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学院での日々
四限目
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美しい花々が咲き誇る。朝露のカーテンを媒介に目隠しの魔法をかけた底は、空気が澄んでキラキラと輝いていた。
ダミアンが丹精込めて作った、ダミアンが閉じこもるためだけの庭。大切で大好きなものを入れるためだけの箱庭。
その中、ダミアンが寝るためだけにあつらえたガゼボ。最高級のシーツに包まり、誰かが眠っていた。
「……あ」
当然、怒りが湧く。ダミアンの聖域を穢した誰かへの。
けれど──その光景は、あまりにも美しかった。
(妖精……?)
一瞬、本気でそうと思ってしまうほどには。
木漏れ日を集めたようなブロンドが、短く白い頬を覆い隠す。シルクのシーツに包まった体は見えずとも、チラリと見える肩は陶磁器人形のように滑らかで白い。
綺麗にバランスの取れた顔のパーツは美の女神を思い出させる作りをしていて、穢した、と弾劾しようとして、あまりの美しさに息を呑むような。
(……綺麗だ……)
とうとう、ダミアンの花園には妖精だか女神だかが寄り付くようになってしまったのだろうか。思わず近付いて、まじまじと眺める。息が掛かるほど近くに行っても、女性は目覚める気配がなかった。
「ど、どうして、女の子が……」
他の寮からやってきたのだろうか。生徒にしては少し大人すぎる。教員にこんな女性はいなかったし、本当に妖精か何かなのか?
ダミアンは大人の女性を見たことがなかった。元々気味悪がられる黒魔法使いであるのも加え、ダミアンの家は王家に連なるものの他者との交流が薄いのだ。
「どう、しよう……女の人には寒い……よね……」
その為、当代最高クラスの御令嬢であり、妖精とすら謳われるセシリアを見て怒りが持続できるほど、ある意味の女性慣れをしていない。
イケメンのヒモ野郎も、イケメンだから許される。その現象がダミアンにも起こったのだ。
「何か毛布……《暗黒の影よ、深淵から力を──」
「その必要はないよ」
慌てて毛布を召喚しようとしたダミアンを遮ったのは──甘く掠れた、青年の声であった。
「苗字を見たあたりでまさか、とは思っていたが……俺の予想は当たらないから口にはしなかったがね」
俺。俺である。いやもう声を聞いてわかる。男だ。しかもめちゃくちゃ聞き覚えがあると言うか、ダミアンの頭を悩ませているあの教師の声だった。
ぎぎぎ、と油を差していないブリキのように首を捻り、背後を見る──と。
「な、な、なななんで服っ!」
「おぉ、えっち。着替えるから向こうを向いてくれるかい?」
「誰がえっちだ!」
真っ白な鎖骨と、首から肩にかけての滑らかな線が見えた。肌の白さにも納得がいく。この男、基本露出がないのだ。しなくていいんだが。
思わず言葉に従って庭の方を向くと、スルスルと衣擦れの音が耳に残る。侵入してきたのはこの教師だと言うのに、どうしてこうも自分が追い詰められなければならないのか。
「はは、首筋が真っ赤」
「う、うるさい」
つぅっと首筋を撫でる指が細いような心地がして落ち着かない。こんなはしたない真似、妖精だったらするわけないのだ。はしたないというか同性なのだが。
「おっと振り向くなよ。今ズボンを履いているから」
「な、な、なんでいちいち報告してくるんだ……!」
普段なら気持ち悪いと一蹴できたはずなのに、先程女性と勘違いしたこともあり思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。
カツリと軍靴のような硬質な音がなり、ようやくダミアンはほっとして後ろを向いた。あまりの衝撃に怒りはもはや沈静化している。
「何でここに……ま、魔法……」
「ああ、アレかい? かなりクオリティは高いが、まだまだだね。穴があるから上空から見たら違和感があるし、そこから人間一人なら侵入できる」
一生懸命張った魔法を馬鹿にされて怒りたいが、指摘の内容は正しく、事実この教師はダミアンの知らないうちに潜入できていた。明らかに実力を上回られてなお反抗できる気力はない。
口をつぐんだダミアンを見て、教師は美しく微笑んだ。
「では、少し特別授業をしてあげよう」
手を引かれる。思っていたより細い手は、けれど力強かった。宙に浮く感覚に思わず声を出せば教師は笑ってダミアンの腰を抱く。
「箒なしで浮くくらい、本来は誰でもできる。安定することは少ないがね」
「ひっ、ひぃいい……!」
「まぁ君は少し、空嫌いすぎる気もするが」
ふわふわ浮く足元に声を上げ、教師にしがみつく。楽しそうに笑い、教師は杖で何やら空中に文字を書いた。
「呪文はいいぞ。俺は呪文の研究をしていてね。目隠しの魔法だって、いくつか変化をつけることで簡単に改良できる」
杖はスイスイと、一定の魔力のままごく簡単に文字を追加していく。が、ダミアンは知っていた。杖に込めた魔力は基本的に安定しない。一定の魔力でしか文字の紡げない呪文は、力の強い魔法使いであればあるほど制御ができず嫌われるのだ。
(……すごいコントロール力……)
けれど、教師の文字は常に一定だった。するすると、最低限の魔力のこもった杖が長い文字を連ねていく。内容はよく理解できない。
けれど、彼が──リオンが文字の呪文を発動した瞬間、眼下に見えたダミアンの箱庭は跡形もなく姿を消した。
「管理者を君に登録しておいた。場所さえ覚えていれば、扉を開かずともここに隠れられるよ」
少し降りるとブワ、と花の香りがダミアンを包む。境界を越えたのだ、と分かった。
降り立った地は、変わらぬダミアンの宝箱。あたりを確認するように見渡すとリオンがまたふわりと浮いていく。
「あんた、箒は」
リオンが苦笑する。あらぬところを見つめて頬をかいた。
「そうだ。ダミアンは見えてるかもだが、俺は君のことも見えていないし、君の庭に入れていないよ。管理者じゃないからね」
「は?」
「箒はガゼボに置いておいたから、後で渡しに来てくれ。それでは」
返事も聞かずリオンはどこかへ飛んでいく。箒を使わない飛行術は安定せず、本来はかけた瞬間どこかへ飛ばされるというふざけたものだ。それをこんなに使いこなせて、冷静に忠告できているだけ凄いのだが。
「な…………なんなんだ……」
身勝手だ、と思ってしまうのは仕方のないことだろう。
ダミアンが丹精込めて作った、ダミアンが閉じこもるためだけの庭。大切で大好きなものを入れるためだけの箱庭。
その中、ダミアンが寝るためだけにあつらえたガゼボ。最高級のシーツに包まり、誰かが眠っていた。
「……あ」
当然、怒りが湧く。ダミアンの聖域を穢した誰かへの。
けれど──その光景は、あまりにも美しかった。
(妖精……?)
一瞬、本気でそうと思ってしまうほどには。
木漏れ日を集めたようなブロンドが、短く白い頬を覆い隠す。シルクのシーツに包まった体は見えずとも、チラリと見える肩は陶磁器人形のように滑らかで白い。
綺麗にバランスの取れた顔のパーツは美の女神を思い出させる作りをしていて、穢した、と弾劾しようとして、あまりの美しさに息を呑むような。
(……綺麗だ……)
とうとう、ダミアンの花園には妖精だか女神だかが寄り付くようになってしまったのだろうか。思わず近付いて、まじまじと眺める。息が掛かるほど近くに行っても、女性は目覚める気配がなかった。
「ど、どうして、女の子が……」
他の寮からやってきたのだろうか。生徒にしては少し大人すぎる。教員にこんな女性はいなかったし、本当に妖精か何かなのか?
ダミアンは大人の女性を見たことがなかった。元々気味悪がられる黒魔法使いであるのも加え、ダミアンの家は王家に連なるものの他者との交流が薄いのだ。
「どう、しよう……女の人には寒い……よね……」
その為、当代最高クラスの御令嬢であり、妖精とすら謳われるセシリアを見て怒りが持続できるほど、ある意味の女性慣れをしていない。
イケメンのヒモ野郎も、イケメンだから許される。その現象がダミアンにも起こったのだ。
「何か毛布……《暗黒の影よ、深淵から力を──」
「その必要はないよ」
慌てて毛布を召喚しようとしたダミアンを遮ったのは──甘く掠れた、青年の声であった。
「苗字を見たあたりでまさか、とは思っていたが……俺の予想は当たらないから口にはしなかったがね」
俺。俺である。いやもう声を聞いてわかる。男だ。しかもめちゃくちゃ聞き覚えがあると言うか、ダミアンの頭を悩ませているあの教師の声だった。
ぎぎぎ、と油を差していないブリキのように首を捻り、背後を見る──と。
「な、な、なななんで服っ!」
「おぉ、えっち。着替えるから向こうを向いてくれるかい?」
「誰がえっちだ!」
真っ白な鎖骨と、首から肩にかけての滑らかな線が見えた。肌の白さにも納得がいく。この男、基本露出がないのだ。しなくていいんだが。
思わず言葉に従って庭の方を向くと、スルスルと衣擦れの音が耳に残る。侵入してきたのはこの教師だと言うのに、どうしてこうも自分が追い詰められなければならないのか。
「はは、首筋が真っ赤」
「う、うるさい」
つぅっと首筋を撫でる指が細いような心地がして落ち着かない。こんなはしたない真似、妖精だったらするわけないのだ。はしたないというか同性なのだが。
「おっと振り向くなよ。今ズボンを履いているから」
「な、な、なんでいちいち報告してくるんだ……!」
普段なら気持ち悪いと一蹴できたはずなのに、先程女性と勘違いしたこともあり思わずごくりと喉を鳴らしてしまった。
カツリと軍靴のような硬質な音がなり、ようやくダミアンはほっとして後ろを向いた。あまりの衝撃に怒りはもはや沈静化している。
「何でここに……ま、魔法……」
「ああ、アレかい? かなりクオリティは高いが、まだまだだね。穴があるから上空から見たら違和感があるし、そこから人間一人なら侵入できる」
一生懸命張った魔法を馬鹿にされて怒りたいが、指摘の内容は正しく、事実この教師はダミアンの知らないうちに潜入できていた。明らかに実力を上回られてなお反抗できる気力はない。
口をつぐんだダミアンを見て、教師は美しく微笑んだ。
「では、少し特別授業をしてあげよう」
手を引かれる。思っていたより細い手は、けれど力強かった。宙に浮く感覚に思わず声を出せば教師は笑ってダミアンの腰を抱く。
「箒なしで浮くくらい、本来は誰でもできる。安定することは少ないがね」
「ひっ、ひぃいい……!」
「まぁ君は少し、空嫌いすぎる気もするが」
ふわふわ浮く足元に声を上げ、教師にしがみつく。楽しそうに笑い、教師は杖で何やら空中に文字を書いた。
「呪文はいいぞ。俺は呪文の研究をしていてね。目隠しの魔法だって、いくつか変化をつけることで簡単に改良できる」
杖はスイスイと、一定の魔力のままごく簡単に文字を追加していく。が、ダミアンは知っていた。杖に込めた魔力は基本的に安定しない。一定の魔力でしか文字の紡げない呪文は、力の強い魔法使いであればあるほど制御ができず嫌われるのだ。
(……すごいコントロール力……)
けれど、教師の文字は常に一定だった。するすると、最低限の魔力のこもった杖が長い文字を連ねていく。内容はよく理解できない。
けれど、彼が──リオンが文字の呪文を発動した瞬間、眼下に見えたダミアンの箱庭は跡形もなく姿を消した。
「管理者を君に登録しておいた。場所さえ覚えていれば、扉を開かずともここに隠れられるよ」
少し降りるとブワ、と花の香りがダミアンを包む。境界を越えたのだ、と分かった。
降り立った地は、変わらぬダミアンの宝箱。あたりを確認するように見渡すとリオンがまたふわりと浮いていく。
「あんた、箒は」
リオンが苦笑する。あらぬところを見つめて頬をかいた。
「そうだ。ダミアンは見えてるかもだが、俺は君のことも見えていないし、君の庭に入れていないよ。管理者じゃないからね」
「は?」
「箒はガゼボに置いておいたから、後で渡しに来てくれ。それでは」
返事も聞かずリオンはどこかへ飛んでいく。箒を使わない飛行術は安定せず、本来はかけた瞬間どこかへ飛ばされるというふざけたものだ。それをこんなに使いこなせて、冷静に忠告できているだけ凄いのだが。
「な…………なんなんだ……」
身勝手だ、と思ってしまうのは仕方のないことだろう。
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