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リオン・レッドローズは当惑する

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「あら、手をつけなかったんですね」
「先にサラダとスープでお腹いっぱいにしちゃったみたいで」
「それはそれは」

 食器を下げに来たメイドがクスクスと漏らすその笑い声がロイは不愉快でたまらない。

「彼のお口には合わなかったのかもしれませんね」

 メイドが言う「彼」という言葉はロイには「スラム街のゴミ」に聞こえる。
 ここに来てから何度こういう思いをしただろう。
 だが、ロイもエリスローズ同様に差別を受けることには慣れている。だからメイドがどれだけ嘲笑を向けようと侮辱してこようと一度も言い返さなかった。

「リオン様の弟君でもおかしくない愛らしさですよね」
「そうだね。彼はとても賢いし、顔も良いから学校に行ったらあっという間に人気になりそうだ」

 可愛いと褒めてくるメイドはいた。エリスローズには一度だって言ったことがないだろう「お菓子食べる?」と言う言葉もロイにはよく言ってくる。
 エリスローズに優しくしない人間に媚びを売ってまでお菓子を食べようとは思わない。
 だからメイドの視線を感じても顔は上げなかった。
 椅子から降りてソファーへと歩いていくが、メイドが放った言葉に途中で足が止まる。

「お肉を残すなんてもったいないですよね」

 残したくて残したわけじゃない。できれば食べたかった。でも食べられなかった。
 ここに来てから一度も肉を食べていないのはエリスローズの食事に肉も魚も出されなかったから。
 エリスローズはそれを自分がいらないと断ったと言ったが、絶対にそうではないことはロイにもわかっている。
 自分が来るまでずっと一人でこの状況の中を我慢と共に終わる日が来るのを待っていたのだと思うとたまらなくなった。
 エリスローズが何も言わないからロイも何も言わないと決めていたのだが、我慢の限界だった。

「だったら毎日肉出せよ。皿についたソースまで舐め取ってやるからよ」

 振り返ってメイドを睨みながらそう言い放ったロイにメイドがギョッとする。
 言わないと思っていたのだろう。食器を片付ける手が早くなった。

「ロイ?」
「王太子は知ってんのか? エリーがここに来たときからエリーの食事はサラダとスープとパンだけだってこと」
「な、何を言ってるの! そんなわけないじゃない!」
「クッキー? スコーン? アイスクリーム? そんなの今まで一度だって出たことねぇって知ってんのかよ」
「どういう、こと……?」

 耳を疑いたくなるような言葉にリオンの顔がメイドに向く。

「わ、私はこれで──」
「動くな」

 リオンの静かな声にメイドの足が止まる。

「どういうこと? 彼女がここに来てもう九ヶ月になるけど……一度も出たことがない、だって?」
「そ、それは……!」
「僕が彼女に贈ったケーキやクッキーはどこに消えたんだい? 果物はどうしたんだい?」
「お、王太子殿下、そっそれはその──!」
「答えだけでいい」

 言い訳は聞かないというリオンにメイドが震え始める。
 このメイド一人でやったことではないだろう。だが今この瞬間、このメイド一人の責任であるかのように問い詰められている。
 
「一時間後、使用人全員僕の部屋の前に来るよう伝えて」
「ぜ、全員ですか!?」
「そうだよ。関与してる人間もしてない人間も全員だ」
「で、ですが──」
「さっさと伝えに行ってくれ。怒りたくないんだ」

 普段怒らない者が怒るとどういう反応を見せるかわからないためメイドはこれ以上の反論はせずに慌ててワゴンを押しながら部屋から出ていった。
 王室仕えらしくない騒々しい退出にロイが鼻を鳴らす。

「エリーはずっと、嘘をついていたということかい?」
「嘘、ねぇ。まあ、嘘だな」

 嘘という言葉に引っ掛かりを覚えながらもロイが頷く。

「エリーは一人で飯を食いたかったわけじゃねぇよ。できればお前と食いたかっただろ。うちは大家族だし、食べる物がある日は皆で飯食うのが当たり前だったから。誰かと飯を食う美味さを知ってんだもん。でも食えるわけねーじゃん、普段から肉も魚も出てこねーし。食い慣れてないって姿見せたくなかったんだろ」
「言えばよかったじゃないか」
「自分の立場悪くしてどーすんだよ」
「僕がなんとかするよ」
「それをどーやって信じろと?」

 九ヶ月という月日は信頼を育むのにじゅうぶんな月日だと思っていた。だが、ロイの信頼は一ミリもリオンに向いてはいない。
 腐ってもこの国の王太子で、使用人たちに意見することも叱りつけることもできるのにロイは信用していない。ロイだけではなくエリスローズもそうだったということ。
 リオンはそれがとても悲しかった。

「ティータイムなんかねーし、肉も魚も出てこねー。アイツらは俺らをゴミだと見下して食事も最低限しか与えねんだよ。エリーはそれを受け入れてた。わざわざ言うほどのことでもないってな。金もらってんだからそれ以上望むことはないって言ってずーっとこの飯だよ。出てくるだけありがたいって思ってるって言うけど……」

 毎日食事があるわけではない生活を送っていた自分たちにとって毎日三食出てくることはありがたいの一言に尽きる。肉や魚を食べたいと望むのは悪いことなんだろうかと、自分で言いながら思ってしまったロイの口がゆっくりと閉じていく。

「ロイ、君たちが望むことは贅沢なことじゃないんだよ」
「贅沢じゃん……。あそこに戻れば肉も魚も手に入らない。それどころか葉っぱ一枚だっていつ食べられるかわかんねーのに。メイとシオンは今の生活に慣れきってる。……戻ったら耐えられねーだろうな……」

 今日食べる物もない者たちがこの国には大勢いて、食べたいと思うことは贅沢ではないという言葉を十歳の子供が否定する。
 自分が愛する国にそんな環境の中で生きている者がいることは恥ずべきことで、国が彼らを救わなければならないのに国王たちは何もしようとしない。
 拳を握るリオンを見てロイが小さく息を吐いて窓に寄り、両方解放する。一気に吹き込んでくる風が二人の髪を揺らし、外の匂いに目を細める。

「欲しいって思う物を見つけるたびに罪悪感があった。上から飛ばされてくる物を見ては新品があったらって、買えもしない物を欲しがる自分をクソだって思うこともあった」

 近くの椅子に腰掛けながら呟くロイにリオンが近付いて隣に腰掛けた。

「貧乏ってのはさ、人から悲しむ暇さえ奪ってくって知ってるか? エリックが死んでも父さんたちは泣いてる暇なんかなかった。悲しむ暇があるなら働けって命令されてるみてーにさ、泣く暇もないまま働き続けた。疲れてるくせに、痩せてってるくせにいつだって笑顔でいようとするんだ。泣いてたエリーが泣かなくなったのも貧乏のせいだ。朝から夜中まで働いて疲れてないわけないのにエリーはいつも笑顔だった」
「君たちを不安にさせないためだったのかもしれないね」
「そんなのわかってる。でもそれだけじゃねーんだよ。……そうしないとたぶん……心まで疲れると思ってたんじゃねぇかな。笑顔でいることで自分をも騙してた。自分たちがダメになったら子供たちが困る。だから笑顔でいることで疲れてないって思い込もうとしてた……ような気がする」

 そう思いながら親を見るのはどれだけ辛かっただろう。
 すぐに文句ばかり言う母親を見ていてうんざりすることはあったリオンにとってロイの気持ちは想像することもできない。

「金はないけど愛はある。それが家族の誇りだ。世界中歩き回っても俺らより愛がある家族なんかいねーよ。金もあって愛もあるなんて絶対にありえねーもん」

 リオンは今この瞬間、初めて自分が愛に溢れた人間でなくてよかったと思った。
 もし自分が愛に溢れた人間で、家族への愛があったら彼らは苦しんでいたはずだからと。
 貧乏だから愛がある。ロイはそう信じているのだ。

「でも愛じゃ飯は買えないんだよな……」

 当たり前のように三食出てくる場所がある。クッキーやチョコレート、アイスクリームといった物を食べられる環境が当たり前の者がいる。
 愛はなくとも餓死することはない。家族のために窃盗する必要もない。
 
「いつか、両手で抱えきれねーほど稼いだらエリーに腹いっぱい食わせてやりたいんだ」
「食べさせてあげようよ。僕が用意するよ」

 呆れたような笑みを浮かべるロイが首を振る。

「わかってねーな、リオン。テメーは家族じゃねーんだよ」
「それは……わかってるよ。でも僕にできることがあるなら手伝いたいんだ」

 ハッキリ言われる家族じゃないという言葉に胸が痛むが、リオンは笑顔を見せる。

「……エリーを守るのは俺だけでいい。お前もスペンサーも必要ない」
「でも今はまだ大人に頼ったほうがいい。ロイにできることは限られてる。それはわかってるんだろう? あのときだって、スペンサーに殺されていたらどうするつもりだったんだい?」
「どうもしねーよ。死んで終わりだろ」
「エリーが悲しむことは考えなかったのか?」
「エリーが悲しむから何もせずにスペンサーのクソ野郎のすること黙って見てろってのかよ、お前みたいに?」
「お兄さんを二人亡くして、大事に育ててきた君まで亡くしたらエリーは耐えられないよ」

 リオンの言葉にカッとなったロイはリオンの頬を拳で殴りつけた。

「少し聞いたぐらいで知ったような口利いてんじゃねーぞクソ野郎」

 沸々と湧き上がり続ける怒りに肩を上下させながらも怒鳴りはしないロイにリオンは口を開くが、リオンが喋る前にロイが先に口を開いた。

「テメーみてーな苦労知らずに何がわかるんだよ。エリック……兄ちゃん失った俺らの悲しみがテメーにわかるのかよ! どうせすぐ死ぬって医者に吐き捨てられたエリーの絶望がわかんのかよ! 辛いとかしんどいとか、そんな簡単な弱音さえ吐かずに笑うのがどれだけ辛くてしんどいか、テメーにはわかんねーだろ!」

 頼ってほしいと何度願ってもエリスローズはいつも「頼りにしてる」と言うばかりで一度も頼ってくれたことはない。
 頼まれるのはメイとシオンの世話だけ。エリスローズ個人のことは何も頼まれたことがないのだ。
 我慢ばかりしているのはどっちだとずっと思っていたロイは今になって溢れだす涙に唇を震わせながら腕で乱暴に涙を拭く。

「ロイ──……」

 リオンがロイに手を伸ばそうとしたとき、後ろのドアがノックもなく開いた。

「おいおいおいおい、どこのボーヤが大ハシャギしてんだ? 聖リュミエール祭はまだ先だぜ」

 笑いながら入ってきた大柄の男にリオンが驚いた顔をする。
 ロイは見たことがない男だが、男はロイを見て驚いた顔で固まった。

「……お前……ロイ、か?」

 見知らぬ男が名前を呼ぶ奇妙さに眉を寄せるロイは睨みつけるだけで返事はしなかった。
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