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姉妹といえど
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「ミュゲット帰ってこないね」
「お怒りだったからな」
「ひどいことされてないといいけど……」
されていなければ奇跡だ。殺されていてもおかしくはない。それだけ怒っていたのがエルムントにはわかった。
二度同じことを言わせたというだけで殺された兵士は数知れず。機嫌が良いと感じた数秒後には不機嫌になったりする。
氷のように冷たいという意味で氷帝と呼ばれ、暴君と恐れられている人物を怒らせ、朝になっても帰ってきていないことからエルムントは最悪の事態を想像していた。
「んー! 待ってられない! 迎えに行く!」
「待て待て待て待て! お前が言ったところでどうにもならん! 余計に怒らせるだけだ!」
「だってもうすぐお昼なのにミュゲット帰ってこないなんておかしいじゃん! 疲れて人の話聞いてない時なんて誰にだってあるよ! それさえも許さないの!?」
「どれだけ疲れていようと目の前に皇帝陛下がおられるなら集中しなければならない」
「そんなのおかしいよ! 横暴すぎる!」
「お前たちは捕虜であって国民じゃない。皇帝陛下の一言で命さえも失うんだぞ。こうして慈悲を与えてもらえただけありがたいと思うんだ」
「でも……」
頭ではわかっていても納得はできない。
「地下牢にはまだ多くの捕虜がいる。凍えるほど寒い中で身を寄せ合って暖を取り、冷めた食事を分け合って食べるんだ。お前はそれに耐えられるのか? 逆らえば足が変色するほどの冷たさや飢えが待っているんだぞ」
「でも……舞はちゃんと見せたのに……」
「最後まで気を抜いてはいけなかった。お前の姉は失敗したんだ」
「失敗なんてしてない! ミュゲットは完璧だった! エルムントだって見てたでしょ! ミュゲットの美しさ! あの人だって褒めてたじゃない! なのに無視したって急に怒り出して……」
子供のようだと呟くフランの頭をエルムントが撫でる。言いたいことはエルムントにもわかっている。探しに行きたい気持ちも。だがそれだけはさせられない。行けば命を散らすのは目に見えているし、最悪の場合、ミュゲットの悲惨な姿を見ることになるかもしれない。
二人が互いを心の支えにしているのなら余計に。
「じゃあエルムントが見てきてよ……」
「皇帝陛下の部屋には誰も入れない。敵が攻め込んできたという報告か重要な用件以外はドアを叩くことさえ許されない。宰相でさえ用件を伝えられるのは朝に一度だけ。報告はそれまでに全てまとめておくことが決められている。途中で入った用件は明日に回すこともな」
「そんな……じゃあミュゲットはどうしてるの? 地下牢に入れられてるってことない?」
「……それは……聞いておく」
専属騎士を与えた以上、フランがある程度わがままを言うことは許したということ。しかし詮索までは許していないだろう。どこまで許されるのかエルムントも恐る恐る手探りで進めるしかない。
地下牢を見るぐらいはできる。それしかできないとも言えるが。
「ミュゲット寒くないかな?」
「陛下とおられるなら問題はないだろう」
姉の姿が見えたらすぐにでも迎えに行こうとドアの前に立って外を見るフランが抱えている物に気付いたエルムントは隣に立ってそれを撫でた。
「やはり素晴らしい物だな」
「えへへ、皇帝陛下がフランにくれたの」
「……ん? いや、どういうことだ?」
フランの言葉に眉を寄せるエルムントにフランはコートを羽織ってその毛を撫でる。
「ミュゲットがね、皇帝陛下がフランにくれたよって持って帰ってきてくれたの」
エルムントは納得したように一度だけ小さく頷いたが、すぐに目を閉じてため息をつく。
「これは皇帝陛下がお前の姉に贈ったものだ」
「違うよ。フランにだよ」
「なぜ皇帝陛下がお前に贈り物をする必要がある」
「フランだけ呼ばないから申し訳ないって思ったんじゃない?」
「捕虜のお前を呼ばないことを申し訳ないと思う必要がどこにある」
「でもミュゲットがそう言ったんだもん」
フランの話が嘘でなければミュゲットは自分から妹にコートを差し出したことになる。
フローラリアは年中暖かな気候であるため毛皮のコートなど必要のない国。そこで生まれ育てば一生見ることさえない代物。だからこの価値がわからないのも仕方がないと思うが、事情を知っているエルムントには重大な犯罪にさえ思えた。
「これは陛下が自ら狩りに出てこしらえた毛皮だ」
「フランのためにでしょ?」
「ミュゲット・フォン・ランベリーローズのためだ」
驚いた顔を見せるフランにエルムントはもう一度ため息をついた。
「皇帝陛下は自ら戦場に立たれることはあっても狩りに出られることは今じゃほとんどない。だが、今回初めて狩りに出かけられた。このコートを作るために、だ」
「それがどうしてミュゲットのためだってわかるの? どうしてフランのためじゃないって言い切れるの?」
「ミュゲット・フォン・ランベリーローズの名を口にされていたからだ。あの細い身体では部屋に来るまでに凍えてしまうだろうからと」
驚いた顔が少し絶望の色を交えたのを感じながらドアの側にあるソファーに腰掛けたエルムントはフランの手を軽く引っ張ると素直に寄ってくる身体を隣に座らせた。
「お前の姉はお前にあげたかったのだろうな」
「あげるって言えばいいのに……」
「自分だけもらったとは言いにくかったのだろう」
「でもフランに贈ったなんて嘘、ひどいよ」
嘘も方便とは言うが、それは嘘をつくほうが使うものであって使われたほうは納得できないこともある。それもエルムントは理解できる。
実際、ミュゲットは自分の国を落として自分達を捕虜にした男からは何も受け取りたくなかった。だから妹に譲った。
今の現状を受け入れて媚びてしまえば少しは気持ちが楽になるだろうにミュゲットはそうしない。
氷帝に頑固な女は相性が悪いとエルムントは危惧している。
(陛下は媚びられるのが嫌いだ。それがわかっていてやっているのだとすれば賢いが、頑固すぎるのは逆に命を縮めることになる)
その考えはすぐに頭を振ることで否定する。
もし、ミュゲットが相手の性格をわかっていたのだとしても今回のミスはあまりにもひどい。わかっていれば絶対にしでかさないミスだ。
「ミュゲットはどうして毎日呼ばれるの? どうしてフランは呼ばれないの? ミュゲットにだけ毛皮を渡したのはどうして?」
「それは皇帝陛下のみぞ知ることだ」
「むぅ……」
ミュゲットがどういう目に遭っているのか知っているエルムントはフランが呼ばれないことはむしろラッキーだと思っているが、それを伝えることはしなかった。姉を大切に思う妹にわざわざ伝えるようなことではない。
「わがままだよね、皇帝陛下。甘やかされてきたお坊ちゃんなんだ」
「本人の前では絶対に言うな」
「言わないけど、あの年であんなにわがままなんて結婚できないんじゃない?」
「陛下はしないだけだ」
「皇帝陛下ってモテる?」
「あの高貴なお姿を見ればわかるだろう。女なら誰もが陛下の寵愛を受けたいと思うはずだ」
「ミュゲットもそうかなぁ?」
「さあな」
何回も名前を呼んだり同じことを言うのは誰もが嫌うことだが、だからといって本来与えるはずの褒美を与えないということも信じられないほど怒るということもない。
なぜあんなにも怒ったのかが理解できないフランはミュゲットが寵愛を受けたいと思っているのならやめるようアドバイスするつもりだった。
しかし、自分が彼を良い人かもしれないと言ったとき、ミュゲットは絶対に違うと怒った。あの様子から見ても寵愛を受けたがっているようには見えないとも思ったのだが
「でもミュゲット、毛皮をフランに渡すとき少し元気なかったなぁ。本当は渡したくなかったのかな?」
「これはスノークルスと呼ばれる動物の毛だ。ここグラキエス周辺にしか生息していないため世界でも最高級品として扱われている。それをもらって喜ばない人間はいない。男でも喜んで着る代物だぞ」
「それじゃあ渡したくないよね。フランだって同じ立場なら渡したくないかもだし」
「だが姉はお前に渡した」
「ミュゲットは優しいもん。なんでもフランにくれるの。物欲とか執着心がないんだって」
本当にそうなのか、それとも妹がねだるから我慢して与えていたのかどっちだろうかとエルムントは考えるが、後者だろうとすぐに結論を出す。
フランが姉思いなのは間違いないが、ミュゲットとフランは考え方が違うような気もしていた。
ミュゲットは妹のために全てを差し出すタイプだが、フランは姉のために全てを差し出すタイプではないイメージがある。
双子といえど別人。どちらも美人ではあるが、化粧をして映えるのはフラン。魅力的な身体を持つのもフラン。物怖じせず人と仲良くなれるのもフラン。全て秀でているのはフランなのだが、それが必ずしも得をするかというとそうでもないような気がしているエルムントは首を傾げてフランを見る。
フランの誰とでも仲良くなれるというのは言い方を変えれば人に取り入るのが上手いとも言える。実際、フランは既に何人かの兵士と仲良くなっているのだ。家の中に招き入れたりドア越しに世間話をしたりもする。
捕虜でありながら“褒美“という権利を最大限に利用して専属騎士を手に入れたフランは何も考えていないおバカな王女とは言えないだろう。明らかに策士。
その点、姉のミュゲットはエルンストからは不器用に見えた。
「エルムントはどうして片腕がないの?」
「戦争で失ったんだ」
「じゃあどうして騎士をやめないの? 片腕じゃ戦えないでしょ?」
フランはエルムントの片腕がないことがずっと気になっていた。
「剣は両手で握る物じゃない」
「そうだけど、でも両手がないと不便じゃない? お料理できないよ?」
「騎士団の食事は下っ端が作るんだ。問題ない」
「これからはフランが作ってあげるからね!」
「ああ……そうだな」
姉が帰ってこないことを心配もしているのだろうが、フランは既に寂しさなど感じていないように笑う。
姉と妹といえど双子。そこにある想いの量は違うのだろうとエルムントはミュゲットにほんの少し同情する。
「ね、エルムントは結婚しないの?」
「この身が朽ち果てるまで皇帝陛下にお仕えすると決めている。いつ死ぬかわからん身で結婚など無責任だ」
「でも結婚してる人はいるんだよね?」
「そいつの自由だからな。これは私が決めたことだ」
「でもでも、結婚すれば何がなんでも生きようって思わない? 待ってる人がいるから絶対に生きて帰るんだって」
「それはあるだろうな」
「でも結婚しないの?」
「自分が結婚するなど考えたこともない」
戦場に出る日は当然ながらいつも決まっているわけではない。ある日突然決まるということもある。攻めてくる国を制圧しに向かうこともあれば、フローラリアの時のように抵抗する意思も武器も持たない国を制圧する日もある。
何を考えてそんな行動に出るのか、エルムントたちでさえわからない時は多い。
だからといって反論でもしようものなら飛ぶのは腕の一本ではなく首。ゴミのようにそこらに転がって終わる。
この国では正義は皇帝陛下であって一般的に常識と呼ばれるものではない。フローラリアの姉妹が捕虜になったのも皇帝陛下の気まぐれ。
「じゃあさ、考えてみない?」
「考えるつもりはない」
「でもフランの専属騎士なんだから結婚してるも同然じゃない?」
「……は……?」
何を言い出すんだと驚くエルムントにフランは笑顔を向ける。
何が言いたいのかはわかっている。だから「どういう意味だ?」とは聞かなかった。どこか誘うような瞳を向けるフランを直視するのは危険な気がしてエルムントは立ち上がった。
「帰ってきたぞ」
「え?」
同じように立ち上がったフランが外に目を向けるとミュゲットの姿が見えた。
「ミュゲット! おかえり!」
「ただいま、フラン」
「唇切れてるよ! どうしたの!?」
「雪に足取られて転んだの」
「風強いもんね。大丈夫?」
「ええ」
どう見てもさっき転んで切ったものではないが、これが姉の性格なのだろうとエルムントも何も言わなかった。
視界には映っているはずなのにエルムントに挨拶どころか目を合わせようともしないミュゲットが心を開いていないことは伝わってくる。
「遅くなってごめんなさい。何もなかった?」
「うん! エルムントが一緒だから大丈夫だったよ!」
「そう……。よかった」
「あ、ご飯食べる? 今温めるから!」
「フラン、ごめんなさい。なんだかすごく眠たいの。ご飯はまた後で食べるわ」
あまり身長差のないフランには見えなかっただろうが、上から見下ろすことができるエルムントにはミュゲットの胸に歯形やキスマークがついているのがハッキリ見えた。
「大丈夫?」
「久しぶりに舞ったから疲れたみたい」
「ミュゲットいつもそうだったね。ゆっくり休んで」
「ええ、ありがとう」
二階へと上がっていくミュゲットの身体が疲弊しているのが見てわかる。切れた唇の周りがまだ薄い痣になっているのも転んでぶつけたからではなく殴られたからだろう。
女であろうと容赦しない。それが皇帝陛下なのだと嫌な実感をするエルムントは目を閉じて小さくため息を吐き出す。
「ミュゲットね、フローラリアの舞の後はいつもぐっすり眠るの」
「そうか」
「夜まで起きてこないかも」
「寝かせてやれ」
「そうだね」
エルムントは帰ってこないミュゲットが殺されているのではないかと最悪の事態も想像していたが、ミュゲットはこうしてちゃんと帰ってきた。
怒らせたことで殴られたのだろうが、殺されはしなかった。それが少し意外だった。
「お怒りだったからな」
「ひどいことされてないといいけど……」
されていなければ奇跡だ。殺されていてもおかしくはない。それだけ怒っていたのがエルムントにはわかった。
二度同じことを言わせたというだけで殺された兵士は数知れず。機嫌が良いと感じた数秒後には不機嫌になったりする。
氷のように冷たいという意味で氷帝と呼ばれ、暴君と恐れられている人物を怒らせ、朝になっても帰ってきていないことからエルムントは最悪の事態を想像していた。
「んー! 待ってられない! 迎えに行く!」
「待て待て待て待て! お前が言ったところでどうにもならん! 余計に怒らせるだけだ!」
「だってもうすぐお昼なのにミュゲット帰ってこないなんておかしいじゃん! 疲れて人の話聞いてない時なんて誰にだってあるよ! それさえも許さないの!?」
「どれだけ疲れていようと目の前に皇帝陛下がおられるなら集中しなければならない」
「そんなのおかしいよ! 横暴すぎる!」
「お前たちは捕虜であって国民じゃない。皇帝陛下の一言で命さえも失うんだぞ。こうして慈悲を与えてもらえただけありがたいと思うんだ」
「でも……」
頭ではわかっていても納得はできない。
「地下牢にはまだ多くの捕虜がいる。凍えるほど寒い中で身を寄せ合って暖を取り、冷めた食事を分け合って食べるんだ。お前はそれに耐えられるのか? 逆らえば足が変色するほどの冷たさや飢えが待っているんだぞ」
「でも……舞はちゃんと見せたのに……」
「最後まで気を抜いてはいけなかった。お前の姉は失敗したんだ」
「失敗なんてしてない! ミュゲットは完璧だった! エルムントだって見てたでしょ! ミュゲットの美しさ! あの人だって褒めてたじゃない! なのに無視したって急に怒り出して……」
子供のようだと呟くフランの頭をエルムントが撫でる。言いたいことはエルムントにもわかっている。探しに行きたい気持ちも。だがそれだけはさせられない。行けば命を散らすのは目に見えているし、最悪の場合、ミュゲットの悲惨な姿を見ることになるかもしれない。
二人が互いを心の支えにしているのなら余計に。
「じゃあエルムントが見てきてよ……」
「皇帝陛下の部屋には誰も入れない。敵が攻め込んできたという報告か重要な用件以外はドアを叩くことさえ許されない。宰相でさえ用件を伝えられるのは朝に一度だけ。報告はそれまでに全てまとめておくことが決められている。途中で入った用件は明日に回すこともな」
「そんな……じゃあミュゲットはどうしてるの? 地下牢に入れられてるってことない?」
「……それは……聞いておく」
専属騎士を与えた以上、フランがある程度わがままを言うことは許したということ。しかし詮索までは許していないだろう。どこまで許されるのかエルムントも恐る恐る手探りで進めるしかない。
地下牢を見るぐらいはできる。それしかできないとも言えるが。
「ミュゲット寒くないかな?」
「陛下とおられるなら問題はないだろう」
姉の姿が見えたらすぐにでも迎えに行こうとドアの前に立って外を見るフランが抱えている物に気付いたエルムントは隣に立ってそれを撫でた。
「やはり素晴らしい物だな」
「えへへ、皇帝陛下がフランにくれたの」
「……ん? いや、どういうことだ?」
フランの言葉に眉を寄せるエルムントにフランはコートを羽織ってその毛を撫でる。
「ミュゲットがね、皇帝陛下がフランにくれたよって持って帰ってきてくれたの」
エルムントは納得したように一度だけ小さく頷いたが、すぐに目を閉じてため息をつく。
「これは皇帝陛下がお前の姉に贈ったものだ」
「違うよ。フランにだよ」
「なぜ皇帝陛下がお前に贈り物をする必要がある」
「フランだけ呼ばないから申し訳ないって思ったんじゃない?」
「捕虜のお前を呼ばないことを申し訳ないと思う必要がどこにある」
「でもミュゲットがそう言ったんだもん」
フランの話が嘘でなければミュゲットは自分から妹にコートを差し出したことになる。
フローラリアは年中暖かな気候であるため毛皮のコートなど必要のない国。そこで生まれ育てば一生見ることさえない代物。だからこの価値がわからないのも仕方がないと思うが、事情を知っているエルムントには重大な犯罪にさえ思えた。
「これは陛下が自ら狩りに出てこしらえた毛皮だ」
「フランのためにでしょ?」
「ミュゲット・フォン・ランベリーローズのためだ」
驚いた顔を見せるフランにエルムントはもう一度ため息をついた。
「皇帝陛下は自ら戦場に立たれることはあっても狩りに出られることは今じゃほとんどない。だが、今回初めて狩りに出かけられた。このコートを作るために、だ」
「それがどうしてミュゲットのためだってわかるの? どうしてフランのためじゃないって言い切れるの?」
「ミュゲット・フォン・ランベリーローズの名を口にされていたからだ。あの細い身体では部屋に来るまでに凍えてしまうだろうからと」
驚いた顔が少し絶望の色を交えたのを感じながらドアの側にあるソファーに腰掛けたエルムントはフランの手を軽く引っ張ると素直に寄ってくる身体を隣に座らせた。
「お前の姉はお前にあげたかったのだろうな」
「あげるって言えばいいのに……」
「自分だけもらったとは言いにくかったのだろう」
「でもフランに贈ったなんて嘘、ひどいよ」
嘘も方便とは言うが、それは嘘をつくほうが使うものであって使われたほうは納得できないこともある。それもエルムントは理解できる。
実際、ミュゲットは自分の国を落として自分達を捕虜にした男からは何も受け取りたくなかった。だから妹に譲った。
今の現状を受け入れて媚びてしまえば少しは気持ちが楽になるだろうにミュゲットはそうしない。
氷帝に頑固な女は相性が悪いとエルムントは危惧している。
(陛下は媚びられるのが嫌いだ。それがわかっていてやっているのだとすれば賢いが、頑固すぎるのは逆に命を縮めることになる)
その考えはすぐに頭を振ることで否定する。
もし、ミュゲットが相手の性格をわかっていたのだとしても今回のミスはあまりにもひどい。わかっていれば絶対にしでかさないミスだ。
「ミュゲットはどうして毎日呼ばれるの? どうしてフランは呼ばれないの? ミュゲットにだけ毛皮を渡したのはどうして?」
「それは皇帝陛下のみぞ知ることだ」
「むぅ……」
ミュゲットがどういう目に遭っているのか知っているエルムントはフランが呼ばれないことはむしろラッキーだと思っているが、それを伝えることはしなかった。姉を大切に思う妹にわざわざ伝えるようなことではない。
「わがままだよね、皇帝陛下。甘やかされてきたお坊ちゃんなんだ」
「本人の前では絶対に言うな」
「言わないけど、あの年であんなにわがままなんて結婚できないんじゃない?」
「陛下はしないだけだ」
「皇帝陛下ってモテる?」
「あの高貴なお姿を見ればわかるだろう。女なら誰もが陛下の寵愛を受けたいと思うはずだ」
「ミュゲットもそうかなぁ?」
「さあな」
何回も名前を呼んだり同じことを言うのは誰もが嫌うことだが、だからといって本来与えるはずの褒美を与えないということも信じられないほど怒るということもない。
なぜあんなにも怒ったのかが理解できないフランはミュゲットが寵愛を受けたいと思っているのならやめるようアドバイスするつもりだった。
しかし、自分が彼を良い人かもしれないと言ったとき、ミュゲットは絶対に違うと怒った。あの様子から見ても寵愛を受けたがっているようには見えないとも思ったのだが
「でもミュゲット、毛皮をフランに渡すとき少し元気なかったなぁ。本当は渡したくなかったのかな?」
「これはスノークルスと呼ばれる動物の毛だ。ここグラキエス周辺にしか生息していないため世界でも最高級品として扱われている。それをもらって喜ばない人間はいない。男でも喜んで着る代物だぞ」
「それじゃあ渡したくないよね。フランだって同じ立場なら渡したくないかもだし」
「だが姉はお前に渡した」
「ミュゲットは優しいもん。なんでもフランにくれるの。物欲とか執着心がないんだって」
本当にそうなのか、それとも妹がねだるから我慢して与えていたのかどっちだろうかとエルムントは考えるが、後者だろうとすぐに結論を出す。
フランが姉思いなのは間違いないが、ミュゲットとフランは考え方が違うような気もしていた。
ミュゲットは妹のために全てを差し出すタイプだが、フランは姉のために全てを差し出すタイプではないイメージがある。
双子といえど別人。どちらも美人ではあるが、化粧をして映えるのはフラン。魅力的な身体を持つのもフラン。物怖じせず人と仲良くなれるのもフラン。全て秀でているのはフランなのだが、それが必ずしも得をするかというとそうでもないような気がしているエルムントは首を傾げてフランを見る。
フランの誰とでも仲良くなれるというのは言い方を変えれば人に取り入るのが上手いとも言える。実際、フランは既に何人かの兵士と仲良くなっているのだ。家の中に招き入れたりドア越しに世間話をしたりもする。
捕虜でありながら“褒美“という権利を最大限に利用して専属騎士を手に入れたフランは何も考えていないおバカな王女とは言えないだろう。明らかに策士。
その点、姉のミュゲットはエルンストからは不器用に見えた。
「エルムントはどうして片腕がないの?」
「戦争で失ったんだ」
「じゃあどうして騎士をやめないの? 片腕じゃ戦えないでしょ?」
フランはエルムントの片腕がないことがずっと気になっていた。
「剣は両手で握る物じゃない」
「そうだけど、でも両手がないと不便じゃない? お料理できないよ?」
「騎士団の食事は下っ端が作るんだ。問題ない」
「これからはフランが作ってあげるからね!」
「ああ……そうだな」
姉が帰ってこないことを心配もしているのだろうが、フランは既に寂しさなど感じていないように笑う。
姉と妹といえど双子。そこにある想いの量は違うのだろうとエルムントはミュゲットにほんの少し同情する。
「ね、エルムントは結婚しないの?」
「この身が朽ち果てるまで皇帝陛下にお仕えすると決めている。いつ死ぬかわからん身で結婚など無責任だ」
「でも結婚してる人はいるんだよね?」
「そいつの自由だからな。これは私が決めたことだ」
「でもでも、結婚すれば何がなんでも生きようって思わない? 待ってる人がいるから絶対に生きて帰るんだって」
「それはあるだろうな」
「でも結婚しないの?」
「自分が結婚するなど考えたこともない」
戦場に出る日は当然ながらいつも決まっているわけではない。ある日突然決まるということもある。攻めてくる国を制圧しに向かうこともあれば、フローラリアの時のように抵抗する意思も武器も持たない国を制圧する日もある。
何を考えてそんな行動に出るのか、エルムントたちでさえわからない時は多い。
だからといって反論でもしようものなら飛ぶのは腕の一本ではなく首。ゴミのようにそこらに転がって終わる。
この国では正義は皇帝陛下であって一般的に常識と呼ばれるものではない。フローラリアの姉妹が捕虜になったのも皇帝陛下の気まぐれ。
「じゃあさ、考えてみない?」
「考えるつもりはない」
「でもフランの専属騎士なんだから結婚してるも同然じゃない?」
「……は……?」
何を言い出すんだと驚くエルムントにフランは笑顔を向ける。
何が言いたいのかはわかっている。だから「どういう意味だ?」とは聞かなかった。どこか誘うような瞳を向けるフランを直視するのは危険な気がしてエルムントは立ち上がった。
「帰ってきたぞ」
「え?」
同じように立ち上がったフランが外に目を向けるとミュゲットの姿が見えた。
「ミュゲット! おかえり!」
「ただいま、フラン」
「唇切れてるよ! どうしたの!?」
「雪に足取られて転んだの」
「風強いもんね。大丈夫?」
「ええ」
どう見てもさっき転んで切ったものではないが、これが姉の性格なのだろうとエルムントも何も言わなかった。
視界には映っているはずなのにエルムントに挨拶どころか目を合わせようともしないミュゲットが心を開いていないことは伝わってくる。
「遅くなってごめんなさい。何もなかった?」
「うん! エルムントが一緒だから大丈夫だったよ!」
「そう……。よかった」
「あ、ご飯食べる? 今温めるから!」
「フラン、ごめんなさい。なんだかすごく眠たいの。ご飯はまた後で食べるわ」
あまり身長差のないフランには見えなかっただろうが、上から見下ろすことができるエルムントにはミュゲットの胸に歯形やキスマークがついているのがハッキリ見えた。
「大丈夫?」
「久しぶりに舞ったから疲れたみたい」
「ミュゲットいつもそうだったね。ゆっくり休んで」
「ええ、ありがとう」
二階へと上がっていくミュゲットの身体が疲弊しているのが見てわかる。切れた唇の周りがまだ薄い痣になっているのも転んでぶつけたからではなく殴られたからだろう。
女であろうと容赦しない。それが皇帝陛下なのだと嫌な実感をするエルムントは目を閉じて小さくため息を吐き出す。
「ミュゲットね、フローラリアの舞の後はいつもぐっすり眠るの」
「そうか」
「夜まで起きてこないかも」
「寝かせてやれ」
「そうだね」
エルムントは帰ってこないミュゲットが殺されているのではないかと最悪の事態も想像していたが、ミュゲットはこうしてちゃんと帰ってきた。
怒らせたことで殴られたのだろうが、殺されはしなかった。それが少し意外だった。
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