愛し方を知らない氷帝の愛し方

永江寧々

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フロガ帝国

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「ん……」

 目を覚ましたミュゲットが目にしたのは天蓋でもなければ真っ白な天井でもなく、赤い龍が描かれた天井。この部屋は知らない。アルフローレンスの部屋でも、この一ヶ月間過ごした部屋でもない。

「ッ!」

 どこだろうかと身体を起こそうとすると突き抜けるような頭痛を感じて眉を寄せる。

「起きたか?」
「キャアッ!」
「ギャアッ!」

 ヌッと現れた見知らぬ男の顔にミュゲットは思わず悲鳴を上げて男の顔を思いきり叩いた。その衝撃はなかなかのもので予想外の行動というのもあってか、平手打ちを受けた男はヨロめき地面に倒れる。

「何しやがる!」
「あなたこそ何するんですか!」
「起きたか確認しただけだろーが!」
「一声かける礼儀も知らないのですか!?」
「見たほうが早いだろ!」

 慌てて身体を起こして枕を掴み、臨戦体制に入るミュゲットを警戒する筋骨隆々の男。褐色肌で筋肉質──フローラリアにいてもおかしくないような風貌だが、フローラリアでは見たことがない。南国特有の褐色よりもまだ濃い茶色の肌。それに妙に暑い。

「ここはどこなの」
「ここか? どこだと思う?」

 ミュゲットの嫌いな反応。質問に質問で返すなと教わらなかったのかと眉間のシワをより一層深めながら辺りを見回すとありえない光景に目を見開いた。

「砂漠……?」

 窓の向こうには絵本で見たことがある光景が広がっている。
 男がいる反対側へと移動してベッドから降りて窓の外を見ると一面銀世界ではなく一面砂地。

「ふふん、どうだ。すごいだろう」

 いつの間にか後ろに立っている男に振り向くと予想よりも近い距離にミュゲットは横をすり抜けようとするも男の腕がそれを阻む。

「どいて」
「嫌だと言ったらどうす──んぐぅッ!」

 手に持っていた枕を男の顔に押し付けて横をすり抜けた。

「ここはどこなの。答えて」
「気が強いな。俺の好みだ」

 ゾワッと全身が粟立つ感覚に襲われながらもう一度「答えて」と言葉をぶつけると男は両手を広げて笑みを見せ、大声を出した。

「ここは灼熱の炎の帝国、フロガだ!」
「フロガ……」

 聞き覚えがあった。
 グラキエスの歴史をアルフローレンスに教えてもらったときに聞いた名前だ。
 皇帝は頭が弱く、力だけが自慢のブ男──

「あなたが皇帝?」
「そうだ! よくわかったな!」

 当たった。

「炎の男、ケオ皇帝とは俺のことよ!」

 両手の親指で自分を指差し笑うケオの笑顔はお世辞にも爽やかとは言えない。口にはしないが、どことなくゴリラに似ていると思ってしまう。そんなゴリラが自信に満ちた顔で寄ってくることには嫌悪と恐怖しかなく、ミュゲットは周りを見回して身を守れる物を探す。

「お前が妖精の片割れだな」
「違います」
「……いや、違わないはずだ!」

 どこか自信なさげだが、それを隠すために大声を出す男をミュゲットは呆れたように見ている。

「私の名前をご存知ですか?」
「ミレット・ファー・ランドリーズだろう? 俺は全て調査済みだ! 抜かりはない!」
「どこの国を調査されたのですか?」
「決まっているだろう! フローズンリアだ!」

 なぜアルフローレンスがこの国を攻め落とさないのかがわかった。本当にいつでも落とせると思っているのだ。
 ミュゲットは人を騙した経験はないが、この男なら自分でも騙せそうだと思ってしまうほど何も正解していない。彼が言う調査とは一体どこの何なのか、逆に知りたくなる。

「なぜ私をここへ連れてきたの?」
「わざわざ言わなければわからんとはな。フローズンリアの妖精は顔だけか」

 顔さえも取り柄にならない相手にだけは言われたくない台詞。

「グラキエスの皇帝の弱点になるとでも思った?」
「むっ……」

 図星だったらしく、ケオは不満げな顔でミュゲットを見る。

「お前はあの忌々しいアルフローレンスが大層大事にしているお気に入りだそうじゃないか」
「違いますけど」
「……いや、違わないはずだ!」
「私はただの捕虜です」
「捕虜ならすぐに殺されているはずだ! お前が今ここでこうして生きていることこそ、奴のお気に入りであるという証だ!」
「地下牢でたくさん生きてますけど」

 聞いていた報告と違うのか、イメージでそう決めつけているのかは知らないが、今はどうか知らないが地下牢にはたくさん人がいたとフランが言っていた。ならばすぐに殺すわけではないというのは間違いではないはず。
 ミュゲットはこのまま嘘をつき続けることにした。

「お前がアルフローレンスのお気に入りであることはわかっているんだ! 嘘をつくな!」
「大事にされているお気に入りがこんな薄着で外にいたことについて報告は受けてるの?」
「当然だ! 俺がお前を攫ってきたのだからな!」
「犯罪者」
「なっ! 人殺しの傍にいたくせに俺を責めるのか!?」
「誘拐は犯罪です」
「ぐぬぬ……! 戦争に犯罪も何もないんだよ! そんなことでギャアギャア言うのはお前か女子供、それから老人ぐらいだ!」

 男以外のほとんどが言ってるじゃないかと思うが口にはしない。
 聞き慣れない大声で耳が痛くなってきた。

「私を誘拐したところで皇帝は来ないわよ」
「お前を交渉に利用する」
「だから、来ないのに交渉なんかできないって言ってるの」
「そんなわけないだろ!」
「彼がベッドに呼んでるのは私じゃなくて赤毛の女よ。その報告は受けてないの?」
「なにッ!? 聞いてないぞ!」
「人違いご苦労様」
 
 ミュゲットの言葉に『ぐぬぬ!』と声を上げながら大股でドアへと向かうケオはドアを開けると『俺に報告書を持ってきた兵士を連れてこい!』と大声を上げた。
 もし本当に人違いであったならこの誘拐は失敗に終わったことになる。アルフローレンスは焦りもせず、交渉も受けず、自分がバカを見た結果になる。
 無駄にプライドが高そうなケオには許せないことだろうとミュゲットは自分の嘘に引っ掛かってくれたケオに感謝した。

「こいつはアルフローレンスのお気に入りじゃないと言っているぞ! どうなんだ!」
「いえ、この女で間違いありません陛下」
「赤毛の女がお気に入りだと言っているぞ!」
「それは地下牢から出てきた捕虜だと思われます」
「こいつも捕虜だと言っているぞ!」
「陛下、フローラリアは陥落したのでミュゲット・フォン・ランベリーローズも捕虜なんです」
「誰だそれは!」
「こいつです陛下!」

 勢いよく振り返るケオにミュゲットはあえて呆れた表情を見せた。首を振って呆れる。それだけでケオの感情を逆撫でするにはじゅうぶんだった。
 感情のまま思いきりドアを閉めて大股で寄ってきたケオが手を振り上げるとミュゲットはケオを睨む。

「皇帝陛下ともあろう人が女に暴力を振るうの?」
「力こそ正義! 俺はこの国の皇帝だぞ! 俺の言うことが一番正しいんだ!」

 皇帝になる男はバカしかいないのかとミュゲットは思いきりため息を吐く。
 もう失うものは何もない。本当にもう何も残っていないのだと思うと不思議と暴力も怖くなかった。殴りたければ殴ればいいとさえ思うぐらいに。

「俺を騙そうとはいい度胸だな!」
「ありがとう」
「褒めてないんだよ! 俺を見ろ! 怒ってるのがわからないのか!?」
「わかってるけどどうだっていいことだもの」
「なんだと!? 俺が優しいと思っていたら後悔するぞ!」
「優しくない男だって覚えとく」
「俺は優しい男だ! アルフローレンスとは違う!」

 会話しているだけで疲れるのは初めてで、ミュゲットはここでようやくエルムントの気持ちを理解することができた。
 疲れと苛立ちが同時に襲いかかってくることも初めてでミュゲットはこの感情をどう解放すればいいのかわからないでいる。
 背丈はアルフローレンスと同じぐらいだが、恐いほど筋肉質で顔はゴリラそのもの。そして何より汗臭い。

「どうでもいいけど帰りたいの」
「グラキエスにか? それともフローズンリアか?」

 自分がミュゲットであることは既にバレている。だからフローラリアに帰りたいと言っても問題はないのだろうが、フローラリアに帰ったところで生活する術がない。かといってグラキエスに帰りたくはない。帰っても居場所などどこにもないのだから帰る理由もない。
 それならいっそ自分もフローラリアの女として生きるべきだろうかとも思う。抱かれることには慣れたのだから今更誰に抱かれようと平気なはずだと。知らない国で生活するより楽だと思った。

「フローラリアに帰して」
「認めるんだな? 自分がミレットだって」
「ええ」

 名前を間違えられるのは屈辱的ではあるが、訂正して本名を呼ばれるのも嫌なため訂正はしないでおいた。

「ならダメだ!」

 言われると思っていた。

「お前は大事な交渉道具だからな!」
「交渉って何するつもり?」
「ふふん、気になるか?」
「別に」
「降伏しろと言うつもりだ!」

 ドンッと効果音が付きそうな勢いで言い放つ相手にミュゲットは目だけが上を見る。言っていて情けなくないのだろうかと思うも、賢明な判断だとも思った。
 アルフローレンスはフロガはいつでも潰せると言っていた。それだけ自信があるということだし、フロガは勝利する自信がないから真っ向から勝負を挑まず卑怯な手を使ってグラキエスを手に入れようとしている。
 勝てないとわかっている相手に真っ向から挑むのは勇敢ではなく無謀なだけ。ケオはそれがわかっているのだろうとミュゲットは改めて相手の顔を見た。

「私は捨てられたって最新情報だけ教えておいてあげる」
「……ん? なんだって?」
「飽きられて捨てられたの」
「……そんなはずない」
「飽きるまでは抱くって言われてたし、もう一ヶ月前から会ってなかったの」
「なん……は? え? じゃ、じゃあどうなるんだよ。交渉できないってことか!?」
「でしょうね」

 徒労に終わったことを伝えたミュゲットは今すぐベッドにダイブして眠ってしまいたかった。
 まだ優しくされていたときに誘拐されていたら心境は違っていただろうかと意味のないことを考えてしまうのが嫌だった。アルフローレンスは助けに来てくれただろうかと想像するのも嫌だった。
 
「……ならお前はこのケオ様がいただくとしよう」

 これほどまでにゾッとするのはなぜだろうかと考える余裕もなく、ミュゲットは辺りを見回して武器を探す。

「フローラリアの女は抱き心地がいいと言うからな!」
「彼のお下がりで喜ぶの?」

 またケオが固まる。
 これはミュゲットにとって賭けでしかない。何かしらの対抗意識を持っているケオになら効果があるかもしれない。もしなければミュゲットは腹を括るしかなかった。

「俺があいつのお下がりを喜ぶわけないだろー!」

 バカで助かったと安堵する。

「でも味見ぐらいならしてやってもいいかもしれん」
「犯罪者に抱かれるぐらいなら舌を噛んで死んでやる」
「その犯罪者に散々抱かれておきながらどの口がそんなことを言うんだ?」

 ニヤつく表情が憎らしい。

「アイツは根っからの人殺しよ。自分の両親まで自らの手で殺したんだからな」
「……どういうこと……」
「なんだ、知らないのか? アイツめ、自分をきれいに見せようったってそうはいかんからな!」

 教えることでミュゲットがアルフローレンスを軽蔑するならと話す気満々のケオはベッドに腰掛けて腕を組む。

「今から十年前、アイツは自分の両親を殺して皇帝の座を手に入れたんだ」
「十年前……」

 十年前のアルフローレンスはまだ十八歳の若者。人を殺すことに抵抗がないのは知っているが、自分の両親を殺していたのは知らなかった。

(シェスターさんが語れないって言ってたのはそれが理由?)

 アルフローレンスは幼少期から青年期まで辛い日々を過ごしたとシェスターが言っていた。それがどういうものだったのか答えてもらえるとは思っていなかったし、アルフローレンスの口から語るにも辛いと言っていたため聞きはしなかった。
 もしその過去が両親を殺したというものであれば必ず理由はあったはず。今のように自分が絶対に正しいと思って殺したわけではないような気がした。

「アイツは自分の両親を殺しても足りず、お前の両親まで手にかけたんだよな! なあ、一緒に復讐しようぜ。アイツが降参すりゃ世界が平和になるんだよ。グラキエスの支配は終わるんだ。理想的だろ?」

 そう言われて手を貸すほどミュゲットはバカではない。
 もし万が一、アルフローレンスが交渉を受けてグラキエスを手放したとしてもケオがグラキエスをも支配するだけ。世界は平和にはならない。今と全く変わらない平行線を辿るだけだろう。
 
「目の前で両親を殺されるってどんな気持ちだよ。なあ、教えてくれよ」

 ニヤニヤと汚い笑みを浮かべるケオにミュゲットは嫌悪感剥き出しの表情で対応する。

「両親は毒を飲んで死んだの。彼に頃されたわけじゃない」
「……いや、そんなはずはない!」
「彼は両親の部屋には行かず、私たちの前に姿を見せた。それからすぐにグラキエスに戻ったから両親には指一本触れてはいないのよ」

 とにかくケオを優位に立たせたくなかった。フロガという相手のテリトリーにいる以上、ミュゲットにできることはほとんどないが、言葉で対抗するぐらいはできる。見ているだけで吐き気に襲われる気味の悪い笑顔を見ていたくないと一つ一つ否定していく。

(これならアルのほうがマシ……なわけないじゃない。お父様があんなに懇願したのに彼は攻め入った。彼は最低な男よ)

 ケオと話しているとアルフローレンスがマシに思えてしまうことにミュゲットは何度も首を振って自分で自分の考えを否定する。

「お前はマジでフローラリアの女か? 色白だな」
「フローラリアの女にも色白はいるのよ」
「俺は見たことねぇけどな」
「祖母が白かったの」
「お前のばあさんはよそ者か」
「その言い方やめて」
「味見させろよ」

 込み上げてくる吐瀉物を今すぐ相手の顔にかけてやりたいぐらいゾッとする。アルフローレンスのお下がりは嫌だと言っておきながらすぐに忘れる脳筋さにミュゲットは近くにあったグラスを手に取ってテーブルに打ちつけた。

「おいおいおいおいおいおいおいおい! それ高いんだぞ!」
「それ以上近付いたら許さないから」
「どうしようってんだ? 俺にはどんな道具や武器も効かねぇぞ」
「あなたにはね」
「おいおいおいおいおいおいおいおいおい!」
 
 見た目からして理解できる。自分がどんな武器を持っていても相手に腕を掴まれてしまえば終わり。頬を叩かれて吹き飛べば終わり。そんなことはアルフローレンスと一緒にいる中で学習済みだ。
 ならやり方を変えるだけだとガラス片になったグラスを自分の喉に向けた。

「やめとけやめとけ。な? そういうの良くないぜ。命大事にって教わらなかったのか?」
「あなたに抱かれるぐらいなら死んだほうがマシよ」
「フローラリアに帰りゃ俺みたいな男に毎日抱かれまくるってのに、今更そんな覚悟で帰れるのかよ」

 皮肉にも自分の考えが矛盾していることを突かれるとミュゲットは黙りこんだ。
 フローラリアの女は理想が高いというのは知っている。母親もそう言っていた。いい男をゲットすることこそ女の幸せなんだと。だが、観光客と仲良くするのであれば相手を選んではいられないのだろう。ケオが言うようにケオのような男を相手しなければならないかもしれない。嫌だからと拒んでいては居場所など作れるはずがないのだ。
 グラキエスの兵士たちのように女を慰み者にして楽しんでいるような男たちの相手だってしなければならない。
 自分はいつだってなんの覚悟もできないのだと苦笑が滲みそうになるのを唇を噛むことで堪えた。

「死んだほうがマシって言ったでしょ」
「俺はお前を殺そうってわけじゃねぇよ。アイツとの交渉に使わせろって言ってるだけだ。わかるだろ?」
「彼は交渉には応じない。彼は私を愛してるわけじゃないもの。私は捕虜で彼が飽きるまで抱くだけの娼婦だった。それだけよ」

 ケオを睨みつけて自分は交渉の道具にはならないとハッキリ伝えるとケオの表情が冷たくなるも直後に聞こえた拍手の音にその表情はパッと変わった。

「ミュゲットちゃんって面白いね」
「ッ!? あなたは……」
「フローラリアぶり、かな」

 聞き覚えのある声に振り向くとそこには柔和な笑顔のエルドレッドが立っていた。
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