陰キャに恋は早すぎる

ツワブキ

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似つかわしくないもの

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 ザーーっというシャワーの音が狭い浴室に反響する。



 歩が髪を洗おうとシャンプーに伸ばした手は、宙に浮いたままだ。濡れた髪からぼたぼたと水が垂れる。

(フローラルシフォン…)

歩は出しっぱなしだったシャワーを止めると、ボディーソープやら他のボトルが並ぶプラスチックケースから、そのシャンプーを手に取った。貝殻のような光沢のある薄ピンクの容器のそれに、歩は見覚えがあった。そのシャンプー、『フローラルシフォン』は若い女の子たちからの絶大な支持を得ているヘアメイクアーティストが手掛けるコスメブランドのヘアケアラインのものだった。ボトルはどっしりと重く、開封して間もないことがわかる。

「なんでこんなのがここに…」

 間違いなく、普段素っ気ない最安値シャンプー一択の滉が選ぶものではい。考えたくない可能性が、歩の頭の中に浮かぶ。



「いや、しのに限ってまさかな」

 浴室から出て髪をドライヤーで乾かしながら、歩は鏡の中の自分に言い聞かせるように呟いた。

 左手で髪を梳きながら、右手に持ったドライヤーで髪を乾かす。歩の薄い茶髪が温風を受けて舞い上がる。鏡の中の自分は風呂上がりだと言うのにひどく顔色が悪い。

 普通なら家に泊まりに来るような恋人でもできたと考えるだろう。

 しかし、滉に女の影などまるでないし、滉の口からその手の話題が出ることもない。女に興味がないわけではないことは知っているが、恋人はおろか女友達だっていたことがない滉だ。シャンプーを持ち込むような女が身近にいるなんて考えられない。

 だが、それ以上に滉があのシャンプーを自分で選んで自分用に買うことが何よりもあり得ない。

(やっぱ彼女でもできた…?)

 もし、普通の幼馴染だったらなんてことなく本人に聞くことができるのだろう。

 もし、自分が女だったら…

 歩は鏡の中の男をじっと見つめる。アーモンド型の大きな目、小ぶりで細い鼻、何も塗らなくてもピンク色に色付いた薄い唇。子どものから今まで、歩は散々容姿に関して褒められて来たし、ちやほやされてきたし、自分が人に好まれ易い見た目をしているのは知っている。

 しかし、どんなに他人から好意を寄せられようと、男である時点で唯一好きになった人には見向きもされない。

 歩はドライヤーのスイッチをオフにすると、コンセントからドライヤーのプラグを引き抜く。この家の家主はドライヤーなんて使わない。だから、このドライヤーは歩がこの家に持ち込んで置きっぱなしにしているものだ。歩はコードをドライヤーの本体に適当に巻きつけながら考える。

(このドライヤーも使ったのかな)

 見たこともない女を想像して、歩は唇をかむ。洗面台の下に戻そうとしたドライヤーを持ち直すと、歩はそれを手にしたまま、脱衣所を出る。

 リビングでは滉がソファでソシャゲに興じている。歩はその隣に静かに腰を下ろした。

「おかえりー」

 視線をスマホに落としたまま滉が言う。歩はゴクリと唾を飲み込で声が裏返ったりしないよう慎重に口を開いた。

「あのさ、しの」

「んー?」

 彼女できた?そう尋ねようとして開いた唇を、歩は何も言わずに閉じた。

「?なに?どうした?」

 歩の何かを言い淀む様子に滉は手を止めてスマホから顔を上げる。何も知らないその表情に歩は息が詰まった。

「なんでもないよ」

 歩は無理矢理、へらっと笑って話を打ち切る。滉は歩の態度にどこか引っかかりながらも、「そう」とだけ言うと、ソシャゲに意識を戻した。

 歩は再びソシャゲに夢中になる滉の横顔を、表情のない顔で見つめていた。





 翌日。歩は放心状態で一人電車に揺られていた。背中に背負ったリュックは、回収してきたドライヤーの重さが増えただけとは思えないほど重たく感じる。

 窓の外は東の空から徐々に明るくなっていっている。始発の電車内はガランとしていて物寂しい。歩は昨日の晩のことを思い出す。

 昨日の晩、もう寝ようかという頃。

『のん』

 電気を消して、寝床として整えたソファに横になって布団を被って、さあ眠ろうと言う時に、滉は突然歩のそばまで来ると歩の名を呼んだ。見下ろすように立つ滉に、歩が寝た体勢のまま「なに?」と返す。

『来週の土曜日暇?』

『13日?』

『うん』

『暇だよ』

『あー、じゃあさ、買い物付き合ってほしいんだけど』

『買い物…?』

 それを聞いて、歩に俄に緊張が走る。嫌な予感が過る。

『俺、彼女できたんだよね』

 照れくさそうに言った滉のその言葉に、どんな顔でどんな言葉を返したのか、つい数時間前の出来事だと言うのに、歩は何も思い出せない。

『俺、服とかわかんないし、のんに一緒に選んでほしいんだっ!』

 ぱちんと顔の前で手を合わせた滉を、歩はテレビやスマホの画面越しに見る映像を観るような感覚で見ていた。

『あー、ごめん。その日やっぱ予定あったわ。買い物はまた今度ね。もう眠いから寝る。おやすみ。』

 歩は一息にそう言うと、布団を頭から被って滉に背を向けた。



(来週も会いたかったなあ)

 電車の窓に映った自分が恨みがましい目でこちらを睨んでくる。歩はその視線から逃げるように目を閉じた。



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