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星空
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「あ、風鈴飾ったのか」
「冬ですが、魔除けの意味もありますので飾っておこうかなって」
「いい音だな」
「叔父様の風鈴ですから」
ドアを開けると久しぶりに聞く音にドアに風鈴が飾られているのを見て目を細めた。
一緒に買いに行った風鈴。いつ飾るのだろうと思いながらも急かすのが嫌で黙っていたが、ようやく飾られた。思い出が一つ、目に見える形となったのがまた嬉しい。
「椿、今日の星空見たか?」
「いえ」
「月もめちゃくちゃ綺麗だぞ。見てみろよ」
外に出て見上げた月が綺麗で見せたいと思っていた。子供が親に何か見せたい物があるように手を引っ張る柊に笑いながらバルコニーへと出る。
ドアを開けるとビュウッと吹き込んでくる風の冷たさに身を縮めるも外に出て空を見上げた。
「もっとこっち来いよ」
「ここで大丈夫です」
入り口で止まる椿にひれ酒のときは出てきたのにと思ったが椅子に座っていた。何度か一緒に外に出ることはあっても椿がガードまでやってきて下の夜景を見たことは一度もない。
いつもの笑顔だが、椿の反応に柊はもしかしてと悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべながらクイクイと手を引いて自分の方に来るように呼んだ。
「こっち来ないと月見えないだろ」
「さ、寒いですし、お部屋からでもお月様は見えますから」
慌てて拒否を見せる椿に確信した柊はもう一度「来い」と呼んだ。
「だ、旦那様がこちらにいらしてください……」
初めて見る弱弱しい姿に思わず口元が緩む。これは良いことを知ったと言わんばかりに表情を緩めて相手の希望どおり傍の隣に戻った。安堵したのも束の間、柊は椿を抱え上げて進んでいく。
「だ、旦那様!?」
「椿と一緒に見たいと思ったんだよ」
「だ、だだだだ旦那様! どうか中に! 中からでも電気を消せばキレイに見えますので中へ!」
「いーや、外で見る方が綺麗に決まってる」
落ちないように首に回される腕の細さ、同じシャンプーであるはずなのに全く別の物を使っているように感じさせる爽やかな匂い、若さ溢れるしっとりとした肌。触り慣れている女の肌であるはずなのにどこか違う感じがする。椿が相手だといつもそうだ。
自覚ある下心を隠しながら降ろさず空を見上げる。
「ほら、どうだ」
「た、大変美しゅうございます!」
「見てないだろ」
ぎゅっとしがみついて柊の首に顔を埋めている椿は空を見ようとしない。見てみろと肩を動かして顔を上げるように促すも首に回した腕の力が強まるだけで顔を上げようとはしない。
「なに? 高いとこダメなの?」
「は、はい……」
「山の中に家があんのに?」
「崖の上に建っているわけではございませんッ」
確かにこれじゃあ崖と同じだと納得する。
高層階のロマンチックな景色も椿はそれに何かを感じることもムードもなく怯えるだけ。だが、それが柊には良かった。夜景がキレイだなんだと騒いでロマンチックな言動を求められるのにはうんざりで、甘えた声で怖いという演技も気色悪いだけ。
苦手な相手に無理強いするのは男として最低だが、柊はこの状況に幸せを感じていた。
「降ろしてやるから星見てみろ」
「うぅ……酷いです」
「君があんなとこでもじもじしてるから面白くて」
「怖いんですッ」
すぐ側のガーデンチェアに下ろすと酷いと言いながら眉を下げて唇をすぼませる姿に顔がニヤつく。それでも椿はすぐに表情を戻して空を見上げた。
「綺麗ですね」
「だな」
特別な言葉はないが、それだけで充分だった。
きっと山の中にある皇家のほうがもっとキレイに見えるだろうと思えど余計なことは言わずに頷くだけ。
ジッと見上げたまま黙り込んでいる椿が何を考えているのか柊には読めないが、見上げて広がる満点の星空よりもその瞳に映る星空を見たいと思ってしまう。
「ほら、やっぱり見上げてる」
「え?」
「ロマンチックだろ?」
柊の声に顔を戻すと目の前に湯呑みが差し出される。手にはカップがもう一つ。いつの間に中に入って珈琲を入れてきたか、気付かなかった。
「すぐに冷めてしまいますよ」
「冷める前に君の身体を温めるぐらいはできるだろ」
「ありがとうございます。……本当に……ありがとうございます」
色々なことを教えてくれて。こんな小さなことが幸せだと気付かせてくれて。
そんなことを口にすれば妙な勘繰りをするだろう柊に言うことはできず深く頭を下げるだけにする。
「大袈裟だな。椿がしてくれることに比べたら礼言われるのもおかしいことだろ。俺のは丁寧に淹れたもんじゃなくてボタン一つで淹れらる物。子供だってできる」
そう言って笑う彼の笑顔を焼き付けるように見つめる。何故だか涙が出そうになった。
「で、星空を見上げてどんな恋に焦がれてたんだ?」
焦がれていないとかぶりを振るも椿の顔は空へと向けられる。
「……小さな小さな幸せを宝物にして生きていく少女の話を思い出していました」
「どんな話?」
「とても哀れな少女のお話です」
「でも最後はハッピーエンドなんだろ?」
椿の表情が苦笑へと変わる。
「……どう、でしょう」
「結末知らないのか?」
「まだ、最後まで読んでいなくて」
「そうか。でも俺はハッピーエンドだと思うな」
「何故そう思われるのですか?」
椿の顔が柊へ向くことはない。空を覆い尽くすほどの星を見上げたまま静かに問いかける。
「哀れな少女が幸せに向かうと?」
「宝物にするほどの幸せを見つけたんだろ? ならハッピーエンドに向かうんじゃないかなって」
「その幸せが一時的なものであっても?」
ようやく顔が降りた椿と視線を絡ませる。何かを訴えているような目に柊は穏やかな笑顔を向ける。手を伸ばして冷えた頬に触れながら頷いた。
「思い出は消えないからな。その宝物は誰にも奪えないし壊せない。何があろうと少女の物だ」
でも思い出は形に残らない。残るのは思い出という記憶に縋る惨めな感情だけ。それでも宝物だと呼べるのだろうか。
「それに」
「それに?」
珈琲が入ったカップを置いて椿が手に持ったままの湯呑みを指で軽く突いて先に飲むよう促す。
湯気が立つほど熱かったお茶は飲みやすい温度まで下がっていたが冷えた身体を温めるには充分な温度。ハーッと息を吐き出すと白い息が紫煙のように流れていく。
飲んだのを確認した柊が話を再開させる。
「小さな小さな幸せに気付ける奴って少ないと思うんだ。それに気付いてそれを宝物にするいじらしい少女が幸せになれないなんてそんな残酷な物語は誰も読みたくないだろ」
驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。
「旦那様の希望じゃありませんか」
「俺はこう見えてロマンチックな男だからハッピーエンド推奨派なんだよ。物語の途中がどれほど悲惨な物でも最後はハッピーエンドで終わってほしい。物語ってのはそうじゃなきゃ」
鬱的ラストやバッドエンドで終わる物語も少なくない。ハッキリとしない終わり方にモヤつくこともある。読み終えたときに感情が落ちてしまうより祝福できる終わり方が良いのは椿も同意できるが、言葉では同意しなかった。
少女のラストがハッピーエンドではないことを知っているし、ハッピーエンドの物語は嫌いだった。
「旦那様の物語は幸せな結末で終わりそうですね」
「椿のだってそうだろ」
笑顔を見せることしかできなかった。
人生を物語とすれば柊の人生はきっと中身の詰まった分厚い小説。読んでいる人が結末までドキドキハラハラしっぱなしの名作。
自分の物語は中身のないペラペラで冊子のように薄い小説。読んで数ページでつまらないと投げ捨てられるような退屈で読む価値のない駄作。
彼の物語の一部になりたい。そんな欲をかいてしまいそうだった。
「年末には花火が打ち上がる。それがバルコニーからよく見えるからここで一緒に見よう」
椿が見せたのは苦笑か困惑か、どちらにせよ満面の笑みではなかった。椿の中にもあるのだ。柊と同じ「いつまでこうしていられるかわからない」気持ちが。いつか必ずやってくる“終わり”が二人の間に共通の意識として存在する。
先の約束などするべきではない。頭ではそうわかっていても、終わりたくないから願掛けのように約束をしようとする柊に椿は暫く彼の目を見つめたまま「約束ですよ」と小指を差し出した。白く細い小指を掴むように小指を絡めて約束を交わした。
「冬ですが、魔除けの意味もありますので飾っておこうかなって」
「いい音だな」
「叔父様の風鈴ですから」
ドアを開けると久しぶりに聞く音にドアに風鈴が飾られているのを見て目を細めた。
一緒に買いに行った風鈴。いつ飾るのだろうと思いながらも急かすのが嫌で黙っていたが、ようやく飾られた。思い出が一つ、目に見える形となったのがまた嬉しい。
「椿、今日の星空見たか?」
「いえ」
「月もめちゃくちゃ綺麗だぞ。見てみろよ」
外に出て見上げた月が綺麗で見せたいと思っていた。子供が親に何か見せたい物があるように手を引っ張る柊に笑いながらバルコニーへと出る。
ドアを開けるとビュウッと吹き込んでくる風の冷たさに身を縮めるも外に出て空を見上げた。
「もっとこっち来いよ」
「ここで大丈夫です」
入り口で止まる椿にひれ酒のときは出てきたのにと思ったが椅子に座っていた。何度か一緒に外に出ることはあっても椿がガードまでやってきて下の夜景を見たことは一度もない。
いつもの笑顔だが、椿の反応に柊はもしかしてと悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべながらクイクイと手を引いて自分の方に来るように呼んだ。
「こっち来ないと月見えないだろ」
「さ、寒いですし、お部屋からでもお月様は見えますから」
慌てて拒否を見せる椿に確信した柊はもう一度「来い」と呼んだ。
「だ、旦那様がこちらにいらしてください……」
初めて見る弱弱しい姿に思わず口元が緩む。これは良いことを知ったと言わんばかりに表情を緩めて相手の希望どおり傍の隣に戻った。安堵したのも束の間、柊は椿を抱え上げて進んでいく。
「だ、旦那様!?」
「椿と一緒に見たいと思ったんだよ」
「だ、だだだだ旦那様! どうか中に! 中からでも電気を消せばキレイに見えますので中へ!」
「いーや、外で見る方が綺麗に決まってる」
落ちないように首に回される腕の細さ、同じシャンプーであるはずなのに全く別の物を使っているように感じさせる爽やかな匂い、若さ溢れるしっとりとした肌。触り慣れている女の肌であるはずなのにどこか違う感じがする。椿が相手だといつもそうだ。
自覚ある下心を隠しながら降ろさず空を見上げる。
「ほら、どうだ」
「た、大変美しゅうございます!」
「見てないだろ」
ぎゅっとしがみついて柊の首に顔を埋めている椿は空を見ようとしない。見てみろと肩を動かして顔を上げるように促すも首に回した腕の力が強まるだけで顔を上げようとはしない。
「なに? 高いとこダメなの?」
「は、はい……」
「山の中に家があんのに?」
「崖の上に建っているわけではございませんッ」
確かにこれじゃあ崖と同じだと納得する。
高層階のロマンチックな景色も椿はそれに何かを感じることもムードもなく怯えるだけ。だが、それが柊には良かった。夜景がキレイだなんだと騒いでロマンチックな言動を求められるのにはうんざりで、甘えた声で怖いという演技も気色悪いだけ。
苦手な相手に無理強いするのは男として最低だが、柊はこの状況に幸せを感じていた。
「降ろしてやるから星見てみろ」
「うぅ……酷いです」
「君があんなとこでもじもじしてるから面白くて」
「怖いんですッ」
すぐ側のガーデンチェアに下ろすと酷いと言いながら眉を下げて唇をすぼませる姿に顔がニヤつく。それでも椿はすぐに表情を戻して空を見上げた。
「綺麗ですね」
「だな」
特別な言葉はないが、それだけで充分だった。
きっと山の中にある皇家のほうがもっとキレイに見えるだろうと思えど余計なことは言わずに頷くだけ。
ジッと見上げたまま黙り込んでいる椿が何を考えているのか柊には読めないが、見上げて広がる満点の星空よりもその瞳に映る星空を見たいと思ってしまう。
「ほら、やっぱり見上げてる」
「え?」
「ロマンチックだろ?」
柊の声に顔を戻すと目の前に湯呑みが差し出される。手にはカップがもう一つ。いつの間に中に入って珈琲を入れてきたか、気付かなかった。
「すぐに冷めてしまいますよ」
「冷める前に君の身体を温めるぐらいはできるだろ」
「ありがとうございます。……本当に……ありがとうございます」
色々なことを教えてくれて。こんな小さなことが幸せだと気付かせてくれて。
そんなことを口にすれば妙な勘繰りをするだろう柊に言うことはできず深く頭を下げるだけにする。
「大袈裟だな。椿がしてくれることに比べたら礼言われるのもおかしいことだろ。俺のは丁寧に淹れたもんじゃなくてボタン一つで淹れらる物。子供だってできる」
そう言って笑う彼の笑顔を焼き付けるように見つめる。何故だか涙が出そうになった。
「で、星空を見上げてどんな恋に焦がれてたんだ?」
焦がれていないとかぶりを振るも椿の顔は空へと向けられる。
「……小さな小さな幸せを宝物にして生きていく少女の話を思い出していました」
「どんな話?」
「とても哀れな少女のお話です」
「でも最後はハッピーエンドなんだろ?」
椿の表情が苦笑へと変わる。
「……どう、でしょう」
「結末知らないのか?」
「まだ、最後まで読んでいなくて」
「そうか。でも俺はハッピーエンドだと思うな」
「何故そう思われるのですか?」
椿の顔が柊へ向くことはない。空を覆い尽くすほどの星を見上げたまま静かに問いかける。
「哀れな少女が幸せに向かうと?」
「宝物にするほどの幸せを見つけたんだろ? ならハッピーエンドに向かうんじゃないかなって」
「その幸せが一時的なものであっても?」
ようやく顔が降りた椿と視線を絡ませる。何かを訴えているような目に柊は穏やかな笑顔を向ける。手を伸ばして冷えた頬に触れながら頷いた。
「思い出は消えないからな。その宝物は誰にも奪えないし壊せない。何があろうと少女の物だ」
でも思い出は形に残らない。残るのは思い出という記憶に縋る惨めな感情だけ。それでも宝物だと呼べるのだろうか。
「それに」
「それに?」
珈琲が入ったカップを置いて椿が手に持ったままの湯呑みを指で軽く突いて先に飲むよう促す。
湯気が立つほど熱かったお茶は飲みやすい温度まで下がっていたが冷えた身体を温めるには充分な温度。ハーッと息を吐き出すと白い息が紫煙のように流れていく。
飲んだのを確認した柊が話を再開させる。
「小さな小さな幸せに気付ける奴って少ないと思うんだ。それに気付いてそれを宝物にするいじらしい少女が幸せになれないなんてそんな残酷な物語は誰も読みたくないだろ」
驚いた顔をしたあと、すぐに笑った。
「旦那様の希望じゃありませんか」
「俺はこう見えてロマンチックな男だからハッピーエンド推奨派なんだよ。物語の途中がどれほど悲惨な物でも最後はハッピーエンドで終わってほしい。物語ってのはそうじゃなきゃ」
鬱的ラストやバッドエンドで終わる物語も少なくない。ハッキリとしない終わり方にモヤつくこともある。読み終えたときに感情が落ちてしまうより祝福できる終わり方が良いのは椿も同意できるが、言葉では同意しなかった。
少女のラストがハッピーエンドではないことを知っているし、ハッピーエンドの物語は嫌いだった。
「旦那様の物語は幸せな結末で終わりそうですね」
「椿のだってそうだろ」
笑顔を見せることしかできなかった。
人生を物語とすれば柊の人生はきっと中身の詰まった分厚い小説。読んでいる人が結末までドキドキハラハラしっぱなしの名作。
自分の物語は中身のないペラペラで冊子のように薄い小説。読んで数ページでつまらないと投げ捨てられるような退屈で読む価値のない駄作。
彼の物語の一部になりたい。そんな欲をかいてしまいそうだった。
「年末には花火が打ち上がる。それがバルコニーからよく見えるからここで一緒に見よう」
椿が見せたのは苦笑か困惑か、どちらにせよ満面の笑みではなかった。椿の中にもあるのだ。柊と同じ「いつまでこうしていられるかわからない」気持ちが。いつか必ずやってくる“終わり”が二人の間に共通の意識として存在する。
先の約束などするべきではない。頭ではそうわかっていても、終わりたくないから願掛けのように約束をしようとする柊に椿は暫く彼の目を見つめたまま「約束ですよ」と小指を差し出した。白く細い小指を掴むように小指を絡めて約束を交わした。
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