愛し方を知らない氷帝の愛し方

永江寧々

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別れ

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 フロガへ向かう日、フランは兵士たちの護衛を受けながら地下牢から出てきた。
 見ていられないほど痩せ細った姿に以前の面影はない。

「ありがとうとか言わないから。フランは助かって当然なんだから」
「そうだね」

 それでも憎まれ口は叩くフランがまだ少し元気なことにミュゲットは安堵していた。

「水から始まって昨日までの食事全部に毒が入ってたんでしょ?」
「そうだ」
「ミュゲットが目覚めるまで生かしておこうと思ってあんな少量の毒を仕込み続けたってわけ?」
「ああ」
「アンタが良いのって顔だけね。性格腐ってるじゃない」
「姉を殺そうとする女に言われるほどではない」

 わかっていながら全て完食していたフランに誰も驚きはしなかった。
 フラン・フォン・ランベリーローズがそこら辺にいる甘やかされただけの女ではないことは今ここに立っている皆が知っていること。
 言ってしまえばフランはミュゲットよりもはるかに賢かった。

「確かにそうかも」

 ひどい顔で笑うフランだが、ミュゲットはその笑顔がどこか晴れ晴れとしているように見えた。

「フラン、あのね──」
「やめて。謝ったりしたらもう一回殺してやるんだから」

 腐っても妹。ミュゲットが何を言おうとしているのかぐらい手に取るようにわかってしまう。

「アンタのそういうとこがホントに大嫌いだった。ビビりのくせに妙に姉ぶるとこがあって、何もできないくせにお姉ちゃんだからとか言って何かしようと必死でホンットにウザかった。アンタなんか外に出ないで大人しく部屋の隅っこで本でも読んでればよかったのよ。たまに出てきてフランより目立ってさ、ああいうのすごいムカついたんだから」

 吐き捨てるように言われる言葉もミュゲットは頷いて受け止める。

「よかったわね、フランが消えてアンタの人生平和になるじゃない」
「そんなこと思ってない」
「フランは思ってる。ようやくアンタがフランの人生から消えてくれるんだから。これからはフランの人生を生きるの。フランがフランのためだけにね」
「そうだね」
「アンタなんかフランの人生に必要ないの」
「そっか」
「だからさっさと消えてよ。護送されていくの見て嘲笑うつもり?」
「見送りたいだけ。フランがフランの人生を歩む瞬間を」

 ミュゲットの言葉にフランが眉を寄せて唇を噛み締める。

「アンタなんか大っ嫌い! アンタだけは一生許さない! ずっとずっと恨んでやる!」
「うん、いいよ」

 フランの脳裏に幼い頃の自分たちの姿が浮かんだ。
 何を言ってもミュゲットは「うん、いいよ」と笑顔だった。少し困ったような顔はしたが、それでもミュゲットはけしてフランに同じことを言い返しはなかった。
 言うことはいつも「うん、いいよ」「ごめんね」の二つ。
 父親に注意されてもミュゲットはフランが悪いとは言わなかった。
 いつだってミュゲットは姉であろうとした。上手くなれなくてもそうあろうとしていたことをフランは知っている。

「行こうか、フラン」

 アルフローレンスからエルドレッドに目で合図があり、エルドレッドがそれに従ってフランに声をかける。
 痩せ細っているフランを無理矢理引っ張ることはなく、肩を抱いて誘導しようとするのに従ってフランが馬車へと向かう。

「フラン、あのね──」
「謝ったら許さないって言ってるでしょ。何度言えばわかん──」
「大好きよ」

 振り返ったフランの目は驚きに見開かれ、溢れだすように流れる涙を止めようと目に力を入れて睨みつけるが涙は止まらない。
 くしゃりと歪む顔、聞こえるしゃくり上げ、漏れる震えた吐息──
 走り出したフランがミュゲットに突進するように抱きついた。

「大嫌い! ミュゲットなんか……大っ嫌い……!」

 自分より大きな身体をめいっぱい抱きしめながらミュゲットは何度も頷く。
 痩せ細った身体は服の上からでもわかるほどで、あまりにも痛々しい。
 それでもフランには生きる意思があった。
 どれだけ時間が残されているのかはわからないが、それでも残りの時間を穏やかに生きてほしいと願わずにはいられない。

「フラン、おいで」

 エルドレッドの声にゆっくりと離れたフランはミュゲットを見ずに戻り、そのまま馬車に乗り込んだ。

「ねえ、アンタ」

 窓を開けてアルフローレンスに声をかけるフラン。

「フランね、毒に強いの。これでもフローラリアの王女様だから」
「ほう」
「もう少し濃いめに作ってれば毒も効いたかもしれないけど、あんなに薄めちゃ甘さだけが残ってデザート食べてる気分だったわ。おやつありがと」

 毒に慣れさせていたのも父親だろうと察するとアルフローレンスは何も言わなかった。
 親という化け物にどこまでも壊されていった哀れな少女と自分が重なる。
 痩せ細ったのは毒のせいではなく栄養不足。フロガに戻ればまた太るだろうが、アルフローレンスにはどうでもいいことだった。
 フロガからは出さないとエルドレッドが約束した以上、なんらかの方法でフランをフロガに縛りつけておくだろうと思っているから。

「じゃあね、ミュゲット。せいせいするわ」
「さよなら、フラン」

 妹に別れの言葉を告げる日が来るとは思っていなかった。
 それでもこれでよかったのだと思っている。
 これが最善の方法なのだと信じていた。
 去っていく馬車の窓から手を出して親指を下に向けるフランは今どんな気持ちでどんな顔をしているのだろう。
 大嫌いの中に込められた意味をミュゲットは理解している。
 フランらしいとさえ思った。

「愛とは偉大なものだ」
「そうね」

 母親から与えられるばかりだった愛情をフランに分け与えようとはしなかった。それが特別なものだと気付きもしなかったのだからフランが不満に思うのも当然だと振り返る。
 ようやく愛情を見せることができたような気がしたミュゲットはそれが少しでもフランに伝わっていればと願う。

「甘ちゃんだな、お前は」

 ミュゲットが馬車を見送るのに付き合ったアルフローレンスは馬車が見えなくなるとすぐに城の中へと戻っていく。
 寂しさと安心と、どこか晴れ晴れとした気持ちが混ざり合う中、ミュゲットはアルフローレンスの隣を歩く。

「アルだってなんだかんだ言いながらエルドレッド様を許してるじゃない」
「許しているわけではない。奴が勝手に侵入してくるだけだ」
「じゃあ不法侵入で斬ればいいんじゃない?」
「そうしようとした余を止めたのは誰だ。余を嘘つきにするつもりか?」

 もっと前からすることもできたのにそうしなかったのは過去にどんな仕打ちを受けようとアルフローレンスにとってエルドレッドだけが唯一の家族だからだろうと思った。
 恨んでいても殺すことはできない。それだけはミュゲットにもわかる。

「もし、エルドレッド様に殺されかけてたら殺してた?」
「愚問だな」

 殺していたかもしれないし、殺さなかったかもしれない。
 冷血な氷帝と呼ばれる男が兄があろうと兄だけは殺さなかった。それが全てなのだとミュゲットは小さく笑う。

「それで、お前はもう愚妹に悩まされることはなくなったわけだが、これからどうするつもりだ?」
「どうするって……そういう聞き方する?」
「どうしたい、か?」
「どういう意味で聞いてるのかわからない」

 互いに首を傾げる二人を見ていたシェスターがやれやれと首を振りながら笑う。

「ちょうど紅茶が入りましたので、お部屋でのんびり計画を立てられてはいかがですか? 焼きたてのスコーンもございますよ」

 それに賛成したミュゲットは小走りにシェスターの傍に寄ってスコーンの香りを嗅ぐ。

「焼きたてのスコーンってあまり食べないですよね」
「冷ましてからのほうがサクサクしますからね。ですが、焼きたても存外悪くはないものですよ」
「楽しみです」
「余といるより楽しそうだな」
「紅茶にまでヤキモチ妬くの?」
「シェスターのタイミングが良すぎるものでな」
「ジジイは常に見守っておるだけですよ、陛下」

 テーブルの上にティーセットを置くとミュゲットは引かれた椅子に腰掛ける。

「アッサムをお淹れしましたのでミルクティーにしましょうか」
「濃いめのミルクティーって美味しいですよね。ビックリしました」
「フローラリアに紅茶の文化は?」
「紅茶はありますけど、浸透している感じではないですね。フルーツジュースのほうが多いかもしれません。あ、でもフルーツティーはすごく美味しいんです」
「フローラリアのフルーツティーは有名ですからね」
「飲んだことあります?」
「それが残念ながら。いつか飲んでみたいとは思っているのですが、なかなか機会がございませんので」

 その言葉にミュゲットがアルフローレンスを見た。

「どういう意味で余を見ているのだ?」
「三人で一緒にフローラリアに行きたい」

 驚いたのはシェスターだけ。

「わ、私はお城を離れるわけにはいきませんので」
「でも現地で飲むとすごく美味しいんですよ」
「それはそうでしょうけど……」
「シェスターさんに休暇を与えると思って一緒に行こう?」

 ミュゲットが毒で苦しんでいることはフィルに伝えた。
 それからどうなったのか知らないためフィルが心配し続けていることを考えると却下もできなかった。
 結果的にイードルでの収穫はなかったが、それでもイードルに行ったから魔女の情報を拾えた。

「わかった」

 嬉しそうに笑うミュゲットと驚いたままのシェスターが顔を見合わせる。

「ありがと」
「一泊していくぞ」
「陛下!?」
「余は見たいものがあるのだ」

 アルフローレンスが変わったのはわかっていた。だが、それでもここまでとは思っていなかったシェスターは夢でも見ているのかと自分の耳を疑ってしまう。

「お前もカップを持って来い」
「へ、陛下……今日はお戯が過ぎます」
「余が戯れでお前を誘っていると思っているのか?」
「そ、そういうわけでは……」
「同じことを二度言わせるな」
「た、ただいま持ってまいります」

 自分が変わらなければ何も変えられない。
 受け入れるだけでは変えることはできない。
 ミュゲットが笑っている、それだけでアルフローレンスは嬉しくなる。
 失いかけたものが正しくそこにある。
 この笑顔を守るためならなんでもする。
 あの闇の中でそう誓ったのだ。
 光を失わないために自分ができることをすると。

「一緒にティータイムでもどうだ?って聞いてあげたほうがわかりやすいと思うけど」
「シェスターに余計な気遣いは不要だ」
「二十年後、同じこと言われそう」
「……お前には言わぬ」
「どうして?」

 言わないという言葉を信じていないミュゲットに向けて指を動かすと椅子から立ち上がって傍にくる。
 そのまま甘えてくることはないが、警戒せずに来ることだけでもアルフローレンスは喜びを感じていた。

「恐怖があるからだ」
「恐怖?」
「お前に嫌われたくない。横暴な態度を見せればお前は離れていってしまうのではないかという恐怖だ」

 驚いた顔を見せるミュゲットの小さな手を握って手の甲に唇を押し当てる。

「何が正しいのか余は判断できぬ。命令を聞かぬ者の首を刎ねることはおかしなことではなかったからな。言葉が足りぬことも察せぬ者が悪いのだと思っていた。恐怖して死んでゆく者を愚図だと思い、敗者は必要ないと吐き捨ててきた」

 それらが全て傲慢で間違いだったと気付いたのは暗闇の中へ戻ってから。
 素直に言葉に出すアルフローレンスの額にミュゲットが口付ける。

「大丈夫……って言えばあなたは無条件に安心してくれるけど、漠然とした不安は消せない。だからなんでも言葉が必要なの。わかってもらえるなんて思うことこそ傲慢なのよ。だから私もちゃんと言葉にする。あなたが今そうしてくれたように」

 言葉足らずだと、恐怖していると言葉にする相手が変わっていることがミュゲットは嬉しかった。
 戦争には反対。でもそれをしないと約束させることはしない。一度始めた戦争は片方が燃え尽きるまで終わらない。グラキエスのように他国と同盟を組まず、全てを支配下に置こうとする国は特に。
 アルフローレンスのような人間が他者と上手くやれないことはミュゲットもわかっている。だからミュゲットは政治に関わるつもりはないし、意見するつもりもない。
 ただ、彼がそれをどう思っているのか、これからどうしていきたいのかは聞きたいと思っていた。
 抱えることに慣れてしまった、堪えることに慣れてしまったこの弱い人間の傍に立って丸ごと支えたいと。

「未来のことなんて誰にもわからない。私は占い師じゃないしね。でも、だからこそ二人でちゃんと言葉にして作り上げていくんじゃないかなって思う。誰にも過去があって今があるように、今があるから未来がある。あなたと手を取り合って言葉を紡いで一緒に歩く先に未来がある。その中で喧嘩したり笑い合ったりする。お互いの心を見せ合ってわかり合って
、一緒に年をとるの」
「出会いがあれば別れがあるだろう」
「別れる気ある?」
「お前がその覚悟なら余はお前を殺して死ぬ覚悟がある」
「目が怖いからその考えは捨てて」

 本気でやりかねないと思うも、それが相手の愛情なのだと思うとおかしくてミュゲットは笑いだす。

「私だって先が見えないのは怖い。でも怖がってあなたに大事なことを伝えられないのは嫌だし、あなたが伝えてくれないのも嫌だ」
「お前に伝えて嫌われろと言うのか?」
「私が受け入れる努力をする。だからあなたもそうして」
「余はしている。現にお前の願いを叶えてやろうとしている」

 相変わらずの上から目線だが、ミュゲットはそれでもいいと思った。
 こうして互いのことを先の未来を見据えて話せるのは嬉しい。
 一年前までは考えられなかったことだ。

「もし言うのに戸惑ったらそう言って。言うのを戸惑ってるとか言ったら嫌われるんじゃないかって思ってるって」
「言ってお前が怒ったらどうする」
「そのときは嘘つきって言って」
「怒るのだな」
「内容による」

 やれやれと言いたげに首を振るアルフローレンの頬をパンっと軽く音がするように両手で挟むと不満げな表情を向けられる。

「あなたとずっと一緒にいたい」

 想像していなかった言葉に動揺したように瞳が動いたその後に、アルフローレンスの表情が変わる。

「余も同じ気持ちだ」

 初めてハッキリと見るアルフローレンスの笑顔にミュゲットも満面の笑みを浮かべて唇を重ねた。

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