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妹の心
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「ヤバいよな」
「あれはマジでヤバいわ。もう目がイッてんじゃん」
「面影なくなったもんな」
「男がいなきゃ自分磨き怠るタイプなんだろ」
「でもあれはヤバすぎ」
兵士の宿舎で交わされる会話に大勢の兵士が集まって同意とその【ヤバさ】について語っている。
丁度兵士たちの剣術稽古で来ていたエルムントはその話題を聞き流して帰るべきか迷いながらも見覚えのある顔ぶればかりが集まっているため輪へと入っていくことにした。
「どうした?」
「あ、エルムントさん! お疲れ様です!」
座っていた兵士たちが揃って立ち上がり頭を下げる。
必要ないと手を動かして座るよう促した。
「なんの話をしていたんだ?」
「フラン・フォン・ランベリーローズの話ですよ」
当たってほしくなかったことが的中してしまったことに苦笑する。
「何がどうヤバいんだ?」
エルムントは専属騎士を解任されてから一度も会いに行ってないためフランの現状を知らない。
「何もかもですよ! 捕虜として連れてこられたときは見たことないほど美人だったのに今じゃその面影もないっていうか……」
「面影がない? お前たち、フランと仲良かっただろう」
「最初はそうでしたよ。甘え上手だし、料理も上手いし、立ってるだけの俺らを家の中で暖取らせてくれるしでイイ女だなって思ってましたけど……なあ?」
「あれはなー……」
大体の者が同意するように頷いて黙り込む。
「皇帝陛下の命がないので誰も中に入れないんです」
「今までも命がなくとも入っていただろう」
「それは陛下がフランにお怒りではなかったからですよ」
「何があった?」
「俺の兄貴が騎士団にいるんですけど、ミュゲット・フォン・ランベリーローズがフロガの皇帝に誘拐された際、フランは気付いてたのに誰にも言わなかったらしくて。それで皇帝陛下に取り入ろうとして失敗したんですけど、その後からちょっとずつおかしくなり始めて……」
ミュゲットが姿を消してからのアルフローレンスの異常な苛立ちは兵士及び騎士たちに異常な緊張感を与えた。
見つけられなければ何をされるかわからないと皆が必死になっていた。
そんなときに取り入るために自分が持っている情報と引き換えとでも言ったとすればどんな対処を受けたのか想像するだけでも恐ろしい。
だが、今まだ命があるということはそれなりに有力な情報だったのだろう。
もしミュゲットがいなくなったと騒いでいるときにすぐ情報を渡していれば、素直に情報だけ渡していれば対処は少し違っていたのかも知れないが、フランという女はどこまでも計算高く愚かでどうしようもない女であるためそうしなかった。
「自由に外に出てもいいって言われてるだけに俺たちもフランが外に出たいって言えば出してやるしかないんですけど、最近すげー不気味で困ってるんですよ」
「エルムントさん、様子見に行ってもらえませんか?」
「俺は解任された身だ」
「でもエルムントさんも仲良しでしたよね」
「う……」
兵士の言う【仲良し】という言葉が何を意味しているのかわかっているだけにエルムントは反論できない。
彼らよりも先にフランと仲良くしたのは他でもない自分。
大きなため息をついて首を振ったエルムントは「わかった」と返事をした。それだけで兵士たちの顔に安堵と希望が宿る。
エルムントと出会った頃のフランは彼らが言ったように甘え上手で料理上手、美しさも備わっているイイ女だった。それだけで終わっていれば今も自分は専属騎士だったのかもしれないが、徐々におかしくなり始めた。
エルドレッドという男に出会ってから許容できるわがままは手に負えない傲慢へと変わり、要求が増え、そして神のように選ぶようになった。人も物も他人の人生さえも自分が決めようと──
それが酷くなっているのだとしたら手に負えない状況になっている。
先日、エルドレッドが帰ってきているのを見た。フランに会ったのかは知らないが、もし会っているなら悪化するようなことはないように思うものの兵士たちの言葉から察するに良くもなっていない。
「期待はするな」
「ありがとうございます!」
ワァッと無駄に騒ぐ兵士たちに手を上げてフランが暮らす家へと向かった。
「エルムントさん! お疲れ様です!」
見張りの兵士がエルムントの来訪に驚きながらも挨拶をする。
「開けてくれ」
「え? い、いいのですか?」
「ああ」
慌てて鍵を開ける兵士にすぐ閉めるように言い、中へ入ると部屋の中を見て驚いた。
「何があった……」
泥棒でも入ったのかと思うほど荒れた状態の部屋の中。だが見張りが立っていて窓は開かない。どう頑張っても部屋に泥棒が入るわけがない。
だからやったとしたらフラン本人。
キレイに保たれていたのが幻だったかように荒れているのはフランの精神状態の表れだとエルムントは眉を寄せる。
「誰……?」
二階から声がする。甘えた声ではなく、どこか警戒したような、それ以上に負を感じさせる声。過去にそういう声を出していたのはミュゲットだったが、ここにミュゲットはいない。
「私だ、エルムントだ」
「エルムント?」
名前を聞いて走って降りてきたフランを見てエルムントは目を見開いた。
兵士たちが言っていた『あれは』という言葉の意味が理解できてしまうほどの姿。これはエルムントだけではなく、フランを知る誰が見ても驚いてしまうだろう。
いつも丁寧にブラシをかけていた髪はボサボサで肌は荒れ放題。伸ばしてくる手を見ると全ての爪が噛んだようにガタガタになっていた。
容姿にだけは絶対の自信を持っていたフランとは思えない姿に一体何があったんだとエルムントは思わずその手を握る。
「来てくれたの……?」
「部屋の中もお前も荒れ放題じゃないか。一体どうしたというんだ?」
「……フランのこと、心配してくれるの……?」
「こんな状態を心配しない奴はいない」
エルムントの言葉にフランの目から涙がこぼれる。
「みんな……フランのことなんて心配しないもん……。フランは普通なのに、あの人たちはフランを見ると化け物でも見るみたいな目をするの……」
今までのフランならそんな目を向けられれば怒っていた。ドアや窓を叩いて『フランをバカにするなんて絶対に許さない!』と怒るところだろう。それが今のフランはまるで幼子のようにそれを悲しんで涙する。
エルムントの肩に額を押し付けて震えるフランを抱きしめると声を上げて泣き始めた。
一体何があったのかわからず、戸惑いながらもあやすようにフランの背中を撫でる。
十五分ほど泣きじゃくったフランはそれから少しして落ち着きを取り戻すと震えた息を吐き出しながらエルムントから離れた。
「フラン、何があったのか話せ」
「……どうしてフランに優しくしてくれるの? フランはエルムントを解任させたんだよ……」
「そんなことはどうだっていい。こんな状態になっているお前をそのままにはしておけん」
「エルムント……ッ。ごめんなさい! ひどい態度とってごめんなさい!」
また泣きじゃくるフランの変わり様には驚くが、自分が解任されてからずっと一人だったことと利用していた兵士たちからさえも不気味がられて完全に孤立状態だったことを考えれば寂しがりのフランが精神的に弱ってもおかしくはないと考えられる。
小国ではあれど王女として何不自由なく生きてきたフランにとって一人は耐え難いものだったのだろう。
「そんなことはどうだっていい」
一人にならなければわからないこともある。
自分が置かれた環境に合った態度を取っていれば兵士たちは今でもフランに好意を抱いていただろう。それを権力しか見なかったせいでエルムントを失い、兵士たちを失った。
誰とも話すことなく一人で過ごし続ける日々は地獄でしかないはず。それがようやくわかったフランの反省にエルムントは少しだけ安堵していた。
「それにしても何があってこんな風になったんだ?」
「……エルドレッド様が……」
事の顛末を聞いたエルムントは驚きのあまり言葉が出なかった。
兄弟の違いの理由を考えたことがないわけではなかった。なぜ肌の色が違うのか、なぜ二人は双子でありながらあれほどまでに違うのか。
ミュゲットたちを見たときもそうだ。歳が違うため交換は絶対にありえない話でも、そう思ってしまうほど二人は分かれていた。
アルフローレンスは色白のミュゲットに惹かれ、フランは自分と同じ褐色のエルドレッドに惹かれた。実際はアルフローレンスでも良かったのだろうが、エルドレッドと兄妹だったことを泣きながら話すのを見ているとショックだったのだろうと心情は理解できる。
部屋が荒れたのもエルドレッドと結ばれる可能性がなくなってしまったからで、容姿に気を遣わなくなったのも精神的に疲れてしまったから。
好いていた男が自分の兄だったと知れば誰だってショックを受ける。
「ミュゲットはズルいよ! どうしてミュゲットだけ兄妹じゃないの!? どうしてフランだけが好きな人と兄妹なの!? そんなのおかしいしズルい!」
こうなったのはフランのせいでもミュゲットのせいでもない。
姉妹はフローラリアで同じように育ってきた。そして同じようにグラキエスの男に惹かれた。だが、結末は違う。
ズルいと思ってしまう気持ちもエルムントにもわからないでもない。
「同じ捕虜なのにミュゲットだけ優遇されてた!」
「それはお前を守るために自らを犠牲にしていたからだ」
「フランはそんなこと望んでない!」
「でも姉の犠牲がなければお前は快適な暮らしなどできなかったんだぞ。望んだ物が手に入っていたのは全て姉が犠牲になってくれていたおかげだ。それを忘れるな」
「一緒でよかったもん! 一緒に暮らしてれば差別なんてなかったんだもん! ミュゲットはいつもそう! いつも自分が我慢すればいいって思ってる! そういうとこ大嫌いだった! ミュゲットのせいでフランがワガママに思われてきたの!」
同じ国で同じ時間を過ごした双子が突如捕虜となって敵国へ連れてこられた。その瞬間から二人の運命は分かれていた。
一人は完全な捕虜として地下牢へと入れられ、もう一人は皇帝自ら連れ帰り、一度も地下牢へ入れられることなく今も皇帝の傍にいる。
フランが望んでいた物を手に入れられていたのは間違いなくミュゲットのおかげだが、平等であるなら望みが叶わなくてもよかったというフランにエルムントは首を振る。
それは今だから言えることであって、冷えたスープとパンばかりの毎日にそのうち暴動を起こしていただろうことは想像に難くない。
「グラキエスに帰ることを選んだのはお前だ」
「だってフローラリアにはママもパパもいない! ミュゲットもいない! 使用人もいないのにどうやって暮らせっていうの!?」
「国民はお前の事情を知っているだろう。お前を気にかけている者は多いはずだ」
アルフローレンスはミュゲットを連れ帰る際、フランのことは好きにさせろと言った。帰ろうと残ろうとどうでもいいと。それをオブラートに包んで伝えた結果、フランは『戻る』と即答した。
甘え上手で料理も上手く、キレイ好きで、おしゃべり。おまけによく笑う。男は放っておかないだろう。フローラリアに残っていてもじゅうぶん満足のいく暮らしができていたはず。
「お前の姉がお前を守ろうとしていたのは見ていた側からでもよくわかった。お前のためにという言葉をお前は好まんだろうが、お前を守るために彼女は全てを手放したんだ」
「ミュゲットが何を手放したっていうのよ! 全部持ってるじゃない! 毛皮のコートも、自由に外を歩き回ることも、いなくなって必死に探し回ってもらうことも、愛してくれる人も全部持ってる! フランは何も持ってないのにミュゲットが何を手放したっていうのよ!!」
純潔を散らしたと言ってもそれはフランが望んでやらせたことではない。フランからすればミュゲットが勝手にやったこと。
何より、その純潔を散らした相手と結ばれているように見える状態では散らしたといえど幸せなのだからそれほど重いことに捉えることはできない。
フランからしてみればその自己犠牲も幸せへの試練だっただけにしか思えず、なんの説得にもならなかった。
「フランが一人ぼっちなのはミュゲットのせいだよ!」
「お前が一人になったのはお前のせいだ」
「どうして!? どうしてフランのせいなの!?」
「お前が彼女を追い出したんだ」
二人でいる生活を手放したのはフランだと伝えると顔を歪めて泣き出した。
「彼女だけを恨むのは間違ってる」
ボロボロとこぼれ落ちる涙を何度も手の甲で拭いながら泣くフランの頭を撫でると膝の力が抜けたように床へと座り込んだ。
「フランだってミュゲットのこと恨みたくなんてない! でもミュゲットはいつも特別扱いされてた! ミュゲットは家の中にいるのが性に合ってるからお客さんに会わせないでってママは言うし、ミュゲットの肌をキレイねってずっと褒めてた! フランだってママの娘なのにママはいつもミュゲットばっかり! ミュゲットもそれを当たり前に思ってた! それが許せなかったの!」
なぜミュゲットを下に見ていたのかがわかったエルムントは同じように座り込んでもう一度フランを抱き締める。
フローラリアで色白は珍しい。それが娘だとしても美しく見えたのだろうと考えたエルムントは変えられない肌の色を褒める母親への絶望とミュゲットへの嫉妬から自分のほうが優れている部分を見つけて相手を貶し始めたのかもしれないとフランの一部を理解した。
「だからいつもミュゲットの物を欲しがった。フランがねだればミュゲットは嫌って思っても言わないから。ミュゲットから全部奪ってやるって思ってた……でも……でも本当はそんなこと何も考えずに子供の頃みたいに仲良くしたかった! でもどうしてもできなかったの!」
ずっと仲が悪かったわけではない。
妹を守ろうとするのは愛情があるからで、それは大切に守ってきた純潔を妹のために散らしたことで証明されている。
仲が良かったからその愛情が芽生えた。
それはフランも同じだったのに大きくなりすぎた負の感情が邪魔をしてできなかったのだとエルムントは眉を下げながら腕に力を込める。
「嫉妬しているよりお前らしく生きているほうがお前は輝けるんじゃないか?」
「そんなの……今更輝いたって誰も見てくれないもん……」
両手で頬を包んで涙で濡れた顔を見ながら微笑むエルムントにフランは唇を噛み締める。
「今のお前は確かにひどい。でも前のお前はそうじゃなかった。キレイ好きで甘え上手でよく喋りよく笑う。鏡を見るのが好きだったじゃないか」
「……でも……」
「ちゃんとした人間はちゃんと評価を受ける。でも歪んだ人間は歪んだ評価しか受けない」
「今更でも……ちゃんと見てもらえる?」
「お前次第だ」
また泣き始めたフランに笑いながら何度も背中を撫でる。
フランとの生活はミュゲットにとっても辛いものであったのだろうが、フランにとっても辛いものであったことを知らせるべきではないのだろうが、知らせれば仲直りのキッカケにはなるのではないかとエルムントは考える。
勝手に伝えることは許されない。ミュゲットに伝えるためにはアルフローレンスの許可がいる。
解任を要求したときのようにダメもとでいくかとエルムントは一人頷いた。
「あれはマジでヤバいわ。もう目がイッてんじゃん」
「面影なくなったもんな」
「男がいなきゃ自分磨き怠るタイプなんだろ」
「でもあれはヤバすぎ」
兵士の宿舎で交わされる会話に大勢の兵士が集まって同意とその【ヤバさ】について語っている。
丁度兵士たちの剣術稽古で来ていたエルムントはその話題を聞き流して帰るべきか迷いながらも見覚えのある顔ぶればかりが集まっているため輪へと入っていくことにした。
「どうした?」
「あ、エルムントさん! お疲れ様です!」
座っていた兵士たちが揃って立ち上がり頭を下げる。
必要ないと手を動かして座るよう促した。
「なんの話をしていたんだ?」
「フラン・フォン・ランベリーローズの話ですよ」
当たってほしくなかったことが的中してしまったことに苦笑する。
「何がどうヤバいんだ?」
エルムントは専属騎士を解任されてから一度も会いに行ってないためフランの現状を知らない。
「何もかもですよ! 捕虜として連れてこられたときは見たことないほど美人だったのに今じゃその面影もないっていうか……」
「面影がない? お前たち、フランと仲良かっただろう」
「最初はそうでしたよ。甘え上手だし、料理も上手いし、立ってるだけの俺らを家の中で暖取らせてくれるしでイイ女だなって思ってましたけど……なあ?」
「あれはなー……」
大体の者が同意するように頷いて黙り込む。
「皇帝陛下の命がないので誰も中に入れないんです」
「今までも命がなくとも入っていただろう」
「それは陛下がフランにお怒りではなかったからですよ」
「何があった?」
「俺の兄貴が騎士団にいるんですけど、ミュゲット・フォン・ランベリーローズがフロガの皇帝に誘拐された際、フランは気付いてたのに誰にも言わなかったらしくて。それで皇帝陛下に取り入ろうとして失敗したんですけど、その後からちょっとずつおかしくなり始めて……」
ミュゲットが姿を消してからのアルフローレンスの異常な苛立ちは兵士及び騎士たちに異常な緊張感を与えた。
見つけられなければ何をされるかわからないと皆が必死になっていた。
そんなときに取り入るために自分が持っている情報と引き換えとでも言ったとすればどんな対処を受けたのか想像するだけでも恐ろしい。
だが、今まだ命があるということはそれなりに有力な情報だったのだろう。
もしミュゲットがいなくなったと騒いでいるときにすぐ情報を渡していれば、素直に情報だけ渡していれば対処は少し違っていたのかも知れないが、フランという女はどこまでも計算高く愚かでどうしようもない女であるためそうしなかった。
「自由に外に出てもいいって言われてるだけに俺たちもフランが外に出たいって言えば出してやるしかないんですけど、最近すげー不気味で困ってるんですよ」
「エルムントさん、様子見に行ってもらえませんか?」
「俺は解任された身だ」
「でもエルムントさんも仲良しでしたよね」
「う……」
兵士の言う【仲良し】という言葉が何を意味しているのかわかっているだけにエルムントは反論できない。
彼らよりも先にフランと仲良くしたのは他でもない自分。
大きなため息をついて首を振ったエルムントは「わかった」と返事をした。それだけで兵士たちの顔に安堵と希望が宿る。
エルムントと出会った頃のフランは彼らが言ったように甘え上手で料理上手、美しさも備わっているイイ女だった。それだけで終わっていれば今も自分は専属騎士だったのかもしれないが、徐々におかしくなり始めた。
エルドレッドという男に出会ってから許容できるわがままは手に負えない傲慢へと変わり、要求が増え、そして神のように選ぶようになった。人も物も他人の人生さえも自分が決めようと──
それが酷くなっているのだとしたら手に負えない状況になっている。
先日、エルドレッドが帰ってきているのを見た。フランに会ったのかは知らないが、もし会っているなら悪化するようなことはないように思うものの兵士たちの言葉から察するに良くもなっていない。
「期待はするな」
「ありがとうございます!」
ワァッと無駄に騒ぐ兵士たちに手を上げてフランが暮らす家へと向かった。
「エルムントさん! お疲れ様です!」
見張りの兵士がエルムントの来訪に驚きながらも挨拶をする。
「開けてくれ」
「え? い、いいのですか?」
「ああ」
慌てて鍵を開ける兵士にすぐ閉めるように言い、中へ入ると部屋の中を見て驚いた。
「何があった……」
泥棒でも入ったのかと思うほど荒れた状態の部屋の中。だが見張りが立っていて窓は開かない。どう頑張っても部屋に泥棒が入るわけがない。
だからやったとしたらフラン本人。
キレイに保たれていたのが幻だったかように荒れているのはフランの精神状態の表れだとエルムントは眉を寄せる。
「誰……?」
二階から声がする。甘えた声ではなく、どこか警戒したような、それ以上に負を感じさせる声。過去にそういう声を出していたのはミュゲットだったが、ここにミュゲットはいない。
「私だ、エルムントだ」
「エルムント?」
名前を聞いて走って降りてきたフランを見てエルムントは目を見開いた。
兵士たちが言っていた『あれは』という言葉の意味が理解できてしまうほどの姿。これはエルムントだけではなく、フランを知る誰が見ても驚いてしまうだろう。
いつも丁寧にブラシをかけていた髪はボサボサで肌は荒れ放題。伸ばしてくる手を見ると全ての爪が噛んだようにガタガタになっていた。
容姿にだけは絶対の自信を持っていたフランとは思えない姿に一体何があったんだとエルムントは思わずその手を握る。
「来てくれたの……?」
「部屋の中もお前も荒れ放題じゃないか。一体どうしたというんだ?」
「……フランのこと、心配してくれるの……?」
「こんな状態を心配しない奴はいない」
エルムントの言葉にフランの目から涙がこぼれる。
「みんな……フランのことなんて心配しないもん……。フランは普通なのに、あの人たちはフランを見ると化け物でも見るみたいな目をするの……」
今までのフランならそんな目を向けられれば怒っていた。ドアや窓を叩いて『フランをバカにするなんて絶対に許さない!』と怒るところだろう。それが今のフランはまるで幼子のようにそれを悲しんで涙する。
エルムントの肩に額を押し付けて震えるフランを抱きしめると声を上げて泣き始めた。
一体何があったのかわからず、戸惑いながらもあやすようにフランの背中を撫でる。
十五分ほど泣きじゃくったフランはそれから少しして落ち着きを取り戻すと震えた息を吐き出しながらエルムントから離れた。
「フラン、何があったのか話せ」
「……どうしてフランに優しくしてくれるの? フランはエルムントを解任させたんだよ……」
「そんなことはどうだっていい。こんな状態になっているお前をそのままにはしておけん」
「エルムント……ッ。ごめんなさい! ひどい態度とってごめんなさい!」
また泣きじゃくるフランの変わり様には驚くが、自分が解任されてからずっと一人だったことと利用していた兵士たちからさえも不気味がられて完全に孤立状態だったことを考えれば寂しがりのフランが精神的に弱ってもおかしくはないと考えられる。
小国ではあれど王女として何不自由なく生きてきたフランにとって一人は耐え難いものだったのだろう。
「そんなことはどうだっていい」
一人にならなければわからないこともある。
自分が置かれた環境に合った態度を取っていれば兵士たちは今でもフランに好意を抱いていただろう。それを権力しか見なかったせいでエルムントを失い、兵士たちを失った。
誰とも話すことなく一人で過ごし続ける日々は地獄でしかないはず。それがようやくわかったフランの反省にエルムントは少しだけ安堵していた。
「それにしても何があってこんな風になったんだ?」
「……エルドレッド様が……」
事の顛末を聞いたエルムントは驚きのあまり言葉が出なかった。
兄弟の違いの理由を考えたことがないわけではなかった。なぜ肌の色が違うのか、なぜ二人は双子でありながらあれほどまでに違うのか。
ミュゲットたちを見たときもそうだ。歳が違うため交換は絶対にありえない話でも、そう思ってしまうほど二人は分かれていた。
アルフローレンスは色白のミュゲットに惹かれ、フランは自分と同じ褐色のエルドレッドに惹かれた。実際はアルフローレンスでも良かったのだろうが、エルドレッドと兄妹だったことを泣きながら話すのを見ているとショックだったのだろうと心情は理解できる。
部屋が荒れたのもエルドレッドと結ばれる可能性がなくなってしまったからで、容姿に気を遣わなくなったのも精神的に疲れてしまったから。
好いていた男が自分の兄だったと知れば誰だってショックを受ける。
「ミュゲットはズルいよ! どうしてミュゲットだけ兄妹じゃないの!? どうしてフランだけが好きな人と兄妹なの!? そんなのおかしいしズルい!」
こうなったのはフランのせいでもミュゲットのせいでもない。
姉妹はフローラリアで同じように育ってきた。そして同じようにグラキエスの男に惹かれた。だが、結末は違う。
ズルいと思ってしまう気持ちもエルムントにもわからないでもない。
「同じ捕虜なのにミュゲットだけ優遇されてた!」
「それはお前を守るために自らを犠牲にしていたからだ」
「フランはそんなこと望んでない!」
「でも姉の犠牲がなければお前は快適な暮らしなどできなかったんだぞ。望んだ物が手に入っていたのは全て姉が犠牲になってくれていたおかげだ。それを忘れるな」
「一緒でよかったもん! 一緒に暮らしてれば差別なんてなかったんだもん! ミュゲットはいつもそう! いつも自分が我慢すればいいって思ってる! そういうとこ大嫌いだった! ミュゲットのせいでフランがワガママに思われてきたの!」
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フランが望んでいた物を手に入れられていたのは間違いなくミュゲットのおかげだが、平等であるなら望みが叶わなくてもよかったというフランにエルムントは首を振る。
それは今だから言えることであって、冷えたスープとパンばかりの毎日にそのうち暴動を起こしていただろうことは想像に難くない。
「グラキエスに帰ることを選んだのはお前だ」
「だってフローラリアにはママもパパもいない! ミュゲットもいない! 使用人もいないのにどうやって暮らせっていうの!?」
「国民はお前の事情を知っているだろう。お前を気にかけている者は多いはずだ」
アルフローレンスはミュゲットを連れ帰る際、フランのことは好きにさせろと言った。帰ろうと残ろうとどうでもいいと。それをオブラートに包んで伝えた結果、フランは『戻る』と即答した。
甘え上手で料理も上手く、キレイ好きで、おしゃべり。おまけによく笑う。男は放っておかないだろう。フローラリアに残っていてもじゅうぶん満足のいく暮らしができていたはず。
「お前の姉がお前を守ろうとしていたのは見ていた側からでもよくわかった。お前のためにという言葉をお前は好まんだろうが、お前を守るために彼女は全てを手放したんだ」
「ミュゲットが何を手放したっていうのよ! 全部持ってるじゃない! 毛皮のコートも、自由に外を歩き回ることも、いなくなって必死に探し回ってもらうことも、愛してくれる人も全部持ってる! フランは何も持ってないのにミュゲットが何を手放したっていうのよ!!」
純潔を散らしたと言ってもそれはフランが望んでやらせたことではない。フランからすればミュゲットが勝手にやったこと。
何より、その純潔を散らした相手と結ばれているように見える状態では散らしたといえど幸せなのだからそれほど重いことに捉えることはできない。
フランからしてみればその自己犠牲も幸せへの試練だっただけにしか思えず、なんの説得にもならなかった。
「フランが一人ぼっちなのはミュゲットのせいだよ!」
「お前が一人になったのはお前のせいだ」
「どうして!? どうしてフランのせいなの!?」
「お前が彼女を追い出したんだ」
二人でいる生活を手放したのはフランだと伝えると顔を歪めて泣き出した。
「彼女だけを恨むのは間違ってる」
ボロボロとこぼれ落ちる涙を何度も手の甲で拭いながら泣くフランの頭を撫でると膝の力が抜けたように床へと座り込んだ。
「フランだってミュゲットのこと恨みたくなんてない! でもミュゲットはいつも特別扱いされてた! ミュゲットは家の中にいるのが性に合ってるからお客さんに会わせないでってママは言うし、ミュゲットの肌をキレイねってずっと褒めてた! フランだってママの娘なのにママはいつもミュゲットばっかり! ミュゲットもそれを当たり前に思ってた! それが許せなかったの!」
なぜミュゲットを下に見ていたのかがわかったエルムントは同じように座り込んでもう一度フランを抱き締める。
フローラリアで色白は珍しい。それが娘だとしても美しく見えたのだろうと考えたエルムントは変えられない肌の色を褒める母親への絶望とミュゲットへの嫉妬から自分のほうが優れている部分を見つけて相手を貶し始めたのかもしれないとフランの一部を理解した。
「だからいつもミュゲットの物を欲しがった。フランがねだればミュゲットは嫌って思っても言わないから。ミュゲットから全部奪ってやるって思ってた……でも……でも本当はそんなこと何も考えずに子供の頃みたいに仲良くしたかった! でもどうしてもできなかったの!」
ずっと仲が悪かったわけではない。
妹を守ろうとするのは愛情があるからで、それは大切に守ってきた純潔を妹のために散らしたことで証明されている。
仲が良かったからその愛情が芽生えた。
それはフランも同じだったのに大きくなりすぎた負の感情が邪魔をしてできなかったのだとエルムントは眉を下げながら腕に力を込める。
「嫉妬しているよりお前らしく生きているほうがお前は輝けるんじゃないか?」
「そんなの……今更輝いたって誰も見てくれないもん……」
両手で頬を包んで涙で濡れた顔を見ながら微笑むエルムントにフランは唇を噛み締める。
「今のお前は確かにひどい。でも前のお前はそうじゃなかった。キレイ好きで甘え上手でよく喋りよく笑う。鏡を見るのが好きだったじゃないか」
「……でも……」
「ちゃんとした人間はちゃんと評価を受ける。でも歪んだ人間は歪んだ評価しか受けない」
「今更でも……ちゃんと見てもらえる?」
「お前次第だ」
また泣き始めたフランに笑いながら何度も背中を撫でる。
フランとの生活はミュゲットにとっても辛いものであったのだろうが、フランにとっても辛いものであったことを知らせるべきではないのだろうが、知らせれば仲直りのキッカケにはなるのではないかとエルムントは考える。
勝手に伝えることは許されない。ミュゲットに伝えるためにはアルフローレンスの許可がいる。
解任を要求したときのようにダメもとでいくかとエルムントは一人頷いた。
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