愛だ恋だと変化を望まない公爵令嬢がその手を取るまで

永江寧々

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番外編

その手を離すとき

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 この日は珍しくアリスの家に訪問者がやってきた。

「ナディア様、アリシア様、お元気そうでなによりです」

 久しぶりに見る双子の姉妹は美しさに更に磨きがかかったように見えた。
 目の前でお茶を飲む仕草一つだけでも洗練されていて、二人は努力を欠かしていないのだと感心してしまう。

「遠かったでしょう」
「ええ、それはもう身体が石造のように固まりそうでしたわ」
「でも久しぶりの遠出ですもの、長い旅路も良い息抜きになりましたわ。こうして無事に目的地まで辿り着いて目的の人物にお会いできたことですしね」
「私もとても嬉しいです」

 三人で集まるのはいつぶりだろうかと思い出すとアリスの結婚式の日以来会えていなかった。

「結婚生活はどう?」
「楽しいです。セシルも積極的に領地を訪れているようですし、仕事も苦ではないそうです」
「あなたはどうですの?」
「私はお料理するのが楽しくて、最近は近所の方と庭で持ち寄りのティーパーティーを開くこともあるんです」

 二人は意外そうな顔をしながらも笑みを浮かべて何度か頷いている。

「あのアリスがねぇ」
「引っ込み思案で俯いてばかりだったアリスがねぇ」

 人差し指を合わせながら視線を逸らすアリスに二人が笑い、それにつられてアリスも笑う。
 学校に入った頃はティーナと一緒だったことで寂しさはなかったが、縁を切ると決めてから不安ばかりだった。それを拭ってくれたのがナディアとアリシアだったため、アリスは二人には感謝してもしきれないほどの恩を感じている。
 二人が結婚したら何か素敵な物に感謝を込めて贈りたいと考えているのだが、まだそれができていない。

「お二人は……その……結婚は、どうするおつもりなのですか?」
「言葉を選んでいるように見せかけて直球ですわね」
「どストレートですわ」

 二人で顔を見合わせて険しい顔を見せる様子に苦笑しながらもアリスはずっと気になっていたことであるため話題を変えようとはしなかった。
 ナディアはエックハルトとの婚約を解消したと聞いたが、アリシアのほうは合わせて解消することはしなかった。双子だから双子と結婚するという価値観で婚約したわけではなく、アリシアはアリシアでディートハルトを愛しているらしく婚約解消はないと。だが、結婚式の招待状は届いておらず、事後報告もないためどうなっているのかがわからなかった。かといって手紙で聞くには不躾であるような気がして、ずっとモヤモヤしていたのだ。

「さっさと結婚しろと言っているのにアリシアったらわたくしに気を使って結婚式を挙げようとしませんの。わたくしはエックハルトを捨ててやったほうですのに気を遣われる理由がありませんのに、腹立たしいと思いませんこと?」

 婚約して長い二人はいつ結婚してもおかしくはなく、逆に結婚しないほうがおかしいと思われるだろうに二人はまだ婚約状態で夫婦の誓いも交わしてはいない。その理由が自分に気を遣っているということに腹を立てているナディアが疎ましげにアリシアを見るとアリシアはナディアを見てから苦笑を漏らす。

「……だって、わたくしが結婚したらナディアは嫌でもエックハルトの顔を見ることになるでしょう? あの二人は一緒に商売をしているわけで、嫌でも顔を合わせる機会が増えますのよ」
「結婚すれば私もあなたも別々に暮らしますのよ。わたくしは実家、あなたはディートハルトのお屋敷。わたくしがあなたの家に行ったからといって必ずエックハルトに会うとは限らないでしょう」
「でも会わないとも限らないじゃない」

 珍しく声が弱いアリシアにナディアが呆れたように大きなため息を強く吐いてアリシアの肩を叩いた。その強さに反射的に肩を押さえて困惑の表情を向けるアリシアの目にナディアの勝ち気な笑みが映った。

「ねえ、捨てた男と会ってもわたくしはどうもしませんわよ? 両家の食事会でもわたくしは笑顔で会話して見せますわ。わたくしを陥れようとした男に私が気まずい思いをするとでも? 気まずい思いをするのは向こう。公の場でこのナディア・アボットに恥をかかせたんですものね、たかだか豪商の息子の分際で。ま、土下座する男の後頭部を見れたことだけが彼との良い思い出ですわね」
「土下座、したんですか?」
「ええ、もちろん。父親と揃って豪快な土下座で詫びてましたわね」

 驚きにアリシアを見ると事実だと頷いている。捨ててやると言ってからのナディアは強かった。今の表情からも未練は感じられず、アリシアを見てもナディアが強がって言っているのではないことが呆れた表情から伝わってくる。

「ディートハルトさんは結婚式を挙げないことに関して何か言っているのですか?」
「いいえ、何も。わたくしの心の準備ができるまで待つと言ってくれていますの」
「どうしてアリシアがそんなに気にしているのかが、わたくしにはさっぱりわかりませんわ。確かにエックハルトは背が高くて顔もイケていたけれど、世の中にはエックハルトよりも素敵な男性は星の数ほどいますのよ? わたくしの魅力にかかればそんなのは蝶を捕まえるより簡単なことなのにアリシアはそれを理解しようとしませんの」
「だって……」

 ナディアの魅力は一緒に過ごしてきたアリシアが一番わかっているだろう。アリスでさえナディアの言うことは尤もだと思うのにアリシアの表情は浮かないまま。

「あなた、エックハルトのこと愛していたじゃない」

 アリシアだけが知っている事実があったからこそアリシアはナディアが自ら婚約を解消したあとでもずっと気にし続けていた。
 だが、それに対してのナディアの反応はため息をつくこともなく、もはや無の表情でアリシアを見るだけ。怒りを通り越して無になっているのをチラチラと何度か視線をやるだけで直視しようとしないアリシアの頬を片手で挟んで強制的に自分のほうを向かせると怒った顔を見せた。

「あなたの言うとおり、わたくしは彼を愛していましたわ。セシル様と天秤にかけるぐらいにはね。でも、それはあのくだらない事件が起こる前までの話ですわ。わたくしのようなイイ女が嫉妬でわたくしを陥れようとした男にいつまでも愛情を持っていると本気で思ってますの? もし本気でそう思っているのだとしたら許しませんわよ」

 侯爵令嬢として生きていれば誰かに叩かれることはもちろんのこと、片手で顔を掴まれることなど経験することはない。ナディアはどちらかというと賢くはなく感情的になりやすいほうだが、乱暴なことはあまりしない。それが今、アリシアの顔を掴んで言い聞かせる様は本気で怒っているようでアリスも焦ってしまう。

「ナ、ナディア様どうか落ち着いてください」

 とりあえず手を離させようと手を伸ばしたアリスだが、「わたくしは!」とナディアが声を荒げたことで驚きに手が引っ込んでしまう。

「エックハルトがわたくしにしたことよりも、あなたがわたくしに余計な気を遣って結婚しないことに毎日毎日腹が立っていますの!」
「え……」
「なんでもない顔でおはようと言って朝を迎え、おやすみと言ってまた同じ明日を繰り返そうとしているあなたを見ていると腹が立つ! だってあなたは幸せになるべきだもの! あなたはあなたを愛してくれているディートハルトを幸せにしなければならないんだもの! それなのにあなたはくだらない理由でディートハルトを待たせ続けて、結婚を先延ばしにしてる! あなたは思いやりのある妹なんかじゃなくて、ただの大馬鹿者よ!」

 声を張って怒るナディアの目から涙がこぼれ落ちる。
 結婚は一人ではできない。相手がいるから結婚ができるのだ。貴族の結婚に愛はないと言われているが、アリシアとディートハルトはちゃんと愛し合って結婚する。それなのに結婚を先延ばしにし続けるアリシアにナディアはずっと怒りたかった。でも怒れなかったのはアリシアが結婚すれば自分は一人ぼっちになってしまうという寂しさからずっと甘え続けていたせい。

「あなたがいなくなることは寂しい! 生まれる前からずっと一緒だったんだもの! 生まれてからも一緒で、あなたがいない一日を過ごしたことなんてないのに、あなたが結婚してしまえばいなくなってしまう! そんなの想像するだけで耐えられない!」
「ナディア……」
「でもそんなの当たり前なの! いつか必ずやってくることよ! だから結婚しなさい! あなたが考えるのは姉のことじゃなくて未来の夫のこと! 帰ったらすぐに結婚するって彼に伝えなさい!」

 喋れば喋るほど涙が溢れて止まらない。自我が芽生える前からずっと一緒だった魂の片割れの存在がいなくなってしまうことが怖くないわけがない。耐えられるかさえわからない。それでもアリシアがディートハルトを待たせることでアリシアが悪く言われることはもっと耐えられないことだから、ナディアはアリシアに怒っていた。
 ナディアの想いを受けたアリシアの目からも涙が滲み出てはあっという間にいっぱいになり、頬を伝い落ちる。

「エックハルトにあんなことをさせてしまったのはわたくしの落ち度ですのよ。セシル様が誰を好きなのかなんてわかっていたのに、醜く嫉妬をして、婚約者を蔑ろにした罰でもありましたの。そんなアバズレのような女を良しと受け入れる男性がいるはずないでしょう? 婚約解消をわたくしにさせてくれただけでも感謝していますのよ、実は」
「……本当?」

 初めて聞くナディアの本音にアリシアの声はどこか縋り付くような声に聞こえた。

「だからエックハルトと顔を合わせることも話すことも苦痛ではありませんの。あなたが思っているよりエックハルトとは良い関係を築けているんだから」
「……もっと……もっと早く言ってよぉ……」
 
 離れたくなかったなんて言えば怒られるだろう。幼稚で身勝手な思いで妹を縛り付けていた愚かな姉をそれでも妹は嫌いにはなれない。離れることが怖かったのは妹も同じなのだから。何も変わらない人生こそ安心がある。だが、いつか必ず変化は訪れる。だからそれを受け入れる覚悟を持つ勇気が必要で、その勇気はどちらか一方ではなくどちらも、持たなければならないもの。姉が振り絞った勇気を妹が受け取り、妹はその勇気を抱えて姉から手を離す。

「アリス、結婚式、来てくださる?」 
「もちろんです。どこが会場でも必ず飛んでいきます」

 アリシアは決めたのだとアリスは嬉しくなり、もらい泣きしてしまいそうになった。

「ただいまー……っと……えっと……?」

 帰ってきたセシルが現状を見て混乱する頭を必死に働かせて整理しようとする。楽しいはずのお茶会になぜ涙が発生しているのかわからないのだ。

「誰か亡くなった、とか?」
「アリシア様が結婚なさると言うので嬉し泣きです」
「ああ、ようやく」
「お待たせしました。結婚式の招待状を送るので二人で来てくださいね」
「必ず行くよ」

 随分と長くかかったなと心の中で思いながらも共依存していた二人がついに別々の道を歩むと決めたことにセシルも少し安堵していた。依存し合う関係は姉妹であろうと健全とは言えない。結婚が絶対とされる令嬢は特に。
 学生時代から知っているだけにセシルもアリスから話を聞いて少し気にはなっていた。これでアリスが思い出してはモヤモヤすることがなくなると思うとそれが一番嬉しかった。

「じゃあこれは君に」

 手に持っていた小さな花束が差し出されたアリシアはそれをなぜセシルが持っていたのかわかるだけに手を伸ばすべきか迷っていた。

「アリスのために買ってきた物でしょう?」
「いいんです、どうか受け取ってください。もう花瓶がなくて困っていたんです」
「あれ? もうないの? 前に花瓶結構買ったよね?」
「全部使ってるの」
「あちゃま」

 家のあちこちに花瓶が置いてあり、そこには立派な花束もあれば小さい花束も飾られている。いつも仕事帰りに『綺麗だったから』と買って帰ってくるせいで家の中は花と花の匂いでいっぱい。

「あ、でも、他の男から花束もらったって言うと婚約者が嫉妬する?」

 セシルの気遣いにアリシアが小さく笑って首を振る。

「アリスとセシル様からのお祝いだと言いますわ」
「お祝いはまた別に贈るよ」
「楽しみにしていますわ」

 涙を拭いて穏やかな笑顔を見せるアリシアとナディアにセシルも笑顔を向けた。

 それから半年後、アリシアから結婚式の招待状が届いた。
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