痛みを感じない国王陛下の大いなる愛の執着

永江寧々

文字の大きさ
21 / 51

デザイナー殺し

しおりを挟む
 デザイナーは血相を変えて飛んできた。三十分もかからなかったのではないだろうか。
 王妃のドレスを任される名誉よりもヴァレンに呼び出されたことによる不安と恐怖が勝っているようにも見えた。いや、そうとしか見えなかった。
 庭を担当したデザイナーから聞いていたのかもしれない。そうでなければこれほど怯える理由はないだろう。

「陛下、とりあえず一気に詰めるのはやめておきましょう。まずはドレスの形から決めましょうか。それで、次のときにデザインなどをこちらで考えておくというのはいかがでしょうか?」
「心配するな。僕の頭の中には既に形とデザインが出来ている」

 その直後、執事がテーブルの上に三枚の紙を置いた。

「…………」

 執事が紙を持って動いた時点でエリンシアは嫌な予感がしていた。しかし、まさかと思っていた。
 彼はとても忙しい人だからそんなことにまで手が回るはずがない。
 夜は一緒に寝ていたし、食事も三食欠かさず一緒に食べた。

「まさか……」
「どうした?」
「公務の時間に……?」
「ああ。一日の仕事を早めに終わらせてな」

 サボったのかと疑っていたエリンシアは心の中で瞬時に謝罪するが、それにしても、と紙に視線を戻す。

「一体どれぐらい時間をかけて描いたのですか?」
「描き始めたのは随分と前だ。戴冠式の翌日からな」
「そんなに前から!?」
「全部で百八十三枚描いたが、結局はこの三枚に絞った」

 彼は本当に同じ人間なのだろうかと疑いたくなる。
 人の心は読むし、デザイナーのように繊細な絵を描き、そこにびっしりと書き込まれている指示。
 捨てた百八十枚もこのクオリティで描いたのだとすれば、彼に相応しいのは王ではなくデザイナーではないかと思ってしまうほどの出来だ。

「僕は王だ。デザイナーには向いていない」

 こういうところがまた、自分と同じ人間ではないのではないかと思わせるのだ。

「私はそんなにわかりやすいですか?」
「僕がお前が何を考えているかわからないと思うか?」

 何度かあったと言うのは黙っておくことにした。

「お前が着るドレスだ。お前が選ぶといい」

 もはやこれは既製品から選ぶのと同じ感覚だとエリンシアは思った。
 しかし、街で売られている既製品よりも遥かに美しく素晴らしい物であるのは確か。
 三枚を見比べながら一つ一つを見ていく。
 ドレスの形状は主に六種類あるのだが、ヴァレンが選んだのは、Aライン、マーメイド、ボールガウンの三種類。
 どれもエリンシアの好きな形だ。

「お前のことを何もわかっていない愚か者が選んでいたエンパイアは僕の中で候補にも上がらなかった」

 どこまでも知っている彼に若干恐怖を感じながらも苦笑の頷きだけ返した。

「陛下が一枚を選ぶならどれですか?」
「ボールガウン一択だ」

 聞くべきではなかったのかもしれないと自分のミスを悔やんだ。
 そう言われると目は自然とボールガウンのドレスデザインに向く。

「キレイ……」

 紙の上に広がっていたのは、まるで建築図面のように精密なデザイン画だった。
 上半身を覆う超極細レースは、一本一本の線が引かれ、その透け感まで計算されている。
 スカート部分は何本もの曲線が重なり合い、まるで花びらが幾重にも重なるように描かれていた。
 余白には拡大図、注釈、矢印、数字──ヴァレンの執念が紙面から溢れていた。

「これはまるで建築図のようですね」

 庭をデザインしたときに見たのと同じだと小さく笑うエリンシアにヴァレンが頷く。

「ドレスは建築物と同じだ。完璧な計算が必要だからな。何かを作るというのは全て計算のもと行われている」
「計算も全て陛下が……?」
「当然だ。お前が着る物を他人に任せられるものか」

 エリンシアの名前すら自分だけの物にしてしまいたい欲望を抱えるヴァレンにとって、他者に任せるという選択肢などあろうはずもなく。
 エリンシアは三枚をじっくり見比べることなく、ボールガウンのデザインを手に取った。

「これにします」
「僕が言ったからといって、それにする必要はないのだぞ」
「私は幼い頃から、結婚式は絶対にAラインを着ると決めていたんです」

 だが、アルトゥールはAラインは子供っぽいからエンパイアがいいと譲らなかった。
 ドレスはドレスだと思っていたが、こうしてデザインを見るだけで心が弾む。

「Aラインを着ればいい」

 柔らかな笑顔を見せるエリンシアだが、ヴァレンの言葉にかぶりを振る。

「私の中には一年前までボールガウンという選択肢がなかったんです」
「エンパイアを勧めるセンスもない男だからな、奴は」

 エンパイアはスレンダーの次に安い。生地の量の問題ではあるが、ヴァレンが言っているのは花嫁が選んだわけではないということ。
 エリンシアが選んだのであればヴァレンも候補に入れたが、選んだのがアルトゥールであることを知っていたからこそ絶対に入れなかった。

「お前が着たいものを着ればいい」
「これにします」

 ボールガウンは王族の結婚式では珍しくない形。それは、王族としての見栄でもあり、意地でもあった。
 遠慮を見せた瞬間にどうせこれに決まってしまうのだから、エリンシアはこれだけは甘えることにした。
 きっと、生涯で最も高額な甘えだろうと苦笑が滲むが、彼が自分を想ってこれほど細かく想像してくれたことが何よりも嬉しい。これを着たいと思った。これがいいのだと、心から。
 ヴァレンはデザイナーにデザイン画を渡した。その直後、デザイナーはそれを見つめながら一瞬、ほんの一瞬だったが、白目を剥いた。

「僕の計算では、生地は最低でも二十メートルは必要だ。だから三十メートルは用意しろ」

 緻密な計算が書き込まれているデザイン画とヴァレンを交互に見るデザイナーが口を開く前にヴァレンが言った。

「余っても構わん。足りないほうが問題だ」

 生地の量はAラインの二倍から四倍。スカートのボリュームが桁違いなのだ。わかってはいたが、それだけでもエリンシアは驚愕してしまう。

「スカートは七層だ。最上層はオーガンジー、その下はチュール三層でサテンとシルク。裾は床から九十センチ引きずる長さに」

 丁寧な文字で書いてあるため読み間違えることはないだろうが、デザイナーは必死に自分の手帳に書き込んでいく。

「お、お言葉ですが、陛下……通常のボールガウンなら十二メートルもあれば充分かと……」

 伺うように発言した直後、デザイナーが「ヒッ!」と短く悲鳴を上げた。
 表情は変わらない。まだ言葉を発してもいない。だが、エリンシアにもわかった。
 彼は怒っていると。

「通常の……?」
「ヒィッ!」
「充分……?」

 先程よりゆっくりと喋るヴァレンの冷たい声が槍となってデザイナーに突き刺さる。
 雪原に裸で放り出されたかのようにガタガタと震えながら拭っても拭っても出る汗をかくデザイナーはヴァレンとこれ以上目が合わないように抉り出したいと思っていた。そのほうがずっと楽だと。

「これは誰のドレスだと思っているのだ?」
「お、王妃陛下でございます!」
「僕の妻だ。僕の妻が着るドレスを“通常”のドレスと一緒にするつもりだったのか?」
「め、めめめめめめめめ滅相もございません! 申し訳ございません!! 申し訳ございません!!」

 床に倒れるように勢いよく伏せて身体を丸める見事な土下座。
 エリンシアはいたたまれなくなった。

「そんなに使って……上手く歩けるでしょうか?」
「重ければ僕が持つ」

 思わず耳を疑った。思わず執事を見た。執事も思わずエリンシアを見ていた。
 王が、新郎が、花嫁の裾を持って歩くなど誰が想像できるだろうか。

「気合いで歩きます」
「僕は気にしない」
「待っていてほしいのです。後ろではなく、前で」

 その言葉に即答するように頷いたヴァレンに執事も一緒に安堵する。

「ドレスは持ってきたか?」
「も、もちろんでございます!!」
「ドレス?」

 さっきデザイン画を渡したばかりなのに、と首を傾げるエリンシアの前を小走りでドアまで駆け寄ったデザイナーがドアを開けると預かっていた使用人たちが数人がかりで緊張しながらドレスを運んできた。

「陛下、これは……」
「僕がデザインしたドレスだ」

 もう驚かない。
 そう言える日はいつになるのだろう。一年が経とうとしているのにまだ、彼の行動をこれっぽっちも予想できないでいた。
 
「ああ……なんてこと……」

 運ばれてきたドレスを見て、エリンシアは息を呑んだ。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

【完結】この胸に抱えたものは

Mimi
恋愛
『この胸が痛むのは』の登場人物達、それぞれの物語。 時系列は前後します 元話の『この胸が痛むのは』を未読の方には、ネタバレになります。 申し訳ありません🙇‍♀️ どうぞよろしくお願い致します。

【完結】後宮、路傍の石物語

新月蕾
恋愛
凜凜は、幼い頃から仕えていたお嬢様のお付きとして、後宮に上がる。 後宮では皇帝の動きがなく、お嬢様・央雪英は次第に心を病み、人にキツく当たるようになる。 そんなある日、凜凜は偶然皇帝と出逢う。 思いがけない寵愛を受けることになった凜凜に、悲しい運命が待ち受ける。

[完結]離婚したいって泣くくらいなら、結婚する前に言ってくれ!

h.h
恋愛
「離婚させてくれぇ」「泣くな!」結婚してすぐにビルドは「離婚して」とフィーナに泣きついてきた。2人が生まれる前の母親同士の約束により結婚したけれど、好きな人ができたから別れたいって、それなら結婚する前に言え! あまりに情けなく自分勝手なビルドの姿に、とうとう堪忍袋の尾が切れた。「慰謝料を要求します」「それは困る!」「困るじゃねー!」

2度目の結婚は貴方と

朧霧
恋愛
 前世では冷たい夫と結婚してしまい子供を幸せにしたい一心で結婚生活を耐えていた私。気がついたときには異世界で「リオナ」という女性に生まれ変わっていた。6歳で記憶が蘇り悲惨な結婚生活を思い出すと今世では結婚願望すらなくなってしまうが騎士団長のレオナードに出会うことで運命が変わっていく。過去のトラウマを乗り越えて無事にリオナは前世から数えて2度目の結婚をすることになるのか? 魔法、魔術、妖精など全くありません。基本的に日常感溢れるほのぼの系作品になります。 重複投稿作品です。(小説家になろう)

【完結】一番腹黒いのはだあれ?

やまぐちこはる
恋愛
■□■ 貧しいコイント子爵家のソンドールは、貴族学院には進学せず、騎士学校に通って若くして正騎士となった有望株である。 三歳でコイント家に養子に来たソンドールの生家はパートルム公爵家。 しかし、関わりを持たずに生きてきたため、自分が公爵家生まれだったことなどすっかり忘れていた。 ある日、実の父がソンドールに会いに来て、自分の出自を改めて知り、勝手なことを言う実父に憤りながらも、生家の騒動に巻き込まれていく。

私のお金が欲しい伯爵様は離婚してくれません

みみぢあん
恋愛
祖父の葬儀から帰ったアデルは、それまで優しかった夫のピエールに、愛人と暮らすから伯爵夫人の部屋を出ろと命令される。 急に変わった夫の裏切りに激怒したアデルは『離婚してあげる』と夫に言うが… 夫は裕福な祖父の遺産相続人となったアデルとは離婚しないと言いはなつ。 実家へ連れ帰ろうと護衛騎士のクロヴィスがアデルをむかえに来るが… 帰る途中で襲撃され、2人は命の危険にさらされる。

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

処理中です...