愛し方を知らない氷帝の愛し方

永江寧々

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肉体に残る呪縛

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 顔を覗き込むミュゲットを膝から下ろして立ち上がったアルフローレンスに合わせてミュゲットも立ち上がる。

「風呂に行くか」
「今から?」
「問題でもあるのか?」
「だってまだ夜じゃないし……」
「関係ない。行くぞ」

 強引なところは変わらない。それでも今までのように先を歩くのではなく手を差し出してくれる。
 その大きな手を握り、一緒に歩く。足の長さが違えば歩く歩幅も違うが今のアルフローレンスはちゃんと合わせてくれる。
 それだけなのにそれが妙に嬉しかった。
 だが気にもなっている。彼の表情はいつも通りなのに声色だけが静かで。

「はあ~」

 湯気立つ中へと入っていくだけで声が漏れる。
 熱いぐらいなのに今日はそれも気持ちよさへと変わり、少し身震いしては肩まで浸かるとアルフローレンスが横に座った。
 見慣れたはずの傷跡も色々と話を聞いた今日は少し違ったものに見える。
 十二歳で戦場に立ち、死ぬことに恐怖しながら戦い抜いてきた男の傷。
 切られたときはどんな気持ちだったのだろう。恐怖か、それとも悔しさか。
 十二歳の少年は痛みに泣いたのだろうか。
 色々なことを考えては腕にそっと触れる。

「この傷ができたとき、痛かった?」
「ああ。だが、それも次第に慣れていく」

 不要な痛みと不要な傷に不要な慣れ。
 フローラリアにいれば考えられないことだが、グラキエスでは当たり前のこと。否定はできない。

「……後ろから斬られたことはある?」

 以前、後ろの傷に触ろうとして手を払われたことがあった。あの冷血漢が大袈裟なほどの反応を見せたときから後ろの傷は戦争でついたものではないのかもしれないと思っていた。
 だがそれに触れられることを極度に嫌がったため、ミュゲットは単刀直入にはいかず、少し遠回りすることにした。

「聞きたいことは聞けばいい。全て話すつもりだ」

 アルフローレンスの言葉に苦笑しながらそっと背中に触れると以前よりは小さな反応だったが、それでも身体は跳ねた。

「この傷はどこでついたの?」

 背中から切られたにしては多すぎる。あれだけの魔法を使いこなす相手が何度も背中から斬られるようには思えない。
 無数についている傷は痛々しく、ミュゲットはその傷を何度も撫でた。

「……これは……母親に付けられたものだ」

 ミュゲットの思考が一瞬止まる。
 歪んだ異常な愛情ではあったが、母親は息子を愛していたはず。その母親がなぜ息子の背中にこれだけの傷を残すような真似をしたのか。

「母親に斬られた、って……こと……?」
「鞭だ」
「鞭……?」

 細い傷跡。暴力を振るっていたのは父親だったはず。守る立場だった母親まで彼に暴力を振るっていたのかと目を見開くミュゲットにアルフローレンスは天井を見上げて目を閉じる。

「これは余がいい子にしていなかった罰として与えられたもの。いい子にしていれば母親は機嫌がよかった。だが余は人形ではない。母親の望む通りばかりには動けなかった」
「……いい子じゃないって、なに?」
「母親が望むこと以外全てだ」

 自分はいつまで囚われているのか、とアルフローレンスは言った。
 父親の暴力性、支配性を受け継ぎ、気がつけば誰もが自分に怯え一人だったと言っていた彼が母親に囚われているのは『いい子』という口癖だけだと思っていたが、実際はそれだけではなく、自分が望まないことをした者に罰を与えることもそうだった。
 無意識に父親を真似た傲慢さからではなく、母親からの【虐待】によるもの。

「父親とは話すな、使用人とは話すなと言われ、女の使用人と話しているのを見られたときは特にひどく打たれた」

 息子を完全に異性として見ていたのだろう母親の心境を理解することはできない。
 その行動は息子に惚れたからではなく、息子を自分に縛り付けておくための、自分のための行動というだけ。
 母親にどんな理由があったとしてもその行動は間違いなく常軌を逸している。

「本を読むのも母親の機嫌次第だった。一緒にいるのにどうして本を読むのかと怒鳴るときもあった。戦争で勝利を持ち帰ったときも母親の機嫌が悪ければ打たれた。なぜ人を殺して喜んでいるんだと」
「そんな……」
「どんなに泣き喚こうが懇願しようが母親は怒りが収まるまで鞭を振り続けた。首を絞め、死への恐怖で服従させる。それが母親のやり方だった」

 これだけの傷が残っているということは、血が流れるほど深く皮膚が裂けたということ。痛みに泣き喚きながら懇願する息子より自分の怒りを優先させた母親に絶望しないわけがない。
 そんな人間を母親と言えるのだろうか。
 嫁いでからの環境が違うため比べても意味のないことだとはわかっているが、いつも愛情をハグや笑顔、言葉で表現してくれた母親と比べてしまう。
 我が子を鞭で打つ母親の愛情とはなんなのか──……ミュゲットには理解できない。

「エルドレッドが余と同じ目に遭っているということだけが救いだった。エルドレッドも我慢しているのだから余も我慢すると」
「エルドレッド様の身体にも同じような傷が?」
「……余以上のものがあるかもしれぬ」

 彼が言った愛と憎しみが表裏一体なのだとして、母親がアルフローレンスを虐待していたのはわかる。父親は愛してくれないのだから母親である自分に捨てられたら終わりだと思って縋り付くように仕向けていたのかもしれない。
 いい子でなければ鞭を振るい痛みを与えるが、いい子にしていれば鞭はない。いい子にしていようとそのあまりにも脆い希望に子供は縋るだろうから。
 だが、先代皇帝がエルドレッドに暴力を振るう理由がない。愛した女との子供になぜ暴力を振るっていたのか……

「奴は余が同じ苦しみの中にいると知りながら一人で逃げ出した。家を飛び出す日、エルドレッドは部屋を覗いていた。余と目があったにも関わらず、エルドレッドはそのまま扉を離れて消えてしまったのだ」

 行為に夢中の母親を刺してでも手を引いて一緒に逃げてほしかったのだろう。救いの手を差し伸べて欲しかったのだろう。
 だがエルドレッドはそうしなかった。
 一人残されたアルフローレンスは母親からだけではなく父親からも暴力を受けることになり、より深い絶望へと落ちることになった。

「お前に出会わなければ余は今でもあの二人の支配を受けていた可能性がある」

 五歳の少女に見出した希望もきっととても小さく儚いものだったのだろうが、ミュゲットは心からよかったと思っている。
 自分は何も覚えていなかったし、アルフローレンスという男の名も忘れていたのに彼にとって母親の言葉を守っただけの行動が救いとなった。それは心から喜べることである。

「いつかあなたたち兄弟が親の呪縛から解放される日が訪れることを祈ってる」
「エルドレッドは一生囚われていればよいのだ」
「そんなこと言わないの」

 十年以上が経っても許せていない感情は今後も消えることはないのだろう。
 戦場に立って人を殺すこと、兄に見捨てられたこと、母親から受ける歪んだ愛情、父親から受ける暴力……
 その全てがアルフローレンスを歪ませてしまった。笑顔を奪い、喜びや幸せという感情を彼の人生から消し去った。
 愛されたことがないから愛し方がわからない。
 アルフローレンスの愛情はちゃんとミュゲットに伝わっているが、だが彼はそれを上手く伝えられていないと思っている。
 それはアルフローレンスにとって一つの苦しみでもあった。

「フローラリアに乗り込んできたとき、私を見てどう思った?」
「美しく成長したなと思った。余の想像以上に」
「私があなたを覚えてなかったことはショックだった?」
「いや、覚えているとは思っていなかった。幼い頃に一度会っただけの相手を覚えていると期待するほうがおかしいだろう。それにあの状況で覚えていないか?と聞いたところでお前は素直に余と会話したか?」
「……しなかったと思う……」
「余は無駄なことは好かぬ」

 自分なら期待してしまうとミュゲットは思う。
 覚えていないかもしれない。でも覚えてくれているかもしれないと淡い期待を胸にしているだろう。
 全てに期待しなくなったのは彼がほとんどの感情を捨ててしまったから。
 期待しない。諦めよう。そんな感情をグラキエスに来てから何度も抱いたミュゲットですら捨てきることはできなかった。
 感情を捨てきるにはどれだけの辛さと、どれだけの時間をその辛さの中で過ごせばいいのだろうかと想像を絶する。

「お前を手に入れられただけで余は満足だった。お前にとっては不幸のどん底だっただろうがな。だがもう暴力は振るわぬと約束する。いい子にしていろとも言わぬ。だからもう二度と余の目の前から消えることだけはするな」

 感情が向くことは期待していないと言うような言葉にミュゲットはたまらず抱きついた。

「どうした?」

 急に抱きついてきたミュゲットに目を開けたアルフローレンスがその細い腰を抱き締める。

「大丈夫」

 ミュゲットの囁きにアルフローレンスの目が見開き、ゆっくりと閉じていく。吐き出される息は微かに震え、腰に回っていた腕は背中へと回って強く抱きしめた。
 それはまるで抱きしめているというより縋り付くように抱きついているようで、ミュゲットはなぜだかわからない涙を流しながらそれに応えるように腕に力を込めた。
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