エリスローズの瞳に映るもの

永江寧々

文字の大きさ
59 / 64

リオン・レッドローズは後悔する

しおりを挟む
「エリー! やっぱり見送りに……って、何してるんだ」

 仕事だと言っていたのに駆けつけたリオンはエリーナの顔を見るなり表情を歪ませる。
 
「一年間、私の代わりを頑張ってくれた身代わりを見送りに来たのよ」
「感謝も謝罪もせずに見送りとはね」
「あら、この一年で変わったのねあなた。前は嫌味を言うような人間じゃなかったじゃない」

 首に巻き付けられる腕を鬱陶しそうに払って距離を取るとエリスローズの前に行き、目を見開く。

「君……瞳の色が……」
「その瞳、赤い月を見てるみたいで不気味ね。その目を見てるだけで禍が降りかかりそう」

 クスッと笑うエリーナをリオンが睨むとまた懲りずに抱きついてくる。

「私たちの愛の巣が燃えちゃってすごく悲しいのに、あなたは平気なの?」
「僕が燃やしたからね」
「じゃあ新しいの建ててくれる?」
「あれは僕の別荘だ。君のために建てたわけじゃない」
「でも私たちの愛の巣でしょ?」
「違う。離れろ」

 エリーナの腕を離して肩を押すとわざとらしく後ろへよろめいたのを侍女が受け止める。

「瞳、赤だったんだね。彼女に合わせて変えられてたのか」

 頷くエリスローズにリオンは何を話そうとこの瞬間にも迷っていた。

「君は本当に美しい人だったよ。スラム出身とか関係ない。君は真っ直ぐで強くて、眩しいほど輝いてた」

 否定するように首を振るエリスローズ。

「あっはっはっはっはっはっはっ!」

 辺りに響くほどの大笑いに顔を向けると腹を抱えて笑うエリーナの姿があった。

「ねえちょっとやだ、なにそれ。見慣れない女に酔っちゃったの? まあ、絶対周りにはいない女だから物珍しくて仕方ないと思うけど、言いすぎなんじゃない?」

 笑いすぎて涙が滲み出ているエリーナが吟味するようにエリスローズを上から下まで見るが、鼻で笑って終わる。

「そんな風に感じたのって私に似てたからでしょ? もー、寂しかったならそう言いなさいよ~」
「触るな」

 強く払われたことは初めてで、エリーナの顔に驚きが滲む。

「なに? まさかこの娘に惚れたとか言うんじゃないでしょうね?」
「……」
「冗談でしょ? こんなゴミに惚れたの?」
「……そうじゃない……。惚れてなんかない。ただ、彼女に感謝してるんだ。無責任に職務を放り出した者の代わりを全うしてくれたからね。偽物だと疑われることもなく、君がやりたくないことまでやってくれたんだから。彼女は喋れないけど、それでもよくやってくれたんだ」

 嘘をついた。リオンにとってこれほど心を揺さぶる相手はエリスローズ以外いない。それでもエリーナの前で正直に言えばエリスローズに何をしでかすかわからないから嘘をつく。
 エリスローズの目を見れない。ショックを受けていたらと思うし、笑顔でいられるのも辛い。
 卑怯な男だと拳を握った。

「ちょっと、余計なことしないでよ。あなたがやったこと、私がやらなきゃいけなくなるじゃない。私がやってたことだけやればいいのに余計なことして。頑張ってるとこ見せて褒められたかったの? どんなに努力したところで所詮あなたは私が帰ってくるまでの代わりでしかないんだから」
「いい加減に──」
「キャアッ!」

 大きな音が一発、辺りに響いた。何かが破裂したのではないかと思うほど大きな音。
 そしてエリーナの悲鳴と倒れる音。
 
「エリーナ、口を閉じろ。お前の声は耳障りだ」

 吐き捨てるように言い放つアレンが怒っているのがわかる。

「ぶっ、た……?」
「エリーがしたことをテメーがするんじゃねぇだろ。テメーがすべきことをエリーがやってきただけだろうが。なに寝ぼけたこと言ってんだよ。テメーは男に股開くしか能がねぇのかよ」

 目の前にしゃがんだアレンが額に青筋を浮かべながらエリーナに圧をかける。

「リオン、何度も言うが、こんなクソ女さっさと捨てろ」

 放心しているエリーナに唾でも吐きかけてやりたいのを堪えて立ち上がり、二人を馬車に乗せる。
 驚いているリオンに命令するように言って、馬車に乗り込み去っていった。

「エリーッ……」

 行ってしまった。
 まだありがとうもごめんも言えていないのに。

「リオン様、エリーナ様にお手を! リオン様!?」

 リオンは馬車が見えなくなるまで見送ると侍女の言葉を無視して部屋へと戻っていった。

「ノート……」

 帰るまで三人が居た部屋に足を踏み入れると床にノートが落ちているのが見えた。
 アレンかロイが放ったなと笑いながら拾い上げるとページをめくる。

「そうだ……」

 そのまま足速に自分の部屋に帰り、エリスローズに会ってから使い始めたノートを全て出した。

「取っているなんて知ったら怖いって言うかな。いや、気持ち悪い、かな?」

 ハッキリと言う女性だったから容易に想像がつくと笑ってしまう。
 一年という年月は長いようで短く、短いようで長かった。
 それは山積みになったノートを見ればわかる。

「思い出、か……」

 エリスローズが言った思い出という言葉。
 傷つくような言葉ではない。彼女は仕事をしに来ていたのであって、政略結婚で嫁ぎに来たわけではない。
 いつか終わりが来るし、繋ぎ止める術もない。
 だからこれが思い出になってしまうのも自然なことだ。
 だが、リオンにとってこれは思い出と懐かしむにはあまりにも寂しく、開こうにも開けない。

「恋なんて馬鹿馬鹿しいとばかり思ってた。ロマンチックな恋とか身分差とか身を焦がすような、とか……でも、あったんだよ」

 恋をしなさいと言われたことは一度もない。婚約者は決まっていると子供の頃から言われて、それを受け止めるだけだった人生。
 仕事も何もかも親の言いなりで、反発しようと思ったこともない。
 いつかは自分も国王になる。その道を父親が作ってくれているのだと思い込んでいた。国王になれば父親が歩んできた道を同じように作っていくだけなのだと。
 エリスローズと出会わなければスラム街や貧困街のことは気にしたこともなく、きっとこれからも気にすることはなかっただろう。
 親に反発することも、誰かを守ろうと思うことも、妻に対して苛立ちを覚えることさえも。
 彼女に出会って色々変わったと感じるリオンは今日から彼女がいない生活を送ることになるんだと思うと何もする気が起きなかった。

『仕事してください』

 頻繁に部屋に立ち寄るリオンにエリスローズはいつもそう言った。

「仕事しないとな……」

 意思が弱い。
 いつだって会いたかった。仕事の合間、休憩時間、食事中、就寝前──何度も会いに行っては『暇なんですか?』と笑われた。
 理由はなんだっていい。笑ってほしかった。
 彼女が笑ってくれるだけでやる気が出た。
 椅子に腰掛けて書類を前に頬杖をつく。

『邪魔になりませんか?』

 部屋を訪ねてきたエリスローズに暫く部屋にいてくれるよう頼むと、向かいに置いてある二人掛けのソファーに腰掛けて落ち着かないようにソワソワしながら問いかけてきた。
 そんな様子を見ているのが楽しくて何度か同じことを繰り返した。
 次第に慣れてきたのか、本を持参して部屋で読むようになったが、それはそれでよかった。

「どうして太らないことに疑問を持たなかったんだろう……」

 スラム街での生活とここでの生活は世界が違うと言っても過言ではないものだったはず。
 贈り続けたスイーツを食べていれば簡単に太ったはずなのに、少し肉がついたぐらいで細いのは変わらなかった。
 もっと早く感想を聞いていればわかったことなのかもしれないのに、なぜそうしなかったのだろうと今更になって後悔したところで遅いことはわかっている。
 苦笑することさえ許されない罪だとリオンは机に額を押し付けた。 

「いい加減で中途半端……そんな男から好きだって言われて誰が信じるものか。誰が恋になど落ちるものか……」

 もっと気にかけることができたはずなのに、なにもしてこなかったような気がして自嘲が込み上げる。
 一年あれば好きになってもらえると思っていた。地位も名誉もなにもかも持っているのだからと傲慢になっていたのかもしれない。
 エリーナは中身を愛してはくれなかったが、顔だけは好きだと言った。だが、エリスローズはどれだけ見つめ合っても頬を染めることはしなかった。
 見惚れているのはいつも自分ばかりで、エリスローズの気持ちが向いたと思う瞬間はほとんどなかった。
 それでも、彼女が言った『あなたを好きになれたらどんなによかったか』という言葉に少し救われている。
 自制していなければ少しぐらいは好きになってもらえただろうかと勝手ながらそう思うことができるから。

「結局……本名はわからなかったな」

 エリーという名前でないことはわかっているが、エリスローズはそれを頑なに教えようとしなかった。
 最後なのだから聞いておけばよかったと思うのに、そこまで頭が働かなかった。
 エリーナが帰ってきたことでエリスローズはこれから家族六人で仲良く暮らしていけるはずだった。
 リオンはあの別荘ごと譲るつもりだった。
 警備をつけることはできないが、スラムや貧困街に帰すぐらいなら譲渡すると。
 その中にはそうすればいつでも会いに行けるという下心もあった。
 あの場所にあの家族が住んでいて、会いに行こうと思えば会える距離にいる。そこに行けば自分はあの家族の一員になった気になれる。
 自分の幸せはここではなく、あそこにあるのだと思いたかった。
 でも神がそれを許さなかった。そんな甘い考えが通るはずがないだろうとでも言うように、彼らからもリオンからも奪っていった。
 
「残された君たちの人生が誰よりも幸せであることを祈っているよ」

 もう会いに行く理由がない。彼らはメイやシオンのように自分が行くのを期待していないから。
 会えば嫌なことも思い出してしまうだろう。
 だから直接伝えることはできないが、せめて祈ることだけはしようと立ち上がって目を閉じ、彼らのために静かに祈った。
しおりを挟む
感想 60

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

忘れ去られた婚約者

かべうち右近
恋愛
『僕はレベッカしか選ばない』 甘い声音でそう話したはずの王太子サイラスは、レベッカを忘れてしまった。 レベッカは、王太子サイラスと付き合っていることを、ある事情により隠していた。舞踏会で関係を公表し、婚約者に指名される予定だったのに、舞踊会の夜にサイラスは薬を盛られて倒れ、記憶喪失になってしまう。 恋人が誰なのかわからないのをいいことに、偽の恋人が次々と名乗りをあげ王太子の婚約者の座を狙ってくる。おかげで不信に陥ったサイラスに、レベッカは自分が恋人だと名乗り出せなくなってしまった。 サイラスの記憶喪失を解消するため、薬師兼魔女であるレベッカは恋人であることを隠しながら、事件調査を協力することになった。そうして記憶が戻らないまま二人の距離は再び近づいていく。だが、そんなおりにサイラスの偽の恋人を名乗りでた令嬢たちが、次々と襲われる事件も起き始めて……!? ※他のサイトにも掲載しています。 毎日更新です。

お久しぶりです旦那様。そろそろ離婚ですか?

奏千歌
恋愛
[イヌネコ] 「奥様、旦那様がお見えです」 「はい?」 ベッドの上でゴロゴロしながら猫と戯れていると、侍女が部屋を訪れて告げたことだった。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

処理中です...