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元彼の名前は洋
しおりを挟む「あ、おかえり」
歩がアパートの玄関を開けると、丁度同居人が洗面所から出てくるところだった。
「…隆、ただいま」
出迎えがあるなんて思いもしなかったから、歩は少し面食らう。
歩の同居人、山本隆雅は歩の大学の同期で一年の頃からこの部屋で歩とルームシェアをしている。
当時、歩は同棲していた恋人と別れたばかりで、大学からアクセスの悪い実家に戻るか、一人暮らしをするかで悩んでいるところだった。丁度その時、地方にある実家から片道二時間かけて通学していたのが隆雅だった。隆雅もまた、実家から大学へのアクセスの悪さに悩んでいた。「大学の近くで一人暮らししたいなあ」「でも、都内家賃高いんだよなあ」「じゃあルームシェアしね?」「いいなそれ!」…と、そんなこんなでトントン拍子に話がまとまって、ルームシェアをするに至った。
この隆雅という男は気の良いやつで、歩を含め多くの友人に慕われている。その大きな体で人懐っこく笑う姿は、どこか大型犬を彷彿とさせる。
その隆雅は今、Tシャツに下はスラックスを履いている。これから出掛けるか、今帰ってきたばかりのような格好だ。
「バイト帰り?」
「そ。今帰ってきたとこ。夜勤時給良いけど続くときちぃ~な」
隆雅はそう言うと大げさにため息をついて、肩を回して体の凝りをほぐす。
「おつかれー」
そう言えば、来月彼女との記念日に二人で某テーマパークに行くと言っていたっけ。歩はそんなことを考えながら靴を脱ぐ。
「飯食うけど、お前もどうだ?」
「あー、」
そう問われて、歩は自分の腹を擦る。
「食べる」
歩が答えると、隆雅は夜勤明けとは思えない爽やかな笑顔で「適当になんか作ってやる」と言うと、キッチンへ入っていった。
二人で朝食を食べて、歩は夜勤明けで疲れているであろう隆雅を彼の自室に押し込んだ。「片付け、任しちまって悪いな」隆雅は後片付けを請負った歩に申し訳なさそうに言った。
「オレは料理出来ないし、せめてこのくらいはやるよ」
「ありがとう。助かるよ。」
そう言って、隆雅は歩に背を押されるままダイニングを後にした。
さてと、歩は二人分の食器と調理に使った調理器具を泡立てたスポンジで擦って汚れを落としていく。
居酒屋の厨房を担当しているだけあって隆雅の作る飯はうまい。しかもそれだけでなく、こうして後片付けをしてみるとキッチンや調理器具の使い方が丁寧で使用後も汚れが殆どなかったり、汚れが落ちやすいような工夫をしてくれているから感心する。
後片付けを終えて歩も自室へと戻る。2DKのこのアパートで、リビングの南側にある二部屋のうちの右側を歩が、左側を隆雅が私室として使用している。
歩は自室のベッドの上のものを手で薙ぎ払うように床に落とすと、邪魔な物がなくなったベッドに寝転がった。料理だけでなく掃除も苦手な歩の部屋は、基本的に物が散乱し足の踏み場がない。
以前、この部屋の掃除を手伝ってくれた隆雅は「こんだけ汚いのになんで風呂上がりの女子みたいな匂いがするんだ…」と困惑していた。
そんな、もので溢れた散らかった部屋のベッドに仰向けに寝転がった歩は、腕で目元を覆い、大きく息を吐いた。外はもうすっかり明るくて、鳥も蝉もうるさく鳴き、周辺住人達の生活音も聞こえ始めた。世間の人々が起き出して日々の生活を営み始める中、一方の歩は、これから寝ようとしている。歩は布団を抱き寄せて目を瞑る。昨日は殆ど眠れなかったけど、腹も満たされ、今度はちゃんと眠れそうだった。
ふーーっと、深く肺まで吸い込んだ煙を、歩は一気に吐き出した。寝起きの煙草を吸いながら、歩はカーテンの隙間から床に差した夕日をぼんやりと眺めいた。
「…あいつ、彼女できたんかよ。陰キャのくせに…。」
歩はそうぼやいて項垂れる。
ふと、床のスマホを見ると不在着信が入っていた。
「…洋」
電話の相手は一年前に別れた恋人だった。別れてから一年、今日のように度々あちらからメッセージや着信が入ることがあったが、いつも無視していた。でも、今になって急に、久しぶりにその人の声が聞きたくなった。歩はスマホを手に取り電話をかけ直す。
『歩?』
数コールの後スマホ越しに聞こえた声は、酷く懐かしく感じる。
「…自分から電話しといて何驚いてんの?」
ぶっきらぼうにそう言えば、電話口の相手はそれに少しも気分を害した様子もなく、くすりと笑った。
『だって、いつも無視するだろ?折り返してくれるなんて思わなかった』
「無視されんのわかっててよく連絡してくるね」
『歩が俺のことブロックも着信拒否もしないから諦めきれないんだよ』
「…」
『現に今、歩と話せてるし。俺がやってたことは無駄じゃなかったってことだよね』
敢えて可愛くない態度をとっているというのに、相手は全てお見通しなのか随分と機嫌がいい。歩はぐっと言葉を詰まらせると、弱々しい声で言う。
「…今から迎えに来て。位置情報送る。」
『わかった』
理由も何も尋ねない相手の返事を聞いて、歩は電話をきった。そして、言った通りすぐに現在位置情報をメッセージアプリで送った。そこで、「あ、」と気づく。
(今日ド平日じゃん)
夏休みで毎日バイトするか遊ぶかの歩と違い、相手は会社勤めの社会人だ。
まあでも、仕事だろうとなんだろうとあの人は呼べばすぐ来るんだろうけど。
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