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1巻
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しおりを挟む第一章 望まれない王女
私のいるルイン王国という小国が大国ガイラルディア王国に領地争いで負けたのは、一年前のこと。
ルイン王国の誰もが勝てないと悟り白旗を上げたため、長引くと思われたその戦争は、一年という短い期間で幕を閉じた。
ルイン王国は敗戦国となったが、領土である辺境地の一部を奪われただけで、ガイラルディア王国に支配されることはなかった。
しかし、国に全くダメージがないわけではない。
すでに、敗戦国として他国に隙を見せている状態なのだ。今、他国から攻められると、それこそ国の被害は計り知れない。
ルイン王国は自力で国を守り抜くことに危機感を覚え、大国であるガイラルディア王国との同盟を望んだ。
そして、ルイン王国はこれ以上争いが起きないようにと、終戦から一年かけて和平を求め、ガイラルディア王国と同盟を結ぶことになったのだ。
だが、その同盟には一つ問題があった。
ルイン王国の王女を一人、ガイラルディア王国に輿入れさせると決まったことだ。
その同盟締結の条件は、ルイン王国側が友好の証としてガイラルディア王国に提示したもの。
王女が輿入れするのだから、ガイラルディア王国が同盟を反故にすることがないようにと、暗に言っているのだろう。
そして、戦のすぐあとに崩御した父の子は、私の他には年の離れた兄上が二人いるだけだ。
つまりルイン王国の王女は、十八歳のフィリス・ルイン――私しかいない。
「兄上……どうしても行かないといけませんか? 私は気が弱いのです……」
私は、王となった一番上の兄上にそう言わずにはいられなかった。
「決まったことだ。頑張って行ってくれ」
年の離れたこの兄上と、特別仲が良いわけではないとはいえ、同盟を結ぶために結婚をさせられるとは思っていなかった。
今さら同盟締結の条件を受け入れないなんて、無理だとはわかっているし、輿入れしなければ同盟を破棄されるかもしれないのもわかっている。
だが、私にはどうしてもこれを受け入れがたい理由があるのだ。
「……ガイラルディア王国のレックス殿下といえば、戦の先陣を切る方だと聞いたことがあります。そんな荒々しい方、私には無理ではないでしょうか?」
一度もお会いしたことのないレックス殿下だけど、王子でありながら自分から出陣するなんて、恐ろしい方に思えた。
そんな人に嫁いだらどんな目に遭うのか……と、どんどん想像が膨らんでしまう。
そんな私の胸の内に気づく様子もなく、兄上は平然と告げる。
「フィリスは器量がいいから、大丈夫だ。頑張って寵を得なさい。これからはガイラルディア王国で一生を遂げるのだぞ」
「……寵を得る? 愛されるようにしろということですか?」
その言い方には引っ掛かるものがある。
兄上の言い方だと、まるで他に寵を争う相手がいるというような――
「実はフィリスが輿入れするといっても、すぐにはレックス殿下と結婚しないのだ」
「……どういうことですか? すぐに結婚しないなら、まだ嫁ぐ必要はないのではないですか?」
「……レックス殿下には婚約者がいるのだ。その婚約者を妃にしたいらしく……。最初はフィリスとの婚姻を断ってきたのだが、同盟のためにどうしても輿入れしてもらいたい」
それは、ルイン王国側の都合ではないのでしょうか?
私は困ったように思わず呆れるが、兄上は真面目な顔で続けた。
「婚約者と結婚後なら第二妃として迎えると、ガイラルディア王国からやっと返事が来たのだ。だから、レックス殿下の気が変わらないうちに行ってくれ」
「それは、一度行ったら返品はお断りということですか?」
「頑張ってくれ! フィリス!」
こうして、兄上に雑な応援をされて、あっという間にガイラルディア王国に行くことが決まってしまったのだった。
兄上から、ガイラルディア王国への輿入れを命じられてから、数日。
私室では、メイドたちが私の輿入れのための荷造りを始めており、衣装部屋のなかで慌ただしく動き回っている。
部屋の前で護衛をしているのは、幼馴染のサイラスだ。
サイラスとは年の離れた兄上二人よりも、共に過ごした時間は長く、一緒に遊び、勉強をした。そのうえ、私たち二人ともが、生まれつき聖力を持っているため教会へ通うのもサイラスと一緒だった。
サイラスは聖騎士として、王女である私の護衛騎士の一人になっている。
私も最も聖力の強い大聖女様に聖女認定されている。そして、聖女は国に仕え、仕事をする。だから、私は王女としてだけでなく、聖女としても働いている。
聖力があれば癒しや浄化、結界などといった聖光術が使えるようになり、私もいくつか使える聖光術がある。
一方、聖力を持つ男性は、騎士の訓練を積むと、聖騎士になれる。
サイラスはその聖騎士に任命されてから、ずっと私の護衛を務めている。
そういうわけで、幼い頃からサイラスとは一緒にいない日のほうが少なかった。
昔を懐かしみながら部屋を眺める。
サイラスやメイドたちなど、今はこんなに人がいるのに、一人だけで旅立つのかと思うと寂しくなる。そう感じながらぼーっとしていると、誰かがやって来た。
「フィリス、ミアが来たぞ」
「ミアが?」
サイラスに言われて振り向くと、入り口にいた彼の隣にミアが立っていた。
ミアは私より二歳年上の仲の良い子爵令嬢で、行儀見習いとして城に上がっている。
ミアも、サイラスと同じく私の大事な友人だ。私とサイラス、ミアはこの城で三人でいることも多い。
「フィリス様、荷造りのお手伝いに来ました」
「ありがとう、ミア」
優しいミアは私を気遣ってくれたらしい。その気持ちが嬉しくて、自然と表情が和らぐ。ミアも笑みを返してくれ、てきぱきと私の荷物をまとめてくれる。
「フィリス様、筆記用具はどうしますか? 新しいものをご準備いたしましょうか?」
ミアが私の万年筆や便箋を見てそう聞いてきた。私は少し悩んで答える。
「便箋はガイラルディア王国のものでもかまわないけれど、その万年筆は大事なものだから持って行くわ」
「品のある万年筆ですよね。お持ちになられるなら、箱に入れてしまっておきますね」
ミアがにこやかに万年筆をしまうのを見て、サイラスは不思議そうに首を傾げる。
「一体その万年筆はどこで手に入れたんだ?」
「……秘密」
だって、この万年筆をくださった方と二人の秘密にすると約束したから。
絶対に誰にも言わないと決めている。
「サイラスも知らないの? いつもフィリス様が教会に行くときは、サイラスも一緒でしょう?」
ミアがそうサイラスに問いかけるものの、サイラスは全くわからない様子でいる。
それもそのはずだ。教会の帰りに購入したものではないのだから。
「気がついたら持っていたんだよな……なんか大事そうだし……」
不思議そうにサイラスとミアが顔を見合わせる。
しかし、たとえ幼馴染でも言えないことがある。
これ以上突っ込まれないように、私は万年筆を持って、逃げるように衣装部屋に行った。
そして、そこにいるメイドにそれを差し出す。
「忙しいのにごめんなさい。この万年筆も持って行く荷物に入れてくださいね」
「はい、かしこまりました」
メイドが快く引き受けてくれて、私はホッとした。
どんどん荷造りは進み、ドレスやアクセサリーを置いていた場所が空くとなんだか寂しさを掻き立てられる。
サイラスとミアも一緒に来てほしいけれど、私はレックス殿下の宮で暮らすため、他国の人間は入れないらしい。
ガイラルディア王国へ輿入れすることが、どんなに心細くても、私の気持ちなんか関係ないのだ。王族として生まれ育って、こんなときだけ行きたくないと逃げ出すことはできない。
兄上二人は、大国ガイラルディア王国に嫁ぐことが、小国の王女である私にとっての安泰だと思っているのかもしれない。
でも、私の心は全く穏やかではない。
夫となるレックス殿下を、兄上たちはお強い方だと言うけれど、私にとっては冷たいイメージしかない。
しかも、彼には好きな人がいて私を望んではいない。
この状況で、兄上たちは私にどう前向きになれと言うのか。
……私はまだ、誰にも恋というものをしたことがない。
気になる人といえば……と、思い浮かぶのは私に万年筆をくれた、優しかった方。
あの方にもう一度お会いしたいとは思うけれど、それが恋なのかはわからない。
もしも、もう一度会うことができたら、この気持ちが何なのかわかるかもしれないけれど……レックス殿下と婚姻を結ぶとなった今、それはもう無理な話。
メイドたちやサイラス、ミアがいるこの部屋では口に出せない思いを、心のなかで一人呟いた。
数日後、私は馬車に揺られてガイラルディア王国に向かっていた。
ルイン王国からガイラルディア王国に行くには一週間以上もかかる。
ずっと馬車に揺られており、もう何回目なのかわからない休憩時には、すっかり疲れていた。
「フィリス、疲れただろう。少し横になっても大丈夫だぞ」
私に優しく言ってきたのは、サイラスだ。彼は私を心配してくれたのか、ガイラルディア王国への旅路について来てくれていた。
「サイラス……ありがとう」
サイラスに、このままガイラルディア王国の城まで来てほしい。
だが、ルイン王国からの護衛は途中までしか来られない。国境を越える地点で、ルイン王国の馬車からガイラルディア王国の馬車に乗り換えることになっている。
まだ、正式に婚姻を結んではいないから、お互いの国が決めた場所まで送り、そこで引き渡すことになっているのだ。おそらく兄上が、少しでも私がルイン王国の人間といられるようにと決めてくれたのかもしれない。その証拠に、ルイン王国の私の護衛は、サイラスも含めてほとんどの騎士が加わっている。
すぐに結婚するなら、王妃として今より丁重に迎えられ、結婚の準備のためにガイラルディア王国まで今護衛をしてくれている者たちも連れて行けたかもしれない。
しかし、私は第二妃になる予定だ。だから、こういう対応をされているに違いない。
それに、レックス殿下は私が引き渡される場所にも来ないと聞いている。望まない王女を迎えに行く価値はないと思っているのだろう。
レックス殿下は婚約者を妃にと望み、私とは無理矢理結婚させられる。
そんな方と夫婦になれるのかと、不安しかない。
そんな気持ちのまま馬車の窓にもたれると、外ではサイラスや見知った護衛騎士たちが休憩していた。
この旅路が終われば、ついにみんなともお別れだ。
そう思っていると、サイラスが馬車のなかに戻って来た。
「フィリス……少しお茶を飲まないか? 温かいぞ」
「……ありがとう」
不安と寂しさで落ち込んでいる私に気づいているのだろう。
けれど、サイラスの立場では結婚をやめて帰ろう、とは言えない。
サイラスに出されたお茶を少し飲むと、幼いときのように彼は私の頭を撫でた。
「……あんまり我慢しすぎるなよ」
「うん……」
温かいお茶を両手で持ったまま、力なく返事した。
そして、一時間の休憩が終わり、また馬車に揺られながらガイラルディア王国への行程が再開した。
それからさらに数日後、ようやくガイラルディア王国へ引き渡される場所に到着した。
周りは山ばかりで、ただ開けただけのところなのに、誰が見ても立派な引き渡し場所が整えられており、ガイラルディア王国の人たちがそこで私を迎えた。
馬車から降りると、ガイラルディア王国の紋が装飾された署名台が用意されている。
今のままだと、ルイン王国の者である私は、ガイラルディア王国にもレックス殿下の宮にも入れない。だから、ガイラルディア王国の人間となるためにここで署名するのだ。
そして、それが終われば、私以外のルイン王国の人間はガイラルディア王国に入国する許可は下りていないため、ここでお別れになる。
「王女をくれぐれもよろしくお願いいたします」
一人で行かねばならない私を心配して護衛の責任者は、念を押すようにガイラルディア王国の者に頼んでいる。
私の後ろに整列している護衛に目をやると、サイラスも心配そうに私を見ていた。
私は誰にも気づかれないように、ガイラルディア王国の方々に視線を流す。
ガイラルディア王国側からは、騎士団長をはじめとした、たくさんの騎士たちが整列している。
ルイン王国では考えられないほどの厳重な警備に、さすがはガイラルディア王国だと圧倒されてしまう。そのなかには、騎士たちに交じって文官らしき者もいる。私の署名の見届け人ということだろう。
でも、たくさんの騎士や役人がいるものの、王子らしい方はいない。
やはり、レックス殿下は来なかったのだ。
「フィリス王女、こちらに署名をお願いします」
文官に差し出された書面は、私が輿入れし、ガイラルディア王国の人間になることを誓うためのものだ。
これに署名したら、本当にルイン王国には戻れない。
今すぐに誰か私をさらってくれないか、なんて都合のいいことが脳裏をかすめる。だがそんな人間はいない。妄想に逃げることさえもできない。
目の前には、署名しろ、という現実だけが静かに用意されているのだ。
私はペンを持ったまま、立ち尽くしてしまう。
「フィリス王女、俺はレックス様の側近のロイです。何か、お聞きになりたいことがあればおっしゃってください」
そう話しかけてきたのは、青色の短髪の男性だった。
聞きたいことというより、言いたいことはある。
妃にしたくないなら、何が何でも断って欲しかった。
望まない王女なんて、厄介者としか思えない。
……でも、そんなこと、ルイン王国の立場から言えるわけがない。
「……何もありません」
そう呟くように言い、契約書にフィリス・ルインと署名した。
そして、ガイラルディア王国の馬車の扉が開かれた。騎士団長に手を添えられ、馬車に乗り込む。
サイラスやルイン王国の護衛たちが静かに見送るなか、ガイラルディア王国の馬車は走り出した。
緩やかに進む馬車のなかには、私一人だけ。
窓の外を見ていると、たった一人になったと実感したのか、気がついたら涙が頬を伝っていた。
ガイラルディア王国の城に着くなり、私はガイラルディア国王陛下に謁見することになった。
騎士団長に差し出された手を借り、馬車から降りる。
騎士たちやガイラルディア王国の人間が迎えてくれたが、やはりレックス殿下はいなかった。
そんなに彼に嫌われているのかと不安になりながらも、顔には出せず、私はロイに連れられて、謁見の間に向かう。
「……レックス様は、本日は仕事でして、お迎えができず申し訳ございません」
ロイはそう言ったが、レックス殿下は、私を迎えるのが嫌なのだとしか思えない。
仕事があれば、そうしなくていい理由ができる。
「気にしていません……」
そう答えたものの、来た当初から良くは思われていないと実感してしまっている。
レックス殿下にとっても望まない結婚になるのだろうが、私だって同じだ。
顔も、どんな性格の方かも知らない。
私が知っているのは、冷酷な人だという噂だけだ。
「お帰り次第、フィリス様にお会いになられますよ」
「そうだといいのですが……」
私が落ち込んでいると思ったのか、とりなすように言うロイに、私は曖昧に笑って答えた。
長い廊下を歩いていると、謁見の間の大きな扉の前に着いた。まるでガイラルディア王国の威厳を示すかのような立派な扉だ。
開かれた扉の先には、多くの騎士たちが整列していた。そして、真っ直ぐに伸びる絨毯の先では、三段上の玉座で、ガイラルディア国王陛下と王妃様が、私を待っていた。
私が挨拶をすると、お二方は笑顔で迎えてくれる。
「よくぞ来てくれた」
「まあ、可愛らしい方ね。年はまだ十八歳と聞きました。若いのによく来てくれましたね」
王妃様は少しだけ頬を染めながら微笑み、優しく労いの言葉をかけてくれた。
私は微笑み返し、ありがとうございます、という意味を込めて、ふたたび膝を曲げる。
その姿に、また王妃様は微笑んでいた。
「ロイ、なぜレックスは一緒ではないのだ?」
陛下がロイにそう尋ねる。ロイはレックス殿下が仕事に行っていることを説明した。
「あいつはこんな日にまで仕事か……」
陛下は頭を抱えて、王妃様と顔を見合わせた。
格下の国の王女とはいえ、結婚する相手を迎えるというのに、レックス殿下が未だに姿を見せないのはおかしなことだと思う。
とはいえ、同盟締結を考えると私が陛下に強く出ることもできない。
ルイン王国の意見だと、勘違いされるわけにはいかないのだ。
内心でため息をつきつつも、つつがなく謁見は終わり、私はそのままレックス殿下の宮へと入ることになった。
ルイン王国では、城に私たちの居住スペースがあったけれど、ガイラルディア王国では、城とは別に陛下の宮とレックス様の宮がある。
レックス様の宮もお城のような造りだ。青と白でまとめられている内装には品があり、思わず見惚れてしまう。そんな私に「こちらです」とロイが宮のなかを案内してくれる。
豪華絢爛ながらも落ち着いた雰囲気の廊下を進み、彼に案内されて部屋に入る。そこには髪を一つにまとめ、黒っぽい侍女服に身を包んだ女性が二人いた。
侍女たちは、私のことがいかにも気に入らないというような様子で、ニコリともしない。
そんな侍女たちに気づいているのかいないのか、ロイは私に彼女たちを紹介する。
「フィリス様、こちらは侍女のリンジーとジェナです」
ルイン王国の侍女やメイドとは違う雰囲気に少し戸惑いながらも、私はいつものように挨拶をした。
「……初めまして、フィリス・ルインです。よろしくお願いします」
「「……よろしくお願いします」」
侍女たちは、渋々挨拶をしているようで、私は明らかに歓迎されていなかった。
「フィリス様、レックス様がお帰りになり次第こちらにお呼びしますので、それまでお休みください。二人とも、フィリス様にすぐに温かいお茶をお出しするように」
ロイはそう言うと一礼し、部屋を後にした。彼に続き、侍女たちもお茶を準備するため部屋から出て行く。
すごく感じの悪い侍女たちだった。こんなにふてぶてしい挨拶や態度をとられたのは初めてで、戸惑ってしまう。
ここで上手くやっていく自信がない。憂鬱な暮らしが始まりそうな予感がした。
そんな気分のなか、椅子に腰かける。せめて喉を潤して長旅の疲れを癒そうと、お茶を待つ。
……が、侍女たちはなかなか戻って来ない。
私しかいない広くて立派な部屋で、まだかしら? と調度品を眺めて待っていると、やっとリンジーとジェナが部屋に戻って来た。
二人は音を立てながらテーブルにティーカップとティーポットを雑に置き、ふてぶてしい態度のまま無言で部屋から出て行く。
……多分わざとではなく、二人はまだ侍女の仕事に慣れていないのだろう。
それなら仕方ない。きっとそうだわ、と自分に言い聞かせ、冷めきったお茶を一人寂しく口に含んだ。
冷めたお茶を少しずつ飲んでいると、廊下が騒がしくなった。
誰かがやって来たのだろうか。
ロイが「ちょっとお待ちください!」と叫んでいるのが聞こえたかと思うと、バンッ! と勢いよく部屋の扉が開いた。
入って来た男は血塗れで、まるでならず者のよう……
誰――⁉
私は思わず立ち上がり、後ずさりした。
その男は冷たい目で私を見ると、平坦な声で問う。
「お前がルイン王国の王女か?」
「は、はい……」
そう返事をすると、ロイが息を切らしながらならず者の後ろから走って来た。
「レックス様、失礼ですよ!」
「顔を出せと言うから来たのだぞ!」
男はロイを睨みながら反論している。
ロイがレックス様と呼ぶということは、この方が私の結婚相手だ。
血のついた顔に、冷たい表情……ロイから言われて嫌々私のところに来たような言い方だ。
「フィリス様、こちらがレックス様です」
「……初めまして、フィリス・ルインです。……お会いできて光栄です」
ロイに紹介されて、怖いのを我慢しながら挨拶をした。
「俺がレックス・ガイラルディアだ。……結婚は形だけだ。俺には婚約者がいる。彼女に迷惑をかけるな。俺の宮は彼女に任せている。俺たちの邪魔をしなければ、宮で好きに過ごせ」
「……はい。わかりました」
なんて傲慢なのだろう。
私の結婚相手の第一印象は最悪だ。
「もう用はない。ロイ、彼女に会いに行く。着替えの準備をしてくれ」
レックス様はそう言うと、すぐに私に背を向けた。
どうやら、彼女にはその血塗れの姿では会いに行かないようだ。
彼にとって、私にはきちんとした格好で会う価値もないと言われている気分になる。
それでも、怪我をしているのかと思い、レックス様に声をかけた。
「あ、あの、お怪我を?」
「魔獣の返り血だ。怪我はしてない」
「でしたら、もしよろしければこれを……お顔に血が……」
恐る恐るポケットから白いハンカチを差し出す。
「あぁ、顔にまでついていたか……すまない」
レックス様はそう言いながらハンカチを受け取り、私を見つめる。
なぜレックス様は、私を凝視するのでしょうかね……?
「あの……レックス様?」
「……宮では好きに過ごせ」
それはさっき聞きました!
そう心のなかで叫びながら、少しだけ不思議に思う。
動揺するタイプには見えないけど、レックス様がほんの一瞬だけ、動揺したように見えた気がした。
そのままレックス様は振り向きもせずに、ハンカチで顔を拭きながら部屋から出て行ってしまった。
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