
家では食べていたはずだと記憶には残っているため不思議そうに問いかけるとロイが皿を別の場所に置く。
「あんま好きじゃねー」
「魚にしてもらおうか?」
「魚もいらねー」
「でもこれじゃあ……」
「いーからっ」
メインディッシュがなくなってしまったことに戸惑うリオンの前でサラダを頬張るロイ。
本来なら一つずつ出すところをロイが嫌がるだろうからと全部一緒に並べてもらったのだが、まずったかと思った。
一つずつならそれを食べるしかないが、こうして出してしまうとスープとサラダを一気にかきこんでいる。
パンには何もつけずにそのまま頬張り、ロイ用にと用意していたオレンジジュースではなく水で流し込んで乱暴に口を拭った。
「デザートは何が好き?」
「……いらね。もう腹一杯だから」
「なんでもあるよ。アイスクリームもあるし。好きだろう?」
「アイスクリーム?」
「ほら、一昨日贈った冷たいデザート。バニラ味の甘いやつ」
リオンの説明にロイは「ああ」と何度か頷いてポンッと手を叩いた。
「あの甘いやつな。バニラの」
「好きな味だった?」
「別に」
「そ、そっか。残念だ」
テーブルの上で頬杖をつきながらそっぽを向くロイと楽しく食事がしたかったリオンにとって今の状況は寂しいものだが、こういう食べ癖がついているのだろうかと思って何も言わなかった。
だが、両親が出した食事はこんな風にがっつく様子はなかったことが少し引っかかっている。
「ロイ、ゆっくり食べてもロイが食べ終わるまで食事を下げたりしないからね?」
「わーってるよ」
「明日もエリーは公務で出るし、明日はロイの好きな物作ってもらおうか。何が好きだい?」
「食えりゃなんでもいーし」
エリスローズがいない食事がつまらないのかもしれないと少し可哀想に思ったリオンが頭を撫でると払われる。
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