愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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敵対

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「どうしてセシル様もご一緒なんですか?」

 教室を出るまでは上機嫌だったティーナの表情が馬車で待っていたセシルの存在によって崩れた。

「君は知らないだろうけど僕は毎日ヴィンセルと一緒に帰ってるんだ。家が近いもんだから」
「ご自分の馬車に乗られてはいかがですか?」
「ま、自分の馬車も用意できない人間に──おっと、貧乏男爵への侮辱だったかな」
 
 帰りの馬車の中はヴィンセルと二人きりではなくティーナとセシルも一緒で四人いっぱい乗り込み、室内では気の合わない二人がバチバチと火花を散らし合う。
 セシルがヴィンセルと一緒に帰っているのは聞いたことがなく、ティーナを警戒しての護衛のようなものだろうが馬車の中の雰囲気は紫煙が漂うサロンより悪い。
 
「ティーナ、セシル様に失礼よ」
「セシル様こそレディに失礼よ」
「悪いけど、僕はアリスに失礼な態度をとったことはないから」
「私にですけど」
「君がレディ? ああ、自分のこと言ってたのか。どの口が言ってるんだろう」
「は?」
「なに?」
 
 いつ爆発してもおかしくない火花を散らせる二人にアリスとヴィンセルは呆れたように首を振る。
 ティーナが黙っておけば静かでいられるのにティーナがヴィンセルに話しかけるとセシルが邪魔するため乗ってからずっと苛立っていた。
 いや、実際はその前から多少の苛立ちを感じている気配はあった。
 まず教室まで迎えに来た時———
 
「アリス、待たせた」
「いえ、とんでもありません。時間ぴったりです」
「ベルフォルン男爵令嬢も一緒でいいんだったな?」
「もう、ティーナと呼んでくださいってばぁ」
 
 何度言ってもティーナのことは名前で呼ばない。そのくせアリスのことはずっと呼び捨てにしているのだからティーナはそれが気に入らなかった。
 
 二つ目———
 
「アリス、俺が先に入って手を貸そう」
「すみません」
 
 利き手が使えないだけで左手は使えるのだから馬車に乗るに不自由はないが、ヴィンセルは過保護なまでにアリスに手を貸して馬車に乗せてくれた。
 
「ベルフォルン男爵令嬢も乗るといい」
「こんな高級な馬車に乗るのは初めてで緊張で手が震えてるんです。手を貸してくださいませんか?」
 
 まず乗るよう伝える時にヴィンセルは手を貸さなかった。それも気に食わなかったが、手を貸してほしいと自らチャンスを作った後もヴィンセルは少し戸惑っていた。アリスには自ら手を差し出したのになぜその流れで自分に手を貸してくれないのかと不満だったのだろう。
 その直後にティーナを押しのけてセシルが「乗らないのならどいて。邪魔」と先に馬車に乗り込みヴィンセルの隣を取ったものだからティーナの機嫌は乗った時から既に最悪だった。
 ヴィンセルの向かいはアリスが。ヴィンセルの隣はセシルが。自分はアリスの隣でヴィンセルの斜め。話しかけるのは簡単でも、くっつくことができない位置のせいで仕掛けることができなかった。
 
「ヴィンセル様はなぜ婚約者を作らないのですか?」
 
 それはアリスも気になっていたこと。
 
「あー……ブラックバーン家は親が見つけるのではなく自分で見つけて選ぶのが決まりなんだ」
「じゃあまだ見つけられてないってことですか?」
「……まあ、そんなところだ」
 
 まだ見つけられていないということは候補の一人もいないということで、ティーナは自分にも勝機があると思ったのか、目を輝かせて無礼にもヴィンセルの手を握った。
 ありえない行為にセシルもアリスも目を見開き、慌てて手を伸ばすもヴィンセルがそれを乱暴に振り払った。
 
「キャッ!」
「…すまないが、レディが異性に安易に触れるのは好ましくない」
「そんな強く拒まなくても……ひどい……」
 
 嘘泣きが始まったと全員が思っていた。
 ティーナのすごさは声を漏らして泣き真似をするだけではなく実際に涙を流して見せる所。誰もが彼女は傷付いて泣いていると本気で勘違いしてしまうのだが、この三人はティーナの本性を知っているだけにこんなことぐらいで泣いたりしないとわかっている。
 一番呆れているのはセシルで、呆れすぎて責める言葉も出てこないらしく、ワザと大きなため息をついた。
 
「私に触れられるの嫌ですか?」
「誰かの体温を感じたくないんだ」
「それって寂しくないですか?」
「全く」
「もしよければ、私、お手伝いしますよ」
「は?」
 
 思わず漏れたセシルの声。
 
「触れられ慣れてないから苦手なんですよね? 慣れればきっと心地良く思いますよ! 私、そのお手伝いします!」
 
 勝手なことを口走るティーナにヴィンセルの表情は歪み、それをなんとか苦笑に直して首を振る。
 
「心遣いはありがたいが、そういう問題ではない」
「私、汚くないですよ。ヴィンセル様が迎えに来てくださる前も手を洗いましたし。アリスは洗ってないですけど」
 
 いちいち誰かを蹴落として自分を上げなければ気が済まないティーナ。これを好きだという人間もいるのだからティーナはこういう自分を良しとする。ベルフォルン家の娘らしいと言われていることをティーナは知らない。
 最初は嫌がっていても癖になると思っているのだ。それが自分の魅力だと。
 
「そのハンカチって女性モノですよね?」
「あ、ああ……」
「ヴィンセル様のですか?」
「ああ……」
「ふーん」
 
 ヴィンセルが持っているのはアリスのハンカチ。ヴィンセルは確かに新しいハンカチをすぐに買って返してくれた。自分が持っていた薄桃色のお気に入りのハンカチよりも上質なシルクの白いハンカチ。
 アリスとしてはそのまま返してくれてもよかったのだが、できないと言われてしまったため諦めた。捨てているだろうと思っていたのだが、ヴィンセルが鼻を押さえるのに取り出したハンカチは普段から使用している王家の紋章が入った物ではなく、薄桃色の生地にBの刺繍がされている物。
 無意識に出してしまったそれにヴィンセルは内心焦っていた。
 
「アリス、ハンカチ持ってる?」
 
 ティーナの問いかけにギクッとしたのはヴィンセル。
 
「手を洗ったときにハンカチ貸したじゃない」
「……あ、そっかぁ! やだ、忘れてた!」
 
 手洗いから戻ってきたティーナにハンカチを貸しておいて良かったと心から安堵した。
 
「でも意外。ヴィンセル様ってそういうハンカチ持つんですね」
「女性モノは手触りがいい。私は年中花粉症だからハンカチが手放せないんだ」
「そうだったんですね! 皆どうしてヴィンセル様はハンカチで顔押さえるんだろって言ってたんですよ! うふふっ、新情報ゲットしちゃった!」
 
 誰も知らないだろう新情報にテンションが上がるティーナはさっきまでの涙はどこへやら上機嫌に笑顔になる。
 
「アリス、早く手が治るといいね」
「すみません、こんな大袈裟にしてしまって」

 セシルの言葉にアリスが頷く。

「謝らなくていい。私のせいだ。本当にすまない」
「ヴィンセル様、もう本当に謝罪はやめてください。本当に兄が大袈裟なだけで平気ですから」
 
 頭を下げた時にふわりと香る爽やかな匂い。夏を連想させる不思議な匂いは相手のイメージに合っていて心地良い感じを受けた。
 もう何度謝られたかわからないだけに苦笑しか出てこないアリスは困ってしまう。
 セシルは同級生でどこか弟のような態度を見せるため話しやすいが、ヴィンセルは年上でしかも王子。どういう対応が正しいのかわからないでいる。
 
「アリス、ヴィンセル様に頭なんて下げさせないでよ」
「ご、ごめんね」
 
 ティーナといるとヴィンセルもやり辛さを感じる。手は二本あっても人間は常にその二本をフルに使って生きる生き物だ。それが急に一本使い物にならなくなっただけでどれだけ不自由を感じるか。ましてや相手はあのカイル・ベンフィールドの妹。誠心誠意面倒を見なければと心構えを持って接する覚悟だが、どうにもティーナの存在が引っかかって仕方ない。
 
「でもアリスならヴィンセルの婚約者になれそうだよね」
「セシル、やめてください。ムリですムリです!」

 なんてことを言い出すんだと慌てるアリスを見てティーナが鼻で笑う。

「そうですよ。アリスに王女様なんて無理に決まってるじゃないですか」
「でもヴィンセル・ブラックバーンの婚約者候補の最低ラインは公爵だから。間違っても男爵なんてありえないわけだし、その最低ラインだけでもアリスは合格してる」
 
 いちいち食ってかかるセシルにギリッと歯を鳴らすティーナだが、ヴィンセルに顔を向けるときには拗ねたように唇を尖らせた表情を見せる。
 
「ヴィンセル様は爵位で選ばれるのですか?」
「そういうわけではないが、価値観が近いと思うんだ。あまりに格差がありすぎても不一致が起こるだろうからと祖父の時代に決まったんだ」
「でも公爵令嬢ってお金を持ってるからこそ買い物付きだったりしますよね? それはいいんですか?」
「そういう相手を選ぶつもりはない。我慢させるつもりもないが、豪遊もさせるつもりはない。俺は妻には控えめな淑女を望んでいる」
「誰だってそうでしょ。我の強い女性って不気味だよね。稼げもしないくせに高級志向な人間ってウザい。自分のこと何様だと思ってるんだろ」
「セシル様って差別主義者なんですね。女性が世の中に出て稼ぐ大変さなんてご存じないんでしょ? 知ってます? 女性の給料って男性の半分以下だってこと」
「どう思ってもらっていいよ。社会に出て稼ぐつもりもない人間にどう思われようとどうだっていいし」
 
 ティーナは社会に出るつもりなどない。稼ぐのは男の仕事で女は家の中でお茶を楽しむのが仕事だとよく言っている。
 化粧や趣味を満喫して美しい姿で生きる。それが夫のためだと。
 実際、今の社会に女がイキイキと働く場所はない。ティーナが言ったように給料にも男女格差があり、貴族が就ける唯一の上品な職業である家庭教師も成績の悪いティーナでは不可能。
 
「セシル様のファンがお聞きになったらがっかりするでしょうね」
「言えばいいよ。どうして僕が顔も名前も知らないファンとやらのために気を遣った発言をしなきゃいけないの」
 
 セシルにとって“ファン”という存在は顔も名前も知らない他人。勝手にキャアキャアと騒いでいるミーハーな存在。それだけ。
 だからその存在が自分の発言で傷付こうとどうだっていいのだ。
 何も気にしない様子で肩を竦めるセシルをティーナが睨む。
 
「でもアリスはヴィンセルじゃなくて僕の婚約者になってくれてもいいんだよ?」
「え?」
「え?」
 
 思わずヴィンセルまで反応してしまい、慌てて姿勢を正すもセシルはおかしそうに声を上げて笑った。
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