統合失調症妻の事件簿

第二話

朝の光が差し込むリビング。僕が寝ぼけ眼でソファに腰を下ろすと、玲奈が困った顔で部屋を行ったり来たりしているのが目に入った。

「どうしたの？」

玲奈は顔を上げ、少し緊張した様子で答えた。

「スリッパが片方なくなっちゃったの。」

「スリッパ？」僕はソファの足元を見る。「そこにあるやつじゃなくて？」

「それはあなたのスリッパでしょ。私の右足用がないの。」

玲奈の足元を見ると、確かに左足用のスリッパだけを履いている。もう片方の足は床にそのままついていた。

「どこかに置き忘れたんじゃないの？」

「違うのよ！」玲奈は強く首を振った。「昨日、ちゃんとここに揃えておいたの。それに、私のスリッパは一度もどこにも移動してないはずなの。」

玲奈の目がキラリと光った。どうやら、また彼女の「探偵モード」に火がついたようだ。

「絶対に何かがあったのよ。この部屋で何者かがスリッパを盗んだの。」

「また妖精の仕業とか？」僕は冗談めかして言った。

「いや、今回はもっと違う感じがするの。」玲奈は考え込む。「これは、スリッパ好きの幽霊かもしれない。」

「スリッパ好きの幽霊？」

「そうよ。」玲奈は自信たっぷりに言った。「スリッパを片方ずつ集めるのが趣味の幽霊がいるのよ。聞いたことない？」

「いや、初耳だけど…」

こうして、僕たち夫婦の「スリッパ事件」の調査が始まった。

現場検証
まずは現場検証から。玲奈はスリッパを最後に見た場所を再現すると言い、昨夜の状況を説明し始めた。

「私は寝る前に、スリッパを揃えてここに置いたのよ。」

玲奈が指差したのはリビングの端にある小さなマットの上だった。確かに、いつも彼女はそこにスリッパを並べている。

「で、朝起きたら右足用が消えてた？」

「そう。だから、夜中の間に何かが起きたはずなの。」

僕は周囲を見回しながら、適当に答えた。「猫がどこかに蹴っ飛ばしたとかじゃないの？」

「それも考えたんだけど、猫は昨日はずっと寝室にいたわ。扉も閉めてたし。」

玲奈の推理はどんどん本格的になっていく。彼女はメモ帳を取り出し、スリッパ事件の「仮説と証拠」を整理し始めた。

捜索開始
リビング、寝室、キッチン、洗面所。二人で家中を探し回ったが、右足用のスリッパはどこにも見当たらない。

「本当に消えたな…」僕は少し感心しながら言った。「さすがにこれだけ探して見つからないと、幽霊説も捨てがたいかも。」

「でしょ？」玲奈は嬉しそうに頷いた。「幽霊がスリッパをどこかに隠してるのよ。」

僕は苦笑しながら、ソファに腰を下ろした。「でも、どうやって幽霊を見つけるんだ？」

「見つける必要なんてないわ。」玲奈は真剣な表情で言った。「幽霊にお願いするの。」

「お願い？」

「そう。スリッパを返してくださいって。」

幽霊との交渉
玲奈はリビングの中央に座り、両手を膝の上に置いて目を閉じた。

「スリッパ好きの幽霊さん、聞こえますか？」

僕はその様子を見ながら、内心笑いを堪えていた。だが、玲奈の本気の姿を見ていると、だんだん僕もその気になってきた。

「どうぞスリッパを返してください。片方だけでは困ります。」

玲奈は真剣そのものだ。僕もふざけ半分で言葉を添えた。「返してくれたら、きれいに磨いて次は二足揃えて置いておきます。」

しばらく沈黙が続いた。リビングには僕たちの声以外、何の音もしない。

解決編
その日の午後、結局スリッパは見つからなかった。僕たちは半ば諦めて、玲奈のために新しいスリッパを買いに行くことにした。

買い物から帰ってきた僕たちは、玄関で思わず声を上げた。

「これ…！」

そこには、消えたはずの右足用のスリッパがちょこんと置かれていたのだ。

「なんで玄関に…？」僕は首を傾げた。

玲奈は目を輝かせて言った。「やっぱり幽霊が返してくれたんだわ！」

「いや、単にどこかに落ちてたのを誰かが戻しただけじゃない？」

「そうかもしれないけど…」玲奈はスリッパを手に取り、大切そうに抱えた。「ありがとう、幽霊さん。」

そう言って微笑む彼女の顔を見ていると、僕はどちらでもいいような気がしてきた。幽霊だろうが、偶然だろうが、玲奈が笑っていればそれでいい。

「また何かあったら教えてね。」玲奈の探偵ごっこは、まだまだ続きそうだ。