陰キャに恋は早すぎる

ツワブキ

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 昼すぎから降り出した雨は次第に雨足を強め、歩がアルバイトを終えるころには土砂降りになっていた。

「お先に失礼します」

「おつかれー」

 アルバイト先の先輩に、雨やばいから持ってきなー、と言われて持たされたビニール傘を手に、歩は勤務先の店舗の入った雑居ビルの階段を下りた。

 外は先輩が言った通り土砂降りで、太陽は西の空にあるはずなのに、厚い雲のせいで薄暗い。

 道理で客入りが悪いわけだと、歩は一人納得する。

 一月の厳しい寒さとこの雨じゃあ、休日にわざわざ外出しようとは思わない。現に、辺りは人通りが疎らだ。

 歩は『星メロ』が入ったトートバッグに目線を落とす。

(…まあ、いつまでも持ってるわけにいかないしな)

 歩は手にしていた傘を開く。ポンっと間抜けな音をたてて開いたその傘は、本来透明であるはずのビニールでできた傘地が汚れで濁っている。

 歩はその傘に穴が空いてないことを確認すると、トートバッグが濡れないように注意しながら、雨の降る外へと踏み出した。





 歩が滉のアパートに着く頃にはすっかり日が暮れていた。

 歩はアパートの前で立ち止まり、滉の部屋を見上げる。

(留守かな?)

 部屋の明かりは灯っていない。もし留守であるならさっさとことを済ませてここから去らねば、帰ってきた滉と鉢合わせかねない。

 歩は意を決してアパートのエントランスのドアを開ける。

 そして入ってすぐ右手のポストボックスの中から、滉の部屋番号「301」を見つけると、そこにビニール袋に包まれた『星メロ』を投函した。

 これで一つ気がかりがなくなった。

 歩がほっと安堵の息をつき踵を返したその時、歩の背後で何か重いものが落ちるような、鈍い音がした。







「39.8℃…、39.8℃!!!?」

 歩はベッドで眠っている滉の脇から抜き取った体温計に表示されている数字を見て、思わず声をあげた。



 先程の、エントランスでのもの音は人の倒れる音だった。そして、その倒れた人物は今歩が最も会いたくない相手であり、今歩が最も会いたい相手でもある男だった。



「こんな数字…はじめてみた…」

 やっとの思いで滉を部屋のベッドまで運び、息つく間もなく側にあった体温計で熱を測ってみると、その体温の高さは歩の想像以上だった。

 愕然としながら体温計と滉を交互に見つめる。体はとても熱いのに、手は血が通ってないように白くて冷たいのが、訳もわからず恐ろしい。

 風邪か、この高熱ならインフルエンザか。そんな馴染みのある感染症が頭に思い浮かぶ。

 しかし、インフルエンザにしたってこんな高熱を出して大丈夫なのだろうか。

 苦しそうに呻く滉を見下ろしながら、歩の頭の中は不安でいっぱいになる。

 病院には行ったのか、今から行くべきか?歩は腕のスマートウォッチを見て時刻を確認する。

「五時半か…」

 歩はすぐさま近くのクリニックを検索し、「あ…」と声を漏らす。

 すっかり失念していたが、今日は日曜日だ。

 歩は途方に暮れたようにため息を吐く。

 遠くてもタクシーで救急外来のある病院に連れて行くべきか?ただの風邪やインフルエンザでその必要があるのか?無理やり移動させれば滉により辛い思いをさせるのではないか?こんなに辛そうだというのに明日病院が開くのをただ待つのか?

(…どうしよう)

 ベッドで眠る滉は荒い呼吸を繰り返し、苦しげに顔を歪めている。

 そもそもこれは風邪やインフルエンザなのか。

 歩は逡巡した結果、スマホを手に取った。



『はーい?どうしたの?』

 電話口の相手の声はひどく気の抜けるものだった。

「なな、ごめん急に」

『うん。どーした?』

 電話口の相手──菜々子は変わらず緊張感のない声で返事をする。

「それが今、友達が──」

 そんな菜々子の調子に少しだけ落ち着きを取り戻した歩は、たどたどしく今の状況を説明する。

『なるほどね。声掛けに反応はあるんだよね?』

「うん。今は寝ちゃったけど、倒れた時はちゃんと返事してたし、支えながらだけど一応自分で歩けた」

『じゃあ受診は明日でいいと思うよ。そのくらいの熱なら人によっては全然出るよ。だからそんなに心配することないと思う。インフルとかかもね。下痢とかはなさそうなんでしょ?』

「うん。下痢とかはないと思う。でも、咳もなにもしてないのにインフルなの?」

『インフルは熱が出たあと咳とか鼻水が出るんだよ』

「ああ、そういえば、そうかも」

『そうそう。だからそんなに心配しないでへーき』

「そっか…。ごめん、こんなことで電話して」

『あはは、あゆくんってテンパったりすんだね。あゆくん、彼女出来たからもう連絡しないって言ってたからびっくりしちゃった。じゃ、私これから夜勤だからいくね。お友達の看病頑張って~』

「ああ、うん。仕事前なのにごめん。ありがとう」

 菜々子との通話を終え、歩は傍らに静かにスマホを置いた。 

 歩は短く息を吐いた。同時に強張っていた体から僅かに力が抜けた。

 菜々子は看護師だ。その菜々子が言うのなら、今の滉の状態はきっとそんなに心配するほどのことではないのだろう。

 それにしても、自分の都合で関係を清算したセフレに電話をかけたことも、いつもの調子でその電話に出てくれた菜々子にも今になって驚く。

 自分と彼女の関係性からいえば、彼女は頼ってはいけない相手だ。今回限りにしなくてはいけない。甘えてばかりいてはだめなのだと、歩は反省し心の中で彼女にもう一度礼を言った。
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