望まれない王女の白い結婚…のはずが途中から王子の溺愛が始まりました。

屋月 トム伽

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1巻

1-2

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   ◇◇◇


「レックス様……フィリス様に失礼がすぎるのでは?」
「彼女は、形だけの結婚をするためにここに来たんだ。気に入られる必要はない。それに、俺にはジゼルがいる」

 俺――レックス・ガイラルディアは、洗面台で血のついた顔を洗いながらロイにそう答える。
 ……俺はルイン王国の王女との結婚に反対していた。
 俺には、ジゼル・アウラ伯爵令嬢という婚約者がいるからだ。
 彼女は婚約の儀はまだできないが、両親にも紹介し、認められていた。
 ジゼルと知り合ったのは、ルイン王国とのいくさが始まる前。
 以前から、両親に早く結婚しろとかされていた俺は、『またか……』とうんざりしながら半ば強制的に城の夜会に参加させられた。
 そこで、俺はたまたまジゼルと出会った。
 その夜会で、堂々と挨拶あいさつや会話をして来たジゼルに、王妃はこれくらい堂々とできる令嬢が合うのだろうと思ったことを、覚えている。
 ジゼルの父のアウラ伯爵も良い者であるため、婚約まではいかないがお互いをよく知るために付き合うことにした。
 俺はいずれ父上のあとを継ぎ、国を守らなければならないのだから、きさき相応ふさわしくない者を、妻にはできない。
 付き合い始めてまもなく、ルイン王国との領地争いが始まり、出陣することを決めた。
 だが、戦地におもむく前に、ジゼルに待っていてほしいとはなぜか言えなかった。

『もし良い縁談があれば、気にせずに結婚しなさい』

 そう伝えたのだが、それでもジゼルは、『お帰りをお待ちしています』としとやかに言った。
 ガイラルディア王国はルイン王国よりも武力は勝っているため、すぐに終わると予想していた。
 しかし、ルイン王国にはせいこうじゅつを使えるせいが多く、このせいこうじゅつというものが少々やっかいで、苦戦をいられ、結局戦争は一年かかった。
 それでも勝利したのはガイラルディア王国で、その後ルイン王国は同盟を求めてきた。
 和平に反対はないが、国同士のことには政治が絡むのが必然だ。
 ルイン王国もこれ以上領地を奪われないように、必死だったのだろう。
 その話し合いにはさらに一年かかり、結局二年もガイラルディア王国の城に帰ることができなかった。
 そして、いくさに出ている間の二年は、一度もジゼルと会うことはなかった。
 やっと帰って来ると、俺のためにジゼルはまだ独身を貫いていた。
 だから、二年もの間待ってくれていたジゼルにむくいなければと、婚約をすることに決めた。
 それからたった二ヶ月で、ルイン王国の王女との結婚が決まるなんて……
 そんなことを思い出しながら、顔を洗い終える。
 目の前の鏡を見ると、水がしたたけんしわが寄った顔と目が合う。
 こんな俺には、とてもじゃないがフィリスが好意など寄せるはずもない……
 だが、それでいいのだ……

「レックス様、フィリス様からいただいたハンカチが血で汚れていますよ。お詫びに新しいハンカチを贈られては?」
「……こんなハンカチなんか、返ってくると思わないだろう。放っておけばいい」

 フィリスに構っているわけにはいかない。
 これから、ばんさん前にジゼルとのお茶の約束がある。
 シャワーを浴び、急いで着替えを済ませてサロンに行くと、すでにジゼルは待っていてくれた。

「ジゼル、待たせてすまない」
「ふふ、大丈夫ですよ」

 笑って答えるジゼルのこめかみに、いつものように軽くキスをした。
 嬉しそうにしていたジゼルだったが、すぐにしゅんとする。

「レックス様、ルイン王国の王女が来たそうですね」
「関係ない。俺のきさきはジゼルだ。彼女は形だけの第二妃だから、これからもジゼルが宮を仕切ればいい。一年の婚約期間が終わればすぐに結婚だ。ルイン王国の王女はその後だ」

 王族の結婚は短くても一年の婚約期間がある。その間に必要なことを学び、結婚の準備をするのだ。
 ジゼルとは、戦前に付き合っていた期間も短く、婚約しないまま二年も経ってしまっていた。そこで、お互いをしっかりと知るためにと、ジゼルには婚約期間中も宮に住んでもらうことになっていた。さらに結婚後はきさきが宮を仕切るため、ジゼルに宮の仕事を任せることにしているのだ。
 一度、結婚をすると決めたのだから、ないがしろにはできなかった。

「ジゼル、贈り物を持って来た。受け取ってくれ」
「まあ、嬉しいわ」

 ジゼルは嬉しそうに贈り物を受け取り、いつものように、二人でお茶の時間を過ごした。


   ◆ 


 レックス様は思った通り怖かった。
 灰色の髪に大きなずうたい。背の低い私では見上げないと顔も見えない。
 彼はけんしわを寄せ鋭い目で、ハッキリと「形だけの結婚だ」と言った。
 期待していたわけではないが、あまりの物言いに少なからずショックはある。
 そして、なぜかのぎょう。レックス様がわからない。
 正直ばんさんにも行きたくないけれど、行かないわけにはいかない。
 だが現在、私の脳内はレックス様とのばんさんよりも、ばんさんたくをする侍女たちのことでいっぱいだった。
 リンジーは引っ張るように私の髪をとき、ジェナもげんさをあらわにしてたくをする。

「……痛いわ。もう少しだけ優しく髪をといてください……」

 私は思わずそう言うけれど、二人は態度を変えようとはしない。
 先ほど急に侍女二人が部屋に来たかと思ったら、ばんさんたくをすると告げられた。
 ばんさんのことを全く知らされていなかった私が驚く間もなく、すぐに準備が始まったのだ。
 そうして、あっという間にたくが終わる。
 ばんさんのために食堂に行く必要があるはずだが、宮に来たばかりの私には場所がわからない。

「あの、食堂の場所を……」

 そう二人に声をかけるが、二人とも聞こえないフリをして足早に去って行ってしまった。
 他国から来ただけで、どうしてこんな仕打ちをされなければいけないのか……
 自分から望んで来たわけではないのにと、涙が出そうだ。
 それでも、ばんさんに遅れるようなれいはできないと、慣れない廊下を歩き回る。
 そうして、やっと食堂を見つけて入ると、すでに食事は始まってしまっていた。

「遅いぞ。ばんさんの時間は連絡していただろう」

 時間なんて知らなかった。食堂の場所もわからず、必死に探したけれど遅刻してしまったのだ。
 レックス様はそんな私に理由すら聞かなかった。

「すみません……」

 悲しいのか、むなしいのか、私はただ謝ることしかできなかった。
 目の前のレックス様は、初対面のときとは違い、正装している。
 あのときは、まみれの印象が強く気づかなかったが、容姿はかなり良いのだろう。
 それでも、私にとっては怖い人だ。そんなレックス様の隣には、ようえんな美人が座っている。この方がレックス様の婚約者だろう。

「お初にお目にかかります。私はフィリス・ルインです。よろしくお願いします」

 私から挨拶あいさつをすると、婚約者の方は私の頭のてっぺんから足の爪先まで舐めるようにして見られる。まるで品定めされている気分だった。
 彼女はくすっと笑って、座ったまま名乗る。

「レックス様の婚約者のジゼル・アウラです。よろしくね」

 不敵な笑みを浮かべるジゼル様も、少し怖い。

「早く食べなさい」

 お互いに名乗っただけなのに、レックス様は紹介してくれることもなくそう言った。ジゼル様との時間の邪魔をするなとでも言いたいのかもしれない。
「はい」と静かに返事をし、遅れながらも食事をし始める。
 前菜にフォークとナイフを入れ、一口食べた。
 ……味が濃い。ガイラルディア王国の料理はルイン王国のものより味付けが濃いとは聞いていたけれど、まだお茶すら満足に飲んでいない私にとっては、きつく感じてしまった。
 それでも、気の弱い私は何も言えない。
 思わずナイフとフォークを持つ手が止まるとジゼル様がそれに気づく。

「食事が進まないみたいね、お口に合わないかしら」
「……すみません」
「ルイン王国は味付けが薄いんだ。気に入らないなら、別に出してやれ」

 謝る私に、レックス様は怒っているような、淡々とした口調で告げた。
 ジゼル様も納得したようにうなずく。

「そうですね。レックス様がそうおっしゃるなら、食事は別にしましょうか」

 居心地が悪い。一緒に食事をするなと言われている気分で、いたたまれない。
 そんな私をよそに、二人は仲良く食べているように見える。
 レックス様が、ジゼル様に「ワインはどうだ?」などと、私のときとは全く違う優しい雰囲気で話しかけているからかもしれない。
 確かに、私はまだ十八歳でお酒が飲めないけれど……
 チラリと二人を見ると、けんしわの寄った怖い顔のレックス様と目が合ってしまう。
 だが、彼はすぐにプイッと横を向いてしまった。
 なんでしょうか……?
 ルイン王国から持って来たこの新しいドレスが気に入らないのでしょうか。
 内心でそう考え、私は思わず視線を落とした。
 ジゼル様と私は明らかにタイプが違うから、ドレスのえ方も違うだろう。
 その様子に、ジゼル様はふたたび冷たい笑みを浮かべて私に告げる。

「フィリスさん、あなたに私の侍女を二人お譲りしたの。困ったことがあれば、リンジーとジェナになんでも言ってね」

 私の侍女となったリンジーとジェナは、ジゼル様の元侍女。
 だから、私は来たときから嫌われているのだろうか。
 二人からすれば、私は主人であるジゼル様の邪魔をする女に見えたのかもしれない。
 なかむつまじく食事をする婚約者たち。一方で、婚約者や侍女たちかられいぐうされる自分。
 ……ここに私がいるのが、とても場違いな気がしてきた。

「……すみません、長旅で体調が悪いので、私は失礼します。本当に申し訳ありません」

 そう謝罪して、この場から離れるのが精一杯だった。
 歓迎されていないのはわかっているつもりだったけれど、悲しい気持ちがしないわけではないのだ。
 うつむきながら部屋の前まで歩くと、なかから笑い声がする。
 入りにくいが、私の部屋はここで、他に行くところなどない。
 意を決して扉を開けると、なかから「図々ずうずうしい女よね」と声が聞こえた。
 見ると、侍女のリンジーとジェナがソファーに座りだんしょうしている。
 きっと二人は、ずっと私のことを笑いものにするように話していたのだろう。

「お帰りが早いなら、報告をしてください」

 部屋に入った私に、リンジーはおくすることなく言った。
 その物言いに驚きつつも、疲れていた私は二人に声をかける。

「……みをして休みます。すぐに準備をしてください」

 そう告げると、二人は顔を見合わせてため息をついた。重い腰を上げ、あっという間にみの準備をする。
 侍女が主人にため息をつくなどあってはならないし、みの準備があまりにも早すぎる。

「後はご自由にどうぞ」

 そっけない一言を残して二人は出て行くが、とても侍女の態度ではなかった。
 仕方なしに一人でみをしようとバスルームに入るが、すぐに違和感を覚える。
 浴槽よくそうから湯気が立っていない。石鹸せっけんも置かれていない。

「何もない……どうしてこんなことを……」

 洗面台の棚をひらき、みに必要なものをなんとか探す。また、浴槽よくそうを温めるようにお湯を溜めた。
 適当に侍女が張ったであろうぬるいお湯にかりながら一息つくと、コテンと浴槽よくそうの端にもたれた。
 ……みじめさが込み上げてくる。
 レックス様が望んだ結婚ではないかもしれない。私だってそうだ。
 婚約者がいようがいまいが、私は彼らの邪魔をしに来たのではないのに……そんなことを思いながら、浴槽よくそうに体を沈めた。そのまま、たった一人でみを済ませる。
 窓から月明りが射し込み、大きなベッドを寂しげに照らす。私がそこにうつ伏せになると、かすかに足音が聞こえた。
 こんなけに誰だろう? メイドがあかり消しに回っているのかしら?
 静かな足音を聞きながら、むなしい気持ちのまま、静かにまぶたを閉じた。


 翌日の朝食は、部屋に運んでもらった。レックス様たちと一緒に食べる勇気は、私にはもうなかった。
 そして、一人ぼっちの朝食のほうが夕べのばんさんよりもとてもおいしく感じられた。
 夕べのばんさんは前菜を少し食べただけだったから、空腹のせいだろうか。
 朝食が終わり、ホッと一息ついた頃、ロイが「失礼します」とやって来た。

「フィリス様、おはようございます。お体の具合はいかがですか?」

 そういえば、私は体調が悪いと言って昨日のばんさんを退席したのだった。

「……大丈夫です」
「それは良かったです。お夜食はどうでした?」
「夜食?」

 そんなものは来なかった。私がどんな反応をするか試しているのだろうか。

「まさか、お夜食も召し上がられなかったのですか?」
「……すぐに休みましたから」

 ロイは心配そうな顔をするけれど、この人が私の味方とは限らない。
 本当のことを言っても信じてもらえないかもしれない。
 私の表情から不安を読み取ったのか、ロイは声をかけてくる。

「レックス様にお会いするなら、こちらにお呼びしますよ?」
「レックス様は、お忙しいと思いますので……あと、今夜から食事はこちらでとります」
「本当によろしいのですか?」
「こちらがいいのです」
「……かしこまりました。では、こちらに運ばせます。もし、何かあれば申しつけください」

 ロイは気にかけた様子でそう言ってくれたが、レックス様に会えないから落ち込んでいるわけではない。
 どう思われているかわからない彼にそんなことは言えない。
 まだ誰も信用できる人間がいない私は、この国でたった一人きりなのだと感じざるをえなかった。


   ◇◇◇
  

「フィリスが食事を別にする?」

 ロイの報告に、俺は驚きながら尋ねる。
 フィリスは一体何を考えているのか。そんなに俺と一緒に食事をするのが嫌なのか?
 思わずまゆを寄せる俺に、ロイはうなずいた。

「はい。今夜からレックス様たちとは別で、ご自身のお部屋で食事をとられると……」
「昨日の夜食はどうだったんだ?」
「召し上がっていないと思われます」
「食べてない? 夜食も口に合わなかったのか……」

 フィリスの様子が気になって部屋の前までこっそり行ったのだが、顔は出せなかった。
 ――好かれるつもりがないからだ。
 俺がそう思っていることを全く知らないロイは告げる。

「レックス様、フィリス様は来たばかりで心細いのではないでしょうか? 食事に遅れた理由もわかりません。今回の件についても、ジゼル様が食事を別にするとおっしゃったから、フィリス様は気にされているのではないですか?」
「ジゼルは気を遣って言ったのだろう。フィリスは好きにさせておけ。俺は仕事に行く。ロイも気にする必要はないぞ」

 フィリスは一体何を考えているのか。
 そうは思うが、来ないならそのまま好きにすればいい。とがめる必要もない。
 そして俺が部屋を出ようとすると、ジゼルが見送りに来てくれた。

「レックス様、お気をつけてくださいね」

 ジゼルはいつも通り堂々とした様子で、俺に微笑みかける。

「ジゼル、今夜は二人でのばんさんになった」
「まあ、嬉しいですわ」

 嬉しい……? そうか、嬉しいのか。
 あの娘が来ないと告げただけで、ジゼルは笑顔になった。
 やはり夫を共有することは幸せではないのではないのだろう。
 ジゼルは笑顔を浮かべたまま隣を歩く。
 形だけの結婚で来たとはいえ、侍女から俺の仕事に行く時間は聞いているだろうに、フィリスは俺の見送りにも出てこない。
 フィリスの部屋の前を通り過ぎるとき、思わず扉を見てしまう。それに気づいたのか、ジゼルは落ち込んだように声をかけてくる。

「フィリスさんがいらっしゃったから、私たち二人の時間が減ってしまうのですね。ここ最近は、お仕事もお忙しい様子ですし。……寂しいですわ」
「西の森に魔獣が増えている。そろそろ聖女に結界を張り直してもらわないといけない。忙しいのはそれまでだ。フィリスのことは気にするな」
「では、今日は教会に?」
「そうだな、教会に聖女の要請をしなければいけない。……そういえば、フィリスも聖女のはしくれらしいぞ」
「そうですか」

 フィリスの話をしただけで、ジゼルは下を向いてしまった。
 かすかな違和感がジワリと湧き上がる。
 ……口には出せない言葉を隠したまま、内心ため息をつきながら、そのままジゼルに見送られて、仕事へと足を運んだ。


   ◆


 ガイラルディア王国に来て一週間が経った。
 一日中部屋にいると、外からよく笑い声が聞こえる。ジゼル様は召使いたちと上手くやっているようだ。侍女たちもジゼル様には明るく話している様子がうかがえる。
 そして、ジゼル様がレックス様と仲良く話しながら廊下を歩いているのもわかる。
 それに比べ、私の侍女たちは相変わらずの態度だ。
 リンジーとジェナは、私の部屋にノックなしにふてぶてしく入ってくる。
 不快感まる出しの態度に、いつもぬるいお茶。みの準備も適当だ。
 荷ほどきもまだされておらず、衣装部屋はガラガラだった。
 やっと今日になってリンジーとジェナは荷物の整理をし始めたかと思うと、衣装部屋のなかで二人は何かコソコソと話している。
 何か問題でもあるのかしら? と心配になり衣装部屋に行くと、二人は私にいかりをあらわににらみつけてきた。

「何かありましたか? 何かあれば言っていただければ……」
「何もありません! し、仕事の邪魔をしないでください!」

 怒られてしまいました……思わず、敬語で思いながらうなれる。
 二人に衣装部屋から追い出されてしまい、自分の荷物の確認もできないままソファーに戻った。肘掛けに力なくもたれて、手紙でも書こうかしら? と窓際の書斎机に目をやる。
 でも、あの万年筆はない。あるのは、部屋に元々用意されていたものだけだ。
 それに、なんと手紙を書けばいいのか……
 サイラスは元気だろうか。ミアはどうしているかしら……まだたった数日なのに懐かしくて、会いたくなってしまう。でも、心配させたくない。
 あの様子の侍女たちに、今すぐに万年筆を出してください、とは言いにくいし、手紙も頼みにくい。
 もし、出してくれなかったら……と思うと、悲しくなってしまう。
 他国とはいえ、自分の部屋で気を休めることができないのは、つらい。
 ガイラルディア王国の人が、みんなあの万年筆の方みたいに優しかったらいいのに。世の中には色んな人がいるとはわかっているのに、そんなありもしないことを考えてしまう。
 そして何もできないまま時間が経ち、夕食が部屋に準備された。
 今夜も、また味付けの濃いスープにからいチキンソテーだ。
 ルイン王国でもチキンソテーは出るけれど、こんなに真っ赤なものは見たことがない。からい料理は苦手だけれど、この国で暮らすなら慣れないといけない。でも……

からすぎて、食べられないわ……」

 私はナイフとフォークをそっと置いて、そうこぼした。
 食事を始めて一時間もしないうちに、リンジーとジェナは片付けに来てしまう。
 今日も、私はほとんど何にも手をつけることができなかった。
 せめて、寝る前に温かいお茶が飲みたい。

「リンジー、ジェナ。温かいお茶をいただけますか?」

 食後にそう頼むと、侍女たちはツンとしながらも聞き入れてくれた。
 それなのに、しばらく待っても彼女たちは部屋に戻ってこない。
 やっと持って来たかと思うと、お茶はやっぱり苦くてぬるかった。

「……もう少しだけ温かいお茶をいただけませんか?」
「温かいうちに飲まないからです。私たちは忙しいのです」

 とても侍女が発する言葉ではない。私はぜんとしてしまった。
 二人は、もちろんお茶を淹れ直してくれることもなく、部屋から出て行った。

「……お茶も頼めないのね」

 あんな侍女たちを雇うレックス様たちが信じられない。
 そう思いながら、今日もむなしく眠りについた。


 それから数日後。部屋に置いてあった本を読んでいると、なんの前触れもなく、ジゼル様がやって来た。

「フィリスさん、失礼しますわ」

 私の返事を待たずに、ジゼル様は当然のように部屋に入る。
 ジゼル様のその様子は、この宮で自分が一番だと誇示している感じだった。私と違いレックス様に愛されているからだろうか。

「あの、何かご用でしょうか?」
「ええ、お願いがあって来ました。フィリスさんは聖女だと聞きました。結界も張れるのかしら?」
「はい、できますが……」

 唐突な質問にまどいながらも、私はうなずいた。
 結界は、主に魔獣という人に害なすけものの侵入を防ぐための、聖なる障壁だ。聖力を持つ女性が結界術を学ぶことで、それを張ることができる。森にかこまれたルイン王国では、王都を結界でかこみ、魔獣がなかに入って来られないようにしていた。
 ルイン王国の大聖女様ほどの力はないけど、私も結界術は使える。ルイン王国では定期的に聖女たちが王都の結界を張り直している。
 私も昔から、毎回ではないが結界を張りに行っていた。そのときは護衛のなかに必ずサイラスがいて、不安はなかった。
 でも、突然どうしたのかしら? と不思議に思うと、ジゼル様がふたたび口を開く。

「実はレックス様が、聖女を必要としていますの。魔獣が街に近づく前に、西の森で結界を張り直す必要があるそうなのよ。私もレックス様のお力になりたいのですけれど、私では無理ですの。だから、フィリスさんがお力になってもらえたらと思いまして。どうかしら?」

 レックス様のきさきになる者同士で、それぞれ役割分担をしろということかしら。
 私ではレックス様をお慰めできないし、ジゼル様は聖女じゃないみたいだし……
 結界を張るのは嫌ではないし、この部屋で何もせずに一日過ごすよりは良い。
 それに、きっとレックス様は私がいつどこに行こうと気にしない。
 でも、宮に入っている以上、勝手に出ていいのかしら?

「あの、レックス様のご許可は?」
「大丈夫ですわ。もちろんフィリスさん一人で行くわけではありません。護衛の騎士たちもおりますわ」

 ジゼル様が許可を得ているなら、私が行っても大丈夫なのだろう。

「わかりました。行きます」
「助かるわ」

 ジゼル様はそう言って笑うが、その笑顔は少し怖く見えた。
 そのあとすぐに、聖女の務めをするとき用の白いローブをり、先端に宝石のついたはくぎんの杖を持つ。それから、四人の護衛騎士たちとともに西の森へ向かった。
 魔獣除けの結界は定期的に張らないといけない。
 魔獣が森のなかから出て来られないようにするために、結界を張るのだ。
 聖女が森に召喚されるということは、もう結界を張りに行く時期なのだろう。
 西の森の入り口までは、馬車であっという間だった。でも、森のなかには馬車では入れない。そのため結界を張る場所までは五人で歩く。


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