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不愉快な男
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地下牢で一晩過ごした翌朝、ミュゲットは身体の痛みで目を覚ました。
床で寝たこともないミュゲットにとって初めての経験。
「可愛い顔して寝るんだね」
「…………」
「あれ? 寝起き悪いほう?」
「いえ……起きてすぐにエルドレッド様と会話するのが辛いと思ってるだけです」
「正直だね、君」
エルドレッドの言葉を喜ぶ女もいるのだろうが、ミュゲットは鳥肌が立つほど嫌だった。
捕虜でありながら地下牢に入れられず、部屋の中を自由に歩き回れて本も読めて柔らかなベッドで眠れた生活は幸せだったのだと実感する。
おまけにアルフローレンスは口数が多い男ではなかったためミュゲットの苦手とするタイプでもなかった。
「おい!」
鉄格子を蹴って出される声が頭に響くことに異常なほどストレスを感じる。
「地下牢で寝た感想はどうだ? ん? 快適だったか? 泣いて縋りつきゃあケオ様のベッドで一緒に寝かせてやったものを」
「…………」
頭の中では嫌味な返事をしているが、それを口にしていいものか迷った。この男はキレやすい。怒らせてまた何かされるのは少し怖かった。
目の前でしゃがむ相手からエルドレッドへと視線を移してどうすべきか判断を仰いだ。
「ケオ、今日の予定は? お前のことだから何か良い作戦があるんじゃないのか?」
「当然だ! 俺は常に先の先の先の先まで考えているからな!」
「聞かせてくれよ。お前の作戦にはいつも驚かされるからな、楽しみにしてたんだ」
「はっはっはっはっはっ! そうだろうそうだろう! なら聞かせてやる! 耳かっぽじってよーく聞けよ!」
褒められれば海さえ走って渡るタイプかとエルドレッドのウインクを見て納得した。
「既にグラキエスには手紙を出している。アイツは明日にでも白旗担いでやってくるだろうよ」
「なんて書いたんだい?」
「そりゃアイツの度肝を抜く内容だ。主にお前に関することだな」
「私……?」
「手垢がついたって知りゃ烈火の如く怒り狂うだろ。戦闘において冷製さを欠くことは死を意味する。すなわち今日がアイツの命日になるということだ!」
ミュゲットは呆れすぎて口も開かなかった。この火傷跡も手垢といえば手垢だろうが、世間的に使われる手垢ではない。弱点だと思いこんでいるものを奪って嘘で降伏させようとしているケオの器の小ささに呆れて目を閉じた。
「どうした? グラキエスがフロガの手に落ちるのが悲しいのか? 言っただろ、このケオ様の支配を受けりゃグラキエスの民は泣いて喜ぶってな」
「私は、グラキエスの民ではないし、グラキエスの街に行ったこともないからグラキエスの民がどういう人たちなのかも知らない。思い入れはないし、正直言えばどうだっていい」
「おいおいおいおい、正直モンだなぁ! お前のそういうとこは嫌いじゃないぜ!」
「だから私を捕まえたぐらいであの人があなたに従うと思ってるなら大間違いよ」
「冷たい氷男だからな。でもな、俺には確信がある。ブチギレて理性を失った隙だらけのアイツを殺すのなんざ赤子の手をひねるより簡単だぜ。赤子を泣き止ませるほうがずっと苦労するだろうなぁ」
「赤ん坊泣き止ませたことあるの?」
「ない!」
「…………」
どこまでも甘い男だと反吐が出る。鉄格子の向こうからこっちを見てニヤつく男のその不細工な顔を今すぐ殴り飛ばしてやりたい気持ちはあったが、無意識に震える手があの熱の恐怖を覚えている。
怒らせることは言ってはいけない。それはミュゲットの足を足で押すエルドレッドの行動で伝わってくる。
「猫のように甘えりゃ可愛がってやらんこともねぇぞ」
「彼の手垢だらけの女を抱きたいの?」
「それは癪だが、俺が上書きしてやればいいだけだ」
「ケオ、よく考えたほうがいい。もし彼女を抱いてるときにアルが来たらどうする? 君は裸で戦うのかい?」
「見られて恥ずかしい身体はしてねぇよ」
「でもかっこつかなくないかい? 全裸で戦う自分を想像したことは?」
エルドレッドの言葉にケオは本当に裸で戦う自分を想像しているようで、首を傾げて目だけを上に向ける。数秒経ってからエルドレッドを見て立ち上がるとニヤリと笑った。
「良いじゃねぇか。俺がこいつを抱いてたって証拠にもなるしな。どうせならこいつも裸でアイツの前に出してやるよ」
「ケオ、やめろ。そんな真似はお前らしくない。一対一の戦いで勝ちたいんじゃないのか?」
「エルドレッド、お前はどっちの味方だ? 俺か? それともアイツか? 何も持たねぇ無力なお前に炎の力を与えてやったのは誰か忘れたわけじゃねぇよなぁ?」
「それは……」
「苦しい思いして手に入れた力を手放す度胸はねぇよなぁ?」
「ケオ、アルのことは俺が説得するから彼女には手を出すな」
「皇帝は俺だ。テメーじゃねぇ。俺に指図したきゃ俺を殺してテメーが皇帝になってから言うんだな」
死んだ相手に指図はできないし、指図されても命令を聞くことはできないだろうとミュゲットは妙に冷静に頭の中で反論していた。
それよりもミュゲットは力を手に入れたという話のほうに興味があった。
「あなたたちが使う炎って誰でも手に入れられるものなの?」
「誰でもってわけじゃねぇよ。試練を乗り越えた強者だけが手に入れられる力だ」
ケオの言い方では二人の炎は生まれ持った力ではなく手に入れた物であり、それを簡単に奪うこともできるということだが、どういう仕組みなのかわからない。
「私でも?」
「女にゃ無理だ」
「どうして?」
怪訝な表情を見せるミュゲットに向かってケオは左胸を叩いて見せた。
「心臓に魔石を埋め込むんだからな。手に入れる力は埋め込む魔石の大きさによって変わる。俺はかなりデカイのを入れたから強ぇんだよ。ま、それはフロガの景色を見りゃわかることだろうがな」
「……そんなことが可能なの?」
「お前が知ってる世界なんざこーんなちっぽけなもんだ。世界は広い。世界中を回りゃできねぇことなんざ何もねぇよ」
ミュゲットもわかっている。世界は広く、自分の知識など所詮は本で得た物でしかないと。この目で見て経験して得た物といえば雪は冷たくて、人間の身体は冷えすぎると痛みを感じるということぐらい。
世界はきっともっと色々なことがあるのだろうと想像だけは子供の頃から何百回とし続けている。
「アルも?」
「いや、アルは違う。アルは生まれ持った能力だよ」
「だから余計に気にいらねんだよ。なんでアイツばっか恵まれてやがんだ。おかしいだろ? 天は二物を与えねぇっていうのにアイツは二物も与えられてんじゃねぇか」
「顔のこと?」
「……それは俺と比べて言ってんのか?」
「だって、あなたは背も高いし筋肉もある。他にどこに劣等感を持ってるの?」
「……そうだよ、顔だよ! 俺よりほんのすこーし、これっぽっちの差だが、アイツのが顔が良い。だから気に食わねんだよ! この俺をブ男と呼びやがる! 何様のつもりだ!」
少し考えるように首を傾げたあと、指の間に蟻でも挟んでいるぐらいの隙間を作って顔の差を表すケオにミュゲットは心の中で首を振る。そんな差ではないと。
アルフローレンスがケオをブ男と呼んでいるのはミュゲットも聞いた。実際会ってみてその言葉が嘘ではないことは理解できたし、アルフローレンスとエルドレッドがいかに整った顔をしているのかもわかった。
「俺だって皇帝だ! 地位は負けてねぇ! 背は俺のが高い!俺は百九十あるからな!」
「アルは百九十五だよ。俺もそうだし」
「……俺のが筋肉あるだろうが!」
「それは君の勝ちだ」
「ほらみろ! 俺の勝ちだ! ハッ、大したことねぇな! あんな軟弱野郎に俺が負けるわけがねえんだ!」
アルフローレンスの身体は筋肉質というよりは筋肉がついているという感じだった。しかしケオは筋肉でできているという身体をしている。あちこちに浮き出るハッキリとした血管が怖い。
エルドレッドは苦手なタイプだが、ケオは嫌いなタイプ。ミュゲットにとってここは地獄でしかなく、どうせ地獄なら外の灼熱地獄にいたいと願うほど苦痛で仕方なかった。
「よし、決めた。お前を抱く」
「ケオ」
「お前にもあとで抱かせてやるから心配すんなって」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「女は星の数ほど抱いてきてんだよ。お前も知ってんだろ?」
ミュゲットがエルドレッドを見ると「それは本当」だと言うように頷いたが、ミュゲットは皇帝の権力で無理矢理抱いているだけだろうと呆れてしまう。今まで抱いた女の数を自慢しても誰もケオを尊敬はしないことなどフロガの民を知らないミュゲットでもわかるのに、ケオはわかっていない。
自分がどう思われているのかケオはきっと知らない。アルフローレンスはちゃんとわかっていた。そう思うとアルフローレンスはやっていることは人間として最低だが、ケオよりアルフローレンスのほうがマシに思えてしまうと自分にも呆れながら立ち上がった。
「ミュゲットちゃん?」
「賢い選択だな」
「ミュゲットちゃん、ダメだ。そんなことアルが許さない」
腕を掴んで引き留めるエルドレッドにミュゲットは苦笑する。
「彼には言ったんですけど、私、もう飽きられたんです」
「え……?」
「一ヶ月も会ってなかったし、彼は他の女性を──」
「待って待って待って待って! そんなはずない! ありえないよ!」
「彼の部屋で、彼の横に裸の女性が寝ていたのをこの目で見たんです。彼は私を見て、何しに来た。さっさと出ていけって言ったぐらいだし」
エルドレッドは信じられない説明に目を見開いたまま一点を見つめて動けなくなっていた。
シェスターの話ではアルフローレンスは女を抱くとき、必ず別室に呼び出していたと聞いていた。だからミュゲットを部屋に入れていると聞いたときは信じられなかった。兄である自分の目から見てもミュゲットを見るアルフローレンスの目は今まで見たことがないほど優しいもので、弟が変わるきっかけになるのではないかと思っていたのに──
「だからもう、どうでもいいんです。グラキエスには帰る場所もないし、頼る人もいない。もしフローラリアに帰ったとしてもこういうことになるわけだから慣れておかないと」
フローラリアを失って、グラキエスで一生過ごしていくのかと悲観したこともあった。でもそれも受け入れてしまえばそれでもいいかと思うようになった。だが、それさえも失って、フロガに来て今この瞬間に思うのは「アルフローレンスが良かったと思いたくない」ということ。
アルフローレンスとのことを思い出すと胸だけではなく手までが痺れるような痛みを感じる。それを握りつぶすように拳に変えてエルドレッドに笑顔を見せた。
「生まれも育ちもフローラリアだから、大丈夫」
「大丈夫なわけないだろ!」
「エルドレッド、やかましいぞ。お前が口出しすることじゃねぇだろ。王女様が覚悟決めて炎帝様に抱かれるって言ってんだ。黙って受け入れろや」
「殺されるぞ」
「あ? 誰が誰に殺されるってんだよ。ああ、氷帝が炎帝に殺されるって? そりゃそうだ。一瞬でケリつけてやるよ。それまでは王女様と楽しくやってるわ。オラ、出てこい」
鍵を開けさせてミュゲットに出てこいと顎で指示するケオに従うミュゲットの手をエルドレッドはまだ離さない。行くなと引き寄せようとするのをケオがその手を蹴り飛ばすことで強制的に離させた。ボキッと鈍い音が聞こえ、エルドレッドの顔が歪み声を上げる。
「そこでのたうち回ってろ」
「エルドレッド様!」
「テメーはこっちだ」
エルドレッドの名を呼ぶも返事はなく、ミュゲットは抗うこともできず肩に担がれて地下牢から連れ出されていった。
床で寝たこともないミュゲットにとって初めての経験。
「可愛い顔して寝るんだね」
「…………」
「あれ? 寝起き悪いほう?」
「いえ……起きてすぐにエルドレッド様と会話するのが辛いと思ってるだけです」
「正直だね、君」
エルドレッドの言葉を喜ぶ女もいるのだろうが、ミュゲットは鳥肌が立つほど嫌だった。
捕虜でありながら地下牢に入れられず、部屋の中を自由に歩き回れて本も読めて柔らかなベッドで眠れた生活は幸せだったのだと実感する。
おまけにアルフローレンスは口数が多い男ではなかったためミュゲットの苦手とするタイプでもなかった。
「おい!」
鉄格子を蹴って出される声が頭に響くことに異常なほどストレスを感じる。
「地下牢で寝た感想はどうだ? ん? 快適だったか? 泣いて縋りつきゃあケオ様のベッドで一緒に寝かせてやったものを」
「…………」
頭の中では嫌味な返事をしているが、それを口にしていいものか迷った。この男はキレやすい。怒らせてまた何かされるのは少し怖かった。
目の前でしゃがむ相手からエルドレッドへと視線を移してどうすべきか判断を仰いだ。
「ケオ、今日の予定は? お前のことだから何か良い作戦があるんじゃないのか?」
「当然だ! 俺は常に先の先の先の先まで考えているからな!」
「聞かせてくれよ。お前の作戦にはいつも驚かされるからな、楽しみにしてたんだ」
「はっはっはっはっはっ! そうだろうそうだろう! なら聞かせてやる! 耳かっぽじってよーく聞けよ!」
褒められれば海さえ走って渡るタイプかとエルドレッドのウインクを見て納得した。
「既にグラキエスには手紙を出している。アイツは明日にでも白旗担いでやってくるだろうよ」
「なんて書いたんだい?」
「そりゃアイツの度肝を抜く内容だ。主にお前に関することだな」
「私……?」
「手垢がついたって知りゃ烈火の如く怒り狂うだろ。戦闘において冷製さを欠くことは死を意味する。すなわち今日がアイツの命日になるということだ!」
ミュゲットは呆れすぎて口も開かなかった。この火傷跡も手垢といえば手垢だろうが、世間的に使われる手垢ではない。弱点だと思いこんでいるものを奪って嘘で降伏させようとしているケオの器の小ささに呆れて目を閉じた。
「どうした? グラキエスがフロガの手に落ちるのが悲しいのか? 言っただろ、このケオ様の支配を受けりゃグラキエスの民は泣いて喜ぶってな」
「私は、グラキエスの民ではないし、グラキエスの街に行ったこともないからグラキエスの民がどういう人たちなのかも知らない。思い入れはないし、正直言えばどうだっていい」
「おいおいおいおい、正直モンだなぁ! お前のそういうとこは嫌いじゃないぜ!」
「だから私を捕まえたぐらいであの人があなたに従うと思ってるなら大間違いよ」
「冷たい氷男だからな。でもな、俺には確信がある。ブチギレて理性を失った隙だらけのアイツを殺すのなんざ赤子の手をひねるより簡単だぜ。赤子を泣き止ませるほうがずっと苦労するだろうなぁ」
「赤ん坊泣き止ませたことあるの?」
「ない!」
「…………」
どこまでも甘い男だと反吐が出る。鉄格子の向こうからこっちを見てニヤつく男のその不細工な顔を今すぐ殴り飛ばしてやりたい気持ちはあったが、無意識に震える手があの熱の恐怖を覚えている。
怒らせることは言ってはいけない。それはミュゲットの足を足で押すエルドレッドの行動で伝わってくる。
「猫のように甘えりゃ可愛がってやらんこともねぇぞ」
「彼の手垢だらけの女を抱きたいの?」
「それは癪だが、俺が上書きしてやればいいだけだ」
「ケオ、よく考えたほうがいい。もし彼女を抱いてるときにアルが来たらどうする? 君は裸で戦うのかい?」
「見られて恥ずかしい身体はしてねぇよ」
「でもかっこつかなくないかい? 全裸で戦う自分を想像したことは?」
エルドレッドの言葉にケオは本当に裸で戦う自分を想像しているようで、首を傾げて目だけを上に向ける。数秒経ってからエルドレッドを見て立ち上がるとニヤリと笑った。
「良いじゃねぇか。俺がこいつを抱いてたって証拠にもなるしな。どうせならこいつも裸でアイツの前に出してやるよ」
「ケオ、やめろ。そんな真似はお前らしくない。一対一の戦いで勝ちたいんじゃないのか?」
「エルドレッド、お前はどっちの味方だ? 俺か? それともアイツか? 何も持たねぇ無力なお前に炎の力を与えてやったのは誰か忘れたわけじゃねぇよなぁ?」
「それは……」
「苦しい思いして手に入れた力を手放す度胸はねぇよなぁ?」
「ケオ、アルのことは俺が説得するから彼女には手を出すな」
「皇帝は俺だ。テメーじゃねぇ。俺に指図したきゃ俺を殺してテメーが皇帝になってから言うんだな」
死んだ相手に指図はできないし、指図されても命令を聞くことはできないだろうとミュゲットは妙に冷静に頭の中で反論していた。
それよりもミュゲットは力を手に入れたという話のほうに興味があった。
「あなたたちが使う炎って誰でも手に入れられるものなの?」
「誰でもってわけじゃねぇよ。試練を乗り越えた強者だけが手に入れられる力だ」
ケオの言い方では二人の炎は生まれ持った力ではなく手に入れた物であり、それを簡単に奪うこともできるということだが、どういう仕組みなのかわからない。
「私でも?」
「女にゃ無理だ」
「どうして?」
怪訝な表情を見せるミュゲットに向かってケオは左胸を叩いて見せた。
「心臓に魔石を埋め込むんだからな。手に入れる力は埋め込む魔石の大きさによって変わる。俺はかなりデカイのを入れたから強ぇんだよ。ま、それはフロガの景色を見りゃわかることだろうがな」
「……そんなことが可能なの?」
「お前が知ってる世界なんざこーんなちっぽけなもんだ。世界は広い。世界中を回りゃできねぇことなんざ何もねぇよ」
ミュゲットもわかっている。世界は広く、自分の知識など所詮は本で得た物でしかないと。この目で見て経験して得た物といえば雪は冷たくて、人間の身体は冷えすぎると痛みを感じるということぐらい。
世界はきっともっと色々なことがあるのだろうと想像だけは子供の頃から何百回とし続けている。
「アルも?」
「いや、アルは違う。アルは生まれ持った能力だよ」
「だから余計に気にいらねんだよ。なんでアイツばっか恵まれてやがんだ。おかしいだろ? 天は二物を与えねぇっていうのにアイツは二物も与えられてんじゃねぇか」
「顔のこと?」
「……それは俺と比べて言ってんのか?」
「だって、あなたは背も高いし筋肉もある。他にどこに劣等感を持ってるの?」
「……そうだよ、顔だよ! 俺よりほんのすこーし、これっぽっちの差だが、アイツのが顔が良い。だから気に食わねんだよ! この俺をブ男と呼びやがる! 何様のつもりだ!」
少し考えるように首を傾げたあと、指の間に蟻でも挟んでいるぐらいの隙間を作って顔の差を表すケオにミュゲットは心の中で首を振る。そんな差ではないと。
アルフローレンスがケオをブ男と呼んでいるのはミュゲットも聞いた。実際会ってみてその言葉が嘘ではないことは理解できたし、アルフローレンスとエルドレッドがいかに整った顔をしているのかもわかった。
「俺だって皇帝だ! 地位は負けてねぇ! 背は俺のが高い!俺は百九十あるからな!」
「アルは百九十五だよ。俺もそうだし」
「……俺のが筋肉あるだろうが!」
「それは君の勝ちだ」
「ほらみろ! 俺の勝ちだ! ハッ、大したことねぇな! あんな軟弱野郎に俺が負けるわけがねえんだ!」
アルフローレンスの身体は筋肉質というよりは筋肉がついているという感じだった。しかしケオは筋肉でできているという身体をしている。あちこちに浮き出るハッキリとした血管が怖い。
エルドレッドは苦手なタイプだが、ケオは嫌いなタイプ。ミュゲットにとってここは地獄でしかなく、どうせ地獄なら外の灼熱地獄にいたいと願うほど苦痛で仕方なかった。
「よし、決めた。お前を抱く」
「ケオ」
「お前にもあとで抱かせてやるから心配すんなって」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「女は星の数ほど抱いてきてんだよ。お前も知ってんだろ?」
ミュゲットがエルドレッドを見ると「それは本当」だと言うように頷いたが、ミュゲットは皇帝の権力で無理矢理抱いているだけだろうと呆れてしまう。今まで抱いた女の数を自慢しても誰もケオを尊敬はしないことなどフロガの民を知らないミュゲットでもわかるのに、ケオはわかっていない。
自分がどう思われているのかケオはきっと知らない。アルフローレンスはちゃんとわかっていた。そう思うとアルフローレンスはやっていることは人間として最低だが、ケオよりアルフローレンスのほうがマシに思えてしまうと自分にも呆れながら立ち上がった。
「ミュゲットちゃん?」
「賢い選択だな」
「ミュゲットちゃん、ダメだ。そんなことアルが許さない」
腕を掴んで引き留めるエルドレッドにミュゲットは苦笑する。
「彼には言ったんですけど、私、もう飽きられたんです」
「え……?」
「一ヶ月も会ってなかったし、彼は他の女性を──」
「待って待って待って待って! そんなはずない! ありえないよ!」
「彼の部屋で、彼の横に裸の女性が寝ていたのをこの目で見たんです。彼は私を見て、何しに来た。さっさと出ていけって言ったぐらいだし」
エルドレッドは信じられない説明に目を見開いたまま一点を見つめて動けなくなっていた。
シェスターの話ではアルフローレンスは女を抱くとき、必ず別室に呼び出していたと聞いていた。だからミュゲットを部屋に入れていると聞いたときは信じられなかった。兄である自分の目から見てもミュゲットを見るアルフローレンスの目は今まで見たことがないほど優しいもので、弟が変わるきっかけになるのではないかと思っていたのに──
「だからもう、どうでもいいんです。グラキエスには帰る場所もないし、頼る人もいない。もしフローラリアに帰ったとしてもこういうことになるわけだから慣れておかないと」
フローラリアを失って、グラキエスで一生過ごしていくのかと悲観したこともあった。でもそれも受け入れてしまえばそれでもいいかと思うようになった。だが、それさえも失って、フロガに来て今この瞬間に思うのは「アルフローレンスが良かったと思いたくない」ということ。
アルフローレンスとのことを思い出すと胸だけではなく手までが痺れるような痛みを感じる。それを握りつぶすように拳に変えてエルドレッドに笑顔を見せた。
「生まれも育ちもフローラリアだから、大丈夫」
「大丈夫なわけないだろ!」
「エルドレッド、やかましいぞ。お前が口出しすることじゃねぇだろ。王女様が覚悟決めて炎帝様に抱かれるって言ってんだ。黙って受け入れろや」
「殺されるぞ」
「あ? 誰が誰に殺されるってんだよ。ああ、氷帝が炎帝に殺されるって? そりゃそうだ。一瞬でケリつけてやるよ。それまでは王女様と楽しくやってるわ。オラ、出てこい」
鍵を開けさせてミュゲットに出てこいと顎で指示するケオに従うミュゲットの手をエルドレッドはまだ離さない。行くなと引き寄せようとするのをケオがその手を蹴り飛ばすことで強制的に離させた。ボキッと鈍い音が聞こえ、エルドレッドの顔が歪み声を上げる。
「そこでのたうち回ってろ」
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「テメーはこっちだ」
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