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29 初めての呪文
しおりを挟むカラフルな電飾と賑やかなオーナメントで飾られた白いクリスマス・ツリーを背にした、白い服を着た蛍は天使のようだ。羽黒は一瞬、放心状態で見蕩れた後、すぐに気を取り直して足を速めた。
「こんばんは!羽黒さま!」
「こんばんは、ほたる君」
手の届く距離に到着した羽黒に、蛍は満面の笑みで挨拶をした。きちんと櫛は入っているようだがセットはされておらず自然に下りている髪とカジュアルな私服ゆえか、いつもより更にあどけなく見えた。
「早かったんだね」
「羽黒さまこそ」
言いながら顔を見合わせて、ふふっと笑い合う2人。どれくらい此処で待っていたのか、蛍は真っ白い顔の頬が林檎のように真っ赤になっていた。
(可愛い...齧ってしまいそうだ)
少し不埒な想像をして、そんな事を考えてしまった自分に少し気恥しくなる。何だか蛍を前にすると、羽黒は色々調子が狂ってしまうのだ。けれど、それが全然嫌ではないし、寧ろ毎日心が浮き立っている。まさか自分が、誰かに気持ちを傾ける事が出来るとは思ってもみなかった。最初のインパクト満載の出会いから、細い肩に多くのものを抱えて頑張っている蛍を、ずっと支え守ってやりたいと思うまでに、そう時間はかからなかったように思う。
「どれくらい待ってたんだい?寒かったろう」
羽黒がそう聞くと、蛍は笑顔で首を横に振った。
「だって、楽しみで!あっ、でも来てからはまだ10分くらいですよ!」
「10分...?」
という事は、この寒空の下25分待つ予定だったのか、と驚愕する羽黒。やはり何処か屋内での待ち合わせにしておくべきだったと悔やむ。近辺には百貨店もショッピングモールもあるというのに。
しかし目の前の蛍はそんな羽黒の胸中など知る由もなく、曇り無き笑顔を向けて来る。おそらく蛍は、待ち合わせ場所が何処だとか、寒かった事など全く気にしていないのだ。 それよりも、これから経験する筈の楽しい事を心待ちにしている。
そんな蛍の顔を見ていると、羽黒はフッと気持ちが軽くなるのを感じた。
(そうだな。過ぎた今更悔いても仕方ないものな。この後悔は次に活かせば良いだけだ。今日はこの子を楽しませる事だけを考えよう)
そうとなれば切り替えだ。手始めに羽黒は、蛍が切望していたス〇バへと向かう事にした。
最寄りのス〇バは、落ち合ったツリーの広場から徒歩で数分のところにあった。
店の入り口で立ち止まり、嬉しそうに外観を眺める蛍。羽黒も物珍しく眺めたいところだったが、「嗜みとしてね」なんて見栄を張ってしまった手前、そうする訳にもいかない。楡崎嫁(♂)オリジナルのオーダーレシピ集の内容を思い出し、頭の中で何度か行ったスマートなカフェオーダーのシミュレーションをもう一度反芻した。
(えーと、ドリップのトール、ハウスブレンド。アーモンドミルク追加で)
本当はショートでも良いのにワンサイズ大きくしたのは、羽黒が最小のカップにしてしまうと蛍が遠慮してしまうかもと考えたからだ。蛍にはのびのびと、好きなサイズでカスタムてんこ盛りを楽しんで欲しいから...。ブラックで良いのにわざわざアーモンドミルクを追加したのも同じ理由である。(※作者的には、蛍は今更遠慮しないと思います)
まああとは、普通のミルク追加よりアーモンドミルクにした方が熟れ感を演出出来そうだと思ったのもある。
羽黒は箱入り育ち過ぎて、通常学生時代に友人などと積むべき経験が極端に乏しく、微妙に厨二病が残っているのだった。
弾むような足取りで入店した蛍と、微笑ましくその後に従う羽黒。幸いレジ前に並んでいるのは3、4人ほどと少なく、順番はすぐに来た。羽黒はシミュレーション通りのオーダーを口にし、横でメニューを見ている蛍に視線を移した。
「決まったかな?」
「はいっ!」
決意のこもった声と瞳で羽黒を見上げる蛍。それを見て、
(ああ、やはり取り越し苦労だった。ちゃんと自分で決めていたんだな)
と安堵した羽黒。蛍はキリッとした表情で、カウンターの向こうのスタッフに高らかに告げた。
「メル〇ィホワイトピスタチオフラペチーノで!!」
「メル〇ィホワイトピスタチオフラペチーノ?!」
蛍の口から思いがけぬ長文が出た事に動揺し、思わず復唱してしまう羽黒。スタッフは笑顔のままオーダーを通してくれたが、内心は絶対に笑っていただろう。
(なるほどこれがス〇バ呪文というやつか...)
オーダーレシピ集でもっと長いドリンク名を見てはいたものの、リアルの肉声でそれを聞くと何とも言えない気持ちになるなと思った羽黒と、言い切ったったと良い笑顔になる蛍。
「これ、クリスマスまでの期間限定らしくてっ!候補はたくさんあったんですけど、2晩悩んでこれに決定しました!!ピスタチオってなんかオシャレじゃないですか?」
「そうなんだね...ピスタチオ...うん、美味しそうだ」
「ですよね!!」
何と蛍は、一昨日羽黒と同伴の約束を取り付けてからずっとメニューの選定をしていたという。それほどに今日の初ス〇バを楽しみに...と、羽黒は思わず目頭が熱くなった。(※正気です)
そしてその後、蛍と羽黒は暖かい店内で向き合って座り、憧れのス〇バメニューをゆっくりと堪能したのだった。
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