愛し方を知らない氷帝の愛し方

永江寧々

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フローラリア陥落

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 ラタネヴィア大陸の南に位置する国、フローラリア。
 年中常夏のフローラリアは鮮やかな花々が咲き誇り、太陽の光同様に民の笑顔も眩しい、陽気で穏やかな国──だった……
 
「ミュゲット……怖い……」
「大丈夫よ、フラン。私がついてる」
「でももうそこまで足音が来てるのよ!」
「シッ」

 のんびりとした性格の使用人たちの笑い声は聞こえない。聞こえてくるのは大勢の足音。そして悲鳴。笑い声を上げていた口から上げられる悲鳴が胸を切り裂くほど辛く、妹のフランは震えながら涙を流す。
 フローラリアが誇る美しいワンピース。それが何十着と並べられたクローゼットの奥の小部屋。ドアはなく、板を外さなければ入れない場所。ここは何かあった時のためにと父親が設計した秘密の場所。
 少女が二人、抱き合いながら息を潜めて全てが去るのを何時間も待っている。

“ここなら見つからない。絶対に大丈夫“

 そう信じていた。

「いたか?」
「いや、ここにもいない」

 廊下から男の声がする。フランが言うようにもうそこまで来ているのだ。
 両手で必死に口を押さえながら声だけは漏らさないようにと堪えているが、フランの瞳からは大粒の涙がこぼれていく。

「パ、パパたちは大丈夫なのかな……」

 少し手を離して声を震わせながら問うのは今にも縋りつきたい両親の存在。
 外からの侵入者に気付いた父親はすぐに二人を小部屋に押し込み『何があっても絶対に出てくるんじゃない。パパたちが必ず迎えに行くから二人で待っていなさい」と言って二人の頬にキスをした後、板をはめた。
 両親の部屋はこの先。父親たちの部屋にも同じ小部屋があれば隠れているはずだから大丈夫だと信じたいが、小部屋の存在は聞いていなかったためわからない。

「地下通路を逃げてるかもしれない」
「フランたちを捨てて……?」

 何かあった時のために存在している地下通路だが、親バカと言われている二人がそんなことをするはずがない。
 ミュゲットは父親の言う通り、静かにここで待っているつもりだった。きっと彼らが出ていったら迎えに来てくれるはずだと信じて──

「王たちを見つけたぞ!」

 兵士の声に二人は目を見開く。

 見つかった──!

 フランは涙を溢れさせながら何度も首を振ってミュゲットを見つめる。

「自害していた」
「ッ!?」
「いっ──!」

 兵士の言葉にフランが声を上げそうになったのをミュゲットが押さえて何度も首を振る。
 父親は確かにあの時、二人に告げた。

『迎えに行くから待っていなさい』

 二人は迎えに来るどころか、先に行ってしまった。

「首吊りか?」
「いや、毒だな。蜂蜜っぽい物が側に落ちてたぞ」
「花の蜜か?」
「それが毒だろうな」
「怖いねぇ。国が誇る花の毒で死ぬとは」
「本望だろうよ」

 下品な笑い声が響き渡る。もう悲鳴は聞こえない。
 人が死んだというのに何がそんなにおかしいのだろうか。
 この国は戦争とは無縁の国だった。最南端に位置するフローラリアは気候も人も穏やかで争いさえなかったはずなのに、どうして彼らはこの国を選んだのか。ミュゲットにはわからなかった。

「そこで喋っているということは娘は見つかったのか?」
「ま、まだです!」
「お前たちの所属はどこだ?」
「第七部隊です! 王及び王妃捜索にあたり、奥の部屋で揃って自害しているのを確認しました! おそらく花の毒だと思われます!」
「グラキエスに戻り次第エルムントを呼べ。第七部隊は解散だ。女のようにお喋りな男は我が軍にはいらぬ」
「ひっ! お、お助けください! も、もう一度チャンスを──ギャァッ!」

 口調からして上官だろう。冷たい声が壁を突き抜けてきたようにハッキリ聞こえてくる。そして続く男三人の苦しげな悲鳴と床に倒れたであろう音。
 真っ暗な場所で音だけを拾い続けると脳は勝手に想像を働かせる。これが全て夢であればどんなにいいか。今すぐ目を覚まして両親と妹におはようの挨拶をしに行きたい。
 広がる青空から降り注ぐ太陽の光を全身で浴びて、美しい景色を眺めては愛する家族とハグをする。
 恐怖に支配されないために夢を見るミュゲットだが、『娘が二人いるはずだ。探せ』と命令するあの冷たい声に現実世界へと戻されてしまう。
 目を開けると真っ暗な世界。外に出れば今よりずっとひどい世界が広がっている。そして見つかれば地獄が待っている。

「城中探しましたが見つかりません」
「地下通路は探したのか?」
「隅々まで探しましたが、残念ながら…」
「地面は濡れていたか?」
「い、いえ」
「そうか」
「陛下?」

 足音が近付いてくる。確実に、迷うことなく進んでくる。

「頭の良い親なら部屋に隠す。どの経路から進入してくるかわからない以上、愛する娘を逃すのに手間取って殺されてはかなわんからな」
「ですが、この部屋には誰も……」
「壁の中まで探したのか?」
「い、いえ……」
「所詮は貴様もその程度ということか……」
「へい──ギャァッ!」

 近くで壁に水がぶつかったような音がした。そしてまた男の悲鳴と共に床に倒れる音。

「ッ……ッ……ッ……」

 悲鳴を上げないようにするので精一杯。フランの精神はもう限界だった。目を見開いたまま何度も短い呼吸を繰り返す。
 暗闇が嫌いで、寝る時でさえ電気は消さないフランがこんな場所で何時間も堪えていたこと自体が奇跡なのだ。そこに加わった恐怖に悲鳴を上げるのも時間の問題。
 クローゼットの中で足音が止まった。
 大丈夫。バレない。わからないと何度も心の中で繰り返し呟いて自分に言い聞かせるミュゲットの手も震えている。だが自分は姉であり、両親亡き今、妹を守れるのは自分だけだと唇を噛み締めながら自分を奮い立たせていた。
 だがそれも一瞬で絶望へと変わる。

「やはりか」

 板がカパッと倒れたと同時に光が入り込んでくる。目を細めても見える氷刃のような剣。剣先で引っ掛けて外したのだ。
 フランが「ヒッ!」と声を上げた。向こうから見えていなければという儚い願いもこれで潰えてしまった。
 それでもミュゲットはフランを抱きしめて奥まで下がる。そう広くはない空間。男が剣を伸ばせば簡単に二人の腹を貫けるだろう。
 生かしてもらえる保証はない。ならばと最後の抵抗で背中が壁に当たるまで下がった。

「出てこい」

 中を覗き込もうともせず自ら投降するよう命じる声の冷たさにミュゲットはなぜか涙が出そうだった。

「余に同じことを二度言わせるな」
「フラン! だめッ!」
「で、出ていかなきゃ殺されちゃうよ!」

 震えた身体を動かして外へ出ようとするフランを慌てて引き止めるが、フランは怯えきっている。ミュゲットは最後の手段に出る覚悟はあったが、きっとフランにその覚悟はない。
 両親は死んだ。自分も死ぬとかという恐怖に支配されている今、殺されない方法しか選べなくなっていた。

「死にたくないよミュゲット……」

 縋り付くような声にミュゲットは強く唇を噛み締めて光のほうへと這っていく。外に出て一番に目に入ったのは土で汚れた靴で踏まれたワンピース。男が入った時にハンガーから落ちたのを男が踏んでいた。
 思い出がたくさん詰まったワンピース。それを汚い足で踏みつける男が憎い。
 唇が震え、気を抜けば涙がこぼれてしまいそうだった。だが泣くわけにはいかない。

「フラン、おいで」

 バレていなければ自分だけ出ていくつもりだったが、娘が二人いることはバレている。
 焦ってはいない怯えてもいないことを必死で装い、今出せる限りのいつも通りの声でフランを呼んだ。

「こ、殺さないで……」

 呪文のように何度も口にしながら懇願するフランが出てくるとミュゲットはその身体をもう一度抱きしめた。

「立て」
「殺さないで殺さないで殺さないで殺さないでッ」
「余に同じことを二度言わせるな」

 その言葉はきっと最終警告なのだろう。
 ミュゲットは震えそうになる足にグッと力を入れてフランを支えながら立ち上がる。

「これがフローラリアの妖精と名高い王女か」
「妹に触らないで!」

 黒い手袋をはめた男の手がフランに伸びるのを見てミュゲットがその手を強く払った。

「汚い手で妹に触らないで」
「お前が姉のミュゲット・フォン・ランベリーローズだな」

 答えなかった。
 こんな男に名前など呼ばれたくもなかったが、呼ぶなと会話するようなことも言いたくなかったから。

「ッ!」

 急に顎を掴まれ上を向かされると男の顔が視界いっぱいに広がる。
 銀色の髪に氷のような透き通る薄い青の瞳。鋭い切長の目がジッとミュゲットを見つめる。
 見つめられているだけで全身が凍ってしまいそうなほど冷たい瞳からは感情が読み取れず、ミュゲットはギュッと強く目を閉じた。

「血が出ているぞ」
「触らな──ッ!?」

 強く噛んだ際に切った唇から血が出ていることは知らなかったが、今はそんなことはどうだっていい。男の手を払おうと顔を動かそうとした瞬間、男の唇が重なった。
 強制的に重ねられる唇に閉じていた目は大きく見開かれ、何が起こっているのか整理する頭は真っ白になり停止する。
 唇にぬるりとした感触が走り、ゾワゾワっと背筋を走る気持ち悪さに慌てて力いっぱい胸を押すが男はビクともしない。

「ッ──!」

 反射的に唇を噛んだことでようやく唇が離れるとミュゲットは手の甲で唇を擦りながら男を睨みつけた。
 男の唇には血が滲んでおり、男はミュゲットを見下ろしたまま赤い舌でそれを舐めとる。

「妹を連れて行け」
「はっ!」

 後ろで待機していた兵士がフランの腕を掴んで引っ張ろうとするのをミュゲットが慌てて阻止しようと手を伸ばすが、男の手に阻まれてできなかった。

「やだっ! ミュゲット! 一緒に来て! 一人にしないで! ミュゲット助けて! ミュゲット──!」
「フラン! やめて! 私も一緒に行く! フランッ! フラン──ッ! フラッ……フラン……」

 追いかけようとするミュゲットの前に腕を出して阻む男。手を伸ばすフランの手を掴もうともがくが、やはり男はビクともしない。
 兵士に抱えられるようにして連れていかれたフランの姿が見えなくなるとミュゲットは床にへたりこんでしまう。堪えていた涙が溢れるが、男の前で弱い泣き声など漏らしたくはないとまた唇を噛み締めた。

「安心しろ。貴様も共に連れてってやる」
「だったら最初から連れて行ってくれれば──キャッ! ちょっと下ろして! 触らないでって言ってるでしょ!」

 腕を引かれ簡単に肩に担がれる。ミュゲットがいくら暴れようとも男の腕は緩まない。
 クローゼットから出れば広がる直視できない光景。床に広がる血溜まり、壁に飛んだ血飛沫、倒れている兵士たち──
 フローラリアでは絶対にありえない光景がそこにある。
 ここは自分が生まれ育った場所。両親や妹、使用人たちとの思い出溢れる場所。それなのにまるで知らない場所であるかのように辺りは血で染まっていた。
 白いズボンは使用人が履いていたもの。それが血に染まっているのが見えるとミュゲットはそれ以上は目を開けていることができず、両手で顔を覆った。

「どうしてこんなひどいことが……」
「戦争とはこういうものだ」

 冷たい声と言葉がミュゲットの心に突き刺さる。

「ミュゲット様ー!」
「ミュゲット様を離せー! どこへ連れていくつもりだ!」
「我らが光を奪うつもりか!」

 外に出ると慣れた空気のはずなのに全く違うものに感じた。
 目を開けると見えたのは頭の後ろで手を組まされて地面に座っている国民たちに兵士たちが銃を向けている姿。ミュゲットの名前を叫ぶように呼ぶ者たちにミュゲットは「大丈夫」の言葉一つかけてはやれなかった。

「暴れるな。落ちれば死ぬぞ」

 暴れるつもりはなかった。男と共に馬に乗るなど死んだほうがマシだと思うが、このまま一緒に行かなければ妹には会えない。
 今はただ、妹が無事でいることを願いながら従うしかなかった。
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