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しおりを挟むユク・シオンは韓国で生まれ育った。
父方の実家の祖先は両班という家系。現代に馴染みのあるように言い換えるなら、貴族だ。一族は現在、幾つかの会社を経営しており、シオンの父親もその中でそれなりのポストに就いている。
そのお陰でシオンは名門私立と呼ばれる初等学校に通い、才を伸ばす為の様々な教育を受ける機会を得た。一般的に、アルファは幼い時分からその兆候を顕す事が多いと言われているが、シオンもその中の一人だったようで、早くから幾つもの分野で才能を見せた。
しかし彼はその殆どに、すぐに飽きた。バイオリンやピアノ、声楽、絵画、バレエ、アイススケート。それらを始めてごく短期間の内にある程度のレベルまで到達しては、興味を失い辞める事の繰り返し。熱意が続かないのだ。両親はそんな彼を案じ、せっかくなのだからもう少し続けてみたらと説得したが、彼が一度置いた弦や絵筆を再び手に取る事は無かった。
物心ついた時から、シオンの胸の中にはぽっかりと空いた穴のような部分がある。それは暗く、深淵の見えない深いものだった。理由はわからない。だがその淵を覗き込む度、えも言われぬ虚無感に襲われる。自分を取り巻く全てが絵空事であるかのような違和感に苛まれる。だがシオン自身も、それが何故であるのかはわからなかった。
違和感の正体に気づいたのは、中学に上がる前だ。
通常人は、平均3度のバース検査を受けると言われている。最初は5歳、2度目が中学入学前の12歳、3度目が16歳だ。そしてその3度目で凡そのバース性が確定する為、よほど変調がない限りはそれ以降の検査を受ける事は無い。その後に受ける場合は個人の任意になるが、バース性が変転しているケースはごく稀だと言われている。
シオンが"それ"に気づいたのは、その2度目のバース検査の折の事だった。"それ"を目にしたその一瞬で、それまでのそう長くもない人生で感じてきた数々の違和感達が脳内でパズルのピースを嵌め込むように組み上がるのを感じた。納得できた。しかし、それは彼にとって落胆の種にはならなかった。
その事でシオンが感じたのは、落胆ではなく、好奇だ。
違和感の出処を知ったなら、今度はこの虚無感の正体を知らなければならないと、まだ12歳の少年は家族にも気取られぬよう水面下で事を動かし始めた。
そうしてシオンは更なる真実を知る。その事は、予想していた以上の驚愕と、そして歓喜を彼に与えてくれた。
隠されていた秘密は、彼にとって福音だったのだ。
(やっとここまで来た…)
食後の水菓子と共に運ばれてきたコーヒーに口を付けながら、シオンは座卓の向こうを盗み見た。そこには品良くメロンを食している篠井が居る。いつもはスッキリと上げられている短い黒髪は、今日はラフに整えるだけにしたらしい。それでも清潔感が損なわれる事はなく、さらりと軽く額に下りた前髪の所為か、いつもより随分と若く見える。元々、煙草を喫まず酒も程々という篠井は、同年代の男性に比べると肌が美しい。加齢による皺はそれなりに刻まれ始めているものの、少しきつめの造作の顔立ちには、それが悪くない。内面が顔に現れ始めたという事なのかもしれない、とシオンは思う。
一見、強面に見える篠井の内面が、実は柔和で温厚な事は、少し彼と接してみればわかる事だ。無愛想に淡々と話していたかと思えば、不意に表情を緩ませて柔らかい笑みを浮かべたりする。そのギャップが、見ている者を身悶えさせるほどの魅力に繋がっている事に篠井本人は気づいていないらしいのだが。
「息子さんに、会いたいですか?」
指で持ち上げたコーヒーカップは星空を孕んだような深い青色をしている。何処の焼き物だろうかと思いながら、シオンは篠井に問いかけた。聞かれた篠井は少し驚いたように視線を上げて、少しの間シオンを見つめてから、目を伏せた。
「いや、会いたいかと聞かれると…」
「?」
「今更会う資格も無いというか…。向こうも望んではいないだろうし。そもそも、僕の存在を知っているのかもわからないしね」
「そうなんですか?」
「何とも言えないかな」
苦笑しながら答える篠井は何処か寂しげに見えて、シオンの胸は少し締め付けられる。
「それに、…会いたいと思っちゃいけない気がするんだ。養育費も払ってないし」
「そうなんですか?」
「養育費を拒否してまで子供に会って欲しくないって元妻に言われてね。どうにも嫌われたもんだよ」
「奥さんが…?酷いですね」
「酷い…いや、どうかな。本当に酷いのは僕の方だったのかもしれないんだ」
そこまで言うと、篠井はハッと我に返ったような表情をして、取り繕うような似合わない笑みを浮かべた。
「ごめん。若い君に聞かせるような話じゃなかったな」
「いえ、そんな事は」
「まあ、一生息子に合わなくても、こうして食事に付き合ってくれるシオン君みたいな子達がいるから…僕はそれで十分だよ」
ぬるくなったコーヒーに口を付け始めながらそう言った篠井。その言葉の何処までが本心なのか、シオンに推し測る事はできない。ただ、篠井の胸にも自分と似たような虚ろな穴が存在するらしいと感じた。
そして、その穴を満たすのは自分であるべきだとも。
口元をコーヒーカップで隠し、彼は形良い唇を吊り上げる。
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ありがとうございます
全てが超絶本気のタップミスです。書いてる最中の脳内ではちゃんと押したつもりなんですよね。
ざっくり見直ししかしないからですかね。困ったもんです
╮(•́ω•̀)╭
作者様は…優しいですね。傷にしみます( *´艸`)←涙堪えて読んでます…💧
なんのなんの〜
ご感想や誤字脱字報告をくださる44さん達の方がお優しいですよ
👍😊
こんばんは(^-^)/🌙
昼間は失礼しました。m(__)m💦
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最後の一行が 1文字多い…様な…気がします。ご確認を。
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おはようございます
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お直し完了いたしました
(`・ ω・´)ゞ
ご感想楽しく読ませていただいてましたよ〜👍