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エリスローズは自覚する
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アレンが用意した新しい家で生活し始めて一ヶ月、エリスローズもロイもようやくこの家に慣れつつあった。
ロイとのリハビリのおかげで声もちゃんと出るようになった。
庭付きの大きな家。二人で走り回っても広すぎるぐらいの庭には三人で植えた花や野菜がたくさんあって、毎日その成長を見るのが日課となっている。
犬も飼った。アレンが知人から譲り受けた猟犬、グレイハウンド。名前はロイが【グレイ】と名付けた。
暖炉の前に敷いてある絨毯の上で優雅に眠るグレイにロイはいつもちょっかいをかける。
「また寝てる」
「ロイがたくさんお散歩させるから疲れたのよ」
「猟犬だったのに?」
「猟犬はずーっと走ってるわけじゃないでしょ?」
「だって散歩楽しいし……」
自由に歩き回っていい日々は初めてと言っても過言ではないロイの人生。
誰の世話をすることなく自分のために自分の時間を使うことにはまだ慣れないのか、よくグレイを連れて散歩に出かける。
世話をしているつもりなのだろうと眺めるのがエリスローズの楽しみ。
「お前の姉ちゃんは意地悪だな。犬はな、一日の半分以上を寝て過ごすんだよ。それこそ散歩以外はな」
ソファーに寝転がって新聞を読むアレンが愉快そうに笑いながら指摘するとロイは一度エリスローズを見てからもう一度アレンを見る。
「どのぐらい?」
「総合して言えばお前が朝飯食ってから夜ベッドに入る時間ぐらいまで」
「寝過ぎじゃん」
「お前の散歩に付き合わなきゃいけねぇから体力回復してんだよ」
「散歩ってそんな体力使うの?」
「そりゃもう寝なきゃ戻らないぐらいにはな」
「マジで? ……グレイ、ごめんな。俺、知らなくていっぱい連れてっちゃった……ごめん」
ショックを受けたような顔でグレイの頭を撫でながら謝るロイにエリスローズは横を向いて肩を震わせ、アレンは新聞で顔を隠して胸を震わせる。
「……嘘ついたな……」
二人が笑っているのがわかると立ち上がったロイがアレンに大股で近付いて新聞を奪い取った。
「ははははははははッ! 悪い悪い! 悪いって謝ってんじゃねぇか! 痛い痛い! はははははははっ!」
「笑ってんじゃねーかよ! 悪いって思ってねーだろ!」
奪い取った新聞で何度も叩くロイから身を守りながらもアレンの笑いは止まらない。
顔を真っ赤にしながら叩き続けるロイに近付いて後ろから抱きしめたエリスローズの腕から逃げるロイが新聞でエリスローズを指す。
「エリーも同罪だからな! 騙しやがって嘘つき!」
「ロイが可愛くて、つい」
「そんな言い方してもダメだからな! 俺怒ってんだぞ!」
「でもごめんなさいできるロイはえらいえらい」
「ガキ扱いすんな! グレイだって何言ってんだコイツって絶対思った!」
「グレイは優しいからそんなこと思わない。お散歩連れてってくれてありがとうって思ってるよ」
「俺は嘲笑ってると思ってるけどな」
「黙れこのクソジジイ!」
スパンッと勢いよく顔に叩き込まれた新聞。勢いよく入りすぎたことに叩いたロイもさすがにマズイと思ったのか、恐る恐る新聞をどけると
「うばあああぁぁああああ!」
「ギャアアッ!」
ゾンビのような声と共に勢いよく起き上がったアレンの顔にもう一度新聞を叩き込んだ。
「お前マジ嫌い! クソジジイ!」
喉が張り裂けそうなほどの怒声を浴びせながらエリスローズの後ろに隠れて腰にしがみついた。
「もう絶交だからな! 話しかけんな!」
「わーったよ。なら仕方ねーからチョコケーキはエリーと二人で食べるか。ロイに話しかけるなって言われたから誘えねぇしな」
「んぐぐ……!」
「ロイ、ごめんなさいは?」
「アイツが先にからかった!」
「おじさんもごめんなさいは?」
「エリーもごめんなさいは?」
二人を仲直りさせようと思ったが、ロイに意地悪を言ったのはエリスローズが先であるためアレンに同じ言葉を返されると苦笑する。
「ロイ、ごめんなさい。グレイは散歩大好きだから嬉しいのよ。ロイが散歩に誘うと嬉しそうにしてるでしょ?」
「……うん」
「おじさんが言ったように、犬も猫も一日の半分以上を寝て過ごすんだって。それが普通なの」
「疲れて寝てるわけじゃねーの?」
「そうね」
「エリーの嘘つき」
「ごめんなさい。許してくれる?」
許すのを迷っているような顔つきだが、口元が若干緩んでいるのは何か考えているからだとエリスローズにはすぐにわかった。
「キスしてくれたら許す」
言うと思ったと笑いながら額に口付けるもロイは不満げ。
「そこじゃない!」
「女日照りのおっさんの前でそういうのは目に毒なんだがなぁ」
「女探してこいよ」
「エリー、おっさんにも潤いをくれー」
「新聞叩き込むぞ」
「ローイ」
口が悪いと手のひらでロイの唇を小刻みに何度も叩くとロイの声が震える。
「ロイ、これはそそのかしてるわけでもねぇから黙ってきいてほしいんだが」
「なんだよ」
「マジでロイのために人生決めるつもりか?」
床に捨てられた新聞を拾い上げて側にあるテーブルに置いたアレンが真剣な表情でエリスローズを見つめる。
「嫁にもらうってのはロイの言い分だ。お前の気持ちはどうなんだよ。ロイがデカくなれば気持ちが変わると思って相手してんのか? お前にはお前の人生があんだぞ。断ったら可哀想だからって理由でロイのわがままに付き合おうと思ってんならやめとけ。期待させるだけ酷ってもんだぞ」
アレンの中で二人の関係は不思議なものであり不気味なものでもあった。
ロイの感情は理解できる。幼心に年の離れた姉に恋をして執着している。
貧しい場所で暮らしていれば支えがいつの間にか恋心に変わることもあるだろうということもわかる。
だが、エリスローズはどうだと考えたときにどうにも納得がいかない部分があったのだ。
年が近ければまだわかる。だが二人の間には十も年の差があって、エリスローズの性格を考えればロイの恋愛感情に引っ張られるようなタイプではない。
弟がいくら可愛くとも嫁にもらうという言葉に付き合う必要はないように思うアレンにとってエリスローズの接し方は姉であり、それ以上でもある。
その中にはぐらかしている感もあるため、アレンにはわからないと思う部分があった。
「市場価値としては下がってるかもしれねぇが、そりゃ貴族の話だ。嫁探ししてる男は山のようにいる。恋人作ることは罪でもなんでもねぇんだぞ」
弟の夢に付き合う必要はないと提言するアレンにエリスローズは不安げな顔で見上げてくるロイを見て微笑みながら頭を撫でた。
「ロイ、シオン、メイが自立するまで恋はしないって決めてたの。朝から晩まで働いて、恋してる時間もなくて、しようとも思えなくて」
「お前なら言い寄ってくる男ぐらいいただろ」
スペンサーやリオンの顔が浮かぶが、すぐに首を振る。
「私にその気がないって言ったほうが正しいかな」
「家族に悪いってか?」
「それもあったかもしれない。父も母ももうボロボロだったのにそれでも笑顔で働いてくれた。私だけ恋愛して楽しい思いするなんてできないって思ってたのは確かにそうで、シオンとメイのお世話のためにロイの自由を奪ったことにも罪悪感があったのかもしれない」
ロイにとって楽しい時間ではなかっただろう。シオンは言うことを聞いてくれるが、メイは何も理解できない。目を離せばすぐにどこかへ行ってしまうため目が離せない。
眠たいと思っても昼寝することさえできない生活。両親も姉も働きに出て、自分だって働けると思っているのに働けない現実に苦しむ中で弟たちの世話をするという責務に疲れているだろうロイの人生を縛り付けていることが恋愛を考えない理由の一つでもあった。
「恋愛をすればいずれプロポーズされるかもしれない。それを想像するだけで怖かったから……」
「自分が愛した男にプロポーズされることの何が怖いんだよ」
「家族と離れること」
即答したエリスローズに目を瞬かせたアレンは額に手を当て「はーっ」とため息を吐きながらソファーに寝転んだ。
「家族愛ってのに恵まれなかった俺からすりゃ、その考えは理解不能だわ」
「家族愛に恵まれなかった? どの口がそんなこと言うの?」
笑うエリスローズの言いたいことがわかっているため横目でジトッと見ると笑顔が向けられる。
「で? 家族と離れたくないからロイの夢に付き合ってんのか?」
「付き合ってるわけじゃないわ。ロイは私の支えなの。一度ね、人生を振り返ってみたことがあって、嬉しいときや幸せなことは皆でだったけど、辛いときや悲しいときはいつもロイが一番近くにいてくれた。いつもこうして抱きしめて大丈夫だよエリーって言ってくれた。どんなに遅くに帰っても必ずロイは起きてくれて出迎えてくれた。ロイがいたから生きようって思えた」
両親を支えること、シオンやメイを死なせないことを一人で背負うのは無理だった。
一番の稼ぎ頭だったエリスローズが背負う重責を重責だと思わずに済んだのはロイが癒してくれていたから。
「たくさん我慢させてきたと思う。自分が泣いたら私が泣けないからって、負担にならないようにってたくさん我慢してくれた」
「別に我慢してたわけじゃねーよ。エリーが頑張ってるから俺も頑張っただけ」
「ふふっ、ね?」
優しいでしょと言葉にはしないものの笑顔がそれを、エリスローズが感じている幸せを物語っている。
「ロイがいないとダメなのは私のほうだから」
そう言いきったエリスローズの真っ直ぐな瞳にアレンは微笑みながら首を振った。
「よし、二人ともこっちこい」
再び起き上がったアレンが両手を広げる。
「ゼッテーやだ。ちょっ、嫌だってば!」
ロイの言葉を無視してアレンに近付くエリスローズを引き止めようとするが、抱えられてしまえば抵抗できない。
その大きな胸の中にもたれかかると二人一緒に抱きしめられる。
「何度も言うが、俺はお前らの親にはなれねぇ。でもお前らを幸せにすることはできる。お前らが自分の力で幸せになるまで見守るつもりでもある。俺が守ってやるから、お前らはもう我慢すんな。遠慮もすんな。家族、っつーのはおかしな言い方だが、そういうのが必要ねぇ関係でありたいんだよ」
言いたいことがわかるエリスローズの肩が揺れる。
不器用な男だと笑ってしまう。だが、そん反面、とても優しい人だと嬉しくなる。
「家族でいいんじゃない?」
「なっ!? 何言ってんだよ! 俺らの家族は──」
「ここに愛が溢れれば、おじさんも家族なんだよ。この大きな家も、庭いっぱいに作った花壇も、野菜畑も、グレイも、全部おじさんの愛。初めて会ったお父さんに私たちを幸せにするって約束してくれたのも愛なの」
「……でも……」
「お父さんって呼ばなくてもいい。ロイの中でお父さんはお父さんだけなんだったらそれでもいい。でも、おじさんがくれる愛を否定しちゃダメ。それはロイもちゃーんとわかってるはず」
エリスローズはコリンとフィーネの実子だが、ロイは違う。アレンとアレンが愛した女との子供。
どんな理由があってロイを捨てたのかはわからないが、血の繋がった父親が出てきたことは今でも複雑なのだろう。
捨てたくて捨てたのであれば縁を切れば済む話。それと引き換えにこの家を失うことになってもロイは平気な顔をするだろう。
しかし、捨てたくて捨てたのではなく、女が勝手にしたこと。アレンは十年間ずっと息子を探し続けていた。
そして育ての親であるコリンに誓ってもくれた。
彼が持つ大きな愛を一番感じているのは息子であるロイだとエリスローズは感じている。
「だ、だって……わけわかんねーじゃん……急に父親だって出てきてさ……。俺の父さんはコリンだけだもん。でも……コイツ見ると似てるって思うし……父親だって感じる部分もあるんだよ。でもさ……でもさ……コイツの愛が息子に対してのものだったら……それ受け取っちゃうと……父さんに悪いもん……」
ロイなりに思いがあることを初めて聞いたエリスローズが涙を滲ませるロイの背中を撫でると上から「バカだな」と優しい声が降ってくる。
「俺にとってお前は大事な息子だ。それはお前にどれだけ否定されようと変わらねぇ。十年間探し続けた息子にようやく会えたんだから十年分の愛をお前に与えたい。でもそれでお前の中の父親の座を奪おうとは思ってねぇし、奪えるとも思ってねぇ。受け取る受け取らないはお前に任せるつもりだ。嫌なら拒んでもいい。俺は勝手に注ぎ続ける。俺がそうしたいからだ」
「……優しくすんなよ……」
「そりゃするさ。お前が大事で可愛いし、愛おしくてたまんねぇのに優しくするなってのはな、月を引っ張ってくるぐらい無理な話だ」
「絶対無理じゃん」
「そう、絶対無理。お前を愛してんだから」
滲んでいた涙が膨れ、それが玉となって流れ落ちていく。
どうしていいかわからないロイの中の迷いにアレンも眉を下げながら笑って二人を抱きしめる。
「今まで通りおっさんって呼べばいい。でも、欲を言えばお前らの家族って輪につま先でもいいから入りてぇな」
どうするか決めるのはロイ。エリスローズはアレンを家族として認めている。シオンやメイがリオンを家族だと言ったように。
「わかんねぇよぉ……」
顔を上げたエリスローズとアレンが顔を見合わせて笑う。
否定はなかった。それだけでもロイの気持ちがじゅうぶんにわかるから。
「俺もキスしていいか?」
「私に?」
「ふざけんな!」
ロイの顔の上げさせ方をわかっているアレンが顔を上げたロイの頬を両手で包む。
「お前にだよ」
「ふざけんな! やめろ! 気持ち悪いんだよ! ギャーッ!」
断末魔のような悲鳴が響き、起きたグレイの鳴き声がそれを追う。
エリスローズとアレンの笑い声がよく響いた賑やかな一日だった。
ロイとのリハビリのおかげで声もちゃんと出るようになった。
庭付きの大きな家。二人で走り回っても広すぎるぐらいの庭には三人で植えた花や野菜がたくさんあって、毎日その成長を見るのが日課となっている。
犬も飼った。アレンが知人から譲り受けた猟犬、グレイハウンド。名前はロイが【グレイ】と名付けた。
暖炉の前に敷いてある絨毯の上で優雅に眠るグレイにロイはいつもちょっかいをかける。
「また寝てる」
「ロイがたくさんお散歩させるから疲れたのよ」
「猟犬だったのに?」
「猟犬はずーっと走ってるわけじゃないでしょ?」
「だって散歩楽しいし……」
自由に歩き回っていい日々は初めてと言っても過言ではないロイの人生。
誰の世話をすることなく自分のために自分の時間を使うことにはまだ慣れないのか、よくグレイを連れて散歩に出かける。
世話をしているつもりなのだろうと眺めるのがエリスローズの楽しみ。
「お前の姉ちゃんは意地悪だな。犬はな、一日の半分以上を寝て過ごすんだよ。それこそ散歩以外はな」
ソファーに寝転がって新聞を読むアレンが愉快そうに笑いながら指摘するとロイは一度エリスローズを見てからもう一度アレンを見る。
「どのぐらい?」
「総合して言えばお前が朝飯食ってから夜ベッドに入る時間ぐらいまで」
「寝過ぎじゃん」
「お前の散歩に付き合わなきゃいけねぇから体力回復してんだよ」
「散歩ってそんな体力使うの?」
「そりゃもう寝なきゃ戻らないぐらいにはな」
「マジで? ……グレイ、ごめんな。俺、知らなくていっぱい連れてっちゃった……ごめん」
ショックを受けたような顔でグレイの頭を撫でながら謝るロイにエリスローズは横を向いて肩を震わせ、アレンは新聞で顔を隠して胸を震わせる。
「……嘘ついたな……」
二人が笑っているのがわかると立ち上がったロイがアレンに大股で近付いて新聞を奪い取った。
「ははははははははッ! 悪い悪い! 悪いって謝ってんじゃねぇか! 痛い痛い! はははははははっ!」
「笑ってんじゃねーかよ! 悪いって思ってねーだろ!」
奪い取った新聞で何度も叩くロイから身を守りながらもアレンの笑いは止まらない。
顔を真っ赤にしながら叩き続けるロイに近付いて後ろから抱きしめたエリスローズの腕から逃げるロイが新聞でエリスローズを指す。
「エリーも同罪だからな! 騙しやがって嘘つき!」
「ロイが可愛くて、つい」
「そんな言い方してもダメだからな! 俺怒ってんだぞ!」
「でもごめんなさいできるロイはえらいえらい」
「ガキ扱いすんな! グレイだって何言ってんだコイツって絶対思った!」
「グレイは優しいからそんなこと思わない。お散歩連れてってくれてありがとうって思ってるよ」
「俺は嘲笑ってると思ってるけどな」
「黙れこのクソジジイ!」
スパンッと勢いよく顔に叩き込まれた新聞。勢いよく入りすぎたことに叩いたロイもさすがにマズイと思ったのか、恐る恐る新聞をどけると
「うばあああぁぁああああ!」
「ギャアアッ!」
ゾンビのような声と共に勢いよく起き上がったアレンの顔にもう一度新聞を叩き込んだ。
「お前マジ嫌い! クソジジイ!」
喉が張り裂けそうなほどの怒声を浴びせながらエリスローズの後ろに隠れて腰にしがみついた。
「もう絶交だからな! 話しかけんな!」
「わーったよ。なら仕方ねーからチョコケーキはエリーと二人で食べるか。ロイに話しかけるなって言われたから誘えねぇしな」
「んぐぐ……!」
「ロイ、ごめんなさいは?」
「アイツが先にからかった!」
「おじさんもごめんなさいは?」
「エリーもごめんなさいは?」
二人を仲直りさせようと思ったが、ロイに意地悪を言ったのはエリスローズが先であるためアレンに同じ言葉を返されると苦笑する。
「ロイ、ごめんなさい。グレイは散歩大好きだから嬉しいのよ。ロイが散歩に誘うと嬉しそうにしてるでしょ?」
「……うん」
「おじさんが言ったように、犬も猫も一日の半分以上を寝て過ごすんだって。それが普通なの」
「疲れて寝てるわけじゃねーの?」
「そうね」
「エリーの嘘つき」
「ごめんなさい。許してくれる?」
許すのを迷っているような顔つきだが、口元が若干緩んでいるのは何か考えているからだとエリスローズにはすぐにわかった。
「キスしてくれたら許す」
言うと思ったと笑いながら額に口付けるもロイは不満げ。
「そこじゃない!」
「女日照りのおっさんの前でそういうのは目に毒なんだがなぁ」
「女探してこいよ」
「エリー、おっさんにも潤いをくれー」
「新聞叩き込むぞ」
「ローイ」
口が悪いと手のひらでロイの唇を小刻みに何度も叩くとロイの声が震える。
「ロイ、これはそそのかしてるわけでもねぇから黙ってきいてほしいんだが」
「なんだよ」
「マジでロイのために人生決めるつもりか?」
床に捨てられた新聞を拾い上げて側にあるテーブルに置いたアレンが真剣な表情でエリスローズを見つめる。
「嫁にもらうってのはロイの言い分だ。お前の気持ちはどうなんだよ。ロイがデカくなれば気持ちが変わると思って相手してんのか? お前にはお前の人生があんだぞ。断ったら可哀想だからって理由でロイのわがままに付き合おうと思ってんならやめとけ。期待させるだけ酷ってもんだぞ」
アレンの中で二人の関係は不思議なものであり不気味なものでもあった。
ロイの感情は理解できる。幼心に年の離れた姉に恋をして執着している。
貧しい場所で暮らしていれば支えがいつの間にか恋心に変わることもあるだろうということもわかる。
だが、エリスローズはどうだと考えたときにどうにも納得がいかない部分があったのだ。
年が近ければまだわかる。だが二人の間には十も年の差があって、エリスローズの性格を考えればロイの恋愛感情に引っ張られるようなタイプではない。
弟がいくら可愛くとも嫁にもらうという言葉に付き合う必要はないように思うアレンにとってエリスローズの接し方は姉であり、それ以上でもある。
その中にはぐらかしている感もあるため、アレンにはわからないと思う部分があった。
「市場価値としては下がってるかもしれねぇが、そりゃ貴族の話だ。嫁探ししてる男は山のようにいる。恋人作ることは罪でもなんでもねぇんだぞ」
弟の夢に付き合う必要はないと提言するアレンにエリスローズは不安げな顔で見上げてくるロイを見て微笑みながら頭を撫でた。
「ロイ、シオン、メイが自立するまで恋はしないって決めてたの。朝から晩まで働いて、恋してる時間もなくて、しようとも思えなくて」
「お前なら言い寄ってくる男ぐらいいただろ」
スペンサーやリオンの顔が浮かぶが、すぐに首を振る。
「私にその気がないって言ったほうが正しいかな」
「家族に悪いってか?」
「それもあったかもしれない。父も母ももうボロボロだったのにそれでも笑顔で働いてくれた。私だけ恋愛して楽しい思いするなんてできないって思ってたのは確かにそうで、シオンとメイのお世話のためにロイの自由を奪ったことにも罪悪感があったのかもしれない」
ロイにとって楽しい時間ではなかっただろう。シオンは言うことを聞いてくれるが、メイは何も理解できない。目を離せばすぐにどこかへ行ってしまうため目が離せない。
眠たいと思っても昼寝することさえできない生活。両親も姉も働きに出て、自分だって働けると思っているのに働けない現実に苦しむ中で弟たちの世話をするという責務に疲れているだろうロイの人生を縛り付けていることが恋愛を考えない理由の一つでもあった。
「恋愛をすればいずれプロポーズされるかもしれない。それを想像するだけで怖かったから……」
「自分が愛した男にプロポーズされることの何が怖いんだよ」
「家族と離れること」
即答したエリスローズに目を瞬かせたアレンは額に手を当て「はーっ」とため息を吐きながらソファーに寝転んだ。
「家族愛ってのに恵まれなかった俺からすりゃ、その考えは理解不能だわ」
「家族愛に恵まれなかった? どの口がそんなこと言うの?」
笑うエリスローズの言いたいことがわかっているため横目でジトッと見ると笑顔が向けられる。
「で? 家族と離れたくないからロイの夢に付き合ってんのか?」
「付き合ってるわけじゃないわ。ロイは私の支えなの。一度ね、人生を振り返ってみたことがあって、嬉しいときや幸せなことは皆でだったけど、辛いときや悲しいときはいつもロイが一番近くにいてくれた。いつもこうして抱きしめて大丈夫だよエリーって言ってくれた。どんなに遅くに帰っても必ずロイは起きてくれて出迎えてくれた。ロイがいたから生きようって思えた」
両親を支えること、シオンやメイを死なせないことを一人で背負うのは無理だった。
一番の稼ぎ頭だったエリスローズが背負う重責を重責だと思わずに済んだのはロイが癒してくれていたから。
「たくさん我慢させてきたと思う。自分が泣いたら私が泣けないからって、負担にならないようにってたくさん我慢してくれた」
「別に我慢してたわけじゃねーよ。エリーが頑張ってるから俺も頑張っただけ」
「ふふっ、ね?」
優しいでしょと言葉にはしないものの笑顔がそれを、エリスローズが感じている幸せを物語っている。
「ロイがいないとダメなのは私のほうだから」
そう言いきったエリスローズの真っ直ぐな瞳にアレンは微笑みながら首を振った。
「よし、二人ともこっちこい」
再び起き上がったアレンが両手を広げる。
「ゼッテーやだ。ちょっ、嫌だってば!」
ロイの言葉を無視してアレンに近付くエリスローズを引き止めようとするが、抱えられてしまえば抵抗できない。
その大きな胸の中にもたれかかると二人一緒に抱きしめられる。
「何度も言うが、俺はお前らの親にはなれねぇ。でもお前らを幸せにすることはできる。お前らが自分の力で幸せになるまで見守るつもりでもある。俺が守ってやるから、お前らはもう我慢すんな。遠慮もすんな。家族、っつーのはおかしな言い方だが、そういうのが必要ねぇ関係でありたいんだよ」
言いたいことがわかるエリスローズの肩が揺れる。
不器用な男だと笑ってしまう。だが、そん反面、とても優しい人だと嬉しくなる。
「家族でいいんじゃない?」
「なっ!? 何言ってんだよ! 俺らの家族は──」
「ここに愛が溢れれば、おじさんも家族なんだよ。この大きな家も、庭いっぱいに作った花壇も、野菜畑も、グレイも、全部おじさんの愛。初めて会ったお父さんに私たちを幸せにするって約束してくれたのも愛なの」
「……でも……」
「お父さんって呼ばなくてもいい。ロイの中でお父さんはお父さんだけなんだったらそれでもいい。でも、おじさんがくれる愛を否定しちゃダメ。それはロイもちゃーんとわかってるはず」
エリスローズはコリンとフィーネの実子だが、ロイは違う。アレンとアレンが愛した女との子供。
どんな理由があってロイを捨てたのかはわからないが、血の繋がった父親が出てきたことは今でも複雑なのだろう。
捨てたくて捨てたのであれば縁を切れば済む話。それと引き換えにこの家を失うことになってもロイは平気な顔をするだろう。
しかし、捨てたくて捨てたのではなく、女が勝手にしたこと。アレンは十年間ずっと息子を探し続けていた。
そして育ての親であるコリンに誓ってもくれた。
彼が持つ大きな愛を一番感じているのは息子であるロイだとエリスローズは感じている。
「だ、だって……わけわかんねーじゃん……急に父親だって出てきてさ……。俺の父さんはコリンだけだもん。でも……コイツ見ると似てるって思うし……父親だって感じる部分もあるんだよ。でもさ……でもさ……コイツの愛が息子に対してのものだったら……それ受け取っちゃうと……父さんに悪いもん……」
ロイなりに思いがあることを初めて聞いたエリスローズが涙を滲ませるロイの背中を撫でると上から「バカだな」と優しい声が降ってくる。
「俺にとってお前は大事な息子だ。それはお前にどれだけ否定されようと変わらねぇ。十年間探し続けた息子にようやく会えたんだから十年分の愛をお前に与えたい。でもそれでお前の中の父親の座を奪おうとは思ってねぇし、奪えるとも思ってねぇ。受け取る受け取らないはお前に任せるつもりだ。嫌なら拒んでもいい。俺は勝手に注ぎ続ける。俺がそうしたいからだ」
「……優しくすんなよ……」
「そりゃするさ。お前が大事で可愛いし、愛おしくてたまんねぇのに優しくするなってのはな、月を引っ張ってくるぐらい無理な話だ」
「絶対無理じゃん」
「そう、絶対無理。お前を愛してんだから」
滲んでいた涙が膨れ、それが玉となって流れ落ちていく。
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「今まで通りおっさんって呼べばいい。でも、欲を言えばお前らの家族って輪につま先でもいいから入りてぇな」
どうするか決めるのはロイ。エリスローズはアレンを家族として認めている。シオンやメイがリオンを家族だと言ったように。
「わかんねぇよぉ……」
顔を上げたエリスローズとアレンが顔を見合わせて笑う。
否定はなかった。それだけでもロイの気持ちがじゅうぶんにわかるから。
「俺もキスしていいか?」
「私に?」
「ふざけんな!」
ロイの顔の上げさせ方をわかっているアレンが顔を上げたロイの頬を両手で包む。
「お前にだよ」
「ふざけんな! やめろ! 気持ち悪いんだよ! ギャーッ!」
断末魔のような悲鳴が響き、起きたグレイの鳴き声がそれを追う。
エリスローズとアレンの笑い声がよく響いた賑やかな一日だった。
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